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虚ろな器  作者: 髙津 央
実技試験-午後
39/51

39.呪縛

身体的に残酷な描写。

 足元を視る。

 雑妖に足を掴まれた訳ではなかった。

 運動靴の甲に乗って戯れているが、その程度で動けなくなることはない。


 床に吸い着けられたように、足が持ち上がらなくなっていた。

 何とかして持ち上げようと、〈(ひいらぎ)〉は(ほうき)に体重を預け、足に力を籠めた。


 視えない力が、〈柊〉の足を床に固定していた。

 〈柊〉の中で、焦りが募る。冷たい汗が、額と背中を伝った。


 突然、〈柄杓〉が悲鳴を上げた。〈柊〉は上半身を(ひね)り、隣室に顔を向けた。

 廊下からの光を受けた〈柄杓〉の小柄な体が、粘りつくような闇の中で、うっすら輪郭を浮かび上がらせていた。

 逆光で、表情はわからない。


 悲鳴を聞きつけ、班員が集まって来たらしい。足音が駆け寄って来る。


 「逃げてー! 〈柊〉ちゃん、逃げて!」

 「おわぁあぁッ! 何じゃこりゃーッ!?」

 〈柄杓〉と〈水柱〉が顔を向ける押入れの方向へ、〈柊〉も目を向けた。


 数歩離れた床から、何かが這い上がっている。


 魚と言うよりは、蛇を太く短くしたような胴。胴の先端は、鋭く短い歯を二重に生やした口が大部分を占め、小さな目が赤く光っている。

 (ひれ)ではなく、虫の足を太くしたような物が、腹から八本、突き出していた。


 床に穴でもあるのか、雑妖とは明らかに異なる魔物が、一匹、また一匹と、這い出して来る。

 魔物は、太さ、長さ共に大人の足程もあった。

 駆けつけた〈森〉が持つ【灯】に照らされ、ぬめりのある銀鱗が、刃物のように輝く。


 南側の襖と窓は板が打ちつけられ、固定されていた。


 中央の部屋に入るなり、〈(なぎ)〉が叫んだ。

 「何してんだ、委員長ッ? 早くこっちへ!」

 「無理です。足が動きません」

 〈柊〉は(かぶり)を振って、班員に箒の柄を突きつけ、侵入を拒んだ。


 「来てはいけません。あなた方まで、何かに足を押さえられます」

 「なっなに、何かって、何?」

 焦りで思うように動かない手で、何とかポーチのファスナーを開け、〈(なぎ)〉が聞く。


 答えようと、口を開きかけた〈柊〉は、足に激痛が走り、息を呑んだ。〈柄杓(ひしゃく)〉と〈三日月〉が悲鳴を上げる。


 「こいつ!」

 〈梛〉が〈柊〉の足元に塩を叩きつけた。

 雑妖が消し飛び、〈柊〉のふくらはぎに喰らい付いていた魔物は、(ひる)んで口を放した。

 歯に引っ掛かったジャージが破れ、血の(にじ)んだ足が(あら)わになる。


 隣室から射し込む〈森〉の【灯】で、血の赤が生々しく見えた。その(したた)る先、床の上に埃はなく、何やら複雑な図形が、淡い色で描かれている。


 目を凝らすと、魔法陣のように見えた。

 直径は部屋の幅ギリギリ、中央から魔物が這い出して来る。〈柊〉は、円内に足を踏み入れていた。


 「先生……! 先生呼ぼう!」

 血の気の引いた顔で叫び、〈水柱(みはしら)〉が廊下に出た。窓から使い魔の玄太(げんた)を放ち、血を吐くような声で命令する。

 「玄太! この村の本部へ飛んで、〈匙〉先生を呼んで来い! 早く!」

 鴉の玄太は、主同様、泣き叫ぶような悲壮な声を上げ、山間の空に舞い上がった。


 「清き陽よ、烈夏の日輪(ひのわ)、澱み裂き、魔の目貫け、魔を滅せ

 不可視(みえず)焔光(えんこう)、焼き焦がせ、罪穢れ討ち、碍魔(がいま)を滅せ」


 神社の息子〈(なぎ)〉が、ポーチから呪符を引っ張り出し、籠められた力を解放した。

 魔法陣を踏まないよう、手を伸ばし、再び〈柊〉の足に喰らい付いた魔物に貼り付ける。


 魔物は全身を仰け反らせ、班長から離れた。

 陸に打ち上げられた魚のように、のたうっていたが、すぐに動かなくなった。【魔滅符】と共に、魔物が灰になる。


 〈梛〉は立ち上がり、〈柊〉の腕を力任せに引いた。

 足が石化したかのように、びくともしない。〈柊〉は、血の匂いを嗅ぎつけ、跳ねてくる魔物を箒で叩き、牽制した。


 「物理、有効なんだ……梅路(うめじ)! ホントの姿に戻って、魔法陣の中に入らずに、あの魔物を殺しなさい!」

 命令を受け、三毛猫の姿をした使い魔が、〈三日月〉の腕から飛び降りた。


 宙で体が膨らみ、元の三倍になる。

 三毛が赤く染まり、燃えたつ炎の色になる。着地の瞬間、その背には蝙蝠のような羽が生えていた。


 蝙蝠の羽を生やした赤猫の魔物が舞い上がり、虫の足を生やした銀鱗の魔物に喰らい付く。

 魔物同士の咬み合いが始まった。


 「魔法陣……呪符! 〈柄杓〉ちゃん、【消魔符】を貸して下さい」

 片手で箒を振り回しながら、〈柊〉が魔法陣からもう一方の手を伸ばす。


 〈柄杓〉は眼鏡をずり上げ、ウェストポーチを開けた。呪符だけを取り出そうとしたが、中身を全てぶちまけてしまった。

 「気付かなかった私の責任ですから、私がします」

 「あ……あぁあぁ……あの、あのね、それ、中からじゃ、無理かも」

 呪符を握りしめ、〈柄杓〉は何とか声を振り絞り、首を横に振った。


 〈森〉と、戻ってきた〈水柱〉が、塩の袋とゴミ袋を拾う。

 〈水柱〉が箒に塩をまぶし、魔除けの呪文を唱えた。


 「日月星(ひつきほし)、蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも(あまね)く照らす。

 日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世(うつよ)(ことわり)(いまし)を守る」


 魔除けの効果を付与した箒で、銀鱗の魔物を力一杯、殴る。

 明らかに、素のままの箒より効いていた。

 二人の箒と梅路の牙から逃れ、魔法陣の部屋から魔物が漏れる。


 〈森〉がゴミ袋を()じって結んで輪を作り、使い魔の使役に集中する〈三日月〉の周囲に、簡易結界を張った。

 自分もその中に入り、魔力を持たない〈柄杓〉と〈梛〉を呼ぶ。

 【消魔符】を持つ〈柄杓〉も、【魔滅符】を使い果たした〈梛〉も、首を横に振って結界に逃げなかった。


 五匹の魔物がそれぞれ、獲物を定め、虫の足で跳ねる。


 赤い魔物に戻った梅路は、銀鱗の魔物の喉に咬みついた。ゴリゴリと何かが砕ける音を立て、銀鱗の魔物は青い血を流し、もがいた。


 別の一匹が梅路の後足に齧りつく。ギャッと叫び、梅路は振り向き様に爪を振るった。

 銀鱗の魔物は後足を放し、その一撃を(かわ)す。

 箒を掻い潜った一匹が、〈柊〉の腕に跳びついた。慌てて腕を振るが、虫の足がジャージに引っ掛かり、振り解けない。

 魔物はそれに構わず、〈柊〉の肉に喰らい付いた。


 「あぁッ! また! こいつ!」

 〈水柱〉が、魔除けの箒を魔物に振り降ろした。狙い(あやま)たず、銀鱗に覆われた鼻面を強打する。

 魔物は〈柊〉の腕から口を放し、床に落ちた。すぐに起き上がり、足に跳びつく。〈柊〉が、歯を立てられる前に、箒の柄で突き落す。

 銀鱗の魔物は大して痛みを感じなかったのか、すぐに這い上がり、血に塗れた足に牙を立てた。


 魔法陣の部屋から出ようとする魔物を、〈梛〉が箒で押し戻す。

 箒で叩かれた魔物は、無防備な〈柄杓〉に標的を変えた。〈柄杓〉は【消魔符】を握りしめ、起動の呪文を思い出そうと、唸っている。


 「おい! 〈柄杓〉! 避けろ!」

 叫びながら〈(なぎ)〉が箒を振るう。


 魔物は、外見から想像もつかない速さで(かわ)し、〈柄杓〉の背中に咬みついた。〈柄杓〉が声にならない悲鳴を上げる。


 「〈柄杓〉ちゃん! 呪符! 私がします! 早く!」

 同じく魔物に齧られながら、〈柊〉が手を伸ばす。〈柄杓〉は魔物を引き剥がそうと、片手を背中に回して言った。

 「そこじゃ、ダメなの! 多分、【吸魔符】みたいなのがあるの!」

 「えっ?」


 「【灯】が吸い込まれたでしょ? 多分、それ、外からじゃないと無理!」

 〈柊〉は下唇を噛んだ。


 呪符の素材は限定されている。床に直接描いても、可能なのか。

 (にわ)かには信じられないが、現に〈柊〉は魔力を奪われ、【吸魔符】の接続先らしき魔法陣を起動させ、魔物を呼びだしてしまった。


 〈柄杓〉は何とか魔物の足を掴んだが、魔物は喰らい付いたまま、離れようとしない。〈梛〉が魔物の頭を鷲掴みにし、口をこじ開けにかかった。


 隣室に漏れた魔物は、〈森〉がゴミ袋で作った即席の簡易結界に阻まれ、二人の周囲をウロウロしている。

 魔法陣の部屋の隅で、〈三日月〉が操る梅路が、魔物の胴に喰らい付き、後足で激しい蹴りを繰り出している。


 「えーっと……呪文、呪文……なんだっけ、えーっと……」

 魔物の足を掴んだまま、〈柄杓〉は呪符を見詰めた。


 痛みと共に背中が濡れる感触に、出血の量を想像してしまう。

 今、悪夢ではなく、現実の世界で、魔物の餌食になっている。


 足が震え、思考が乱れる。何度も練習した呪文を思い出せない。


 〈柊〉は、何とか自力で状況を打開できないか、部屋を見回した。

 ポーチに残った塩を撒いたが、〈柊〉の肉を味わうのに夢中なのか、魔物は先程のように離れなかった。


 〈柄杓〉に【消魔符】の呪文を教えれば、解決できるかもしれないが、他人の手を借りて助かることに抵抗があり、喉元まで出かかった言葉が消えてしまう。


 〈柄杓〉から魔物を剥がそうとする〈(なぎ)〉を、別の魔物が襲う。

 〈梛〉は足に咬みつかれ、苦痛の声を漏らしながらも、もう一方の足で魔物の頭を蹴りつけた。喰いしばった歯がより一層、肉に食い込み、〈梛〉は後悔した。


 〈柊〉は、自分の足を齧る魔物を睨みつけた。


 この惨状を招いたのは、自分の魔力。

 責任は自分にあるにも関わらず、魔力があるせいで動けない。

 この惨状を招いたのは、自分の不注意。

 責任は自分にあるにも関わらず、身動きすらままならない。


 自分の迂闊さが招いた事態を、解決するどころか、却って自分の存在が皆に迷惑を掛け、足を引っ張っている。

 今、自分たちは、魔法文明圏ではなく、科学文明国で、魔物の餌食になっている。


 先生の到着まで、班員は致命傷を避け、命を守り通せるだろうか。


 〈柊〉は、溢れそうな涙を(こら)え、冷静さを取り戻そうと、幼稚舎の頃から繰り返し教えられた通り、呼吸を整えた。


 足元の魔法陣は、初めて目にする物だ。

 中に書かれた力ある言葉から、幾つか知っている単語が読み取れた。

 先週、習ったばかりの【吸魔符】と【充魔符】でも、同じ単語が使われる。〈柄杓〉が言うように、何らかの方法で、呪符素材以外の物で書いても、同じ効果を発揮するようになっているのだろう。


 〈柊〉は、呼吸を整えながら、事態の打開策に思いを巡らせた。


 「あー呪文、呪文、えー、あー、やー……あ! 思い出した! 〈水柱(みはしら)〉君、離れて! 【消魔符】使うよ!」

 背中を喰われている〈柄杓〉の顔が、明るくなった。


 銀鱗の魔物を牽制し、〈水柱〉が魔法陣の部屋から出る。〈柊〉はその背中に声を掛けた。

 「〈水柱〉君、お願いします! 水を汲んできて下さい。術で魔法陣を消せば、何とかなるかも知れません」


 「わかった! もうすぐ先生着くし! 頑張れ!」

 駆け出す〈水柱〉を魔物が追う。〈梛〉が足に喰らい付かれたまま駆け寄り、箒で部屋に叩き戻す。

 勢いでジャージと肉が千切れ、喰らい付いていた魔物が落ちた。


 〈梛〉も床に崩れる。何とか漏洩を防いだことに、額の汗を拭う。

 肉を喰い千切られたふくらはぎから、血が噴き出す。ハンカチで押えるが、みるみる血に染まり、用をなさなくなった。

 肉片を飲み込んだ一匹が、ハンカチを押さえる手に喰らい付く。


 「えっと、【消魔符】行くよ!

 文間(あやま)にて(あや)()(あや)(あやか)りて、(あや)しき(ちから)(あや)しつつ、(あや)うき(わざ)(あや)(ほど)き、(あやま)たず(あやま)ち正せ、(あや)()り成せ」


 〈柄杓〉は、自力で思い出した呪文を忘れない内に早口で唱え、【消魔符】を魔法陣に投げ込んだ。

 呪符が魔法陣の内外をひらひらと舞い漂う。〈柊〉が箒で円内に引きこみ、押さえる。


 這い出しつつあった七匹目の動きが、止まった。身は半分程、床の上に現れているが、それ以上出てこない。


 〈柊〉の体がやや軽くなった。

 出られるかと思ったが、まだ、足は動かない。この呪符より、魔法陣の方が強いのだ。


 廊下に出ようとする魔物の行く手に、〈森〉が塩を撒いた。

 進路を妨害された銀鱗の魔物は、〈森〉たちに喰らい付こうと、再び簡易結界に体当たりする。

 見えない壁が魔物を拒み、〈森〉と〈三日月〉を守った。


 使い魔梅路の爪と牙を受け、魔物はついに動かなくなった。青い血に(まみ)れた体が、弱々しく痙攣する。

 梅路も咬傷を受け、片足を引きずっていた。

 これ以上戦えないと判断し、〈三日月〉は梅路を呼び戻した。


 押入れに塩を投げ、雑妖を追い散らす。

 使い魔は蝙蝠の羽で飛んで魔物を避け、魔法陣の部屋から主のいる隣室へ移動した。

 「あれはそんなに高く跳べないみたい。梅路、押入れの上の段で待ってて」

 (あるじ)の命令に従い、梅路は開け放たれた押入れの上段に降りた。


 〈三日月〉たちを狙う魔物は、梅路には関心を示さず、結界の周囲をカサカサ這い回っている。

 使い魔を安全な位置に待機させ、〈三日月〉は太い息を吐いた。


 「あ……水晶! 〈(なぎ)〉君、〈柄杓〉ちゃん、水晶……!」

 魔力の水晶の存在を思い出し、〈柊〉は魔力を持たない二人に叫んだ。


 具体的に何の術を使えばいいかわからず、後の言葉が続かない。


 廊下を複数の足音が近付いて来る。

挿絵(By みてみん)

 委員長〈柊〉達のA班が最後に掃除した家の間取図。

 棚田に挟まれた一段低い位置にある。

 赤い部分は、木の板が打ち付けられ、固定されていた。

 複数の足跡が入り乱れていたり、押入れにゴミが放置されていたり、奥の部屋に魔法陣があったり……不審者が来たらしき痕跡がそこかしこにある。

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用語は、大体ここで説明しています。

野茨の環シリーズ 設定資料(図やイラスト、地図も掲載)
地図などは「野茨の環シリーズ 設定資料『用語解説17.日之本帝国』
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碩学の無能力者」 中学時代の〈樹(いつき)〉が主役の話。
何故、国立魔道学院に入学したのかがわかります。
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