夜戦
サンクの動体センサーが、山間を飛行する大型の物体を捉えたのは、時刻午後九時を回った頃だった。その頃には、運良く雨も止み、空には満点の星空と、大きな丸い月が浮かんでいた。
このご時世、飛行機を動かす人間がいないとなれば、その正体は唯一無二である。ぼぼぼ、と、低く唸るような轟音を、サイカは背に聞いた。同時に、助手席にすっぽりと収まるサンクが、びぃびぃっと、軽いブザー音を鳴らす。
『三時方向上空、高度約百十フィートで飛行中の機影が、複数接近中。距離はおよそ三百、機械人形とみて間違いないでしょう』
「正確な数は?」
『ただいま確認中です』
「ヘッドライトで見つかったのかな......サンク、このまま運転するから、目になってくれない?」
サイカはヘッドライトを消す。目の前には、夜空から降り注ぐ月光に照らされた、狭い峠道が続く。肉眼でも目を凝らせば見えないこともないが、ずっとそうして走るのは難しい。そして都合の悪いことに、サイカは今日初めてマニュアル車の運転席に座ったビギナーである。
『運のいいことに、まだ気付いてはいないようです』
「止まってやり過ごす? 降りて戦うのは部が悪いよ」
『エンジン音で嗅ぎつけたのでしょう、今止まればすぐに見つかります。撒くしかないでしょう。それか、広いところまで誘導してから戦うか』
「いずれにせよ、止まれないってことだよね。分かった。頑張ってね、ヴィー」
『ヴィー? 誰です?』
「VIVIOCCだから、ヴィー」
『アルファベットとかギリシャ数字より先に、日本語の読み書きを覚えてほしいですね......解析結果出ました、接近中の飛行型機械人形の数は二体です』
「ありがと。うーん、二体かぁ......」
サイカは、人差し指でステアリングをとんとんと叩くと、クラッチを踏みギアを四速に入れる。エンジンが吹上がり、軽自動車、ヴィーは、そうでなくちゃとばかりに加速する。
『ヘッドライトを消して正解です。運良く車体も目立たない色だし、何せ山道です。このまま行けば、見つからずに山を抜けられるでしょう』
「うん。頑張るよ。でもほら、前が良く見えない」
『いくら私が機械人形と言えど、ふたつに注意するのは不可能ですよ。CPUをふたつ積んでいるわけではないのですから』
「なにそれ」
『いや、メカニカルジョークじゃないですよ。脳みそが二つあるわけじゃないってことです』
「メカニカルジョークじゃないか」
『まぁ、あんまり高性能ってわけじゃないって考えていただければ......』
未だにヴィーを視界に捕えられずにいる二体の飛行型機械人形は、ある程度の距離を保ちながらあとをつけてくる。
『三秒後に左に緩めのヘアピンカーブ。テールスライドは出来ますか?』
「さっき教えてくれたやつでしょ? できるかな」
『コーナーを脱出する時に、出来るだけフロントを前に向けるんです。さぁ、行きますよ。二、一、今』
「よっ」
サイカはサイドブレーキを引き、ハンドルを投げるように回す。ヴィーは勢いを殺さずに、コーナーの濡れた落ち葉の上を滑る。
『カウンターを当てて、コーナーを脱出します』
「はいよっ」
けたたましいスキール音が山間に響き渡る。それを聞きつけた機械人形が、先程のコーナーを調べ始める様子を、サンクは見逃さなかった。
『彼らの集音器は、それほど性能が良くないようです。CPUの方も』
「つまり、連中は耳も悪いし頭も悪いってこと?」
『そういうことになります』
「なるほど。じゃあ、飛ばしていくよ」
テールランプが残光を引き、小さな車体は闇に紛れて狭い道を走り抜ける。
スムーズなシフトチェンジを繰り返し、次々とコーナーを滑り抜けていく。その度に、豪快なエンジンの咆哮やスキール音につられて、機械人形が滑るようにあとを追ってくる。
『いい調子です。次のコーナーを曲がれば、下りに入ります』
「分かった。もっと飛ばしていこうか」
サイカはぐっとアクセルを踏み込む。ぼんやりと、錆びかけたガードレールが近付くのが見える。
『今です。減速してギアを二速に』
反射的に体を動かすサイカ。しかし、ギアは二速に入らない。がりがりと音を立て、強い振動の後に、車はスピンして止まってしまう。
「あっ、なにこれ、嘘でしょ」
『立て直してください。エンジンをかけて、早く!』
ヴィーは唐突にエンストした。クラッチから足を離すのが早すぎたのだ。フロントガラスに、こちらに近付く黒い影が、星空を覆うのが見える。
クラッチを踏み、エンジンをかける。ギアをバックに入れ、勢いよく後進してから切り返し、そのまま下りのカーブを滑り降りた。スーパーチャージャーの甲高い音が、大気を貫く。
「ごめん、大事なときに」
『大丈夫です、失敗はするものですよ。人間だもの』
「なんかおちょくってない?」
コーナーを脱出すると同時に、頭上でドロドロと低く、連続した破裂音が轟く。飛行型機械人形の、パルスジェットエンジンの音だ。
『完全に捕捉されましたね......本格的にまずい事態になりつつあります』
「仕方がないから、私は運転に集中するよ。サンク、応戦できるかな?」
『九ミリでよければ』
「充分だよ。行こう」
サイカは、ヘッドライトを灯し、アクセルを力強く踏み込んだ。再び、ヴィーのスーパーチャージャーが、空気を切るサイレンのように叫ぶ。
サンクは助手席の窓を開け、短機関銃を備えた細い腕を車窓から外へ伸ばす。
『十分ほど走れば、峠道が終わり民家の集落に出ます』
「了解。後ろは頼んだよ」
『はい、おまかせください。サイカ様』
頭上を飛翔する機械人形が、布を引き裂くような射撃音で、機関砲を撃つ。車を掠め、地面に当たる弾丸が落ち葉を撒き散らし、ガードレールを吹き飛ばした。
サイカは車体を左右に振り、それを巧みに躱す。サンクは、短機関銃を上空の影に向け発砲し、バルカン砲の掃射を阻止する。
『どうしてミサイルを使わないんでしょうか。あのモデルなら搭載してるはずですが』
「知らないよそんなの。使わないでくれてるだけありがたいと思うよ」
ヘアピンカーブを鮮やかに滑り降りるヴィヴィオ。巻き上げた落ち葉を、機関砲の弾丸が細切れにする。
「......今思ったんだけど、この道って一本道だよね?」
『はい、脇道はございません』
「あっちにバレたんだったら、峠の出口に味方が行ってるんじゃないかな?」
『......その可能性は無視できませんね』
サイカは、サイドウィンドウに目をやる。暗い森だが、意外と木の密度は高くないようである。
「......ちょっと揺れるかもしれないけど、落ちないようにね」
『何をされるおつもりです?』
「ちょっと、無茶」
サイカは、森の中へとハンドルを切った。車体はガードレールの切れ目をすり抜け、斜面を跳ねながら駆け下りる。
『サイカ様、流石にやりすぎです! ボディが歪んでしまいますよ!』
「この車なら大丈夫!」
『私のボディの話ですよぉ!』
突然道から姿を消した車に、飛行型機械人形は困惑していた。その場でゆらゆらとホバリングしている。
「これだけしか離れてないのにっ......もう音が聞こえなくなるなんてっ......昔の最新技術っていうものは、本当に迷惑だねっ......」
ガクガクと揺れる車内で、サイカはいつも通り、悠長に喋る。むしろサンクの方が、切羽詰まっている様子である。振り回され、ちぎれそうな細い腕を急いで車内に引っ込める。
『いくらなんでもこれはっ、危険すぎます! 撃たれなくても事故で死んでしまいますよ!』
「そんなヘマはっ......しないよ」
『方向が合っているのはせめてもの救いですが......近道どころか、けもの道すらないじゃないですかぁ!』
「いいんだよ、伊香保にさえ着けば!」
サイカは、木々を器用に避けて、すり抜けるように坂を下る。助手席のサンクはというと、からからと合成音声で悲鳴を上げるのみだ。
一人と一体を乗せた黒い軽自動車は、夜の黒い山に紛れて消えていった。