森
手入れするものがいなくなり、早七年。木々はおのおの好きなように身長を伸ばし、深く育った森の中。
木漏れ日の中に、一人と一体は、植物に埋もれながらのそのそと歩いていた。
「ねぇ、三九式。まだ電波は入らないの?」
『残念ながら。圏外のままですね、サイカ様』
手入れせず、ボサボサになったショートボブにハンチング帽を被り、ダボダボのモッズコートという風貌で、ずんずんと進む小柄な少女。そして、その後ろをとことこついて歩く、ドラム缶のような旧式機械人形。
少女の名はサイカ。共に歩く三九式機械人形は、サンクと呼ばれている。一人と一体は、文明社会が滅びたあとも、幾度も一緒に冬を越し、生き残ることだけを考えて暮らす生粋のサバイバーコンビである。
三日ほど前に、峠道で車がガス欠してしまい、森を突っ切って街に出ようとしたのだが、あろう事か遭難してしまうとは。
「まさか、電波が届かなくなるなんて思ってもみなかった」
『ごめんなさい。いかんせん、回線は昔のスマートフォンと同じものを使っておりますので......』
「大丈夫。このまま北西に進めば、道に出るはず」
サイカは立ち止まり、左腕に巻いたアナログの腕時計に目を落とす。そして、眩しそうに太陽を見上げた。
『......サイカ様? 何をしてらっしゃるのですか?』
「んーとね、方角を見てるんだ」
腕時計の短針を太陽の方へ向け、それと文字盤の十二時を指す方角を二分した方向が、南になるのだ。すると、自分たち今、北からやや西にずれて歩いていることになる。つまり、正しい方向に進んでいるというわけだ。
サイカは片腕に持った地図を開き、サンクに見せる。サンクは、単眼のメインカメラをぐぐッとズームし、のぞき込んだ。
「んーとね、サンク。この、こ、こく......」
『国道一四二号線、ですね』
「そう、そうだね。このまま進めば、その道路に出るはずなんだ」
サイカは、地図をたたみ、ややあって、サンクのメインカメラのレンズフードをちょんとつつく。
『......なんですか、そのどや顔は?』
「いや、なんでもないよ」
一人と一体は、再び歩き始める。
コートを着込んでいても少し冷えるくらいの気温だ。木の葉も、少しずつ枯れ色に染まりつつある。
日没近くまで歩き、急に坂の傾斜がきつくなった。伸び放題の雑草も、いい加減邪魔になってくる程だ。
「いいよね、サンクは。かぶれる心配ないからさ」
『サイカ様ほど着込んでいれば、皮膚がかぶれる心配はないのでは?』
「そうでも無いよ。服を着ていても、近づくだけでかぶれるような草もあるしね。私は、足がかゆくて仕方ないよ」
『それならむしろ、足だけで済んで良かったのでは』
サイカは深くため息をつくと、地図を服の中に押し込み、背負っていた長い小銃を両手で持った。銃身には、ロープでマチェットがきつく縛り付けられている。
『村田銃の弾薬も、そろそろ底を尽きますね』
「あぁ、そういえばそうだね......」
十八年式村田銃。開発された当時の、小柄な日本人向けのコンパクトな設計ながら、まだ十代前半のサイカにはややアンバランスに見える。劣化で黒ずんだ木製の前床に、菊の紋が彫られた、くすんだ黒色の長い銃身が収まっている。醸し出す貫禄は、蘇った老兵というのに相応しいものだった。
サイカはボルトを引き、薬室に収まる、丸い頭
した十一ミリの弾丸に目をやる。
専用の十一ミリ村田弾は、確か本体に装填された五発と、リュックサックに詰まっている一箱で最後だ。全部で二十発と言ったところか。
「これ、珍しいんでしょ?」
『はい。旧日本軍が採用していた村田銃は、民間に払い下げられる際に殆どのものは散弾銃に改造されています。ライフル銃のままで現存する村田銃は稀ですね』
「ふーん。なるほどね」
あんまり、というか全然分からない。
「そのうち、鉄砲屋さんとか、警察署、だっけ? 見つけたら寄ってみよう」
『ええ。そうしましょう』
「気に入ってたんだけどな......よっと」
村田銃に縛り付けた、大きな大鉈をしっかりとむすび直したサイカは、大きく一度、行く手を阻む雑草や低木に向けて振る。しかし、伸び放題のツタが絡み、すぐに動きが止まってしまう。
「......はぁ」
絡まったツタを解くと、今度は村田銃をぐるぐると振り回し、助走をつけて大きく薙ぎ払う。すると今度は、目の前の雑草は吹き飛び、道ができた。その勢いを殺さずに、続けて、銃身に縛り付けたマチェットでなぎ倒していった。
ひゅんひゅんと風を切る音。高速で回転する銃をコントロールし、その姿はまるで、巨大な草刈機のそれだ。
『しかし、サイカ様はすごい力持ちですね。村田銃と大ナタの銃剣なんて、相当な重量ですよ』
「そうかな? 私は、そんなに重いとは思わないけど」
体全体を使って銃を振り回すと、鬱蒼と草木が生い茂っていた森に、道が切り開かれていく。
『お見事です』
「声に気持ちがこもってないよ」
『キカイニキモチハゴザイマセン』
「導線切ろうか?」
『申し訳ございません申し訳ございません』
三時間ほど、時折休みながらそんな調子でずんずん進んでいくと、森の終わりが見えてきた。日没間近だと言うのに、差し込む眩しい光に、思わず目を細めた。
最後の一振で雑草を吹き飛ばし、森を抜けると、そこは開放感のある田舎道だった。広いアスファルトの道路を挟んで、反対側には、古い作りの民家が並んでいる。多くは木造で――土壁の家も見える。左手には、少し離れたところに橋のようなものがあり、右手には、「国道一四二号線」と書かれた看板がそびえ立っている。
このご時世、機械人形の襲撃による被害で、建物が倒壊していたり、放置車輌が邪魔だったりと、通るのがやっとの状態の道がほとんどだ。そんな中ここは比較的、というより、かなり綺麗な道だった。
「建物はそこそこあるね......でも、この辺りの家はちょっとまずいかな」
『そうですね、以前それで、歯車が錆びるような思いをしましたね』
「なにそれ」
『人間が言うところの、「恐怖」でしょうか。機械人形なりに表現してみたんですが、いかがですか?』
「うーん、私は機械人形じゃないからちょっと分からないかなぁ」
半年ほど前。木造の一軒家に寝床を求めて上がり込み、雨漏りと経年劣化でボロボロになった床が抜け、死にかけたことがあったのだ。
この辺りの建物はさすが田舎といった具合で、その時の一軒家のような、今にも崩れ落ちそうな木造の民家が多かった。
家というものは、主がいなくなっただけで、自然と傷んでいくものだ。
「とすると、どうしようか。橋を渡ってみる?」
『いえ、少し検索してみます』
「え、電波来てたの? いつから?」
『森を抜ける十七分ほど前から』
「言えよ」
『や、やめてください。油圧パイプをバーナーで炙るのはやめてください』
しばらく待つと、サンクはホログラムでマップを表示した。
『五分ほど歩いた場所に、ガソリンスタンドがあります』
「おお、車もあるかもね。方向は?」
『北北東でしょうか』
「え、橋の方じゃないの?」
『サイカ様、橋を渡りたいのですか?』
「いや、そうじゃないけど」
日が沈み、出てきた山の方を振り返ると、背後の空は迫る大火のように、赤く染まっていた。サイカは身震いし、それを見ないように、俯いて歩いていた。
「......やっぱり、怖いや」
『心中、お察しします』
サンクはそう言って、夕日を隠すように、歩くサイカの横に並んだ。
一人と一体の影は、山の影に溶けて滲んだ。