料理
『まったく。サイカ様ったら、そんなに橋を渡りたかったんですか? とんだ遠回りですよ。逆方向ですよ』
「ご、ごめんってばぁ、許してよぉ」
『あっ、泣くのはずるいですよ。ダメですそれは。まぁ、出発する前に目的地の方向を言わなかった私にも問題はありますけれど......』
サイカがマニュアル車の運転に慣れはじめ、ガソリンスタンドからある程度離れたタイミングで、目的地である群馬県伊香保から逆方向に進んでいることに気付いたサイカとサンクだった。しかし、Uターンしようにも、今朝倒した機械人形の援軍が、ガソリンスタンドにたむろしていたのだ。
そして今。あれほど晴れていた空は一気に曇天に染まり、その挙句に雨が降り始めた。この悪天候の中、サイカはサンクにこっぴどく叱られて半べそをかきながらハンドルを握っていた。
「そうだよぉ、サンクが言わなかったからじゃないかぁ」
『私だけのせいにしないでください。あなたにも責任はあります』
「まにゅあるしゃの運転はっ......初めてだったから、きんっ......ちょうしてたんだよぉっ......ひぐっ......たまに忘れたって......いいじゃないかぁ......」
ついに、外の雨のように大粒の涙を溢れさせはじめる。車の運転もよろよろと危うい。
『ちょっと、なにかにぶつかりでもしたら大変です。路肩に止めてください。休憩しましょう』
素直に脇に寄せ、エンジンを切るなり、サイカはひっくひっくとしゃくり上げながら、のそのそと後部スペースへと潜ってしまった。サンクはメインカメラでその姿を追う。
サンクに背を向けて三角座りで座るサイカ。サンクは、少し言いすぎたかもしれないと、そっと話しかけた。
『やむなく遠回りという形にはなりましたけれど......これはこれで良かったかも知れません。雨が降ったら危ないですし......』
「......ひくっ......ひぐっ......」
『それに、まもなくおやつの時間です。昨日の夜も、朝ごはんもお昼も、忙しかったから何も食べていないでしょう』
サイカは何も言わずに頷く。サンクは細い腕を伸ばし、サイカのリュックサックを漁った。指先のマイクロカメラで、食物を探す。
『サイカ様。これは以前手間をかけて作った木苺のジャムですね。それと、これは......』
「いい......作る」
『作るって、ここ車内ですよ?』
「作るの!」
『は、はい、申し訳ございませんでした......』
サイカは、リュックサックから次々と調理道具や調味料セットを取り出す。
『ガス式のポケットコンロ......本気ですか?』
「私はいつだって本気だよ」
むすっとしてはいるが、実はもう機嫌が治りかけてることをサンクは知っている。サイカは割と打たれ弱いのだが、立ち直るのも早いのだ。
「換気はしないと、死んじゃうからね」
後部座席のドアについたハンドルを少し回し、雨が吹き込まない程度に窓を開けると、サイカは綺麗な水をペットボトルからステンレス製のボウルに移し、手を洗った。
「鴨肉の塩漬け。この間撃ったやつね。それとこれはしめじ。この間、山を歩いてた時に生えてたやつ」
サイカは、リュックサックに手を突っ込み、どこから引っ張り出しているのか、次から次へと食材を出現させる。
『大丈夫なんですか? それ』
「きのこのこと? 大丈夫だよ。ちゃんとかじって確認した」
『そうじゃないです。その点は私もいるので心配はしていませんが......』
「ん? なぁに?」
『......いえ、なんでもありません』
衛生面が非常に気になる、サンクであった。そんなサンクの心配をよそにして、サイカはまた次々と食材を引っ張り出す。
「バターと玉ねぎ。じゃがいももあるから、使ってみるのもいいかもね」
『バターなんて持っていましたか?』
「バターと玉ねぎはこの間牧場のおじさんがくれたやつだよ」
『ああ、親切な方でしたからね…...』
太い棒状に固められた手作りバターを、ラップを巻いた包丁で、ざっくりと切る。それをサンクの細い腕に持たせる。
『七十二グラムです』
「んー、ちょっと多いけど、保存食だからいいか」
『何を作るんですか?』
「ペミカンだよ」
さっきまで泣きべそをかいていたサイカは、すっかりケロッとしていて、軽くすすいだ玉ねぎをブロック状に刻んでいた。
「あぅー...」
『まだ泣いてるんですか?』
「玉ねぎが、目に染みるんだよぅ......へっくしゅん」
サイカは、しくしくと涙を流しながらも、今日に玉ねぎを刻んでいく。
普段から材料が揃えば、サンクをナビにして自炊するサイカにとって、簡単な料理は朝飯前だった。
ペミカンに関しては、冷凍すれば保存が効くので、幾度となく作っていた。今となっては、サイカの得意料理といえる。
「鴨肉はもう味がついてるから、少し塩抜きしま......へっ、へっくしゅんっ......玉ねぎがっ、まだぁ......」
『料理に入りますよ』
新たなボウルに水を注ぎ、鴨肉をその中で揉みほぐす。
『塩抜きって、かなり時間がかかりませんでしたっけ?』
「うんっ......ちゃんと準備するときはっ......それなりに水に漬けてっ......ふんっ」
十分ほど揉んで気が済んだのが、べちっと木のまな板に乗せ、包丁で切り分けていった。
食材を準備したサイカは、コンロと使い古されたフライパンを用意し、小さく分けたバターを加熱し始めた。バターの柔らかな香りに、サイカも思わず口元がほころぶ。
『お腹、すいてるんですね』
「......うはー、じゅー」
『だめだ、目が据わってる』
バターがフライパンにとろけはじめたころに、玉ねぎ、じゃがいも、しめじ、鴨肉の順でフライパンで炒めていく。車内には、料理の香ばしい匂いが充満して、サイカにとってはこの上ない天国だ。
「ここで、残りのばらーをいれます」
『呂律が回っていませんよ』
たっぷりのバターが、食材の合間を縫って、フライパンの隅々に行き渡っていく。
「あとは、シチューの素を入れて煮たら完成だね」
『今回は保存しないんですか?』
「冷凍できないからね、保存しようがないよ。晩ご飯に少し残しておくくらいしか出来ないね」
調理開始から一時間ほど、ゆったりと時間が過ぎた。サイカは運転席に戻り、まったりと濃いペミカンシチューを頬張った。
「んん......作ってる匂いは悪くないんだけどね、やっぱりちょっと重いなぁ。サンクにも食べさせてあげたいよ」
『私は、食事を必要としませんから』
「ねぇ、何をすねてるの? でも、食事を楽しめないっていうのは、本当にもったいないことだと思うなぁ......」
サンクが提案して作ったおやつなのに、わざとらしい見せびらかしてくるサイカに、サンクはサイカの口調を真似て『ふんだ』とへそを曲げて見せた。
「ねぇねぇ、何怒ってるのさぁ」
わざとだな。やり返してるな。と、サンクは思った。
『なんでもありません。ただいまちょっと、バグの居所が悪いんですよ』
「バグ? なにそれ」
『「虫」ですよ。そのままね』
「ふーん。よくわかんないや」
『......ふんだ』
雨は止まず、いっそう勢いを増すばかりだ。皿のシチューを平らげたサイカは、鍋に残ったシチューをタッパーに空け、食器や道具を後部座席の隅っこに寄せてから、軽自動車のエンジンをかけた。ワイパーでフロントガラスの水を弾きながら走る。
「案内、お願い出来る?」
『喜んで』
車があれば、雨や夜間でもある程度遠くまで行くことができる。徒歩で旅をするよりも、車があるなら車を使った方がずっと効率的だ。
先ほどのガソリンスタンドはマークされているので、例え今機械人形がいなくなっていたとしても、うかつに近寄るのは危険だ。山道を通り、大きく迂回するルートで向かうことにした。
「すごい落ち葉だね…...」
『この車は四駆なので、オフロードに強いはずですよ』
「これはオフロードって言えるの?」
そのうち山間の集落を抜け、民家のひとつも無い峠道に入った。道を覆う落ち葉が、増えてゆく。
スリップこそしないが、滑る路面を感じながら慎重に山道を登っていく。
「どこか落ち着けるところを見つけたら、車を止めて車中泊しよう」
『そうですね。良い判断です』
雨がやまずに夜になれば、視界はより悪くなる。まして、このような峠道では、車のヘッドライトだけが頼りになるのだ。
「サンクが運転すればいいんじゃないかなって気がするんだけど、どうだろう」
『私がですか?』
「うん」
『だって、最初はあんなに楽しそうに、運転していたじゃないですか』
「でも、やっぱりさっきみたいにミスはするじゃない。人間だもの」
『いえ、それは理由にならないかと』
サイカは、サンクを恨めしそうに睨みつけ、黙って前に向き直った。
雨音だけが絶えず囁く山に、一人と一体を乗せた黒い軽自動車のエンジン音がこだましていた。