第1章 どこの学校にも名探偵はいる
白い雪が埋め尽くす屋上に、手作りチョコレートが数個散らばっていた。傍らには、それらを入れていた袋も落ちており、中からは一通の便箋が覗いていた。
〈梶原先輩。好きです。私の気持ち、受け取って下さい。お返事いただけたら嬉しいです 一年二組 桃川雪枝〉
短い恋文は、所々が雪で滲んでいた。
バレンタインデーから一夜明けた二月十五日は、前日に続き快晴だった。数日振り続いていた雪が一昨日の昼過ぎに止んでいたためだ。
放課後を迎えた大鳥高校一年三組の教室で安堂宗は、親友の長谷川尚紀から、この日の昼休みに発覚した「屋上チョコレート散乱事件」の概要を聞き終えた。
「つまりは、こういうことか。昨日、二年の梶原先輩が一年二組の桃川さんからチョコを貰ったが、先輩はチョコが気に入らなかったのか、はたまた桃川さんのことが嫌いだったのか、食べもしないで、貰ったチョコを屋上に投げ捨てた――」
「違うって! 梶原先輩ほどの人格者が、そんなことするはずないだろ! だいいち、梶原先輩は、そもそもチョコを貰ってないって証言してるんだ」
「どういうこと?」
「まあ、続きを聞いてくれ……」
雪上に散乱したチョコを発見したのは、昼休みに屋上を訪れた女子グループだった。その中のひとりに、当の桃川雪枝の親友である吉川君子がいた。
親友に対する残酷すぎる仕打ち(と少なくとも彼女は思ったらしかった)に烈火の如き怒りを憶えた君子は、チョコを丁寧に回収すると、その足で二年一組、すなわち桃川の想い人である梶原大和のクラスを訪れた。梶原の目の前に、屋上で発見した袋とチョコを差し出した君子は、これはどういうことか? と厳しい口調で詰問した。
きょとんとした顔で君子を見上げていた梶原だったが、次いで君子から差し出された、雪で滲んだ恋文を見ると、ああ! とばかりに顔色を変えた。その様子を君子は、犯罪者が悪事を暴かれ狼狽しているようだ、と感じたという。
梶原は弁明を始めた。
昨日、二月十四日の放課後。体育館で部活動中だった梶原は、部員のひとりから手紙を手渡された。梶原先輩に渡してくれ、と女子生徒から頼まれたものだという。練習の手を一時休めて梶原は手紙を読んだ。
〈南道沿いの竹の枝にチョコレートを提げておきました。受け取ってもらえると嬉しいです。こんな形で連絡をとることになってごめんなさい。 一年二組 桃川雪枝〉
南道とは、校舎裏に学校敷地を横断して伸びる道だ。そこには確かに手紙に書かれている通り、道の片側の一角に小さな竹林が形成されている。その中の一本に、雪枝は梶原宛てのチョコを提げたという。
まだ部活動の最中であり、二年生で来年度部長に内定している梶原は、他の部員たちの手前、練習を抜け出すことも出来ない。そのため梶原は部活が終わってから南道へ行こうと決め、ひとまず練習に戻った。
部活が終わると梶原は南道へ向かった。外はもう暗かったが、等間隔に立つ外灯の明りのおかげで歩くのに支障はなかった。
梶原は竹林の端から端まで入念に見ていったが、そのどの枝にも、何も提げられてはいなかったという。見えるものと言えば竹とその枝、枝に生える笹、それらに覆い被る白い雪ばかり。
梶原はもう一度受け取った手紙を読んだ。確かに〈南道沿い〉の〈竹の枝〉と書かれている。念のために地面も見てみたが、やはり積もった雪以外には何もない。彼は、一年二組に桃川雪枝なる女子生徒がいるということを知らなかったため、何者かにかつがれたのかと思い捜索を諦め、手ぶらのまま家路についたという。
一方、桃川雪枝の証言は以下の通り。
二月十四日。雪枝は、意中の人である梶原大和にチョコを渡せないまま、とうとう放課後を迎えてしまっていた。雪枝は、梶原にチョコを渡す意思があることを親友――屋上でチョコを発見した女子生徒軍団のひとりでもある――吉川君子にだけ伝えると、
「梶原が教室を出て部活に行くまでの廊下が最後のチャンスだ」
とのアドバイスを貰った。それ以降は梶原は部活動に入ってしまうため、チョコを渡せる隙が生じることは望むべくもないのだという。にも関わらず雪枝は、廊下を歩いて体育館へ向かう梶原に声を掛ける勇気を出せず、その背中を追うことしか出来なかった。梶原はそのまま体育館に入ると、部員たちと一緒に練習を始めてしまった。
こうなると、下駄箱にでも入れておくというのが、この手のイベントのセオリーだが、それは不可能だった。というのも、大鳥高校の下駄箱は蓋のない開放型のため、何かを入れたら、それは衆人の目に露わにされてしまう。受け取る方にも無用の気まずさを憶えさせてしまうため、下駄箱を何かしらの通信、受け渡し手段として使うことは御法度、というのが大鳥高校生徒全員の共通理解なのだった。
そうであれば、残された手段は部活が終わるのを待つのみとなるが、悪いことに雪枝は両親により厳しい門限を課せられていた。彼女が所属する手芸部は、いつも放課後の活動を早めに切り上げていたため、門限までに帰宅するのに何の支障もなかった。が、運動部となると話は別だ。彼らの練習が終わるまで待っていたら、帰宅時刻は確実に門限を越えてしまう。かといって、部活練習中に乱入して梶原にチョコを渡す、などという強行突破に等しい冒険が彼女に出来るはずもなかった。桃川雪枝は極めて内気な性格として周囲に知られていた。吉川君子は雪枝の門限事情に加えてそのことも熟知していたため、「部活に行くまでの廊下が最後のチャンス」と口ずっぱく忠告していたのだった。
体育館の出入り口から、練習に汗を流す梶原を見つめ続ける雪枝。
この窮地に雪枝は持てる限りの勇気を振り絞って行動を起こした。生徒手帳のメモページを切り離して梶原宛ての手紙をその場でしたためると、それを梶原に渡してくれるよう――しどろもどろになりながらも――バスケ部員のひとりに託したのだ。
激しく脈打つ心臓を抱えながら、逃げるように体育館を、そして玄関を飛び出た雪枝は、手紙に書いた通り〈南道〉の真ん中辺りで、群生する竹のひとつにチョコの入った袋をぶら下げると、想いが届くようにと祈りながら家路に就いた。
「つまり」と宗は、「桃川さんは、確かに南道沿いの竹の枝にチョコを提げたというが、梶原先輩の言い分だと、そんなものはなかったと」
「ああ、双方の意見が食い違ってしまっているんだ。桃川さんのほうでは、梶原先輩がチョコを受け取ってくれたものと信じて疑わなかったそうなんだな」
「まあ、無理もないな」
「彼女としてみれば、先輩から返事が来るのを緊張しながら待っていたんだろう。ところが……」
「チョコは屋上に散乱した状態で発見されてしまったと」
「そういうことだ。桃川さんの友達の吉川さんは、それが梶原先輩の仕業だと決めてかかってるんだよ」
「でも、梶原先輩は否認している。チョコ自体を入手していないと言うんだな」
「なあ、宗、梶原先輩の濡れ衣を晴らしてくれよ」
「何で俺が」
「お前の姉ちゃん、探偵だろ」
「本業は作家だからね」
尚紀の言葉通り、宗の姉は素人探偵としても活躍している作家であり、名前を安堂理真という。宗は高校で姉のことを喧伝してなどいないが、長谷川尚紀とは小学校時代からの親友同士であり、彼にだけは姉の素性を教えていたのだった。
「だから、弟のお前にも探偵の才能があるはず」
「そんなこと言われてもな……まあ、梶原先輩には恩があるしな」
「だろ」
宗と尚紀は今年度の体育祭で梶原のクラスと同じ組になり、先輩たちが言いつけてくる理不尽な要求から守ってもらったという恩義があった。
「仕方がない、調べてみるか」
「さすがは宗だ! 名探偵の弟!」
「やめろよ」
「じゃあ、一丁決めるか」
「……何を?」
「何って、決め台詞だよ! 事件に際して探偵って何か言うだろ?『実に面白い』とか『この犯罪は美しくない』とか」
「そんなのないから」
「何かやれよ」
「……やるの?」
「是非」
「……じゃ」
宗は、こほん、とひとつ咳払いをして、教室に自分たち以外誰の姿もないことを確認すると、
「この謎、俺が必ず暴いてみせる。食いしん坊探偵と呼ばれた、安堂理真の名に賭けて!」
結構ノリノリで見得を切った。