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虚ろな器  作者: 髙津 央
実技試験-午前
25/51

25.人間

 外に汚水を捨てに行った〈樹〉が戻って来た。

 空になったバケツに、台所の蛇口で水を入れる。〈樹〉が戻った途端、空気が明るくなった。


 「家具がないから掃除しやすくて、思ったより早く済みそうだな」

 八分目まで水を入れたバケツを窓越しに渡す。

 志方は受け取りながら、礼を言った。

 「おう、ありがとよ。サクサク汚れが落ちてさ、たまにはこう言うのも面白いよな」


 「じゃ、窓洗うから、閉めるね」

 〈火矢(ひのや)〉が、雑巾越しに木枠を掴んで窓を閉めた。

 雑巾を志方に渡して呪文を唱える。


 バケツから水が立ち上がり、窓を這い回る。こびり付いていた鳥の糞が難なく落ち、窓は往時の輝きを取り戻した。


 「あらぁ~、それ、便利ですねぇ」

 背後でワンピースの女性が、感嘆の声を上げる。

 二人はそれに反応せず、家の裏手に回った。女性もついて来る。

 廊下の窓は小さいので、〈火矢〉が通り過ぎ様に魔法で洗った。


 家の裏は、じめじめとして、木々の幹が苔むしている。

 降り積もった落ち葉は湿気を含み、靴底にぬめりつく弾力を返す。トイレの窓の下には、赤錆びたマンホールがあった。


 北側の壁と平行にコンクリの溝がある。

 落ち葉に埋もれ、排水機能は失われていた。薮蚊が飛び交い、ナメクジやダンゴムシが蝟集(いしゅう)している。


 溝の中にも雑妖が居た。

 ナメクジの触角をつついて遊んでいたが、二人が近付くと斜面を駆け上がり、笹薮に姿を消した。


 「蚊取り線香とか、虫除けスプレーがさ、あればよかったんだけどな」

 「ないから、しょうがないね」

 二人は溜め息を()き、肌が露出した顔に集まって来る薮蚊を手で追い払った。

 ワンピースの女性には、一匹も近付かない。


 風呂場とトイレも窓が小さく、木の格子が(はま)っているので、魔法で洗った。


 「あ、これさ、この排水溝から、カマドウマが入り込んだのか」

 壁の下から細い排水路が伸び、溝と繋がっていた。

 ここを塞がなければ、また、風呂場がカマドウマの集会所になってしまう。

 「塞ぐ物って、何もないし、先生に言うくらいしかできないね」


 ……ん? 風呂の排水が側溝直通ってことは、下水管が、ない?


 台所の排水がどこに流れるのか不明だが、志方には、こんな山奥の小さな村に下水道が通っているとは、思えなかった。

 ガスもなく、(かまど)なのだ。


 「えっと……ひょっとして、ここのトイレってさ、ぼっとんで、あのマンホールってさ、汲取り口?」

 「ねぇ、あなた、魔女なんでしょ? 私、生き埋めなんです、助けて下さいよ」

 「えー……さぁ……?」

 志方の質問に〈火矢〉は首を傾げた。


 「こんなの、素人じゃ手に負えないよ。プロじゃないとさ、中身どうにもできないし」

 「それは、先生もわかってるんじゃないかな?」

 「うん、えっと……〈火矢〉さん、変なこと聞いてゴメンだけどさ、【ぼっとん便所】って使ったこと、ある?」

 「ないよ。……っていうか、それ、何?」


 志方は、山奥の古刹や、田舎のパーキングエリアで使ったことがある。

 バキュームカーでの汲取りも、偶然、目にしたことがあった。


 「水洗じゃないトイレ。本部のを使ってみればわかるけど、トイレと穴が直通なんだ。つまりさ、このマンホールと、家の中のトイレは、直接繋がってて……」

 「ずっと一人で、あっちに埋まってるんです。出して欲しいんです」

 「何それ……臭そう……」

 女性が指差す方向を見ないようにしながら、〈火矢〉は顔をしかめ、眉間に皺を寄せた。


 「うん、まぁ、そうだろうな。トイレは表面しか掃除できないからさ、穴の奥は雑妖だらけだろうし……」

 「うわー、最悪じゃない」


 「じゃあ、これも先生に言ってさ、プロを呼んでもらうってことでさ……いいよな」

 「そうするしかないよねー。取敢えず、班長に話そう」

 「ホント!? ありがとう!」

 空気が明るく軽くなった。


 二人はトイレをどうするか話し合っていたのだが、ワンピースの女性には、自分にとって都合のいい部分しか、聞こえなかったらしい。


 家の西側、六畳間の窓に回った。

 ワンピースの女性もそのままついて来る。雑妖は一匹も居ない。


 コンクリで固めた駐車スペースには亀裂が走り、草が生えていた。

 隅に置かれたプレハブの物置小屋が、辛うじて立っている。戸は失われ、中に降り積もった落ち葉や埃から、苔や雑草が生えていた。


 「これも、掃除するの?」

 「うーん、何かさ、これ、丸ごと捨てた方がよさそうだな。後で先生に聞こう」


 志方は網戸を外し、窓拭きを始めた。

 日当たりが良く、あっという間に汗だくになる。汚れが落ちた窓に三人の姿が、ぼんやり映る。


 ……あ、そっか、この人は「人間」だからさ、陽に当たっても平気なんだ。


 明るい日射しの中に在っても、女性の顔は判然としなかった。

 自称「生き埋め」だが、髪型と服の意匠を見る限り、軽く三十年は経っている。

 当時の村人は、こんな近くに人一人埋められて、気付かなかったのだろうか。


 志方が拭き終えた窓を〈火矢〉が魔法で洗う。ついでに、網戸も洗い流した。

 黒く濁った水がバケツに戻る。


 すっかりキレイになった網戸を元に戻し、玄関先に回った。


 〈火矢〉が、バケツに溜まった汚れをゴミ袋に移す。

 班長たちは、玄関で靴を脱いでいるところだった。二人も靴を脱いで上がる。

 女性は家に入って来ず、玄関先に佇んでいた。


 「先に他の所を塩でお清めして、最後に皆でトイレ掃除しようって思うんだけど、いいかな?」

 〈雲〉が廊下の奥を気にしながら聞いた。


 志方が、家の裏手で気付いたことを伝える。誰からも異論は出なかった。

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用語は、大体ここで説明しています。

野茨の環シリーズ 設定資料(図やイラスト、地図も掲載)
地図などは「野茨の環シリーズ 設定資料『用語解説17.日之本帝国』
【関連が強い話】
碩学の無能力者」 中学時代の〈樹(いつき)〉が主役の話。
何故、国立魔道学院に入学したのかがわかります。
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