第五章 永遠の一瞬
「え……それだけで良いんですか?」
拍子抜けしたように希が尋ねるが、貴己は力強く首肯する。
「それぞれがやることは単純。ただ、タイミングが重要なだけだ。果琳、将棋の借りはここで返してもらうぞ。これは果琳にしか出来ない事だからな」
今度は、果琳に貴己が問いかけた。
果琳が気恥ずかしそうにその頬を掻きながら、
「それは勿論だけど……貴己、よく覚えてたね」
「あまりにも悔しすぎて忘れられなかっただけだ」
「そっか。じゃあ、思いっきりやらなきゃ」
「ああ、やろう」
言って、貴己たちは今しがた決めた通りの位置に動く。
遊戯童子は貴己たちの話し合いが終わったことを察知し、壁に凭れていた背をあげた。
『早かったな。遺言でも決めていたか』
「いいや、違う」
最大限の不敵な笑みを浮かべ、貴己は盛大に言い放つ。
「あんたに究極の逆転方法ってやつを見せてやるよ! −−−−果琳!!」
同時、未だカミカガリを保っていた果琳が前に出る。
万事休したはずの状況で、それでも貴己と同じように笑っていた。
果琳の瞳に宿る光に、静は次に起こる事を予期したが、今の果琳は止められない。
「−−−−燼滅ノ法!!」
果琳の膨大な魔力が指向性を持つ。
放たれたエネルギーは、光と音と衝撃波となって弾けた。
視界を真白に埋め尽くし、いっそ無音と思える程の轟音を伴ったそれは、蒼龍殿を爆砕するには十分過ぎる衝撃だった。
盤面崩壊。
無法の戦闘に於いて、その一手は正に究極の逆転方法。
嘘みたいに吹き飛んでいく壁や天井、柱諸々。
開ける視界、広がるパノラマ。
波濤のように迫り来る熱と衝撃に、遊戯童子は散った玉響を正面に据えて堪える。
『ぐっ……ぬぉぉっ』
が、その勢いは凄まじく、吹き荒れる熱風に体を浮かされた。
蹈鞴を踏みつつも体勢を立て直した遊戯童子が前を見すえた時、果琳は次を構えていた。
腕を前に突き出し、叫ぶ。
「龍炎の咆哮!」
喰らう龍の顎が駆けた。
極太の熱射線に遊戯童子が飲み込まれるその瞬間、姿が消える。
ついに瞬間移動を行使したのだ。
蒼龍殿は木っ端微塵に吹き飛び、玉響が散り散りとなった今、この場は土蜘蛛の巣では無くなっている。
ならば遊戯童子が飛ぶのは必然、最後尾の者。
その背後。
遊戯童子が飛んだ先、低く声が聞こえた。
「心気力一致−−−−」
呼気と共に呟かれたそれは、剣の極意。
果琳からは背を向けて立つ、貴己の言葉。
魔導の呪文が言霊の一種だとするのなら、今この時、紡がれた言葉は貴己にとって必殺の呪文だ。
遊戯童子はすぐにでも反撃をしなければならない、と身構えようとする。
だが何故だろう、体の動きがとても遅い。
遊戯童子には全てが遅れているように感じられた。
そして、ゆっくりと動く視界の中で遊戯童子は、己の左右二畳先に立つ希と望に気づく。
掲げた腕は、こちらに向けられている。
この時、遊戯童子は直感的に悟った。
−−−−刹那の間にやってくるであろう致命の一撃を、我は避けられない。
それでも抗う。
−−−−地に足がついた瞬間、全て吹き飛ばす。
残り僅かな玉響を遊戯童子が掻き集めようとした時、貴己がそちらを振り向いた。
その動作はひどく緩慢に思えるほどで、振り向きざま刀の柄に手を伸ばし、小指から順にぞろりと握っていく仕草まで認知できる。
それなのに告げられた言葉ははっきりと耳に届いて、
「−−−−っ今!」
貴己が叫んだ瞬間、希と望が目の前の空間に魔法をかける。
二人の陰と陽は衝突し、両儀が太極へ近づいていく。
相反するそれらは全てを消滅させていき、残るのは虚無のみ。
範囲内の貴己と静の感覚さえ、限りなく透明になっていく。
「一瞬でも、追いつけたなら。それで十分だ」
貴己が一歩踏み込み、刀を抜き放つ。
それは、完全で不完全な時空の剥離。
一瞬の永遠の中、その一刀は確かに遊戯童子へ届いた。