川辺で
お昼過ぎ、父に手を引かれながら、私は市場の中を歩いている。
今日から役場の向かい側にある酒場の一角を借りて、代書屋をすることになっている。
月曜と木曜の週2回、七刻から九刻が仕事時間だ。
帰りは父が迎えに来てくれることになっているが、出勤は昼過ぎなので自分で行かなければならない。
なので、慣れるまで当面、父が送ってくれることになっている。
代書屋の無い日は、体力作りを兼ねて森へ行くのが解禁になった。
そろそろ体力が限界っぽい、と思ったところで父にひょいと抱えあげられた。
早く完走ならぬ完歩出来るようになりたい。
* * *
ロラン先生の提案について、帰宅してから話すと、父は少し難しい顔をした後言った。
「まあ、それぐらいならやれるだろう」
姉は渋い顔を更に渋くする。
「えー、許可出しちゃうの父さん?」
「前から、ロールが大人になったら、出来ることの候補には母さんとしていたからな」
母も頷く。
「本命は役場勤めだったけどね。でも今すぐってことなら代書屋しかないわね」
「うう……すぐに仕事なんてしなくってもいいと思うんだけど」
「えー、やだ」
私の答えに姉が睨む。なんか最近姉に睨まれてばっかだね私。
とは言え、こればかりは言うことを聞けない。稼がなければ!
「むー、じゃあ薬施所の隅で」
「それもやだ」
「なんでよ!」
姉が怒るが、理由が二つあってそれも困る。
一つ目は言わずもがな、失礼ながらロラン先生が鬱陶しく、それに姉までこれなので、あそこでは働きたくないから。
二つ目は、
「なんでって、代書屋みたいな仕事なら、もっと人の多いところのが良いからじゃん」
「そりゃそうだな」
薬施所は私達の住む北街区では大きめの建物で人の出入りも多めだが、出来るなら中心街の方が稼ぎも期待できるだろう。
「うー、なんか最近ロールが反抗的だよ。反抗期なの?」
私に言わせれば薬施所に通うようになってからの姉の方がなんかおかしいと思う。
そう思いつつ困った顔で母の方を見ると、母は苦笑したが何も言わない。
なんか知ってるっぽいのだが、この件に関してはノータッチを決め込んでいるようだ。
「役場って訳にもいかんだろうから、向かいの酒場で場所借りれるよう頼んでみるか」
そう言った父は、次の日には決めてきてくれた。
* * *
酒場に着くと、父は私を下して、扉を開けた。
中から、威勢のいい低めの声が響いてくる。
「おう、ヴァレリーとロール。来たか」
酒場の主人でシメオンさん。父と同年代の、恰幅が良く、赤毛に碧眼のおじさんだ。
「今日からよろしくお願いします」
と私がぺこりとお辞儀しつつ挨拶すると、おじさんはワハハと笑った。
「おう、こっちこそなぁ。おいヴァレリー、えらい躾けのいい子じゃないか。本当にお前の娘か?」
「けっ、何言ってやがる」
父はへっと笑い飛ばした。そして私を見て、
「じゃあ行くから、頑張れよ」
「うん」
そして父は詰所へと戻って行った。
私のために用意されていたのは、酒場の一番奥まった席だった。
そこのテーブルに、植物紙を10枚ほどと、ペンとインクを置く。そして、持ってきた木札をテーブルの向かい側に置いた。
そこにはこう書いてある。
* よろず代書承ります *
・一件に付き銅貨5枚。
・紙の持ち込み歓迎。無い場合は銅貨5枚にてお分けします。
・羊皮紙は持ち込みのみ承ります。
料金のうち、銅貨1枚は席代としてシメオンさんに払うことになっている。
「やっぱりそれ、安すぎんじゃねえのか?」
「これくらいじゃないと、私に頼む人なんていないと思うんです」
「まあそうかもしれないけどなぁ」
値段は家族で相談して決めた。
私も安すぎるとは思うんだけど、どうやら両親は、そんなに期待してないようだ。
稼ぐことよりも私のガス抜きを考えているようで、ちょっとへこむが、自分でもそんな大した稼ぎにはならないだろうなとは思ってる。
「んじゃあ、初仕事頼めるか?」
「え?」
ところがシメオンさんは、大きな木板と、赤白黒の三色の塗料を持ってきた。
「そろそろメニューを書き換えようと思っててな。綺麗に書いてくれ」
紙すら使わない初仕事が舞い込んだ。予想外!
今のメニュー板を渡され、書き足したい内容を聞いて石板にメモした。
「じゃあ、仕込みあるから頼んだぜ?」
「はい」
何はともあれ初仕事。
私は古いメニューを参考にしつつ、見栄えの良さそうなレイアウトを考えてみる。
古いのは結構乱雑に書き足し書き足ししてあるので、それを飲み物・軽食・肉料理・魚料理に区分けして、下書きをラフに書いてみた。
うん、こんなもんかな?
下書きに従って色を塗っていく。一刻ほどで完成したが、なんか自分的に物足りない。
あ、ここに絵を描いちゃお。
隅の方にジョッキに入ったエールと、ワイングラスを描いてみた。
うん、素朴だけどなかなか良くない?
ちょっと臭うので窓を開け、窓枠に引っ掛けるように置いて暫く乾かす。
メニューが乾くころ、おじさんがやってきてそれを見た。
「お、なかなかいいねぇ……なんだこの絵は」
「可愛くないですか?」
「か、可愛いって……お前ここ酒場だぞ?」
なんか若干不満だったようだ。でも、全般的な出来には満足してくれた。
「よし、初収入だ。受け取れ」
「え! ええ! もらいすぎです!」
渡されたのは銀貨1枚。
「景気づけも込みだけどよ。仕事には相応の対価がねぇとな。その額の値打ちはあるぜ」
褒められたようで、気が引けながらもちょっと嬉しかった。
その後、終わり間際に一人手紙を頼んで来たので、初日は終了した。
お金を家に持って帰ると、予想外の結果に母が驚いていた。
しかし、そんなのが毎回あるはずもなく、その後は多くて日に3件程度。
まあ、こんなもんよね……。
* * *
一月ほど経ったある日、既に夏も盛りを迎えつつある山は、セミの声が煩い。
代書屋の無い日は毎日ここに来ている。
お目付け役のケヴィンも一緒だ。
私は森の入り口付近に毎回陣取っている。体力が徐々に付いてきたとはいえ、まだ坂を上って小山の上の方に行って帰ってくるだけの自信は無い。
周りには同じ歳くらいの子たちが野草を採っている。それに交じって私も少しずつ採っていく。
ケヴィンは毎回結構奥の方まで入っていくようだ。
それが昼頃まで続くと、思い思いに簡単なお昼を食べ、その後はみんな遊びだす、と言うのがいつものパターンだ。
私は体力的に付き合えないので、近くの小川の川辺で、足を水に浸して涼を取ることが多く、今日もそうしていた。
ケヴィンが2mくらい先にいる。彼はあまり他の子たちとの遊びに加わることはない。なんでだろ?
今は、小川にいる魚を掴み取りしている。
ケヴィンは、私の知っている男子の中でも、特に無口だ。表情もあまり変えず、いつも何となくつまらなそうな顔をしている。
と言ってもイジメとか除け者と言うことではない。よく誘いもあるけど、断ってるようだ。
父に頼まれて私のお守りみたいなことをしているようだったので、一度話をしたのだけど、別にそれだからと言うわけではなく、単にそっちがつまらないそうだ。
黒髪に黒い瞳。顔のつくりを除くと日本人みたいに見える。
とは言え、私も周りの事ばっかり考えてても仕方がない。
今考えることは、お金稼ぎだ。
川の水をぺちゃぺちゃと足で弾きつつ、物思いにふける。
今までの代書屋の稼ぎは、最初の銀貨を母に渡したお陰か、取りあえず全額私がもらっているが、それでも一ヶ月で大銅貨に届くかどうかだ。
これではどうしようもない。何か他に稼ぐ手段は無いだろうか。
こういう時、異世界チートなどをしている漫画の主人公たちがうらやましくてしょうがない。
まあそういうお話だと言ってしまえばそれまでだが、実際何にも思いつかない身としては焦りを覚える。
もうちょっとなんかに興味を持ってれば良かった。真紀時代は、来年受験して短大入って、適当にOL出来ればいいやと軽く考えていたのが完全に仇になっている。
せめて、相談できる人でもいればと思うが、ここにはそんな人はいない。
というか、自分も判ってない元世界での色々な技術を、周りが判ってくれるはずもない。
どうしよう、といつものようにまとまらない思いを苛立ちに変えて、水辺をぱしゃぱしゃやっていると、少し暗くなった気がした。
雲でも掛かったのかと、ふと見上げると、
私の横に、鼻の長い男が立っていた。
周りには誰もいない。ケヴィンは上流の方に行ってしまったのだろうか。
以前見たのとまったく同じ服装。このクソ暑いのに平気なのだろうか。見えている片目が以前と同じように爛々と血走って輝いている。
「こんにちは、ロールさん」
私はまたしてもパニックになって声が出せない。
あわあわ言っていると、男は私の胸にぶら下がっているペンダントを見やり、軽く頷いた。
「魔石を得られたようですね。魔法も使えるようになりましたか?」
はっと気付き、慌てて魔法を放つ。
「『土壁』!」
一瞬にして茶色く透き通った壁が目の前に現れる、が、目測を誤って、うっかり男の背後に出してしまった。
やばいやばいやばい!
だが、男は静かに、
「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ、ロールさん。一度消して、張りなおされては?」
と言った。
私は唖然としたが、同時に毒気が抜けたように落ち着いた。土壁を消したが、じりっと距離だけ取る。
何かして来たら土弾の餌食にしてやる!
「まあ、怖いのは判りますが、何もしやしませんよ」
私は頼みを聞いて欲しいだけですから、と男は言う。
「た、頼みって?」
「ふむ、お願いしたいのですが」
鼻の長い男は、ペンダントと私を眺め、
「何かお困りのご様子ですね。例えば、お金の事とか」
「え、あ、あんたに関係あるの?!」
いやまあ思いっきり関係あるんですが。
「いえ、お願いをする前に、対価と言うわけでもありませんが、助言でも出来ればと思いましてね」
「じょ、助言?」
「はい。ロールさん、貴女は異世界知識をどうやってお金に換えればいいのか、悩んでいるのではありませんか?」
!!!!!!!
な、なんでそれを知っているの?! それが判るのよっ!!
「な、なんで」
「経験済みだからですよ。ロールさん」
経験済み?
「私も異世界人だからです。ご存知か判りませんが、日本の横浜と言うところに住んでおりました」
「え! 横浜! 私国立です!」
思わず言ってしまうと、男は驚いた。
「ほほう、ご近所さんでしたか。それはそれは。私も長いですが、同郷人は初めてですよ」
「は、初めて?」
「ええ、異世界なんて星の数ほどありますからね」
知らなかった。そうなんだ!
「そんな事より、助言をお聞きになりますか?」
うっ……。
ちょっとまだ怖いけど、さっき思っていた相談相手が、意外なところからやってきたわけで。
懊悩の果てに、私は恐る恐る頷いた。
男は満足したように一つ頷くと、
「まずは難しいことを考えずに、自分が経験したことをしてみてはどうですか?」
「私、ただの女子高生で、部活もしてなかったし、何も思いつかないです」
「それでも、子供の頃遊んだものとかはあるでしょう?」
「遊んだもの?」
「遊戯やゲームなどです。この世界にもトランプやチェスはありますが、そう言った類で、簡単に作れそうで、貴女がそれなりに経験したものがありますか?」
「え、えっと……」
急に言われても、そういうのは無くはないけど。
「そう言った物を作って売ってもよし、またはも」
そこまで話して、突然目の前から男は掻き消えた。
まるで何もなかったかのように、前回と同じように。
唖然としていると、川の向こうからケヴィンがゆっくりと歩いてくるのが遠目に見える。
私は川辺に視線を移し、頭の中で男の話を反芻した。
遊戯……ゲーム……その類で……。
突然、胸がちくちくと痛みだす。
身体に震え始め、頭が痛みだし、軽い吐き気が胸を襲う。
なに? なに? なんなの?
ケヴィンが走ってきた。
「おい、どうかしたかロール」
「え、あ、うん、だいじょぶ」
私は川を見る。
川の中を見る。
そして、忘れていた、封印していたことが頭の中を巡る。
思いついた。いや、思い出した。
「ケヴィン、お願いがあるんだけど」
私は、いつものつまらなそうな無表情を、やや心配げに曇らせるケヴィンに、一つ、お願いをした。
「承」終了。次回から「転」です。