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未来屋 環純文学・お仕事系作品集

ハイヒールの夜を越え、スニーカーで朝を往く。

作者: 未来屋 環
掲載日:2026/11/02

 ――あなたに似合う、私になりたかった。



  ハイヒールの夜を越え、スニーカーで朝を往(ゆ)く。/未来屋(みくりや) 環(たまき)



 こつん、こつん、と弱気なヒールの音が鳴る。

 目の前に佇(たたず)む本堂の荘厳(そうごん)さに気圧(けお)されつつ、私は深く一礼した。


 ――今日も場所をお借りします。


 心の中でそう唱えてから来た道を戻る。

 視界の両端(りょうたん)には瑞々しい緑が揺れ、中央には白い石畳が伸びていた。

 陽射(ひざ)しとともに降り注ぐ蝉の声を聴いていると、子どもの頃からよく知っているはずのその場所がなんだかよそ行きに見える。

 思い返せばここには初詣の時にしか来たことがなくて――私は今日、初めて深大寺の夏を知った。



「ごめん香帆(かほ)。他に好きなひとできた」


 あれは冬の夜のことだった。

 2週間ぶりに私の家を訪れた恭介はそう告げたあと、一度だけ頭を下げて出て行った。

 その「ごめん」はこれまで幾度となく放たれたそれらと変わらない軽さで――そのせいか私は恭介との別れをなかなか実感できないでいる。

 遠ざかる恭介の背中に何を言ったのか、私は思い出せない。

 気付けば恭介の好物だった筑前煮は冷めきっていて、私の胸にはぽっかり穴が開いていた。


 それでも日常は過ぎていく。

 平日は仕事のお蔭でその穴を直視せずに済んだけれど、週末は大体恭介に連れ出されていたのでどう過ごせばいいのかわからない。

 三十路(さんじゅう)近くになってこの体(てい)たらくだから振られたんだろうか――穴の淵がじくじくと痛むので、気持ちを切り替えるために大掃除をすることにした。


 しかし、いざ始めてみればキッチンや寝室といったそこかしこに思い出の残骸が横たわっている。

 憂鬱な思いを抱えながらタンスの一番下にある引出しを開いたその時、記憶の奥底でほのかな光が瞬いた。


「……ここにあったんだ」


 それは高校生の頃に使っていた裁縫箱だった。

 開いてみると、カラフルなビーズにボタン、スタッズなど完成形になる前の欠片(かけら)たちが次々と姿を見せる。

 眺(なが)めている内に胸の奥が熱を持ち、そこでようやく自分がアクセサリー作りにはまっていたことを思い出した。


 懐かしさに背中を押された私は残っていたテグスにビーズを通してみる。

 玉が連なっていく度に、別の色も入れてみようか、花柄を作ってみようかなど、様々なアイデアがぽこぽこと生まれ出でては私の中を満たしていった。

 そして早速出来上がった指輪はきらきらと控えめな輝きを放つ。


「かわいい……」


 その内裁縫箱に残っていたものを使い切った私は、新たな材料を買い集めてはアクセサリー作りに没頭するようになった。

 結果、相当数できたもののプレゼントできる相手が思い当たらない。

 この際ネット販売してみるかとも考えたけれど、できれば私のアクセサリーを使ってくれるひとに直接逢ってみたい――そうして色々調べた先に辿り着いたのが、故郷の深大寺で開催される『手作り市』だった。



 今日は私にとって2回目の手作り市だ。

 ここでは作り手による作品の販売だけでなく、カフェや占い、マッサージなど様々な参加形態が認められている。

 唯一のルールは、イベント開始前に必ず本堂に参拝すること。

 仏様に場所をお借りする許しをもらったあと、参加者たちは各々の出店準備を始める。


「おはようございます」


 明るい声に顔を上げると、そこにはギターを背負った男性が立っていた。

 日に焼けたのか少し色黒なそのひとは「隣のブースの日比野です」と名乗る。


「ギター、もしうるさかったらごめんなさい。できるだけ穏やかな選曲にするつもりですけど」


 そう言って楽しそうに笑うこのひとを、確か前回見かけた気がする。

 奏でられる曲は心地良さこそあれ、うるさいなんて思わなかった。


「ご丁寧(ていねい)にありがとうございます。以前お見かけしましたけど、ギターお上手ですよね」

「えっ、嬉しいなぁ。俺も気になってたんです、カホさんのこと」


 唐突に名前を呼ばれた私は驚き、そしてすぐにあぁ店の名前かと思い至る。

 いいアイデアが思いつかず、取り急ぎ『kaho』という店名で登録したままだった。


「シルバーとかスタッズのちょっとごつめなアクセサリーも置いてますよね。おねえさん可愛らしいイメージだから少し意外だなぁと思って」



『――香帆、何それ』


 不意に脳裡(のうり)で恭介の声が響き、思わず息を呑む。


 あれは確か、付き合って間もないデートの時だった。

 Tシャツに太いシルバーのバングルを合わせ駅前で待っていると、遅れてきた恭介が少し眉をひそめたのだ。

 そのままアクセサリーショップに寄り、ジュエリーが散りばめられた細身のブレスレットを渡されたのを覚えている。


『香帆には絶対こっちの方が似合うよ』



「――あの、おねえさん?」


 その声で現実に引き戻された。

 目の前で日比野さんが心配そうにこちらを見ている。

 立ち尽くしていた私は慌てて「今日はよろしくお願いします」とだけ返し、開店準備に戻った。



 お客さんと話したりストックのアクセサリーを作ったりしている内に2時間程経っていた。

 優しい音色に耳を撫(な)でられ隣を見ると、日比野さんが穏やかにギターを弾いている。

 昔好きだったバンドの曲に心が躍(おど)るけれど、恭介に良さがわからないと言われてから聴いていなかったことを思い出した。

 小さくため息を吐きうつむくと、足元のハイヒールが視界に入る。


『香帆、今日の服装いいね』


 動物園デートにロングスカートを履いて行ったら恭介は上機嫌(じょうきげん)だった。


『でも、そのスニーカーは微妙かな。ハイヒールの方が香帆には似合うよ』


 そんなことが何度繰り返されただろう。

 いつしか私は自分がどういうものを好きなのか忘れてしまったのかも知れない。



「すみません、これください」


 あどけない声が響き、私は記憶の沼から引き揚げられる。

 慌てて顔を上げるとそこには中学生くらいの女の子が立っていた。

 彼女が指差したのは、透明の中に三原色がほのかに混ざり合ったガラス玉のイヤリング――夏らしく涼やかな金魚鉢をイメージして作ったものだ。


「ありがとうございます、たくさん使ってくださいね」


 そう言って手渡すと、女の子は頷(うなず)きながらそっとイヤリングを鞄に入れた。

 その丁寧(ていねい)な所作(しょさ)とほのかな笑みにつられ、思わず私の頬も緩む。

 遠ざかっていく女の子を眺めながら穏やかな熱を噛み締めていると「さすが、着々と売れてますね」と話しかけられた。

 振り向くと、日比野さんが笑顔でこちらにかき氷を差し出している。


「どうぞ。暑いんで差入れです」

「そんな、申し訳ないです」

「ほらほら、溶けちゃうからお早めに」


 陽(ひ)に照らされきらきら光る赤い氷は宝石のように綺麗で、誘惑に負けた私は「では、お言葉に甘えて」とかき氷を受け取った。

 日比野さんは自分のかき氷を頬張(ほおば)っては「今日は特別うまいなぁ」と笑う。

 きっとレモン味なんだろう、黄色く染まった氷が彼の笑顔によく映えた。


「それにしても、おねえさんはすごいですね」

「えっ?」


 まったく想定していなかった言葉に、私の口から無防備な声が洩(も)れる。

 目を白黒させていると日比野さんが「さっきの女の子、すごく喜んでたじゃないですか」と続けた。


「俺は好きでギター弾いてるだけだけど、おねえさんの作品は確実に誰かを幸せにしてる。それって誰にでもできることじゃないですよ」


 ふるり


 ささくれだった心が静かに震え、私はぎゅっと口唇(くちびる)を結ぶ。

 そんな私の様子に気付くことなく、日比野さんは優しく微笑んだ。


「――かっこいいなぁ、自分の『好き』で誰かを笑顔にするのって」


 放たれた言葉はすぅっと私の中に沁(し)み込(こ)んでいく。

 やがて頬が熱くなり、高鳴る鼓動を抑えながら「ありがとうございます」と返すのが精一杯だった。


 だって、私はただもがくようにアクセサリーを作っていただけなのだ。

 それは私にとって、きっと本当の自分を取り戻すための作業に他ならなかった。

 でも、それが誰かを笑顔にできていたのなら――。


 火照(ほて)った頬を冷まそうと一口かき氷を食べる。

 すっきりとした冷たさのあとで、甘く懐かしいいちご味が口の中いっぱいに広がった。

 

「……おいしい」


 零(こぼ)れた言葉に日比野さんが「でしょ?」と返す。

 そのやりとりが心地良くて、思わず口角が上がった。

 他愛ない会話を繰り返す内に器の中の氷が減っていく。

 そして空になったところで、私は売り場から取った幾つかのブレスレットを日比野さんに差し出した。


「ごちそうさまでした。よろしければお好きなものをどうぞ」

「えぇっ!?」


 日比野さんが心底驚いた様子で声を上げる。


「いやいや、それどう考えてもかき氷より高いでしょ」

「違うんです、そうじゃなくて――これは日比野さんの演奏を聴かせていただいたお礼です」


 ――瞬間、日比野さんの動きが止まった。


「日比野さんのお蔭で私も笑顔になれました。だから、受け取っていただけませんか?」

「……本当に?」


 こくりと頷くと、日比野さんは少し悩んでから中央のものを選ぶ。

 レザーにシルバーと黒のビーズを通したそのブレスレットを、日比野さんがおずおずと左手に着けた。

 「かっこいいな」と呟(つぶや)く日比野さんを見て、私の中が穏やかな熱に満たされていく。


「お似合いです、とても」


 そう伝えると、日比野さんが「ありがとう」と照れ笑いをした。




 ――それから2ヶ月が過ぎた。

 今日は3回目の手作り市、私は作り溜めた作品の袋詰めをしている。

 この宝物たちがどうか必要としている誰かの元に届きますように――そう祈りながら準備をしていると、テーブルの上のスマホが鳴った。


『おはよう、先週末は楽しかったね。今朝は予定通り7時半に調布駅集合で』


 メッセージに続いて写真が届く。

 そこには見覚えのあるブレスレットを巻いた左腕が写っていた。


 私は微笑みながら『了解』のスタンプを返す。

 作品を詰め込んだ鞄を抱え、部屋の電気を消してから玄関へと向かった。

 下駄箱の前では靴たちが行儀(ぎょうぎ)良く並び私を待っている。

 ふとハイヒールに視線がいくけれど――そのまま通り過ぎて履き慣れたスニーカーをつかんだ。


「――よし、行くか」


 靴紐を丁寧(ていねい)に結び直して立ち上がる。

 眩(まばゆ)い光が輝く中、私は朝の世界へ一歩踏み出した。



(了)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


本作は今は終了している公募『深大寺恋物語』に向けて2018年7月に書いた応募作品がベースとなっており、そちらを自主企画に応じてリライトしたものです。

今回のリライトにあたって大幅に書き直そうかとも思ったのですが、あくまで同じ条件にしないと過去の自分に不公平かな? と当時の応募規定通り、またストーリーの大筋は変えず書くことにいたしました。

オリジナルを書いた時の私が「未来の私やるじゃん!」と思える作品になっていたらいいなと思います✨


以上、あとがきまでお読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
タイトルがまず素晴らしいですね。タイトルだけで爽やかな読後感があって内容も過不足なく説明がされている。 好きな人に合わせるうちに自分がなんだったっけ?ってありますよね本当に。 そして自分を取り戻すにも…
リメイクされたとのことで、先に前作を拝読しましたが、新作は日々野さんとかなり進展していて喜びました。香帆さん、よかったねー。元カレも少しいいひとになってますね。ごめんが付いた分だけ(笑) 二作まとめ…
 三人称から、一人称になって、描写が鮮やかになってますね。  開催日の合間に「楽しかった」があったってことは……。  リライト版のほうが、「進展」ありましたね。 「ハイヒールを履かせようとしてくる…
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