第2章 雪はいつでも謎めいて
手始めに宗と尚紀は、手芸部にいた桃川雪枝に同行願い、三人で南道へ向かった。
竹林に生える竹の高さはまちまちだ。人の背丈程度のものから、十メートルを越えるものまでが混在して群生している。中にはまだ溶けきらない雪を被って垂れているものもある。
「ここでした。外灯と同じ位置にしましたから。ここで間違いないです」
雪枝は自分がチョコを提げたという場所を指さした。
竹林は十メートル程度の幅がある。雪枝が示したのは、そのほぼ中央。言葉通り、南道を挟んだ反対側のフェンス越しに外灯が立っていた。
「チョコを提げたのは何時でしたか?」
宗の質問に雪枝は、
「ここに提げてすぐ、部活を休ませて欲しいと部長に電話したので……」と携帯電話の通話履歴を見て、「三時半です」
「そのとき、周囲に誰かいませんでしたか?」
「誰も。その時間は部活動の真っ最中で、帰宅部の生徒たちも帰った時間でしたから」
「まず考えられるのは、桃川さんのあと、かつ、梶原先輩の前にここへ来た人物が、チョコを横取りしていったというものだけど……」
宗は地面を見た。三人がここへ来る前、南道には二種別の足跡だけがついていた。昨日の夕方に雪枝がチョコを提げにきたものと、部活が終わってから梶原が取りに来たときのもの。梶原の足跡は往復に加え、竹林の幅に渡ってもついている。チョコを探しに歩いたためだろう。
「足跡から、雪が降り止んだ一昨日の昼過ぎから、今、俺たちが来るまで、南道は桃川さんと梶原先輩以外、誰も通っていないということだ」
「この南道は冬には使うやつは滅多にいないからな」
「はい。私も、それを思って場所をここに選んだんです」
尚紀の言葉に雪枝が答えた。チョコを提げるところも、それを意中の人が回収するところも、誰にも目撃されたくなかったのだろう。降雪のある今の時期に南道を使用する生徒は皆無だ。南道に入る前にほんの数メートルも歩けば、除雪された広い公道が平行しているためだ。
「となると、犯人はどうやってチョコを持ち去ったんだ?」
「足跡を残さずにチョコを奪う方法か。長い竿なんかを使って……」
と尚紀は、グラウンドと接する南道の出入り口を見た。
「目測でも十メートル以上はあるぞ。無理だろ」
宗が答える。その反対側、学校敷地外に抜ける出入り口までは、さらに倍程度の距離がある。
「じゃあ、公道からなら、どうだ? 柵は目の細かい金網が張ってあるから……柵を越した上からとか?」
尚紀は三メートル程度の高さがある柵を見た。宗も同じように見上げて、
「釣りみたいにしてか? それもかなりの難度だろ。それに、チョコを横取りするなら、普通に歩いて近づかなかったのはなぜだ?」
「それが出来ない事情があったんだよ。犯人は、足跡を見られたら一発で身元がばれるような靴を履いていたから」
「どんな?」
「それは……レアもののスニーカーとか」
「履き替えればいいだろ」
「異様に足の大きなやつだった。三十センチくらいある。だから、履き物に関係なく身元バレしてしまう」
「歩いたあとから雪をさらって掻き消せばいいだろ」
「何だよ宗、突っ込みばかり入れて」
「お前の推理が杜撰すぎるからだ!」
これ以上南道にいても進展は望めないと判断し、三人は屋上にやってきた。
階段室のドアを開けると、屋上を覆った雪の上に往復した数条の足跡がある。チョコを発見した吉川君子たちが付けたものだ。足跡群は十メートルほど延びていた。
「結構な距離があるな」足跡の途切れた位置、すなわちチョコが散乱していた位置を見て宗が、「どうしてあんな遠くにチョコを捨てた? ただ捨てるだけなら、ドアを開けたすぐでいいだろ」
「あの場所に捨てなきゃならない理由があったってことか?」
「もっと突き詰めれば、チョコを捨てる場所がなぜ屋上だったのか? もっと別の場所じゃいけなかったのか? そもそも、学校内に捨てないで家に持ち帰るとかすれば、この事件が露見することさえなかったはずだ」
「発見させることが目的だったとか? 例えばだ、犯人は梶原先輩に恨みを持っていて、彼は貰ったチョコを捨てるような悪い男なんだと、先輩の評判を落とすのが目的だった」
「それなら、やっぱり屋上というのはおかしい。今回、たまたま吉川さんたちが屋上に行ったからこれが発覚したんであって、下手をしたら雪解けの春まで露見しなかった可能性もある。こんな真冬に屋上に出る物好きな生徒は滅多にいないからな。それと、ここに来て気付いたんだけど、チョコがあった位置は、地上と屋上という高度差はあるけど、南道の竹林と平面的な直線距離で近いよな」
「確かに、そうだな」
「これにも意味があるのか?」
「……どうしてこんなことをする必要があったのか、か。それって、不可能犯罪の用語であるよな。何だっけ? ホワイトハウス?」
「大統領の住居は関係ない。それを言うなら、ホワイダニットだ。よし、次は、発見者に話を訊いてみるか?」
三人は屋上でチョコを発見した女子グループのひとり、吉川君子に会いに行くことにした。雪枝によると、君子は帰宅部だが本が好きなため、恐らく図書室にいるだろうという。
図書室を覗くと、果たして君子はいた。
声を掛けると、読書をしていた君子は顔を上げ、宗と尚紀を睨むように見つめてきた。敵意があるわけではなく、恐らくこれが彼女の癖なのだ。度の強そうな眼鏡をかけていることから、視力に難があるのだと思われる。が、二人の後ろに雪枝の姿を確認すると表情を一変させ、
「雪枝? どうしたの?」
立ち上がり、邪魔だ、とばかりに宗と尚紀を押しのけて雪枝の手を握った。
「君子、あのね……」
雪枝が二人を紹介すると、君子はもう一度、睨め付けるように宗と尚紀を見回した。今度は癖ではなく、本気で訝しんでいるようだ。
「そ、それで……」君子の視線を受けながら宗は、「チョコの発見者である吉川さんに話を訊けないかと」
「ふん。今さら私が話すことなんて何もないわよ。あのバスケ部の男の仕業に決まってるわ」
「それがですね……」
宗は、誰にも南道の竹の枝からチョコを横取りすることは難しく、それが屋上に散乱していたことの説明も付かない、という推理結果を話した。聞き終えると君子は、
「何言ってんのよ、あなた、それでも探偵なの? 足跡によれば、雪枝とそいつ以外には誰も南道を通っていないんでしょ? だったら、必然的に犯人はバスケ部で決まりじゃない」
「梶原先輩は、そんなことをするような男じゃありません!」
尚紀が口を挟んだが、
「何それ? そんな人情論で容疑者から外していいわけ? 論理的じゃないわ」
「ぐっ……」
尚紀は宗にバトンタッチした。
「吉川さん、そもそも、どうしてこんな寒い中に屋上に行こうと思ったんですか?」
「雪が止んだから、久しぶりに屋上でお昼を食べようとしたのよ。でも、思ったより雪が積もっていたんで、諦めて帰りかけたところでチョコを発見したの」
「そうでしたか。その、チョコを発見したときの様子を詳しく教えてくれますか?」
「詳しくも何も、ただ十メートルくらい先にチョコと袋が落ちているのが見えただけだったわ。雪は完全な処女雪で、足跡も何もなかったわよ。一緒にいた私以外の子に訊いてもらってもいいわ」
「チョコの第一発見者は、吉川さんですか?」
「そうよ」
「チョコに真っ先に近づいて行ったのも?」
「……ははあ、何を言わんとしているか分かったわ。私の狂言だと言いたいのね。屋上には実は何もなかった。私がさも、何かを見つけたということを口走って一番に屋上へ出て、他のみんなから見えないようにチョコをばらまく。不可能犯罪で言うところの早業殺人の応用ってことね」
「そうであれば、チョコがドアからかなり離れた場所で見つかったことの説明も付きます。そのトリックを使うなら、あまり近い場所だと見破られる可能性が高まるからです」
「そうね。でも残念でした。チョコに一番最初に気が付いたのは確かに私だけど。他の子も間違いなくチョコを目撃してるわ。話を聞いてもらっても構わないわよ。だいたい、どうして私がそんな、雪枝を悲しませるようなことをするのよ。私たちは親友なのよ」
君子は雪枝の腕を取って体を密着させた。
「う、うん。君子がそんなことするはずないよ」
雪枝が微笑むと、君子は嬉しそうな笑顔を浮かべ、雪枝の肩に頬を寄せた。
「親友、ですか」と宗は体を寄せ合う二人を見て、「でも、チョコを発見したとき、吉川さんのグループに桃川さんはいなかったんですよね?」
「うるわいわね! 雪枝とはクラスが別なの! 雪枝のクラスは四限が体育で、教室に戻ってくるのが遅かったから、私たちのクラスの友達だけで出たというだけのことよ! いつもは雪枝も一緒よ!」
強い剣幕で怒鳴りつけられ、宗は、「わ、分かりました」と答えるしかなかった。
「雪枝、そろそろ帰らないとなんじゃない?」
宗に向けていた怖い顔から一変させ、君子は心配そうな表情を雪枝に向けた。雪枝も図書室の掛け時計を見て、「本当だ」と呟いた。門限の時刻が迫っていた。
「どう思う?」
二人きりになると宗は尚紀に訊いた。
「どうって、吉川さんのことか?」
「ああ。彼女の桃川さんに対する態度、普通じゃなかっただろ」
「確かに、親友同士だからって、あそこまでべたべたするのはな」
「彼女、桃川さんに対して友情以上の感情があるんじゃないか?」
「それって……」
「だとしたら、動機になるだろ?」
「桃川さんが男を好きになることが許せなかった? だから、梶原先輩に濡れ衣を着せた。桃川さんが先輩のことを嫌いになるよう仕向けるため?」
「その推理なら、足跡の問題からホワイダニットは消えるだろ。吉川さんは、確実に梶原先輩の犯行に思わせるため、自分の足跡を付けずにチョコを奪う必要があったんだ。どうやってチョコを取ったのか? という謎はまだ残るけどな」
「どうやったのか、か。それも用語であるよな。何だっけ? ハウスダスト?」
「繊維クズやダニの死骸は関係ない。ハウダニット、だ」
「で、次はどうする? 宗」
「梶原先輩にも話を聞こう」