12 血液と機械箱
消毒は大事だと思います。
「じゃ、ボクは引き継ぎがあるからまた今度ね!」
それだけ言って、律破はさっさと医務室から出て行った。
「…なんか、不思議な人だなあ」
「ほっとけ。アイツの年齢と思考回路は騎士団の七不思議だよ」
面倒くさそうに頭をがしがしと掻いて、ウキ先生が立ち上がる。
そして彼は、胸ポケットから小さなケースを取り出した。
「さて、面倒だが、お前の神力適合率を調べなきゃならねェ。ユグドラジルの守護を受けて生きてるってんなら、まあ相当高いんだろうが、支部長に早く出せと急かされてるんでなァ」
きょとんとしている樹の前で、ウキ先生がケースを開ける。そこに入っていたのは、鋭い針の注射器と小さな試験管。
「さァ、採血だ。腕出しな」
にやあ、と笑うウキ先生に、樹の背に悪寒が走った。
「なんだ、注射は苦手か?さては、予防接種は何としてでも回避する性質だな」
「や、そういうわけでは…」
「ならなァんにも問題はねェよな。腕出せ」
そういうや否や、ウキ先生は樹の左手首をむんずと掴んだ。若干引き気味の樹にお構いなしに、袖をめくって2、3度腕の内側を撫でると、そこに注射器をあてがう。
「あの、消毒とか…」
「んなモン、やんなくても死なねェよ]
「あんたそれでも医者か!?」
樹の叫びもむなしく、針がつぷりと腕に埋め込まれた。
ちくりと痛みが走るとともに、注射器にセットされた試験管に赤い液体が流れ込んでいく。
しばらくして、樹の腕から針が引き抜かれた。そこそこ痛いうえに、押さえてろ、と言われて自分で傷口を押さえる。
ウキ先生は壁際の棚をごそごそあさり、注射用の正方形のやつではなく普通の庶民的な絆創膏を放ってよこした。
「ほらよ。自分で貼んな」
荒い。この人、本当に医者なんだろうか。
片手でばんそうこうを張るのに苦労している樹をよそに、ウキ先生は棚から一枚の紙と細い筆を取り出した。
さらに、部屋の隅から机を引っ張ってきて樹のベットの近くに置く。
「……あの」
「あ?」
「や、何してるんですか…?」
椅子に座り、手に血液の入った試験官と筆を持ったあたりでさすがにおかしいと思った。
「神力適合率検査だよ。さすがに知ってんだろ?」
「いや、あんまり」
「…さてはてめェ、座学寝てんな」
「寝てはないですけど…」
あんまり理解できないです、と言うと、呆れ顔でため息をつかれた。そうしているうちに、筆の先端が樹の血に付けられる。
その血で紙に円を描きながら、ウキ先生は怠そうに説明を始めた。
「いいか?人の血でだな、こう、円を三重に描いて、その間にごちゃごちゃといろいろ書いて、機械箱を真ん中に置く。そーすっと、血の持ち主の神力適合率がわかるってわけだ」
「機械箱?」
「うっせェ。黙って見てろ」
筆を何度も血に付けながら、ウキ先生は良くわからない記号を円と円の間に描き足していく。
そして彼はもう一度立ち上がり、棚をあさって(いったんどれだけのものが中に詰められているのだろう)両手に収まるくらいのサイズの古びた箱を取り出した。
くすんだ金と銀の金属でできた、箱と言うよりはただの立方体。その表面には、ウキ先生が描いたのと同じような記号がびっしりと刻み込まれている。上部の面には3ケタのダイヤルがあり、「00.0」となっていた。
何だか、現代に似つかない風情。博物館にでも飾ってありそうだ。
ウキ先生はその箱を白衣でこすってから、樹の血液で描かれた摩訶不思議な文様の中心に置いた。
だが、何も起きない。
思わずウキ先生を見上げると、彼は呆れたように樹を見返した。
「んなすぐに結果が出るわけねェだろ。数値が出るまで半日はかかんだよ」
「…そうなんですか」
ちょっとだけ残念がる。ウキ先生はため息をついて、機械箱を机ごと奥の部屋に引っ張って行ってしまった。
一人残された樹は、ぼんやりと空を見つめた。
正直、いろんなことがありすぎて頭がおかしくなりそうだった。わかってはいたが、騎士団には世界を律している常識なんてどこにもない。血とあの箱で適合率がわかるらしいが、樹的には「それってどこの魔術?」である。
が、そういう自分も、この数日間で常識をどこかに落としてきてしまった気がする。
(そもそも、俺何で助かったんだろ。確か蔦が悪鬼に巻き付いて、それから…)
「あ」
そうだ。炎。
炎が目の前を横切って、誰かが目の前に立った。
自分に何か問いかけたその人の、ひるがえる真っ赤な長髪を覚えている。
自分は、その人に助けてもらったのだ。
「おい小金井、てめェ、どこ行くつもりだ」
布団をはねのけて冷たい床に足を付けたあたりで、奥のドアから出てきたウキ先生に見つかった。
事情を説明しようとするが、その前におっかない顔で強引にベッドに押し戻される。
「まだ寝とけっつの。てめェは、またそこら中走り回った挙句失神して、副支部長に背負われてここに戻って来てェのか?」
「や、そういうわけでは…」
樹が律破を探して走り回った件について、ウキ先生は予想以上に怒っているらしい。
手をぶんぶん振って弁解しながら、樹は慌ててベッドに戻った。
「あの、ここに赤い長髪の人っていますか?俺、たぶんその人に助けられて…」
「赤い長髪?」
ウキ先生は、不機嫌な顔のまま少し考え込んだ。
「赤なんて、そんなキテレツ頭のヤツいたか?」
「わかんないですけど、悪鬼が燃えて…」
「燃えたァ?」
聞き返すウキ先生に「そうです」と答えると、彼はそれならと思い出したように眉間のしわを消した。
「ならソイツは朝霧真赤だ。3番部隊の上等従騎士だよ」
「朝霧真赤さん」
「そうだ」
朝霧真赤、と言う名前をしっかり頭に刻みつける。女の人だろうか。命の恩人だから、一度会ってきちんとお礼を言いたい。
そう言うと、ウキ先生は面倒くさげに、なら午後にしろ、午前中はまだ寝てろ、と言った。
「3番部隊なら午後から訓練だ。地下の訓練場に行きゃァ会える。わかったらさっさと寝ろ」
問答無用でカーテンを閉められ、樹は一人で横になって天井を見上げた。
寝ろなんて言われたって、さっき起きたばかりだ。
だが、目を閉じていると次第に睡魔がやってきた。どうやら、脳は思ったよりも疲れているらしい。
ぼんやりとそんなことを考えながら、樹はゆるやかに眠りに落ちて行った