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機巧仕掛けのエデン  作者: あららぎくだら
第一幕 エデン神盟騎士団の少年
5/21

4 悪食

 悪鬼が機械の残骸を振り払いながら起き上った。

 赤い目玉がこちらを見ている。きっと次はない。次は避けられない。

 次の瞬間、樹の背後で扉の軋む音がした。


「樹くん!?大丈夫なのかい!?」


 樹と悪鬼が同時に声の主の方を見る。

 そこからは、一瞬だった。

 悪鬼が動いた。ちょこまかと逃げる樹よりも捕食が楽そうな「命」めがけて、一直線に突進していく。

 動く暇も、叫ぶ暇もない。

 驚いたように緑の瞳を見開いたリッパの右腕を、悪鬼が一息に喰い千切った。

 すべては、長い時間の出来事のように思えた。悪鬼が跳ね飛ばした鉄の部品が、まだ空中をくるり、くるりと回っている。リッパの右側が黒に埋もれて、そこを彼岸花のように彩る(あか)(あか)(あか)。残された左側が跳ねる。

 悪鬼が扉に衝突し、耳を塞ぎたくなるような音が周りを震わせた。

 樹は駆けだしていた。

 声にならない叫びが全身を駆け巡る。頭をハンマーで殴られているみたいで、頭がおかしくなりそうだ。

 怖い、と言う感情が樹の脳内を埋め尽くしていた。悪鬼が怖いわけではない。自分が死ぬことも、たった今どうでもよくなった。

 ただ、怖いのは――――。

 リッパの元にたどり着く前に悪鬼が振り向いた。凶悪な歯から真っ赤な血が滴っている。

 怯みそうになるのをこらえて悪鬼を睨み付けると、悪鬼が前傾姿勢になるのがわかった。


(…来る!)


 咄嗟に左に跳躍する。足が地面につかないうちに、ぱっくりと大口を開けた悪鬼が樹の肩をかすめた。

 悪鬼の爪が右肩の服を引き裂く。肩口がカッと熱くなったが、それも無視して樹はリッパに駆け寄った。




 怖いのは、目の前で人が死ぬこと。





「リッパさんっ!!!」


 自分の喉から出た声は、かすれていてまるで悲鳴のようだった。

 血だまりの中に倒れているリッパを抱え起こす。嫌でも腕の断面が目に入って、ぞっとするような肉の赤と骨の白に目の奥でチカチカと星が散った。とめどなく流れる血液が樹の制服の青をどす黒く染め、濃厚な鉄の香りが辺りを漂っている。

 意識はしっかりしているようで、樹が体を抱えるとリッパは顔をゆがめた。

 扉から向かって右側に、ガラス窓付きのドアがある。とにかく逃げなければ。その一心で樹はリッパの体を持ち上げると、必死にそのドアを目指した。

 ドアノブに手をかける。鍵はかかっていない。

 ほとんど体当たりするようにドアを開け、中に転がり込んだ。

自分より大きいリッパを引きずるようにして壁際まで移動させて座らせ、自分はすぐさまドアの前まで戻って鍵をかける。

 そこは、食堂か休憩室のような場所だった。長机を4つ合わせたものが2つ並び、それを囲むようにパイプ椅子が乱雑に置かれている。どちらも古びていてほこりをかぶっていた。広さは教室よりも広いくらいで、採光と換気用に高い位置にある窓以外は大きい窓もなく薄暗い。

 樹はリッパのところに駆け戻り、赤い水たまりの中に膝をついた。

 そこにあるはずの腕が、無い。

 体の一部が欠落した障がい者を見たことはあったけど、目の前で無くなるのとは訳が違う。あまりの恐ろしさに手が震え、足がすくんだ。

 喰い千切られた腕から流れる血は止まらなくて、リッパの周りの血だまりをどんどん広げている。それに比例して、ぐったりと目を閉じたリッパの顔はどんどん白く、青くなっていく。

 このままでは、リッパは出血多量で死んでしまう。


「し、けつ…」


 うわ言のように呟いて、樹は自分のネクタイを引き抜いた。

 止血の正しいやり方なんてわからない。研修で教えられた気もするが、自分はバカだからまったく覚えていない。でも、とりあえずぎゅっと縛れば血は止まるはずだ。

 リッパの右肩にネクタイを巻き、結んでから左右に思いっきり引っ張った。リッパが痛そうにうめくのに力を緩めそうになりながらも、必死になってきつく、きつく縛る。

 やったことがないから加減がわからない。樹がネクタイを引っ張るのをやめたのは、リッパが本気で叫びだしてからだった。


「ちょ…!くっ、砕けるっ!ストップ!!本当に砕ける!!」


 必死な声音で叫ばれて、樹は慌てて引っ張る手をゆるめる。


「すっ、すみませ、」




 ガシャンッ!




 2人は一斉に音のした方を向いた。

 ドアの窓ガラスが粉々に割れている。




 ガンッ!!




 再び音がして、ドアが内側にぼこりと膨らんだ。割れた窓から大きな赤い目玉がのぞく。

 喉が絞まって、自然と呼吸が速くなった。心臓が不吉に跳ねる。

 そんな樹の耳に、リッパの静かな声が届いた。


「樹くん、落ち着いて」


 思わずリッパの顔を見ると、彼は青白い顔で優しく微笑む。


「この部屋にある机を使って、ドアの前にバリケードを作るんだ。きっと時間稼ぎくらいにはなると思うよ。ボクは動けないから、君が1人でやるんだ」


 できるね?と聞かれて、樹は思わず頷いた。不思議と、

恐怖で混沌としていた頭が急にクリアになり、落ち着きが戻ってくる。

 樹は、急いでバリケード作りに取り掛かった。

 悪鬼がガンガン体当たりを続けるドアの前まで長机を運ぶのはなかなか勇気がいることだった。それでもなんとか、長机を重ねたり並べたりしてバリケードを作成する。

 バリケードの作り方は良く知らない。そもそも、自分はいったい何を知っているのだろうか。さっきだってリッパに助けてもらった。

 腕を失った一般人が冷静で、騎士団の研修生が焦っているなんて。


(俺が、しっかりしなきゃ)


 火事場の馬鹿力と言うやつだろうか、樹はものの2分で作業を終えた。

 悪鬼がドアにぶつかるたびに、バリケードの長机がガタガタと音を立てて揺れる。確かに、これは時間稼ぎにしかならなそうだ。その間に、どうにかしてあれを倒す方法を考えなければ。

 リッパの様子を見るため、樹は部屋の奥に戻った。

 肩が砕けるほどの止血が効いたのか、血はほとんど流れていなかった。蒼白なリッパの顔から、脂汗がぱたりと落ちる。

 バリケードを考え込むように見ていたリッパの視線が、樹の右肩で止まった。

 そして、彼はなぜか目を見開く。


「樹くん、怪我してるじゃないか」


 樹は一瞬、自分の耳を疑った。腕を一本失くしたこの状況で、まさか他人のかすり傷の心配をするとは。


「っ、そんなの、リッパさんだって!」


「ボクは全然大丈夫だからいいの。それより、キミが大怪我したり死んじゃうことの方が問題」


 何が全然大丈夫なのか。もとはと言えば、樹が廃工場に入ったりしたから、リッパは右腕を失くしたのだ。

 そう、樹の所為で。


「…ごめんなさい」


 気が付けば、口が勝手に動き出していた。


「俺が、そのまま支部に直行していれば、こんなことには、」


「樹くん!」


 鋭い声で呼ばれ、下に向けていた視線をリッパに向ける。

 怒られるかと思いきや、彼は――――笑った。


「大丈夫だよ」


 落ち着いた、静かな声音。腕を喰われ、血だまりの中に座っていてもなお、リッパの雰囲気は変わらず、静を保っている。


「とりあえず、騎士団に連絡しよう。樹くん、携帯持ってる?」


 聞かれて、樹は制服のポケットの中を探った。

 ……無い。

 そういえば、神田上等にかけてからポケットにしまった記憶がない。手にも持っていないということは、たぶん向こうの作業場に放り出してしまったのだろう。


「…落としました」


「え!?」


「っていうか、一回電話したんですけど」


 そう言うと、リッパは目を丸くした。


「で、どうだったの?」


「怒鳴られて、切られました」


「はあ!?」


 リッパが大きな声で叫ぶと、バリケードがガタガタ揺れる。二人は顔を見合わせ、声を潜めて話し出した。


「切られたって…誰に?」


「上司です。俺、その人の番号しか知らなくて…」


「怒鳴って切るって、さすがにそれは無いよ」


 神田上等も、まさか部下が一般人と一緒に悪鬼に喰われかけているとは思っていないだろう。

 それは弱ったなあ、と言って、リッパはため息をついて目を閉じた。

 バリケードは三十秒間隔ぐらいでガタガタと揺れている。長机の隙間から見えるドアも、鉄製と言うのが信じられないぐらいゆがんでしまっている。いつ鍵がはじけ飛んでもおかしくない状態だった。

 もう、時間はないのかもしれない。


「…これは、仕方ないのかなあ」


 リッパがぽつりと呟いた。え?と思わず聞き返すと、リッパは樹に向かってにっと笑った。


「キミ、まだ研修生だったよね。神力適合率検査(クラウディオ・テスト)やった?」


「クラ―――なんですか?」


「やってないのか。まあ、しょうがないよね。緊急事態だし…。護杖は持ってる?」


「あっ、はい」


「ならオッケー。始めちゃおう」


 そこで樹は、ふと思った。

 なぜ、都会で迷子になっていた一般人が、その「クラなんとか」のことを知っているのか。

 なぜ、一般人が護杖を持っているのかどうかを気にするのか。

 なぜ、一般人が腕を失っても平気な顔をしているのか。

 その疑問に答えを出す前に、リッパが息を吸う音が聞こえた。



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