第四章 アンダー・ザ・トゥルース
血の気が引いていくと同時に、周りの音が消えていく。
「何だ、何が起こって−−−−」
「外で化け物が−−−−」
遠くから断片的に聞こえてくる単語の意味すら、今の俺には捉える事ができなかった。
だが、必要無い。
どんなに否定したくとも、目の前にその答えがあるのだから。
「僕は京都全域の霊脈の研究をする内に、ある一定の周期が存在することに気づいた。それは生物と呼吸と似たようなものでね。いや、睡眠の方が近いかな?」
静さんが悠々と喋り出す。
「更に、今は〈世界〉が太陽のスーパーフレアのように、何がしかを大量に振りまいている。〈世界〉の直上通過、そして霊脈の高まりが最高潮に達している今なら、何だって出来る」
左手に持った刀を揺らしながら、さも楽しそうに話す姿は異常を極めている。
そして、それを見ている自分が恐ろしいほど冷静になっている事に驚きつつ、俺が果琳の方を盗み見た時、果琳が飛んだ。
「だから僕は百鬼夜行を顕現させた。無論、僕一人の力じゃ無理だ。だから−−−−」
一直線に、未だ話し続ける静さんの元へ向かっていき、その拳が届く瞬間、
「なっ−−−−」
その姿が消えた。
「危ないなぁ」
「「!?」」
背後からの声に振り向けば、その場に居合わせてしまった従業員の後ろに静さんが立っていた。
「ひ、ひっ!?」
突然の事態に困惑し、従業員の女性は腰を抜かしてしまい、動けない。
「そんな怖がらないでくださいよ」
静さんが笑いながら手を伸ばす。
「い、いやぁっ!?」
必死に逃げようとするが、せいぜいが身を捩る程度で、おまけに恐怖のあまり失禁してしまっている。
静さんの手が、従業員に近づいていくが、
「その人に触れるな!」
その前に果琳が飛び出す。
空を鳴らしながら二度三度と拳が突き込まれるが、静さんはそれらを何の気なしに躱していく。
「っ! こっのっ−−−−!」
拳では届かないと判断し、果琳が蹴りを入れた瞬間、静さんの姿が再び消える。
そして、
「全く、話の途中で襲いかからないでくれよ。この場はもっと穏便に済ませよう」
真後ろで声が聞こえ、俺の肩に手が置かれた。
「貴己くんもそう思うだろ?」
「−−−−−−は、」
声が出せない。
完全に理解の範疇を超えている、これじゃあまるで−−−−
瞬間移動。
そうとしか言いようがない。
……何がどうなってる?
必死に状況を理解しようとしても、思考まで金縛りにあった様に動けない。
そんな俺に失意したのか、静さんは小さく嘆息して中庭へ歩いていく。
「僕はずっと前から僕に力を貸してくれている協力者を紹介したいだけなんだ」
言って、静さんが右腕を真横に擡げる。
それに合わせ、薄闇の中で右腕の影が幽かに浮かぶが、それだけだ。
「……?」
何かが見えた気がして、俺は影をじっと見つめようとするが、近づいてくる足音に顔をあげる。
すると廊下から希と望、そして亭主が緊迫した面持ちで飛び出してきた。
女将の叫び声を聞きつけたのだろう。
「貴己さん、果琳さん! 大丈−−−−−−え、嘘、そんな」
青ざめた希が口元を押さえる。
倒れ臥す女将を見た望が口を戦慄かせながら、
「兄さん、まさか」
「死んじゃいないよ。ただ血が必要だったから少し貰っただけさ」
静さんは微笑みながらひらひらと手を振る。
「静ッ! お前、自分が何をしたか分かっているのか!?」
普段は物静かなはずの亭主が血相を変えて問い糾す。
見ているこちらが身震いしてしまうほどに鬼気迫ったそれを、しかし静さんは一瞥したのみで嘲った。
「はっ。ちょうどいい。父さん達にも紹介しよう。僕の協力者だ! ……きちんと彼らに言葉を合わせてくれよ?」
仰々しく芝居がかった動作で、静さんが自らの影を示すと、黒い何かが立ち上る。
人ほどの高さまであるそれは朧げで、今にも薄闇に溶け出してしまいそうなほど儚い存在に思えた。
だが、違った。
「我は中御門夕鳴によって封印されし鬼。子息、中御門静の願いにより目覚めた。名は、そうだな−−−−遊戯童子とでも呼ぶがいい」
「…………っ」
地の底から聞こえてくるような、悍ましい嗄れ声。
声に含まれた感情など図るべくもない、聞くだけでわかるその悪意。
身の毛がよだつのを押さえられない。
これほどまでに邪悪な存在がいるのかと、俺が見ているのは本当に現実なのかと、正気すら疑いたくなる。
本能で理解するまでも無く、魂に刻み込まれる。
……こいつは、こいつとは分かり合えない。分かりあってはいけないものだ。
全く別の理で生まれた物。
言ってみれば宇宙人とそう違い無いだろう。
声を聞くだけでおかしくなりそうだというのに、静さんはこいつを取り込んだのか。
……いや、取り込まれてるな。
恐らく、いや確実に利用されたのだろう。
「旅館に出現していた鬼ってのも、希を生成りにさせたのもお前の仕業か……!」
「ほう、よく気づいたな。まぁ気づくよう仕向けたのだが。遅かったな」
「なん、で」
なんでこんなことを。そう言おうとした俺は、言いながらも口を噤んだ。
言っても詮無いことだからだ。
そして、それは遊戯童子の方もわかっているらしい。
「何故、などとあいなき事を言うなよ? 我にとっては総て意味などないさ。気紛れで此奴の願いを叶えてやったまで」
「静さんの願い……? それが百鬼夜行だっていうのか!?」
「さてな。我に言えるのはここまでだ」
そう言うと、遊戯童子は静さんの影の中へ音もなく戻っていく。
「と、いうわけで百鬼夜行を起こすのを手伝ってくれたのはこいつなんだ」
静さんが嗤いながら言うが、もはや今の言動は全て信じる事が出来なかった。
「遊戯童子から言い出したんじゃないのか」
「さぁね。そんなこと忘れたよ。……ともかく、僕を止めたければ昨日渡したリストの場所を総当たりするんだね。僕もそこのどこかにいるからさ」
「……」
俺は、ただ睨むしかない。
「待ってるよ、貴己くん」
最後に一際強く嗤い、静さんは消えた。