16 小金井梢
数分後、2人は何とか樹を落ち着かせてベンチに座らせた。
樹は過呼吸気味だった。息を吸っては吐く荒い音が、2人には啜り泣きのように聞こえた。
涼介が給水気から水を紙コップに注いで樹に渡す。
心臓はまだ、不穏に脈打っていた。
「…梢は、お前の兄貴なんだな」
「…はい」
うつむいて紙コップの中身を見つめたまま、樹が答える。
「兄は、今どこに」
ほとんど呟くように言った樹に、朝霧と涼介は無意識に息を詰めた。
3人の間に沈黙が降りる。
それは、彼らの20数年の人生の中で、最も答えづらい質問だった。
「梢は…」
言いかけて朝霧は、喉にからからに渇いていることに気付いた。
ひりついて痛い。
喉だけじゃなく、頭も、心も。
「梢は、行方不明だ。3年前から」
樹は、何も言わなかった。
ただ、きつく目を閉じて背中を丸める。握っている紙コップが歪み、中の水が小刻みに震えていた。
予想していた答えだったのだろう。そう考えると、心臓が軋むように痛んだ。
「死んでは、ないかもしれねえ」
言ってから、なんて残酷なことを口にしたんだろうと気付く。
ひどい、ひどい言葉だ。
ただ、自分たちが信じたいだけの。ただの、2人の願望。
「梢は、16歳の時に騎士団に入ったんだ。僕と同期で、今は一等従騎士だよ」
涼介の声は、感情が抑えられて抑揚に欠けていた。
そうでもしなければ、何かが決壊しそうだった。
「僕たちは親友なんだ」
だった、とは言いたくなかった。
樹の体が震えている。
うつむいて、唇を噛んで、強く目を閉じて、
「にい、さんっ」
吐息のように希薄な声が吐き出された。
彼は泣いていなかった。
その代わり、微かな声が兄さん、兄さん、と。
言葉が涙の代わりに、床に積もっていくようだった。
その枯れた悲鳴のような声に朝霧が耳をむしり取りたくなった頃、樹はようやく顔を上げた。
もろい希望と苛烈な意思を秘めた瞳。
危うい、と思う。
「…騎士団が1年近く捜索した。俺らも探した。でも、まだ見つかってない」
その目を見て、ゆっくり、はっきり言葉を紡ぐ。
声を枯らして、足を棒のようにして梢を探した日々がまざまざと思い出されて、自然と握った拳に力が入った。
(そうだ。何度も言われた。支部長にも、副支部長にも、―――――律破にも)
自分たちはそれでは納得しなかった。
反論して、叫んで、怒鳴って、仕舞いには神力を使って暴れまくった。絶望して、怖くて、何をして生きていけば良いのかすら見失いかけた。
人を失う恐怖が、初めて心を深くえぐった。
「気持ちはわかる。だが、落ち着け。手がかりを探すんだ。闇雲に探したって、梢は見つからねえ。わかるか」
そして今、あの時言われたのと同じ事を梢の弟に言っている。
樹は、何度かなにか言いたげに口を開いた。そして、その度に何も言わないまま閉じる。
まるで、今言われた事を懸命に咀嚼して飲み込もうとするかのように。
「納得してくれなくたっていい。でも、わかってくれ」
副支部長に言われたのと、一言一句違わない言葉。聞いた当時は脳味噌か沸騰するかと思うほど怒った。でも、その声音の真剣さに圧されるように怒りを無理矢理喉の奥に押し込めた。
怒りの矛先を向ける相手はどこにもいない。
それをわかって欲しかった。
「わかりました」
樹の声は、ひどく苦しげだった。
彼は色々なものを流し込むように、彼は紙コップの水を一気に煽る。
「…大丈夫?」
「や、わからないです。でも俺、頑張りますから。絶対見つけます」
うかがうように聞いた涼介に、樹は力強い声で答えた。
手の中で、空の紙コップがぐしゃりと潰される。
「絶対、あきらめないから…‼」
祈るように額に手を当てて、樹は声を溢した。