車中泊
「何とか、撒いたみたいだね」
『全く、バッテリーが飛び出るかと思いましたよ』
「心臓、かな?」
『誰のせいだと思ってんですか』
道無き道を走り、奇跡的に無事山を横断した一人と一体は、ボロいプレハブ小屋と隣接した、砂利敷きの小さな駐車スペースに車を停めて休息を取っていた。今にも折れそうなほど細く頼りない電柱が、駐車場の入口につっ立っているが、備え付けられている蛍光灯は光を発していない。
ランタンにやわらかく照らされる車内で、サイカは呑気に先程のペミカンの残りを食べていた。車窓の外にに張り付いた大きな蛾を、内側からつっつきながら、サイカはぽつりと言う。
「ここ、どこだろう」
『ええと、県道二八三号線って出てますね......。本当に山を横断して、山間部の道に降りたって感じです。周りにはほとんど何もありませんよ』
「そっか......。今日はここで大人しくして、明日の朝になったら出発しよう」
『そうですね』
疲れからか、サイカの口数は少ない。ぽつりぽつりと喋る以外には、かたかたと食器の缶をつつく音がするのみだ。サイカは、水筒の水をひと口飲むと、ふぅ、と息を吐いた。
『サイカ様は、今日見たビデオの男について、どう思いますか?』
「胡散臭いな、とは思ったよ」
『と、いいますと?』
サンクは、メインカメラのピントをサイカの横顔に合わせる。
「だって、このご時世だよ。牧場のおじさんほど親切な人はみたこともないのに、ピカピカのクラシックカーを譲ってくれるなんて」
『そうですかねぇ......私は機械なので、可能性の分析までしか出来ませんからね、心の解読は、表面的なものしか』
「だよねぇ、そうだよねぇ」
サイカは、スプーンをくわえてレカロシートに体を埋める。もどかしい気持ちを表すような表情で、首を竦めた。
「やることもないし、今日は寝ようか」
『寝る前のお話とか、読み聞かせ致しましょうか?』
「いいよ、遠慮しとく」
車体後部に移り、食器の片付けを始めるサイカ。サンクはその姿をメインカメラで追う。
『昔は、私のお話を聞きながら眠りにつかれてましたのに、いいのですか?』
「なんだろう、馬鹿らしくなってきたんだよね」
『そんなことはありません。幼い頃を思い出して、安らかな眠りを貪るのも、悪いものではないと聞きましたよ』
「機械のくせに、生意気なことをゆーな」
『機械は眠りませぬ』
ポリタンクと、大きなリュックサックを後部座席の隅に寄せたサイカは、モッズコートを広げて、その上にタオルケットを用意する。
「これじゃあ、そろそろ寒い季節になるね」
『いつも疑問なのですが、どうしてサイカ様は寝袋をお使いにならないのですか?』
「いざって時に困るでしょ? イモムシ状態じゃ、銃を取って戦えないよ」
『なるほど、常に臨戦態勢ということですね』
ランタンの灯りを吹き消すと、サンクのボディの細かなLEDランプを除き、光源が消える。サイカは、ゆったりと横になった。
「街に出たら、虫食いのない毛布を探そう」
『ついでに、潤滑剤と新しいプーリーベルトもお願いします。いい加減に摩耗してきましたから』
「気が向いたらね」
『頼みましたよ』
どこか、遥か遠くで、連続した銃声が聞こえる。ひと月のあいだに、一人でも、生きた人間と遭遇すれば多い方というこの世界では、誰かが戦っているかもしれないという気配を感じることすらも稀である。サイカは寝返りをうち、サンクにそっと話しかける。
「もし......、私が死んだりしたら、サンクはどうするの?」
『有り得ません。私は、我がボディを呈してでも、サイカ様をお守りします。そのために私がいるのですよ』
「例えば、の話だよ。今朝の戦いの時みたいに、サンクが助けに来れない状況で、私がヘマして死んだとしたら」
『......サイカ様が、亡くなったら......、私は、どうするのでしょうか......』
「きっと、サンクは......、いいや、なんでもない」
サイカは言葉を濁し、タオルケットに、顔を埋めた。サンクは、そんなのありかと言わんばかりにジーコジーコとメインカメラを動かす。
『そこまで言っておいて! そんなのなしですよ!』
「うっさい。私は寝る」
『せめて言ってから寝てください!気になってスリープモードに入れないじゃないですか!』
「......すー......すー」
『あんまりじゃないですかぁ! 寝る前に一言くらい――』
「うっさいってば。塩水ぶっかけるよ」
『はい』
サンクは、機械らしからぬそのおしゃべりな口を閉じた。しかし、そのまましばらく、サンクの思考回路は動作を続けた。もし、主人の頼みを達成出来なかったら。サイカを――守りきれなかったら。
主人であるサイカの父は、廃棄処分寸前の旧式機である自分を拾い、仕事を与えてくれた。それ以来、自分たちは主従関係にあり、雇い主、雇われの身であり、友人だった。
この仕事は、ある意味サイカの父への恩返しでもあるのだ。
『サイカ様が、亡くなったら......』
サンクは、蓄電を促すアラートが鳴るまで、長く長く考えた。電子の海に漂うあらゆる事故、事件の事例や、ヒトの心象サンプルを漁り、自分だったらどうするのかを考えた。
しかし、機械であるサンクに、答えは導き出せなかった。
一人と一体を乗せた軽自動車は、夜の闇に溶けていった。