ロールと家族
周りの雑踏が少しずつ大きくなっていく中、わたしは目を覚ました。
一人では大きすぎるベッド。隣で寝ているはずの、姉の姿はもうない。
一応触ってみたけどもう温もりは感じられなかった。と言うことは、もういい時間なのだろう。
寝起きのはっきりしない意識の中そう思っていると、寝室の扉がゆっくりと開き、わたしの姉、シルヴィが顔をのぞかせた。
「ロール? 起きた?」
「起きたよ」
応えると、姉はにっこりと笑って近づいてきた。
姉のシルヴィはもうすぐ9歳。母と同じ綺麗な銀髪を肩まで伸ばしている。濃紺のぱっちりした瞳に整った顔立ち。
不出来で足手まといなわたしに、いつもふんわりとした笑顔を向けて接してくれる。
姉は私の灰色に近いくすんだ銀髪を掻き上げ、おでことおでこをくっつけてひとしきりうーんと唸った後、
「熱はもう大丈夫そうだね、良かった」
と、言って頭を撫でてきた。
「でも、明日大事な日なんだから、今日は暴れずに大人しくしておくんだよ?」
「いつも暴れたりなんてしてないよ……」
「そーね」
悪戯っぽく笑う姉。
「もうちょっとで朝ごはんだから、呼ぶまで寝てなさいね?」
「うん」
最後にポンと軽く私の頭を叩くと、手を振って隣の部屋に消えていった。
わたしははっきり言って病弱だ。
重い病気にこそ今までかかったことは無いものの、よく風邪を引くし、しょっちゅう熱を出す。
わたしが生まれる前に死んでしまった下の兄もそうだったようで、家族にいつも心配と面倒をかけている。
特に姉にはその分のしわ寄せが色々いっているはずなのに、いつも笑顔を向けてくれて「いーよいーよ」と言ってくれる。
姉にはほんと頭が上がらないのだ。
もう少し身体が強くなって、せめて森での薪拾いや野草取りはしたい。
まだ先だけど、8歳の洗礼を終えたなら、姉や母と同じ薬施所の手伝いもしたいし、料理だってしたい。
更に先になるけれど、別に相手がいるわけじゃないけれど、お嫁にだって行きたいよ。
でも生来の病弱は、わたしをベッドに縛り付けて離さない。
いつもというわけじゃないけれど、太陽のような姉を見ていると、自分の弱さに腹立たしさを感じて仕方ない。
せめて、いつか足を引っ張るのだけはしないようになれるのかな。
* * *
姉に呼ばれて、朝の食卓に着く。
椅子によじ登ると、眠そうな父の顔が見える。
「父さん大丈夫?」
「ああ……ちょっと眠いが大丈夫だ」
父は茶色の髪を掻き毟って、小さな欠伸をした。黒い瞳からちょっと涙が見える。ほんとに大丈夫?
父・ヴァレリーは夜勤明けだ。私たちが暮らす田舎町カンペールで衛士をしている。
それに合わせて、剣術と槍術の師範役もしている。もっとも、こっちは教える相手がいなくなったので、1年近く休業状態だとよくこぼしている。
食卓は私の右に父、向かいに姉、その左隣。つまり私の斜め前に母が座っている。
私が座ると、簡単なお祈りをして食事が始まった。
母・ミシェルは父を見てくすくすと笑うと、パンを食べ始めた。
母は姉と同じ綺麗な銀髪で、姉ほど物凄いというわけではないけれど、やはりけっこうな美人さんだと思う。
家族の中では唯一ヒーリングの魔法が使える。それを活かして薬施所でも活躍している。
仕事は凄く出来るし料理も凄いんだけど、実は割とずぼらで、掃除嫌いなのが玉に瑕だ。
とは言え、優しい大切な母であることに変わりはない。
あと、ここにはいないが、1年前に王都に行った兄がいる。この4人が、今のわたしの大切な家族だ。
「兄さんはお昼頃だっけ?」
姉が母に確認すると、母は頷いた。
「そう聞いてるわよ? ジュリアちゃんもいるから、真っ直ぐ帰ってくるんじゃない?」
「そっかー。それなら安心だねー」
姉はわたしを見てくすくす笑う。釣られてわたしもちょっと笑った。
「悪いなぁロール。明日はどうしても抜けられなくてな」
「お仕事なんだししょうがないじゃん」
父の謝罪に軽くわたしが応えると、父はわたしの頭をがしがしと撫でつけてきた。
スープを飲もうとしていたわたしは、その力に思わずスプーンをスープに押し付けてしまい、軽くスープが飛び跳ねてほっぺに付いた。
むぅーと父をにらんで口をすぼめると、悪い悪いと言いながら父はほっぺのスープを指で拭き取り、自分の口に運んだ。
* * *
食事が終わると、父は寝室に向かい、わたしは自分と父の分のお皿とコップを流しに置く。
姉がさっさと食器を洗って立てかける。
そろそろ母と姉が出勤する時間だ。
「ロール。それじゃ大人しくしてるのよ? アベルとジュリアちゃんがお昼頃来るから、ちゃんと言うこと聞いてね?」
「わかってるってー」
頬を膨らませると、母は指で突いてきた。ぷしゅーと口の中の空気が抜け、3人でくすくす笑った。
姉がじゃあねーと手を振りながら、母と共に家を出ていき、わたしも寝室に戻って、ベッドに座る。
既に寝息を立てている父の邪魔にならないように、棚に置いていたウサギと犬の人形を持ち出し、小声でぎゃおー、きゃーなどと一人遊びをしてみた後、すぐに飽きてベッドに転がる。
特に眠くもなかったはずが、転がっているうちにうつらうつらと眠気が襲ってきて、そのままお昼まで眠りについた。
目を覚ますと、既に兄たちは到着していて、食卓で話をしていた。
わたしが顔を出すと、ジュリア姉さんはにこっと笑って手を差し伸べてきた。
「ロールちゃん、相変わらず可愛いわねぇ」
「姉さんほどじゃないもん」
「もう、そんなこと言わないの。ロールちゃんも十分以上に可愛いよ?」
ジュリア姉さんはわたしを抱き上げて、自分の膝の上に載せた。
その光景を見てニヤニヤ笑いを浮かべる兄。
「お兄ちゃん、おかえりなさい」
「おう、ただいま」
そう言って、父と同じように私の頭をがしがしと撫でる兄。
でも、その兄と目を合わせることができない。
兄・アベルは兄妹の一番上でもうじき16歳。黒髪に父譲りの意志の強そうな黒い瞳をしている。姉ほどではないにしてもその整った顔立ちと、深くこだわらないさっぱりした性格で、女の子には人気があるらしい。
兄は去年、成人を迎えると冒険者になるといって王都へ行った。なかなかの凄腕らしく、暫くすると噂がこちらまで聞こえてくる程だ。
ジュリア姉さんはそこで知り合ったパーティメンバーの一人で、公認のカップルである。
だけど、わたしはその兄の目が何故か苦手だ。
家族はみんな知っていて、勿論兄も、ジュリア姉さんも知っている。
理由は、ほんとに自分でもさっぱり判らないのだ。
兄のことは大好きだ。姉ほどでなくても、いつも優しくしてくれて、助けてくれて、意外とマメなところもある。
虐められた記憶なんか全くない。勿論、わたしがなんかしでかしてお尻を打たれたことはあるけれど、そんなのは父も母も姉ですらしたことがある。
だけど、目を合わせることだけがどうしても出来ない。
克服しようと、何度か試しに目を合わせてみたことはある。兄は凄く嫌がったけど。
すると、何故か動機が激しくなる。身体が震えて寒気がしてくる。そして、大泣きに泣き出してしまうのだ。
勿論、兄が睨んでくるとかそういうことはないよ?
そんなことが何度かあって、兄を無駄に傷つけるだけなので、家族内では了解事項となっている。
兄もうっかり目を合わせてしまわないように、いつも微妙に距離を取ってくる。ほんとに面倒な妹でごめんね。お兄ちゃん……。
しかし、今回ばかりはそうも言っていられない。その為に兄は実家に帰ってきたのだから。
明日、春季日の前日。登録式のため。
父と母がどうしても予定が合わず、姉ではわたしを抱き上げて連れていけないため、兄を頼らざるを得なかったのだ。