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虚ろな器  作者: 髙津 央
実技試験-午前
27/51

27.糸瓜

 和式便器におっさんがしゃがんでいた。


 【灯】に照らされた頭部は、胡瓜(キュウリ)糸瓜(ヘチマ)のような形状で、緑色。明らかに人外のモノだ。

 ボロボロの着物の(すそ)から覗く足は、痩せて青黒い。

 短い無精髭に覆われた顔が、驚きの表情で固まった。


 班長が慌てて戸を閉めた。

 「あッ! しッ……失礼しましたッ!」

 「いや……いやいやいや、人ではない。祓わねば」

 真っ先に我に返った〈(さかき)〉が首を小さく横に振った。


 夜中にトイレに行って、あれが先に入っていれば、確実に漏らす。

 宿泊型リゾートとしては、致命的な霊的瑕疵(れいてきかし)だ。

 家人は、これのせいで引越したのだろうか。


 「あんなの、私たちだけでどうにかなるの?」

 〈火矢(ひのや)〉が不安に顔を曇らせる。〈樹〉には見えなかったらしく、首を傾げて戸を凝視していた。


 「でもー、先生が下見した時ー、私たちで何とかなるのしかー、居なかったってー」

 「それに、〈双魚〉先生は、無理に倒さなくてもいいって、おっしゃってたよ。何とかして、この村から出て行ってもらえば、いいんじゃないかな?」


 「どうやって?」

 立ち直った班長の提案に〈樹〉から、無邪気だが、鋭い質問が発せられた。


 「えっど……どうって……どうしよう……?」

 班長が、困惑した目を五人の間に泳がせた。一同、黙り込む。


 今日は、一日で六軒も浄化しなければならない。

 最初の家で、時間を無駄にする訳にはいかなかった。


 志方は小さく片手を挙げ、口を開いた。自信のない声は、蚊の鳴くように小さい。

 「話し合い、でさ……穏便に……とか?」


 「あぁ……」

 「うん、まぁ、話が通じるか、ちょっと、やってみる?」

 「〈輪〉君、ガンバッてー」

 班長が下がり、〈渦〉に背中を押される。


 志方は焦った。

 てっきり、班長が代表で交渉するのだとばかり思っていたのだ。箒を持つ手にじんわりと汗が滲む。


 いや、まぁ、言いだしっぺだしさ、グズグズしてても、時間が勿体ないもんなぁ。


 志方は腹を括って、引戸に手を掛けた。

 「……ッこんにちはー!」

 腹の底から声を出し、自分を鼓舞する。

 戸を一気に開放した。


 ドブの蓋を外したような臭気が、廊下に流れ出る。六人は、マスク越しにも感じられるニオイに顔をしかめた。

 おっさんは、相変わらずしゃがんでいる。志方の声にびくりと肩を震わせた。


 「掃除しに来ましたッ! こんにちはッ! ちょっと、そこ、どいてくれませんかッ!?」

 有無を言わせぬ勢いで、一息にこちらの要求を伝える。


 おっさんは数秒、思案するような表情でこちらを見た。

 ゆっくりと青黒い膝を伸ばし、便器を跨いだまま、立ちあがる。

 「…………ない」

 便器を指差し、何か言う。


 「えっと……何が?」

 「もったいない」

 「えっと……何が?」

 「もったいない……へちま……くちおしい……へちま……」

 おっさんは下を向き、声を絞り出した。


 「は?」

 「糸瓜(ヘチマ)……?」

 班員たちが首を傾げる。

 おっさんは糸瓜のような頭部を下に向けたまま、同じ言葉を口の中でぶつぶつ繰り返した。


 志方が思い切って質問する。

 「糸瓜が、どうしたんですか? 何で勿体(もったい)ないんですか?」

 「もったいない……へちま……ここ……へちま……ここに……」

 立ちあがってからずっと、おっさんは便器の中を指差している。


 志方はおっさんの緑色の顔と便器を見比べた。


 頭の中でおっさんの言葉が繋がる。

 「ひょっとして、その……中に糸瓜が、落ちてる……?」

 「すてられた……くちおしい……へちま……ここに……」


 いや、勿体ないったってさ、それ、もう食えないだろ………………


 志方は、ぼっとん便所に捨てられた糸瓜の化身に、少し同情した。

 「えーっと……あの、どうすれば……?」

 一応、会話が成立する相手なので、なるべく穏便にお引き取り願いたい。しかし、おっさんは同じ言葉を繰り返すだけで、有効な回答は得られなかった。


 質問の意味が理解できないのか、答えたくないのか、おっさん自身にも自分がどうしたいか、わからないのか。


 班員たちは、額を寄せ合い、小声で相談を始めた。

 「どいてもらえないとー、お掃除できないよねー」

 「え……どうすんだよ?」

 「どうったって……ねぇ?」


 志方が確認する。

 「あのおっさんってさ、糸瓜……なんだよな?」

 「そうみたいだね」

 班長が肯定した。おっさん本人は、くちおしい、と繰り返すだけだ。


 「じゃあ、さ、糸瓜的には、どうなれば幸せなんだ?」

 「えー? ヘチマさんのー……キモチー……?」

 「いや、そんなの、わかってたまるかよ」

 訳のわからない質問に〈渦〉が首を傾げ、視えない〈樹〉は首を横に振った。


 「んー……洗って欲しい……と言うのはどうだ?」

 「いや、もう腐っちゃって、無理なんじゃない?」

 〈榊〉の思いつきを、班長があっさり否定した。


 どういう経緯で、こんな所に捨てられたのか不明だが、年単位で屎尿(しにょう)の中に浸かっていたのでは、もうどうしようもない。


 「でも、結局……あれ、プロの業者に汲取ってもらうんでしょ?」

 先程の志方の話を思い出し、〈火矢〉が言った。


 「汲取ってもらったら、居なくなるのか?」

 何が居るかわからない〈樹〉の問いに、答えられる者は居なかった。業者の到着を待つ余裕はない。


 おっさんは、(しき)りに「もったいない、くちおしい」と呟いている。

 志方の頭の中で何故か、ワンピースの女性と糸瓜のおっさんが重なった。

 二人とも、後で警察や業者……プロに任せるしかない点は、同じだ。


 「勿体なくて悔しい……か。じゃあさ、勿体なくない状態にすればいいんじゃないか?」

 「ん?」

 班員が首を傾げた。


 志方はそれに構わず、糸瓜の化身に声を掛ける。

 外見がどうあれ、正体がわかっていて、害がなければ、恐くない。


 「あの、後で業者が汲取りに来ます。で、それから、下水処理場に運ばれて、えーっと、有機物は分離されて、肥料とかに再利用されます」


 志方は頭をフル回転させ、中学の社会見学で行った下水処理場の説明を思い出す。


 作業服の係員に案内され、子供向けの案内板と、実物を見せられながら、順路を進んだ。

 学校に帰ってから書かされたレポートの記憶を必死に手繰り寄せる。

 消化汚泥からリンを回収して、化学肥料を作る。水洗トイレでも、一周回って、かつての肥溜同様のことができることがわかった。


 汲取った屎尿が実際、どう処理されるかわからないが、下水処理場の例で説明を続ける。

 糸瓜の化身は口を開けたまま、何も言わずに志方の話を聞いている。


 理解できているかは、不明だ。


 「汚泥は肥料を作る他に、発酵させてメタンガスを作るのにも使います。できたガスを燃やしてタービンを回して、発電するので、無駄になりません。作った電気は、工場や企業、家庭で使用されます。ガス火力発電の熱は無駄に放出せず、空調や温水プールの温度調節にも活用します。最終的に残った灰は、有害物質がないことを確認してから、セメントとかの材料に加工するので、無駄になりません」


 志方は殊更、無駄にならないことを強調して語った。

 糸瓜の化身が、熱併給発電(コジェネレーション)をどこまで理解できたか、不明だ。

 おっさんは、志方の目を見て口を閉じた。


 「肥料は、畑に撒かれます。そしたら、また、お米か野菜かお花……何かに生まれ変われるから、勿体なくなると思うんですけど……」

 志方は、おっさんの視線を受け止めた。その先は確証がない為、語尾が小さくなり、消えてしまう。


 「業者は後日、外から汲取る。行く末を見届けたければ、家の裏で待てばいい」

 〈榊〉が、トイレの小さな窓を指差した。

 糸瓜の化身が窓を見る。


 神社の娘は、この家の裏に回っていない筈だ。〈榊〉の実家周辺では、まだ、汲取り式が残っているのだろうか。


 班長〈雲〉が呪文を唱え、水を起ち上げる。

 水は糸瓜の化身を避けて窓に伸び、手の形を成して鍵を開けた。桟に詰まった埃を取り込んで黒く濁る。


 濁り水が窓を開けた。

 外の風が吹き込む。風に押され、臭気が廊下に流れ込んだ。


 糸瓜の化身は、紙縒(こよ)りのように()じれた。

 捻じれながら細長く伸び、蔓の形を成して、窓に(はま)った木の柵をすり抜けた。


 おっさんが出て行った窓を、水が閉める。

 閉めた窓を這い、汚れを洗い流した。そのまま天井、壁、床を這い、便器の表面を浄化すると、個室内の宙に浮いた。


 「汚れを捨てるから、袋、開けてくれる?」

 班長の声で我に返り、〈樹〉が床に置いていたゴミ袋を手に取った。

 志方がヘチマに語ったことは、現実の世界で実用化されている技術です。

【参考】KOBEハーベスト(大収穫)プロジェクト

 国土交通省のB-DASHプロジェクトの一環で、下水の消化汚泥から直接、リンを回収し、肥料を開発。(2015年4月現在、栽培試験中)

 下水汚泥の燃料化と火力発電は、各地で行われています。

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用語は、大体ここで説明しています。

野茨の環シリーズ 設定資料(図やイラスト、地図も掲載)
地図などは「野茨の環シリーズ 設定資料『用語解説17.日之本帝国』
【関連が強い話】
碩学の無能力者」 中学時代の〈樹(いつき)〉が主役の話。
何故、国立魔道学院に入学したのかがわかります。
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