第三章 純喫茶リーベと三姉弟の子守りバイト
夏休みも半分が過ぎて、壁アルバイトの合間にサナと遊ぶことになった。サナと流行りの感動映画を見て涙活をしてから、アスファルトの照り返しが強烈なビジネス街を二人で寄り添って歩いていた。
「ちょ、実咲、これは焦げるよ、焦げる暑さ」
二人で一つの日傘に肩を寄せ合う。日傘から出たら死がコンニチハする暑さだ。
「わかる。私たちは今、まな板の上のお魚」
「違う。網の上の焼肉。脂身がっつり」
「そっちか、高級肉」
「あたしさすがにこれ以上色黒なりたくないんだけど」
サナは夏休みの間、プール監視員のアルバイトをしていてすっかり健康的に焦げている。だが黒ギャルを目指す気はないと断言していた。私は美白に命をかけているため、私たちが並ぶと白黒オセロだ。ミュールのヒールが溶けそうと思いながらアスファルトを進む。
「あたしもうダメかも。実咲、元気でね」
「ほら、死ぬなサナ!着いたから!」
「え、マジ!?え、レンガ造りめちゃエモ!」
命を溶かしながらたどり着いたのは、新太が経営する純喫茶店「リーベ」だ。高いビルとビルの間に、ぽこんとへこんだ低いレンガ造りの小さなビルは目を引く。
焼けつく暑さの中、リーベの重厚な扉を押し開けると、中から冷たい風が吹きつけた。汗が一瞬で冷える風とともに私たちを迎えたのは、汗って何、みたいな顔したスーツ姿の新太だ。
「いらっしゃいませ、実咲さん」
「いらっしゃいましたーってか、新太、暑すぎる死ぬよこれ」
丁寧に角度三十度の礼をする新太がいる浪漫ちっくな店内は、もはや飴色の小劇場。純喫茶リーベは本格的なオープンを前にしたプレオープン中で、新太に来ないかと誘われたのだ。新太が落ち着いた声で問いかける。
「暑い中プレオープンにご足労ありがとうございます。実咲さん、お連れ様をご紹介いただいても?」
「この子、大学でズッ友のサナね」
「サナさん。実咲さんがいつもお世話になり、誠にありがとうございます」
前髪を軽やかに持ち上げてセットした新太が、物腰柔らかにまた礼をする。礼を受けたサナが太い睫毛をバサバサしながら、私の肩をぎゅっと握る。
「ちょ、爆イケメンじゃん。誰」
「従兄の新太」
「うっは、実咲の隠し玉エグ。どこの俳優かと思ったんだけど」
「もったいないお言葉、恐縮です。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
「相原様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
シックな黒の制服を着た女性ウエイターがさらりと現れて、私たちを奥へ案内する。綺麗なウエイターさんに引き連れられて進もうとすると、すれ違いざまに新太が私を呼び止める。
「実咲さん、良かったらこれを」
「ん?」
新太がひやりとした表情のまま、薄青色の涼し気なハンカチを私に差し出す。私が額の汗を腕で拭いていたのを目ざとく見ていたのだろう。私はぱっとハンカチを受け取って、新太にいーっと歯茎を見せた。
「子どもじゃないんだけど」
「淑女を名乗るなら、ハンカチくらい持ち歩くのがマナーでは?」
「小言お化け」
「ごゆっくり、リーベをお楽しみください」
私は新太にぷいと背を向けた。新太の目力ハンパない視線が背中に刺さっていたが、薄青いハンカチで額を拭きながらサナの背中を追った。
店内にはぱらぱらと他のお客さんがいるが、私たちは店の奥の真紅のビロードソファに案内されだ。悠々の四人席に二人で向かい合い贅沢に座る。まるでお嬢様になったかのような丁寧な接客を受けて、ローテーブルの上には二つのケーキと飲み物が運ばれてきた。
「ヤバい、ヤバい、全部いいじゃんここ!」
「でしょ、でしょ。しかもここ全部リリカのケーキなんだよ」
「イケ執事風従兄の出迎えから、品格ヤバ美女ウエイターに、リリカケーキのスリーコンボやばくない?」
「ヤバい」
私たちはケーキと純喫茶をスマホの画面に収めてシャッターを切りまくる。加工しなくても映える写真を見せ合って、ヤバいとヤバいを互いに十往復はさせた。やっと満足してケーキにフォークを刺す。
サナはサンシャインマスカットデコケーキ、私はマンゴームースのカラフルさに二人でうっとりしたあと、サナが私の飲み物を指さして首を傾げる。
「実咲、今日は何でクリームソーダにしなかったの?」
「ここでクリームソーダを頼んだら負けな気がするから」
「負け?」
私はマンゴーケーキとミックスジュースを嗜みながら、新太とこの店でした約束を思い返す。きちんと考えて選挙に行ったら、私だけの幻の一点ものリリカケーキとクリームソーダのスペシャルコラボご褒美が待っているのだ。
そのときまで、純喫茶リーベのクリームソーダは置いておきたい。私の意地だ。
「まあそれはいいんだけど、ちょっと聞いてよ」
「ステキ純喫茶に爆アガり中のあたしは今、何でもわかるよ。あの爆イケ新太と実咲の仲がどう進展したって?」
「新太とかどうでもいいんだけど。来週、子守りアルバイトすることになったんだよ。三日間だけ」
サナがまた太睫毛で風を起こす。サナがサンシャインマスカットの一つにぷすりとフォークを突き刺した。
「実咲に子守りバイトとか無理くない?」
「失礼な。居候先のエリックが、って私のおじさんね」
サナがチャーミング代表すーちゃんと、岩すぎるエリックの夫婦を覚えていると言ってケラケラ笑った。
「そうその二人が、親友夫婦と旅行することになって」
元々はエリックと向こうの旦那さんが親友だというが、今ではすーちゃんもすっかりその夫婦と仲良しだという。私はミックスジュースを赤いストローで吸い上げた。
「そこの奥さんはあんまり体強くないらしいんだけど、子どもが三人いて」
「体弱いのによく三人も産んだね」
「二人の予定だったんだけど、二人目が双子だったらしい」
「おっふ、奇跡のいたずら」
サナは眉間に皺をよせながら、苦いコーヒーに手をつける。私も頷きながら赤ストローでミックスジュースをかき回す。
「産んでから体調崩すことが増えたって」
「オーマイガーそりゃそうなる」
「でも、がんばって育ててるらしい」
ぐるぐる回るミックスジュースの渦に差した赤ストローを、今度は反対方向に回し始める。人生、予定通りに行かないものだと思う。
「そういうがんばる親を見てるからか、子ども三人がすんごい良い子らしくて。ママとパパに旅行をプレゼントしたいって言い出したんだって」
私はストローで遊ぶのを止めて、マンゴームースの夏いっぱいの橙色を口に含んだ。するりと溶けるムースの舌触りがやわらかい。けれど、後味は夏色みたいに酸っぱい。
「え、ヤバ良い子たち。嫁に欲しい」
私もすーちゃんに話を聞いたとき、サナとまったく同じ反応をした。もうその子たちは幸せにするしかないだろう。私はお行儀悪くフォークの先を口に咥えたまま言った。
「しかも子ども三人は留守番するからって言うの!」
「何で?旅行は家族みんなで行きたいでしょ」
「子どもがついていくとママが楽しめないって、気を使ったみたい」
子連れ旅行でのママの負担を理解しているなんて、その子どもたちは相当賢い。
「ちょ、どこまで大人なの?そういうの泣けるから」
サナはコーヒーカップをソーサーに戻し、目頭を押さえる。サナは涙もろい。さっきの映画でもぼろぼろ泣いていた。犬がずっとご主人を待ち続けるやつだ。私は紙ナフキンをサナに渡す。
「それでせっかく旅行に行くなら、エリック夫婦も一緒に行きたいってなってね。エリックから『実咲に子どもたちを頼みたい』って言われて」
「岩が喋ったの?それはもう重大事件じゃん」
「そうなの!」
私はすーちゃんからその話の概要を聞き、エリックには最後に一言お願いされただけだ。でも私だって、もしサナが同じような状態だったら、何としても一緒に旅行に行きたい。だからエリックのお願いに快諾した。情けは人のなんとかで。
「子どもだけ置いて行くわけにいかないから、私が子守りバイトすることになった!」
「うんわかった。それはがんばりな、実咲。もうできる、できないとか言ってる場合じゃない。使命だわ」
「がんばる!サナもプール監視員がんばって!」
「もちばち!」
二人でローテーブルの上に両手を差し出し合って、がっしり握手した。サナと私は手を握り合い、お互い残りの夏休みの奮闘を称えた。
そうやってサナとの夏休みデートを楽しんだ次の週。昼を過ぎたすーちゃんの家に、子どもが三人やってきた。すーちゃんもエリックも旅行に出発。新太も仕事に出かけたこの家で、居候の私が彼らを迎え入れる。
「いらっしゃい!えーと、お名前聞いていい?」
絵本の中みたいなドールハウス調の明るい玄関で、きょろきょろする双子の小学生たちを従えているのは、すらっと背が高く目がくっきりしたセーラー服の女の子だ。
「はい、初めまして。瀬名真帆です。弟たちは湊と凪です。お世話になります、実咲さん」
深々と頭を下げる真帆ちゃんは凛としている。真帆ちゃんの後ろで、大きなリュックを背負った湊と凪もぺこりと頭を下げて声を揃えた。
「「お世話になります」」
「いや、全員、固いな?!」
「これ、両親よりご挨拶の品を」
「あ、はい。ご丁寧にどうも」
きりりと目尻が上がった真帆ちゃんの態度に気圧されつつ、私は三人を一階奥のゲストルームへ案内する。私は荷物を置いた彼らをリビングへ招いた。とことこついて来る素直な三人に私は声をかけた。
「湊と凪、リビングで遊んでいいよ。寝室は狭いから」
「「やった!遊ぶ!」」
「ハモりすごいな?!」
短髪黒髪の湊と凪は元気よく廊下を引き返して行った。何か取りに行ったようだ。セーラー服の真帆ちゃんが私に伺いを立てる。
「実咲さん、私は外出してきてもいいでしょうか?」
「もちろん良いよ。あ、でも私が保護者枠だから行き先とか帰り時間を聞いてもいい?塾とか?」
「あ、いや……」
真帆ちゃんは眉尻を下げて、なぜか一瞬、顔を歪ませた。
空気がピリっとした。
なぜかわからないが、塾に行くのかと聞いてはいけなかったのかもしれない。真帆ちゃんは表情を整えてから、肩まで伸びたストレートの黒髪を耳にかけた。
「塾には行っていなくて、部活をやっています。陸上部です」
「えー偉い!」
「ありがとうございます。実咲さんが弟たちを見てくれるおかげで、部活を休まずにすみました」
真帆ちゃんの声は涼やかで落ち着いている。中学二年生で十四歳らしいが、こんなに大人びているのか。私が中二だった時は、友だちとマックでだらけていた覚えしかない。
「弟たちはおそらく夕飯までここから動かないので、そんなにお手間をかけないと思いますが」
「え?八歳だよね?動かないとかある?」
真帆ちゃんはリビングに大きなプラスチックの箱を引っ張って来て、開封し始めた弟たちをちらりと見た。あの大きな収納ケースは先日郵送されてきたものだ。私も見ていると、箱の中から色とりどりの細かいブロックが現れた。
「あ、レゴ?」
「そうです。弟たちはレゴの権化なので……このカワイイ家にテンション上がっていて、創作意欲が上がっているでしょうから。すごく集中すると思います」
「わかった!じゃあ湊と凪は私が見てるね!」
「お願いします。私は十九時には帰ります」
「オッケー!いってらっしゃい!」
部活に出かける真帆ちゃんを玄関で見送って、私はリビングへ舞い戻った。
くりっと強そうな黒目をした色白の湊と凪は同じ顔だ。服が一緒だったら見分けがつかないだろう。二人はなぜか不穏な空気で睨み合っていた。
「凪、もっとあっち行って」
「湊が行って、邪魔!」
二人は収納ケースから取り出したブロックを床の上に組み立て始めていたが、リビングにはソファにローテーブルと障害物が多かった。狭さが言い合いの原因のようだ。
「はいはい、ケンカしなーい!実咲ちゃんが場所を広げるから!」
私はソファもテーブルも押し避けて無理やり端に寄せて、リビングのラグの上を全部レゴで遊べるように整えた。湊と凪は黒目をきらりと輝かせた。
「「ありがとう、実咲お姉ちゃん!」」
湊と凪はレゴの基地づくりに協力した私に、一気に明るい笑みを見せてくれた。子どもたちの屈託ないえくぼ。耳にじんと染み入る「姉呼び」だ。
私はにっこり笑って、レゴの箱に手を突っ込む二人の後ろに屈みこんだ。
「ねぇ私も入れてよ。レゴとか賢そうなおもちゃは……やったことないけど」
「いいよ!」
「そう!」
「「レゴは世界だから!」」
「うへーなんか深いけどお邪魔しまーす」
私は二人の間に挟まれて、初めてレゴを組み立てた。私が組み立てる拙い建物の周りに、湊と凪はあっという間に世界をつくっていく。
私が小さな家をつくれば、その周りに住宅街ができてスーパーができて、巨大恐竜が現れてそれをやっつける宇宙人がやってきた。私は世界の広がりに心から声が出た。
「ちょ、湊と凪ってマジですご腕クリエイターなんだけど!」
「実咲お姉ちゃんも……なかなかだよ」
「うんうん、一階建ての家で途中リタイアしたのはすごいよ」
「え、私ディスられてない?」
「「ディスってない!」」
湊と凪は大きな声できらきら笑い、私は世話するどころか、ただ一緒に笑っていただけだった。二人は真帆ちゃんが帰るまで、延々とレゴで遊び続けた。私には到底真似できない、ケタ外れの集中力だった。
真帆ちゃんが予定通り帰宅して、夕飯に素麺を茹でた。レゴにかじりつこうとする双子を真帆ちゃんと一緒に風呂に追いやる。風呂上りにまだ遊びたがる双子に、明日も遊ぼうと約束してやっと寝室へ押し込んだ。
やっと今日の業務は終了だ。
ひと段落してリビングへ戻ると、真帆ちゃんがリビングテーブルにノートと参考書を広げていた。私はその姿にハッと口元に手をやった。
「ま、まさか勉強してるの?!」
「え……あ、はい」
真帆ちゃんの日に焼けて火照った頬が私を見上げる。私は慌てて冷蔵庫からアイスを持ってきて真帆ちゃんに押し付ける。ラムネ味の棒付きアイスだ。私は真帆ちゃんの隣の席に座って、アイスを持ち上げた。
「一緒に食べよ!」
「いや、でもまだ勉強が」
私は真帆ちゃんが手に持った棒付きアイスに、無理やりかつんとアイスをぶつけ、真帆ちゃんの顔に顔を寄せて大きな声を出した。
「部活やって、双子の世話をして、さらに勉強とかがんばりすぎでしょ!そんなにがんばってるの見たら心配になるよ私!」
私の勢いに押されたのか、真帆ちゃんは口をぽかんと開けた。しばらく見つめ合ったあと、真帆ちゃんは笑い出した。
「あははっ、ありがとうございます、実咲さん。アイスいただきます」
「いやもう、敬語やめよ。あと二日も一緒なんだから堅苦しいよ。実咲ちゃんにして」
「そうですか?じゃあお言葉に甘えて」
「じゃあアイス乾杯ねー!」
「かんぱーい」
ラムネ色の棒付きアイスをもう一度コンと合わせて、私と真帆ちゃんは、アイスがひんやり美味しいねと笑い合った。
彼女が見せてくれたえくぼは、双子たちと同じ形で微笑ましかった。きっと彼女も緊張してここに来たのだと思う。すごくがんばり屋だ。
アイスを舐めながら、呪文が書かれたような参考書を私はぺらぺらめくってみた。
「これ宿題?」
「宿題はもう終わってて、自習なの」
「じ……自習?私の人生にその文字ないけど……?」
私がショックを受けていると、真帆ちゃんが解けた顔でくすくす笑った。全国トップアホを経験した私が真帆ちゃんを笑わせるなら、この称号にも価値があるだろう。真帆ちゃんはアイスをちまちま舌先で舐める。
「私は来年受験なんだけど、うちは塾に行けないから。自分で勉強しなくちゃいけないの」
私は部活に行く前の真帆ちゃんが「塾」に反応していたことを思い出す。
「もう受験勉強をし始めてるの?偉すぎて言葉ロストなんだけど?」
「実咲ちゃんっておもしろいね」
真帆ちゃんは肩の力が抜けた笑い声をあげた。アイスを食べ終えた真帆ちゃんは、またシャーペンを握って参考書に向かい始めた。もう夜も更けてきているので、私は声をかけた。
「今日はもうおしまいにしたら?違う家で泊まるのは疲れるでしょ?」
「ありがとう実咲ちゃん、でも大丈夫……やりたくてやってるから」
どこか切羽詰まった真帆ちゃんの声。夏休みの夜に参考書にかじりつくような余裕のなさにひっかかる。塾に行けないと言った真帆ちゃんの言葉が、私の耳に妙にじっとり残っていた。
塾なんて行きたくないのが人の性だと思っていたが、真帆ちゃんの声は違う。私はアイスの棒を口に咥えながら聞いた。
「真帆ちゃん、塾に行きたいの?」
ノートにペンを走らせようとしていた真帆ちゃんがピタリと止まって、私をふり返った。真帆ちゃんの眉間にはくっきりと皺が寄っていて、その問題が根深いものだとすぐわかる。
私は新太の硬い表情の変化だってわかる。真帆ちゃんくらい表情が変われば、感情は伝わる。「塾」は真帆ちゃんをグラつかせるものなのだ。真帆ちゃんがぎゅうとシャーペンを強く握り、俯いてしまった。
「あのーなんかあった?良かったら話聞く?あんまり仲良くない人の方が話せるってのも人生あることだし……私とかお得だけど、どう?」
しばらく黙っていた真帆ちゃんの肩が細かく揺れ始めて、私はぎょっとした。真帆ちゃんは椅子の上に両膝を抱えて、顔を膝に埋めてしまった。
「ご、ごめんね、余計なこと言って」
「違うの……実は今日、部活でまた、進路の話になって……」
両膝を抱えたままの真帆ちゃんは鼻声だ。真帆ちゃんはぽつぽつと話を紡いでいく。
「前から親友と一緒に、鷹高に行きたいねって言ってて。鷹高は陸上部が強くて憧れなんだ……でも鷹高って偏差値が高くて」
私は真帆ちゃんの言葉を遮らないように気をつけながら、うんうんと相槌を打った。けれど内心すごく緊張した。鷹高は新太の出身校だ。偏差値異次元の公立校である。そんな偏差値高そうな話についていけるだろうか。
「私、中学校の成績は学年でも上の方なんだ。でも親友が塾に行き始めて、真帆も塾行かなきゃマジでヤバいよって……今日言われて」
真帆ちゃんは息継ぎしながら話を続ける。
「それにね鷹高は入試に……Z問題が出るの」
「ぜ、ぜっと問題って何?ごめん、何も知らなくて」
私は真帆ちゃんにティッシュの箱を差し出しながら謝罪する。話し相手になりたかったのだが、予備知識が皆無だ。
真帆ちゃんはゆっくり顔を上げてティッシュを受け取り、鼻をかんだ。目が真っ赤だ。真帆ちゃんは私を見てしょんぼり言った。
「入試の話なんておもしろくないよね」
「い、いや面白い面白くないっていうか、教えて欲しいんだよ!」
私は言葉を探しながら、真帆ちゃんの顔を覗き込んで必死に言い訳した。
私は知らないことばっかりだ。街頭インタビューを皮切りにこの夏、無知を痛烈に感じ続けている。
だから私は、自分から知ろうとしなくてはいけない。
「私、わかんないことばっかりだから!手間かけてこっちのがごめんっていうか!」
真帆ちゃんは一人で騒がしい私に、ちょっとだけ笑った。
「じゃあ……聞いてもらっちゃおっかな」
「うん、お願い!……それでゼット問題って?」
トップアホを隠しきれないが、真帆ちゃんは私の勢いに赤い目のまま微笑む。ほっぺにぽこんと、へこんだえくぼが、泣いている。
「公立校の話だけど、私の住んでるところの入試って学校によってX、Y、Zに入試問題が分かれてて」
「えーっと難易度カンタン、普通、難しい。みたいに?」
真帆ちゃんの話について行こうとがんばって質問すると、頷いてくれた。
「でもね、公立中学校でいくら一生懸命勉強しても……Z問題には太刀打ちできないの」
「どういうこと? 中学校でがんばって勉強した賢い子が、Z問題が出る偏差値が高い学校の入試を受けるってことでしょ?」
私はできる限り脳みそを回しているつもりだったが、真帆ちゃんの返事は鈍い。彼女は深いため息をついて頷いた。
「そうだったら、よかったんだけど。いくら公立中学校で真面目に勉強しても、Z問題の範囲は中学校の授業ではやらないんだ」
「え、じゃあどこでやるの?」
「塾だよ」
真帆ちゃんはぐずりと鼻をすすって、目に涙の膜を張った。
私もそういう仕組みだと言われてきょとんとする。
「なにそれ……」
「本当に、何それって私も思ってるけど、そういう……制度なんだって」
「せ、制度?」
制度という言葉のバリアが強すぎて、私はきょとんとしてしまった。
Z問題が出る学校の入試をクリアしたいならば「塾に通う」のが前提とされている、ということだ。中学校でいくら頑張っても届かない壁が、そこにある。
「えっとつまり、塾に通えない子は鷹高に行ける可能性がないってこと?」
微かに頷いた真帆ちゃんの潤んだ声が、細かく震える。
「うち、ママは体弱くて働けなくて。パパは一生懸命働いてるけど、福祉職なんだ。福祉職って給料安いの。だからうちってハッキリ言って貧乏」
真帆ちゃんの鬱屈がこぼれる。
「お父さんに塾に行かせてあげられなくてごめんって、言われてる」
私は塾に行ったことがないが、塾ってのは莫大なお金がかかると聞いている。それがどうしたと思っていた。
でも、こんなに身近に、塾に行けないと悩む子がいることに衝撃を受けた。真帆ちゃんは鼻をすすって私を見つめる。
「最初はどうしてうちはお金持ちじゃないの、とか思ったけど……貧乏なことを恨んだりしてないの。ママもパパも二人とも大好きだから。今みたいに旅行にだって行って欲しい」
真帆ちゃんたちは、ママとパパに旅行をプレゼントするような子たちだ。親に気を使えるくらいに存分に愛されて育っているに違いない。
真帆ちゃんの声は澄んでいて、本当に親への不満は一切見えなかった。真帆ちゃんは目を擦って、ふと廊下の方に視線をやった。
「それに弟たちを見たでしょ?あの子たちは絶対に、私より賢いと思うの」
真帆ちゃんの声には確信があった。
常にあのレゴの権化たちと暮らす姉として肌に感じるものがあるのだろう。
私も今日一日過ごしただけで、彼らはただ者ではないと思った。将来ビッグになりそうな才能がすでに片鱗を見せている。
「私は早く就職して、弟たちが塾に行けるように働いた方がいいんだろうって思ってる。弟たちには塾に行けないからって、鷹高を諦めるようなことをして欲しくないから」
真帆ちゃんは唇を噛みしめて、膝を抱える手に力を込めた。私は眉間に皺が寄るのを抑えきれなかった。
「わかってるの……私は鷹高に行けないって」
震える少女の背を追いつめているのは、見えない壁だ。
大人が決めたわけのわからない制度。真帆ちゃんは頬にぽろりと一滴、涙を落とした。
「でもね、私ね……親友と一緒に、鷹高に行ってみたいって思っちゃって。毎日勉強するのを……やめられないんだ。どうせ無理なのに。意味ないのに。私……バカみたいでしょ」
「ば、バカなわけないでしょ!?」
真帆ちゃんはぼろぼろ泣き始めてしまって、私は真帆ちゃんの背を撫でてティッシュを渡した。それくらいしかできなかった。
私は大きすぎる壁にぶつかる彼女に、してあげられることが本当に何もない。
真帆ちゃんが寝室へ戻るまでずっと、あまりの無力に呆然としてしまった。
真帆ちゃんを双子が眠る寝室へ送り届けて、私は風呂へ向かった。
すーちゃんの家の風呂は気品ある白で整ったつるつる丸いバスタブに、蛇口にワンポイントゴールドをあしらうようなエレガンスな風呂だ。一日の疲れを癒すには極上の場所。
私は裸で純白のバスタブに浸かって、立ち上る湯気を見上げる。柑橘の入浴剤のすっぱい香りが鼻を通ると、息が全身を巡る。
なのに、頭は全くすっきりしない。
私は鼻下まで湯につかってぶくぶく泡を出して考えに沈む。
どうして真帆ちゃんみたいに真面目に努力する子が、望む高校にチャレンジすることすらできないのか。
理不尽すぎてイラついた。でもよく考えれば、私には関係ないことだ。私にはもう高校受験なんてどうでもいい。でも、真帆ちゃんの涙が胸にじくじく痛かった。ものすごく、腹が立った。湯を殴りつけたいくらいだ。 けれどもう私は、どこかでわかっていた。
これは、私が招いたことだ。
新太が言っていた。無関心のツケはどこかで払わなくてはいけないって。
無関心な大人の私が──真帆ちゃんを泣かせたのだ。
私は柑橘の香りが移った濡れた手の平で顔を覆った。
「選挙よりケーキって……本当に最低な言葉」
私は自分が恥ずかしくて、たまらなくなった。
全国トップアホの自分が映る湯を殴りつけてから、私はざばっと立ち上がって風呂を出る。ただ湯を殴ってスッキリするだけなら、大人はいらないと思う。
柑橘の甘酸っぱい香りを感じながら、深夜のリビングへ戻った。すると、双子が遊ぶためにリビングの端へと追いやられたソファで新太が寝転がっていた。またスーツの上を脱いだだけのワイシャツ腕まくり姿だ。ヴィンテージ風のソファにスーツの新太が片膝立てて寝転んでいると、美術品のようだ。
新太は寝ているのか、今日も短パンの私に小言を言ってこない。
ベッドで寝た方が良いから起こしてやろうと思って、ソファの前にしゃがみこんだ。つい顔を覗き込む。見れば見るほど美しい顔で腹が立つ。私は深夜に似つかわしい小声を選ぶ。
「新太、起きて」
「……ん」
新太の目蓋がぎゅうと縮んでから、ゆっくり開くと薄茶色の瞳がぼんやりしていた。
「ベッドで寝なよ」
「……実咲さんを待っていたのですが、寝てしまったようです」
「お疲れだね。プレオープン、そんなに忙しいの?」
「店よりも、倫也の無茶ぶりがクソで……」
「倫也ってリリカの倫也だよね。倫也がどうしたって?」
「実咲さんやめてください。家で倫也のことなんて思い出したくもありません」
「いや、そっちが先に言ったけどね」
何があったのか知らないが、新太からはリリカのケーキクリエイター倫也への苛立ちが立ち上る。新太から「クソ」なんて言葉は初めて聞いた。仲が良いのではなかったのか。
新太はゆっくり起き上がり、両足を広げてソファに座り直した。新太のセットがとれた前髪がさらりと額に落ちる。
「私のこと何で待ってたの?用事?」
「子守りはどうだったかなと思いまして。困ったことがあったら聞こうかと」
新太が目頭を押さえつつ放つ言葉は、私のぐるぐるしているど真ん中を突いた。ついきゅっと唇を引き絞ってしまった。
新太は私の言葉が詰まったことを見逃さない。いつもの強い眼を向けてくる。
「何かありましたか?」
「いやそのー……」
新太は倫也の無茶ぶりで忙しそうだ。お風呂で思い立ったことがあったのだが、うたた寝して髪も乱れる状態の新太にこれを提案するのは、さすがに鬼畜かと思う。
「何でもない」
「……実咲さん、それは逆効果です」
「え?」
「私が疲れているからと遠慮したのでは?見え透いていますよ」
「それはそうでしょ。人として思いやりあるから私」
新太は前髪をくしゃりと持ち上げてため息をついた。私は気を使ったつもりだったのにお叱りを受けそうな空気だ。
「実咲さんの話ならいつでも聞きたいんですよ。私は」
新太がソファの前に座り込んだままの私に、まっすぐ言った。
「言ってもらえないと気になって、余計にストレスなのでやめてください」
「逆ギレされたんだけど」
長い足を組んだ新太が、両手を組み合わせて「聞きます」の姿勢を見せる。
「変な気の使われ方をすると逆ギレもします。どうぞ言ってください。言いたいことを言いたいだけ」
「食べたい時に好きなだけ、みたいなノリだね」
「ふざけなくていいので早くしてください」
私は立ち上がって新太の隣に座り直した。風呂で考えたことを新太に話すと、新太はしばらく考えてから頷いた。
「実咲さんの考えはわかりました。ではこうしましょう」
即断即決、即行動。深夜のリビングで新太からもらった指示に、私はありがとうと素直に言ってしまった。
翌日、新太はまた朝早くから出かけて行った。昨日と同じように真帆ちゃんは部活へ、私と双子はリビングでレゴ世界を作り続けた。
夜を迎えて、すーちゃんの家に帰宅した真帆ちゃんに勉強道具を持たせ、リュックに山ほどレゴを詰め込んだ双子を連れた私は、夜の街へ繰り出した。私は片手に湊、片手に凪を連れてタクシーに乗り込んだ。助手席に座った真帆ちゃんが私に尋ねる。
「実咲ちゃん、もう夜なのにどこ行くの?」
「今日は夜更かしパーリーナイトだよ!」
「「えー!やったー!」」
きょとんとする真帆ちゃんとはしゃぐ双子を乗せてタクシーは走り出した。
夜でも余熱が蒸すビル街に到着したタクシーを降りて、みんなで訪れたのは新太の純喫茶「リーベ」だ。
もう二十時近くで、すっかり閉店している。だが、私はこの時間に新太と待ち合わせしたのだ。
私がリーベの扉を押し開けると、中から冷涼な風が迎えてくれた。コーヒーの香りが満ちる店内に足を踏み入れる。真帆ちゃんも双子も、完成された純喫茶の世界観にふわぁと感嘆の声を上げた。
「相原様ですね。少々お待ちください」
私たちに気がついた女性ウエイターさんが、すぐに新太を呼んでくれた。サナと来たときにも案内してくれたお姉さんだった。新太が優雅な足取りで私たちを迎えに来た。
「実咲さん、夜道は大丈夫でしたか」
「ヨユー!」
新太は今日もスーツ姿だが、昨日の夜ほど髪型は乱れていなかった。きっちり外行きだ。
「良かった。では皆さん奥へどうぞ」
私は新太が示した方へと、子どもたちを移動させる。新太はウエイターさんに声をかけて、しばらく抜けるから片づけをと指示を出していた。
忙しい中、私のお願いを叶えてくれる新太には申し訳ない気がした。けれどやってくれると言うのだから、真帆ちゃんのために甘えた。
「真帆ちゃんはこっち」
私はきょろきょろし続ける真帆ちゃんの背中を押して、真紅のビロードソファに座らせる。新太は双子を連れて、テーブルと椅子を押しのけて作ったスペースでレゴをしてもいいと指示を飛ばしている。
私は落ち着かない様子の真帆ちゃんの隣に座って、静かに話しかけた。
「真帆ちゃん、新太のことは知ってるでしょ?」
「ママの友だちの、息子さん?何回か会ったことはあるけど……」
「新太はね、鷹高出身だよ」
「え、そうなの?」
「だから、相談に乗ってもらったらどうかなって思って」
真帆ちゃんは瑞々しい瞳を輝かせて私を見つめた。鷹高出身の新太と話せば、何か真帆ちゃんの役に立つ情報があるのではと思ったのだ。
「真帆ちゃんの受験の話、私なりに考えた。すごく考えたんだけど、どうしても今してあげられること何もなくて」
私の声は思ったより深く沈んでしまった。
「バカでごめんね」
「実咲ちゃん……」
真帆ちゃんは私を見て眉をハの字にしてしまう。まだ中学生の子に気を遣わせるなんて、私はまだ大人になり切れない。けれど、じっとしてもいられなかった。
「私は全国トップアホだから、できる人に託すことにした」
風呂でいくら湯を叩いたところで何も変わらなくて、私がひねり出したのは新太に頼ることくらい。本当に情けない。私は真帆ちゃんの手を持ち上げてきゅっと握った。
「新太なら何か情報をくれると思って、新太に時間つくってもらったんだ。良かったら新太に何でも聞いて!」
真帆ちゃんは私の手をぎゅっと握り返してくれた。今日も日焼けで火照った真帆ちゃんの頬は愛らしく、ほっぺのえくぼが微笑んだ。
「私の話、真剣に聞いてくれてありがとう、実咲ちゃん」
私は鼻の奥にしょっぱいものを感じながら、ふるふると首を横に振った。
無関心でごめんと謝らなくてはいけないのは、私なのだ。
「私、真帆ちゃんのこと応援してる!」
私は感極まって思わず真帆ちゃんに抱きついた。真帆ちゃんはふふっと笑いながら私の背をとんとんと叩いてくれた。どっちが年上かわからない。ふと上から新太の声が落ちた。
「実咲さん、イチャイチャするなら家でお願いします。私が真帆さんと話す時間がなくなるのでどいてください」
「く~容赦ない男キタ~」
「ふふっ、実咲ちゃんってほんとおもしろい」
「私もそれには同意します」
新太はトレーにミックスジュースを四つ乗せていて、真帆ちゃんの前に一つ置いたあと、残りを私に押し付けた。
「実咲さんは湊君と凪君と、向こうで遊んでいてください。ミックスジュースを飲んで、大人しくです」
「完全に私も子どもでカウントされてるよねこれ」
私は真帆ちゃんのくすくす笑いを背に受けながら、店の端っこでレゴ純喫茶をつくり始めた双子の側に追いやられた。
私は双子とレゴ純喫茶で遊びながら、新太と真帆ちゃんが何か熱く論議するのを遠くから見ていた。
真帆ちゃんの目は真剣で、新太から自分の望みを叶えるための情報を引き出そうと熱く燃えていた。真帆ちゃんの貪欲に学ぼうとする姿勢がカッコ良かった。
その自ら前のめりに、何かを知ろうとする姿を見習いたいと、強く思った。
純喫茶での進路相談を終えて、翌日はもう子どもたちが帰って行く日だ。夜更かししたので、もう午前も深まったころにやっと皆で起き出した。新太はすでに出勤して家にいなかった。
朝の光がたっぷり入る明るいリビングで、私はトーストを焼いて真帆ちゃんと一緒に食べ始めた。湊と凪はまたラグの上で、レゴ純喫茶レゴの続きをつくっている。クリームソーダを作ってくれるようにリクエストしておいた。
「いっただっきまーす!」
すーちゃん御用達の近所のパン屋さんで買った、極太トーストにたっぷりのバターと蜂蜜をかけて贅沢に味わう。テーブルを挟んで向かいに座った真帆ちゃんが、ほっぺに手を当ててえくぼで微笑む。
「このトースト美味しい!」
「極太がめちゃくちゃレアで、もちふわが良いよね~」
二人で盛り上がりながらトーストを食べた後は、ラズベリーソーダなんてお洒落なものを作った。赤くて可愛い冷凍ラズベリーを炭酸サイダーに入れただけだが、甘酸っぱくてさっぱり美味しいのだ。
もうすぐすーちゃんたちが帰ってくる。真帆ちゃんのご両親が迎えに来ると聞いている。ラズベリーソーダを半分飲み切った真帆ちゃんが、黒髪を耳にかけてかしこまった。
「実咲ちゃん、昨日は新太くんに会わせてくれて本当にありがとう」
「いや、ほんとそれくらいしかできなくて」
「ううん、おかげで私、ちょっとやれるかもって思った」
「本当?!」
私は新太から真帆ちゃんと何を話したのかは聞いていない。ラズベリーソーダに入れた氷がカランと涼し気な音を立てた。
「塾に通わなくても、もう少し安い通信教育とか、質の良いYouTube講座とか、中学校の先生を使い倒す方法とか、たくさん教えてもらったの」
「使い倒すか~新太っぽい戦略だ」
私が茶化すと真帆ちゃんは朗らかに笑った。あの夜、膝を抱えて震えていた真帆ちゃんからは想像もできないほど明るい声だ。
「今は昔よりネットに情報が出回ってるから、まだ諦める時期じゃないって何度も言ってくれたの。わからないところがあったら聞いてって連絡先まで教えてくれた」
「やるじゃん、新太」
新太は忙しい中、真帆ちゃんのためになる情報をかき集めておいてくれたのか。偏差値の鬼は半端ではない。真帆ちゃんはラズベリーの愛らしさと泡がぷくぷくするグラスの中を見つめて芯のある声で言った。
「実咲ちゃん、私、鷹高を目指してみようと思う」
真帆ちゃんの声は私ではなく、自分に向けた決意に聞こえた。私は真帆ちゃんに向かってラズベリーソーダのグラスを掲げた。
「真帆ちゃんならやれる!」
「実咲ちゃんが背中押してくれたからだよ!ありがとう、実咲ちゃん!」
私たちはカツンと軽快な音を立ててグラスを鳴らした。喉にしゅわしゅわ炭酸を流し込むと、ぴりりと刺激的。でもその刺激が爽やかに前を向かせてくれる。私は真帆ちゃんに告白する。
「実は私も、真帆ちゃんに背中押してもらった」
「何を?」
「私ね、真帆ちゃんみたいにちゃんと、選挙の勉強をするから!」
「え?選挙?どうして今、選挙の話になったの?」
「私にはいろいろあったんだよ、真帆ちゃん!」
「えー何それ!」
真帆ちゃんは話の流れを掴めないようで、私がまたアホなことを言い出したと思ったのだろう。あははと笑い飛ばしてくれた。それでいい。子どもは明るく、笑っていればいい。
そうやって子どもが笑えるように、きちんと考えるのが私の──大人のやることだ。
「実咲ちゃん、また今度一緒にリーベに連れてってよ」
「もちろんいいよ!」
「あ、そうそう。新太くんは実咲ちゃんのだってちゃんとわかってるから心配しないでね」
「え、マジで何の心配?」
「もう、実咲ちゃんっておもしろい!」
私と真帆ちゃんは、お迎えが来るまできゃらきゃら笑い合いながらお喋りし続けた。
真帆ちゃんとお別れに撮った写真には、しゅわしゅわっと炭酸水みたいな夏らしい笑みが写っていた。




