誰でもでき『た』速読術
速読を身に付けたら、本を早く読めて便利ではないか? 小説を読むのも、学習で役立てるのも。
そんな風に考えたことのある人は多いのではないでしょうか。
実は速読というのは誰でもできた。過去形になってしまうのですが。速読王とか特級レベルの速読となればちょっと話は違うのですが。
本を読み慣れることでそこそこ早くなることもできますが。
もともと人の脳の処理の能力というのは高い、しかし、その能力を活かした速さで読める人は少ない。
実はこれはただの習慣。
幼少期から小学生にかけて、音読を繰り返すことで、脳が言葉を口にする速度で読む、ということに慣れてしまう、というものです。
つまり音読という習慣に慣れなければ、誰でもそれなりの速読ができる、という。
人は本人も気がつかない思い込みから、その習慣に慣れてしまうというもの。
これは、音読の仕方をテレビのアナウンサーのように、一瞬だけ文章を見て、写真のように記憶して、文章を頭の中で読み口にして話す、というものに変えることで少し変化します。
文章を口に出して発音するスピードで読まなければならない、という脳の思い込み、これまでの習慣づけを取り払うことで、誰でもそれなりの速読が可能になります。
使い分けができれば、小説で独白やセリフの部分を情感をイメージしながらの音読速度読み。状況説明や背景描写を速読読み、というふうに使い分けたりなど。
このふたつの速度の使い分けというのは、文章を読み慣れた人なら無意識に使ってたりします。
とは言っても三つ子の魂百まで、というようにそれまでの読み方を変えるのは困難です。
たとえば歩き方。
小脳は身体の動き方を、言わばオートで行うもの。1度歩き方を大脳で組み上げて、小脳にインプットすることで、難しく考えなくても歩けるようになります。
これがあるので歩くときに、いちいち右足をどれだけの高さに上げるか? どれだけ前の位置に置くか? そのとき重心の移動はどのくらいに調整するか? 足を置くときに関節へのダメージを減らすために、膝をどれだけ固定するか? 力を入れすぎれば疲れるし膝も痛む、しかし体重を支えるだけの力加減は残さないといけない。
歩き方のプログラムが小脳に入っていると、こんなことをいちいち考えなくても歩くことができます。
経験のある方がいるかどうか解りませんが、壊れて止まったエスカレーターを登り降りしようとすると、この習慣づいた自動的な歩き方と認識がズレて、バランスがとりずらくなり妙な感じになったりします。
いつも動いているエスカレーターが当たり前で、それがいつもと違うとき、脳が混乱するというものです。
スポーツや踊り、特に武術の練習というのはこの日常的な動作を最適なものに作り直す作業だったりします。
何気なく行う小脳の自動的な作業。これを1度分解し、大脳で新たな身体動作プログラムを作り、小脳にインストールする。
慣れた動き方をより洗練された機能的に効率の良い動作へと変えるために、繰り返し練習したりするわけです。
しかし、これは弊害もあります。
こういう人は少ないのでしょうが、この歩き方、武術的な歩き方というものを練習してる人で、突然にこれまでの歩き方をスコンと忘れて、さて私はこれまでどうやって足を前に出していたか? となってしまい、歩けなくなるということもあったりします。
なので熟達した指導者のもとで行って下さい。
速読も同じで、もともと脳にはそれをできるだけの性能があります。
これまでの読み方のクセを1度壊して、文章の読み方というプログラムを作り直すことで速読ができる、というもの。
ただ、これがわざわざこういうことをしなくても、幼少期から音読をせずに本を読んでいれば、誰でも速読ができてた、というわけなんです。
読み方も歩き方も1度身に付けてしまえば、それをわざわざ組み立て直そう、とはしないものです。
人は慣れるもの、慣らされてしまうもの、なのですね。
おまけとして、この慣れた認識を取り払う手段のひとつに、文字を上下逆さまにして模写する、というのがあります。
これは他人の筆跡を真似る、署名やサインを模倣する練習の仕方なのですが。
見慣れた文字を、見慣れない絵として認識することで他人の筆跡をトレースするやり方のひとつです。
やり方しだいで脳の思い込みを外せる手段のひとつです。
以上、文章を口に出して発音するスピードで読まなければならない、という習慣を取り払うことで、誰でも速読ができ『た』という1説でした。
私は参考になる本をしらべ、独学でやってみた経験上、昔より読むのがけっこう早くなりました。皆さんも試してみてはいかがですか?




