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選挙のあとは、ケーキを食べて。  作者: ミラ


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第二章 すーちゃんの家と壁バイト

 新太と「幻のリリカケーキ」の約束を交わした純喫茶を出て、車で二十分かけて杉並区にあるすーちゃんの家に到着した。すーちゃんの家は古い住宅街の中に、突如として現れたドールハウスみたいな屋敷だ。

 周りは築四十年以上の中古住宅ばかりなのに、すーちゃんの家だけが可愛くて浮いている。

 淡い青色の壁面にツタが巻くようなガーリーな雰囲気がある屋敷で、秋には庭にバラが咲く。幼い頃からこの物語の中みたいなガーデンがある屋敷が好きで、よく新太を従えて遊んだものだ。ガーデンを抜けてクラシカルなドアを新太が開ける。ドアを開けて待っている新太を横目に、すーちゃんの家に足を踏み入れた。

 すると、リビングからすーちゃんが飛び出してきた。

「実咲ちゃん!いらっしゃい!」

 すーちゃんがまるっこい体を揺らして、太い腕を両側に大きく広げる。大歓迎を体全部で示したすーちゃんに、私は快く抱きしめてもらう。ふわふわの茶色いウェーブ髪を揺らしたすーちゃんのあったかい体に、大きな明るい声にふっくらした腕。すーちゃんはクッキーみたいな甘い香り。

「すーちゃん、久しぶり〜!お世話になりにきた〜!」

「どうぞどうぞ!喜んでお世話しちゃうわ!久しぶりねぇ、美人になっちゃって!」

「えー本当に?!」

「本当よぉ!テレビインタビューも新太ちゃんと一緒に何回も見たのよ?可愛いわねぇって!」

「何回も見ないでよ、恥ずかしい!」

「見るわよ、姪っ子のデビューだもの〜!」

 すーちゃんは目尻にしっかりマダムなシワを寄せながらも、朗らかな笑顔で語る。ちくりと痛い話なのだが、すーちゃんが言えば心から褒められているとわかる。すーちゃんと私が戯れて可愛い、久しぶりを何度も交わしている間に、新太は二階と玄関を往復して段ボールを運び終わってしまった。

「いつまで玄関でいるつもりですか。お母さん、実咲さんを部屋へ案内しては」

「ああ、そうね!私ったらもうはしゃいじゃって!」

「ごめんね、すーちゃん。迷惑かけて」

 私はすーちゃんに背中をぽんぽん叩かれながら、飴色がつややかな階段を上っていく。すーちゃんは大きく首を振る。

「私は本当に実咲ちゃんが来てくれて嬉しいのよ!新太ちゃんは優しいけど、聞いたことにしか答えないでしょ?それに、エリックはその上を行く無口だから」

 すーちゃんの夫、エリックはドイツ出身の生粋のドイツ人だ。新太よりさらに無愛想である。

 叔父エリックと最近話したのは、小学生のときのような気がする。私にとってエリックは物言わぬ岩、くらいの感覚だ。

 いまだになぜ愛嬌の塊のすーちゃんがエリックと結婚したのかは謎である。

「私はお喋り相手がいなくて、家でつまんないこと多いのよ」

 すーちゃんは後ろから階段を上ってくる新太に視線をちらりと向けて、チクリと言う。

 新太がすーちゃんに逆らったところを見たことがない。

 自立心旺盛だろう新太が二十六歳になっても実家に住んでいるのは、すーちゃんが家にいて欲しいとおねだりしたからだと聞いている。

 新太はそれくらいすーちゃんに甘い。

 何か根深い家庭事情があるのではと、想像をしてしまうほどだ。

「私がお母さんを喜ばせることに長けていないのは、承知しています」

 冷ややかな表情の新太の返答に、すーちゃんは軽く肩をすくめる。

「ね、これよ」

 私もそれが固いとすーちゃんに同意する。

「あ〜言いたいことわかる〜」

「でしょ!実咲ちゃんみたいに可愛くて華やかな子が家にいてくれたら、どんなに楽しいか!片付け手伝うわね」

「ありがとう、すーちゃん!」

 すーちゃんに案内されて、二階のゲストルームに足を踏み入れた。

 ゲストルームには光の粒が浮かぶように明るさが満ちていた。

 十畳はありそうな部屋に置かれたセミダブルのベッドには、幾何学模様のシーツがかけられ、クラシカルな飴色のデスク、アーチ型の窓には白いレース。絵本の中みたいに可愛い部屋だった。思わず声が出る。

「こんな可愛い部屋で寝ていいの?!」

「もっちろん!新太ちゃんと一緒にきゃっきゃ言いながらインテリア整えちゃった〜!」

 新太がきゃっきゃ言うわけないだろう。とは思いながら、すーちゃんの五十代とは思えないほど愛らしいテンションの高さに私は笑ってしまった。

「趣味じゃなかったらごめんね」

「いやもう、すごく好きだよ!クリームソーダ飲むなら純喫茶、みたいなところがあるでしょ?この部屋って純喫茶の延長じゃない?!」

 ようはクラシカルでモダンだと言いたかったのだが、なかなかその単語は私の口には出てこなかった。

「もう実咲ちゃんのそういうところ好き〜」

 私とすーちゃんがベッドやデスクの周りで、正しくきゃっきゃ言い合う。その間、新太は部屋のドアに背を預けて腕を組みながら、私たちをずっと眺めていた。たまにちらりと新太をうかがい見る。

 スラックスの足が長くて、立ってるだけで、はい絵画。あまりに人生余裕感が出ていて腹が立つので無視する。やっとお部屋巡回が終わり、段ボールを開けようとなった。そこで初めて新太が動いた。

「下で夕食を用意しておきますね。一段落ついたら下りてきてください」

「はーい、新太ちゃん、ありがとう〜!」

 すーちゃんが段ボールから私の服を取り出して可愛い!をし始めて、やっと新太の気配が去った。私も段ボールから服を取り出しつつ、すーちゃんにそっと問いかける。

「何で新太ずっとそこに立ってたの?見張り?」

 すーちゃんが私にそっと顔を寄せて囁いた。

「見ていたのよ」

「何を」

「実咲ちゃんがこの部屋を喜んでくれるかどうか」

「ナニソレ、暇なの?」

「ふふっ、そうみたいよ?全然家にいないくせに、今日はわざわざヒマつくっちゃうタイプなの〜お母さんそわそわしちゃう〜」

 すーちゃんがくすくす笑って服を広げていく。自宅警備員を勝手に務めているらしい新太からの目力は痛くて窮屈だが、すーちゃんと過ごすのは楽しそうだ。

「うわぁこの服、素敵ね!着て見せてよ実咲ちゃん」

「え〜仕方ないなぁ、ちょっとだけね!」

「写真撮って姉さんに送っちゃお〜」

「だめだめ、お母さんに何遊んでるのって怒られちゃう」

 すーちゃんの無邪気さに久々に軽い気持ちで笑うと、この家での暮らしに希望が見えてきた。調子に乗った私はすーちゃんと一緒にファッションショーをし始めた。可愛く撮れた、盛れたと私たちの盛り上がりは終わりを知らない。

「片付けはいつ終わるんですか」

 いつの間にかまた、ドアに背を預けて腕を組んだ新太が立っていた。また見張りか。こいつヒマかとすーちゃんとこっそり笑った。


 すーちゃんの家での暮らしが始まって、大学はすぐに夏休みに突入した。なんとか単位を落とさずに済んだが、通学時間は長くなり、新太に門限なんて決められてイライラした。けれど、すーちゃんと一緒に晩御飯を作って食べる暮らしは思いのほか悪くなかった。

 新太はあの純喫茶の開店準備が忙しいのか、朝スーツを着て出て行って、帰りは遅い。顔を合わせる機会は意外と少なかった。

 新太との約束『きちんと考えて冬の選挙に参加する』の課題について、何をしたらいいのかと聞いた。だが、「困ったことがあったら何でも聞いてください」の一言で終わっている。何を聞くんだ、何を。でも多分、新太が意気揚々と何かを教えようとしてきたら、私は本能的に逃げるだろう。新太はそれを理解しているのかもしれない。

 だが、あまりに首を捻る私に新太は「とりあえず新しいバイトをしたらどうですか」と言った。意外とあたり前なことしか言わない。

 そうやって暖簾に腕押しの新太より、近頃はエリックの顔の方がよく見る。

 クラシカルなインテリアが揃ったリビングで、重厚なテーブルと椅子に座って日本食をいただく夕食時。すーちゃんが作ってくれるご飯は、基本に忠実で丁寧な味がするので毎晩楽しみだ。私が配膳を手伝っていると、二階の奥深くの書斎からのっそりとエリックが出てくる。

「エリック、お疲れ〜進捗はどう?」

 私が声をかけても、エリックはこくりと高い鼻を上下させるだけだ。エリックは新太と顔立ちが似ている。外国の映画で出てくるひっそり寡黙な細めの執事というイメージ。

 レトロな黒縁メガネがよく似合うのだ。ぱっと見てハリウッド脇役級のイケオジだが、口が重い。エリックと比べると新太の方がまだ意思疎通感がある。

 リビングテーブルの一席に座って、岩のように動かないエリックの隣にすーちゃん。すーちゃんの前に私が座って夕食が始まる。

「今日の生姜焼き……味が濃かったかしら」

「全然!すっごいおいしい!ご飯がいつもの三倍いける」

「それ濃いって言うのよ!」

「え?!」

 ステンドグラス風の丸い電気傘の下で、私とすーちゃんが軽やかに談笑する。その横で、エリックはゆっくり箸を進めて食べ終えると静かに二階へ帰っていく。

 エリックは翻訳家で書斎に閉じこもりきりなのだ。私がやってきた日によろしくと伝えると「好きなだけいなさい」とだけ言って、それっきり発言を聞いていない。

 大学でサナにエリックの話をしたときは「岩すぎて草」というめちゃくちゃ面白い表現をもらった。草とはネット用語で(笑)という意味だ。

 私も最近エリックを見ていると、岩すぎて草だと思って笑えてくる。もはやエリックはこの家の中の自然なのだ。

 私とすーちゃんは夕食を終えると、リビングの中央にどんと置かれた豪勢なソファに並んで座った。ここで紅茶を飲みながら、一緒にテレビを見るのが夕食後のお決まりだった。

「与党である紅の党から内閣総理大臣が」

 テレビでは選挙のあと、政党がどうとか総理大臣がどうとか、お固い話をしている。耳には入るが、まるでわからない。ついあくびをしてしまう。隣に座ったすーちゃんが、私に身体を向けた。

「実咲ちゃん、よかったら夏休みの間だけ、アルバイトしない?」

「え、仕事ある?!」

 政治ニュースのノイズをふっとばして、すーちゃんの話に食いついた。政治は遠いが、アルバイトは私の生命線だ。新しいバイトを探そうとしていたが、引っ越しでばたついているうちに夏休みが始まっていたのだ。すーちゃんが頷く。

「ちょっとクセのある仕事なんだけど」

「どんな?」

「私ね、大学で事務員をしているの。夏休みの間って、外国人留学生の手続きの時期なのよ。その書類受付係を募集してるんだけど……これがまた大変でね」

「外国人留学生相手の仕事ってこと?私、英語とか話せないよ?」

 すーちゃんは紅茶のティーカップを口に運びながら微笑んだ。

「向こうも日本語がわからないって言ってくるから、最後は気合いの押し合いになるんだけど」

「気合いとか笑う」

 私はへらへら笑う。だがすーちゃんは、それよそれと真剣に言った。

「外国人留学生の圧に負けない、ガッツのある子が欲しいの」

 愛嬌の達人すーちゃんが、クセのある仕事という限りは、かなりハイレベルなのだろう。私が高級ケーキ屋、リリカで働いて培ったものとは、違う能力が試されるようだ。

 本当は接客力が活かせる仕事がしたい。けれど、お世話になっているすーちゃんが私を誘ってくれるならば、応えたい。それに、サナが常々言ってくれている。私には、火力があると。つまり、私にはガッツがある。私はすーちゃんの手をとって握った。

「やらせて、すーちゃんの役に立ちたい」

「本当に?!ありがとう!実咲ちゃんならきっとやれるわ!あの甘チャン留学生たちにガツーンと言い返してやって!」

 すーちゃんがぎゅっぎゅと私の手を握ってにっこり笑う。

 すーちゃんが言い返して欲しいなんて思う相手。

 その外国人留学生たちがどんなものか、私にはピンと来なかった。すーちゃんはお茶請けの手作りチョコクッキーが乗った皿を私に差し出した。

「姉さんから、実咲ちゃんに選挙のこと教えてやって、なんて言われているからね。このアルバイトなら、いろいろ、考えるかも」

 すーちゃんはふふふと含み笑いして、さくっとチョコクッキーをかじった。お母さんがナントカ制度の打ち切りは、私が選挙に行かずにケーキを食べていたせいだと言っていた。

 今度はすーちゃんが、外国人留学生と選挙を並べ始めた。

 私はすーちゃんがくれたチョコクッキーを口に放り込んでさくっとかじる。チョコクッキーのほのかな苦味が、胸に刺さった「自分で考えなさい」の言葉を思い出させた。


 次の週から、すーちゃんの職場で勤務することになった。すーちゃんと勤務時間が一緒なので、すーちゃんが運転する車に乗せてもらって朝から通勤中だ。窓の外を青い空が飛び跳ねて流れていく助手席で、私はスマホに届いた新太からのメッセージを読んでいた。

『以前教えた三カ条、今日は必ず守ってください』

「うーん、三カ条、んー?」

 私はメッセージを読んで考え込む。ふんふんと鼻歌を奏でながら運転席でサングラスをかけるすーちゃんに尋ねた。

「すーちゃん、新太が教えたこと思い出せとか言って来たんだけど、新太って言う事が全部説教じみてるから、どれかわからない!」

「ふふっ、新太ちゃんったら加減知らないからこうなる~」

 うきうき笑うすーちゃんと新太の説教臭さについて笑いながら、夏の日差しの下を車は快調に走った。

 到着した大学ビル内の廊下を、ビジネスカジュアル服のすーちゃんの後ろをついて歩く。

 私はきょろきょろしながら自分の大学との違いに驚く。夏休みなのに学生が行きかっていて、大学の敷地が私の大学の三倍以上ある。

 いくつもある大学ビルの一つの一階、「留学生支援センター」と名のついた扉をくぐった。

 すーちゃんが私を引き連れて窓口の後ろへと向かう。

 留学生支援センター窓口は、まるで市役所のような印象だ。横並びデスクの川の間で、すーちゃんのよく通る声が同僚を集めた。

「みんな聞いて、こちら、今日から『壁』をやってくれる相原実咲ちゃんです。私の姪っ子~!」

「よろしくお願いします!」

 私は持ち前の愛嬌を披露しながら、大きな声で挨拶した。すーちゃんの声に呼ばれて集まった女性たちは皆、救世主を見るような目で私を見つめる。ある人は胸の前で両手を組み合わせて、すでに祈っている。

 すーちゃんの仕事仲間のマダムと二十代くらいの若い女性がそろって私に声をかけた。

「相原さん、お噂はかねがね!強い『壁』が来てくれるの本当に待ってたわ!」

「頼りにしています。本当にもう辛くてぇ……!」

「今日から四人で頑張りましょう!さあ、窓口を開けるわよー!」

 すーちゃんが同僚たちの肩をぱんぱんと叩いて仕事を促す。すーちゃんがこの窓口のリーダーのようだ。私はすーちゃんに肩をよせてこそりと尋ねる。

「私って『壁』をするの?」

 すーちゃんはデスクで書類を集めてとんとんと天板で揃えてから、私を見てにっと笑った。家ではゆるふわなすーちゃんの外の顔は、きりっとカッコイイ。

「そうよ、実咲ちゃんのお仕事は『壁』なの。説明するからこっちに座って」

 私はすーちゃんのデスクの横に置かれた、簡易な丸椅子に腰かけた。私の居場所はデスクではなくこの丸椅子らしい。短期雇われらしい待遇である。

 すーちゃんが一枚の紙を取り出して、私に説明を始めた。

「実咲ちゃんにお願いしたいのは、留学生にひたすらNOっていうことなの」

「ダメって言えばいいの?」

「そう。私たちが留学生の在学更新手続きの受付をするわ。そこで成績や、出席率の基準が満たせなくて、大学から在籍できませんっていう判定をされる学生さんが出るの」

「なんか他人事じゃないな」

 私の出席率は満点だが、成績不振には覚えがある。がんばっているのだが、どうしても良い点は取れない。そこのところは留学生に同情する。

 窓口にちらほらと外国人の学生が現れ始めたのを横目に、すーちゃんは首を振る。

「うちの大学の基準から弾かれる留学生は、私の目からみれば中身スカスカの留学生ばかりよ」

「中身スカスカってどういうこと?」

「実咲ちゃん、ここからちょっと難しい話するけど、ついてきてね」

「前置きしちゃうところ、私がバカっていう前提に立っていてありがたい。好き」

 すーちゃんは柔和に笑いながら、デスクに置いた白い紙にボールペンで図を描き始めた。すーちゃんは「留学生支援制度」と書いた字を大きな丸で囲んだ。

「日本は留学生にいっぱい来てもらいたいって方針を取っているの」

「どうして?」

「国際的な視点もあるけど、やっぱり一番は人口が減っていく日本のために働いてくれる優秀な人材をつくりたいからかな」

「うわ、どうしよう。もうあんまりついて行けてない」

「わかった。じゃあもっとざっくり言うわ。この留学生支援制度、ガッバガバなのよ!」

 すーちゃんは紙に書いた留学生支援制度の上にボールペンをとんと突き立てて、きりっと眉尻を持ち上げた。むっとした顔が少しだけお母さんに似ている。

「ガバガバだと何が悪いの?」

 すーちゃんが紙に三つの単語を書き込んだ。授業料、生活費、住宅費だ。

「外国人留学生の中には、授業料無料!生活費がっつり支援!さらに住宅費補助まで三点セット!これ全部受けて日本で暮らしている人が、いっぱいいるのよ?」

「えー!?何それ!私、住宅の補助費、打ち切りにされたから一人暮らしできなくなったのに?!」

 すーちゃんは頷く。最初は遠かった外国人留学生の話が、ぐっと身近になった。

 同じ大学生なのに扱いが違う。

 日本人の私が切られて、外国人留学生の補助いっぱいなんて、一気に胃がもやっとした。

「留学生支援制度は、大学で勉強する人への支援なの。個々の事情はあるだろうけど、勉強をほとんどせずにアルバイトだけをする人がいるのが現状よ」

 すーちゃんは淡々と説明する。

「こういう事態が増えたのは、大学が留学生からもらえるお金を目当てにしてたからなの」

「大学に留学生がいっぱいだと……儲かるってこと?」

「そういうこと。お金欲しさに中身スカスカの学生になんやかんやと基準ガバガバの在籍を許したことが大いに問題」

 すーちゃんの言い方から、大学への不満が感じ取れた。

「だからうちの大学はこの夏から、きちんと勉強している留学生にだけ在籍証明を出すことに方針転換したわけ」

「きちんと勉強している学生にだけ進級を許す。在学を許す。そんなのあたり前だよね?」

「そうなの。そのあたり前をやっと今、取り戻そうとしているの」

 私だってアルバイトをしなくては生活できない。でも、アルバイトより学業を優先してわからないなりにがんばっているのだ。しかし耳の痛い言葉でもある。

「方針が変わったって、最近聞いたやつ~」

「そうね。実咲ちゃんも痛い想いしちゃったわよね」

 私が家を出て行かなくてはいけなくなったのは、お国の方針さんが変わったからだ。とても身に覚えがある。ここでも方針転換による何かが起きているわけか。

「というのがこの大学で起きていること。この方針転換のおかげで、中身スカスカ留学生たちがごねる喚き立てる!文句をまくしたてて、窓口からいつまでたっても帰らないから、他の業務が滞ってるの」

 すーちゃんの困り眉がさっと私に向いた。私はぽんと手を打つ。

「そういう面倒な学生の相手を、私がすればいいわけだ」

「そう!実咲ちゃんは私たち事務員を守ってくれる『壁』なのよ!」 

「要はクレーム処理ってことね」

「外国人留学生って圧が強いのよ。だから他の事務員ちゃんたちが怯えちゃって」

 すーちゃんが今も窓口で対応中の部下ちゃんたちに、柔らかい視線を送る。事務員ちゃんたちは仕事を全うしているだけなのに、怒鳴られるのはストレスだろう。

 私はそういう面倒な相手を専門に対応するために、ここに雇われたわけだ。

 私はテレビでアホ発言してプチ炎上してしまっても、厚顔で学校へ出席して、陰口を叩く輩に言い返す女だ。すーちゃんは私のそういうところを買ってくれたわけか。

 私はすーちゃんの肩に手をとんと置いて頷いた。リリカでアルバイトしていたときもクレーム処理はやっていた。

 どこで線を引くか、どこまで折れないかが大事なのだ。

 私はすーちゃんに確認する。

「すーちゃんからの指令は絶対『NO』を突き付けることだよね?」

「ええ、実咲ちゃんに回すのは在籍資格を持てなかった留学生だけ。だから、絶対にNOよ」

 私はそれだけわかればいいと指先で丸をつくって了解を出す。すーちゃんも指で丸をつくった。さらにすーちゃんから細かい説明を受けていると、若い事務員ちゃんから声がかかった。

「インドネシア出身のリンドさんなんですけど、相原さんにお願いしてもいいですか……?在籍証明を出せない理由は説明したんですが、納得いただけなくて」

「実咲ちゃん、お願いしてもいい?すでに理由説明は終わっているから、向こうはごねてるだけよ。話を聞いてNOを示し続けて」

 すーちゃんの明確な指令を受けて、私は丸椅子から立ち上がった。

「すーちゃん任せて」

「困ったらいつでも言ってね」

 私は長い黒髪をきゅっと後ろで一つに結んでにっと笑う。前は制度で切られた側の私が、今度は切る側に回るなんて皮肉だ。けれど、事務員ちゃんたちを荒ぶる留学生から守るなんて、かっこいい仕事ではないか。

 私は颯爽と結んだ黒髪を靡かせて、留学生支援センターの端にパーテーションで仕切られた一角へと向かった。中身スカスカの学生の圧になんて、負けるつもりは一切ない。

 私はパーテーションの前でふと立ち止まる。

「あ~あれか」

 今朝、新太から送られたメッセージに合点がいった。

 数ある三カ条の中の、アレかと思い出しながら、私はスマホをポケットから取り出してあるボタンを押した。

 スマホを持ったまま私はパーテーションの内側へと足を踏み入れた。

 支援センターの端の一角には小さなテーブルを挟んで緑の丸椅子が二つ、向かい合って置かれている。

 一つには色黒で彫りが深いソース顔の男性が座っていた。ティーシャツに短パンのラフスタイル。歳は二十代くらい。私はオフィスカジュアル風のストライプシャツをぴっと伸ばして彼の前に座った。

「相原です。インドネシア出身のリンドさん、で間違いないですか」

 新太と同じくらい背丈がありそうな彼は、横にもゴツくてプロレスラーみたいだ。座った椅子が壊れそう。こんな男に怒鳴られたら、あの事務員ちゃんたちはひとたまりもないだろう。

 でも私はゴツ男には怯まない。怒鳴るのは頭が悪い証拠だ。腕力で殴ってこない限り、偏差値で暴力をふるう新太より怖いものはない。

「俺はリンド。更新手続きに来たのに、できないって何?」

 リンドの濃い眉毛に向けて、私はすーちゃんに指示された通りの文言を繰り出す。

「大学側の基準が厳しくなったの。更新に必要な証明書を出すための単位が足りないんだよ」

 リンドは敬語を使わないようなので、私もラフに切り替える。

「何で?前まではできたのに、いきなり意味わかんない」

 首をこきこき左右に揺らしたリンドが、理解不能のジェスチャーをする。思ったよりなめらかに日本語を話すなと思った。すーちゃんに渡されたこの人の経歴が載った一枚の紙をみると、留学三年目らしい。

「そんなに日本語が上手なのに、どうして大学の成績は悪いの?」

 素朴な疑問だ。リンドが黒目をごろんと大きく見開く。

「君はそんなに日本語が上手だけど、成績が良いの?」

「あーそれね!すっごい理解した!」

 リンドがド正論ぶちかますので、私の偏差値が露呈してしまった。リンドが苛立たし気に指先でコツンコツンとテーブルを叩く。

「話せるけど、書いたり読んだりはムリなんだ。基準が変わったなんて聞いてない」

「連絡はしたよ。封書で」

「ふうしょって何」

「手紙が入った封筒だよ」

「知らない。見てない。届いてない」

「届いてるよ」

 基準変更のお知らせは、住居へ封書で送ったとすーちゃんから聞いている。リンドは読み書きがムリと言い切っている。封書なんて見てなかったのだろう。

 あれ、それってどこかで、聞いた話だ。

「去年までは、授業に出席しなくてもレポート出せば全員通った。なんで今年はダメなんだよ」

「基準が変わったからだってば」

 私は淡々と同じ返事を繰り返す。すーちゃんから明確なラインが提示されている。私が引くことは一切ない。次の瞬間、迷いなくリンドの手が振り上がった。リンドのごつい手の平がバンとテーブルを叩く。

「そんな勝手なこと許さない!」

 耳に攻撃的な音が響くと、私の肩がびくりと上がってしまった。テーブルがぐらぐら揺れる。こいつ、でかい男が絶対やっちゃダメなことをやった。

 私はびくついた肩を自分で撫でながら、怒号を放つリンドより、さらに大きな声を張り返してやる。

「許さないって何!」

 リンドがぱっと黒目を大きくした。リンドの動きがぴたりと止まる。

「許すか許さないか決めるのはこっち!」

 リンドは日本人の女を舐め腐っていたのだろう。私が大きな声を出すと思っていなかったようだ。

 新太の三カ条、失礼な奴への対応その一。舐めてきたやつにはやり返せ。大きな声を出されたら、それ以上に大きな声を出してもいいのだ。

 私はリンドがやったのと同じように、バンと手の平をテーブルに打ち付けてやった。目には目ん玉、ハムラビ憲法だ。あれなんか違う。

「説明は終わったよ。更新ムリだから」

「前はこの成績で進級できたんだ」

 リンドは太い腕をテーブルに乗せて、私を下から睨みつける。彫りが深くていかつい顔。まるでヤクザだ。大きな声の次は威圧に作戦変更らしい。

「いきなり基準を変えるな」

 リンドは低く野太い声で私を威圧する。怖い声自体はさほど私にダメージはない。くだらないと思うだけ。

 けれど、リンドの言葉を飲み込むと、喉の奥がどろりと苦い。

 どうしてこんなにお腹がぐるぐると、いらつくのだろう。

「不正しようとしたんじゃない。知らなかったんだよ。今度からちゃんとやるから、今回は見逃せよ。な?」

 大きな男が同じことを繰り返し訴える姿に、なぜこんなにむかむかするのか、だんだんとわかってきた。

「はー……あんた、リンドさ。言うこと全部、私が最近言ったのとまるっきり同じだよ」

「どういう意味だ?」

「あんたも私も、やってることが子どもってこと!」

「は?」

 家賃補助が打ち切りになる。国の方針が変わる。

 そんなこと知らなかった。

 困る。

 勝手に変えないでよ。

 あの時、知らなかったと喚いた私は、傍からはこう見えたのか。

「俺は子どもじゃない。働いて忙しくて、知らなかっただけだ。俺が日本にいられなくなって家族が困ったら、お前のせいだぞ」

「あーもーリンド、これ以上やめてよ。痛いよ。あんたを見てるとほんと痛い!」

 リンドの言い訳がましい声はまるで、私への罰みたいだ。私は今、目の前に自分を見せつけられて、猛烈に情けなく、恥ずかしかった。

 リンドの言動が全部、痛々しい。でもこの痛みを知ってやっと、あのときの私がどんなに幼い振る舞いをしていたのかを知った。リンドが首を傾げる。

「痛い?お腹痛いのか?」

「胸だよ、胸」

「おっぱい?」

「それはセクハラだよ、リンド」

「それはヤバい、俺何も言ってないことにして」

「一回だけ見逃すわ」

「ありがとう。じゃあ今回は知らなかっただけだから、更新も見逃して」

 調子に乗り始めたリンドをまっすぐ見つめる。

 私は私に声を突き立てた。

「知らないじゃ済まないの。それが大人」

 リンドのぶ厚い色黒の唇が歪む。私は私の肌で学んできた正論を彼に示す。

「リンドは留学生支援制度を使ってるんでしょ。それはルールだよ。ルールを使って来たんだから、ルールに従って」

 私はシングルマザー支援金という制度に助けられてきた。だから家賃補助カットにだって従った。制度は自分に都合の良いことばかりじゃない。

「いや、俺はがんばって仕事をしてただけで」

「ルールを守れって言ってんの。大学にいるなら勉強するルールだよ。あんた守ってんの?」

 リンドは私の低い声に押されて、ついに口を噤んだ。だが彼は両腕を胸の前で組み、力強く太い声を再び投げてきた。

「勝手に基準を変えた大学が悪い!俺は悪くない!俺は、国に帰らない!」

「いやもうこっちは話すことないから、帰って」

「イヤだ!更新手続き、するまで動かない!」

 ごつい男が座り込み宣言だ。私は再三の警告をして帰れと言った。

 しかしリンドは太い足も腕も組んで全く動かない。座り込み抗議をし始めたリンドが、テーブルの端に置いたスマホがちらりと目に入る。

 彼の待ち受けには、リンドと肩を組んだ老夫婦が写っていた。質素な老夫婦のいで立ちと明るい笑顔。彼の事情がほんの少しだけ見える。

 日本語を話すのが上手なリンドはきっと、職場で言葉が通じるようにがんばったのだと思う。リンドにも守るべき何かがあるのだろう。

 けれど、彼には彼の正義があるように、私には私のすべきことがある。

「ずっとそこにいられると、私の仕事がはかどらない。まだまだ人は来るんだから、リンドにだけかまっていられないの。帰って」

「イヤだ。俺は帰らない。絶対に……」

 私は深く息をついてから新太の三カ条、その二を繰り出す。

 大人しく帰ってくれていたらこんなことせずに済んだが、私は自分のスマホを耳に当てた。リンドが私を伺う。

「そこに居続けるなら、警察に電話するから」

「は?警察?」

「帰れって言って帰らない人がいるとき、警察に電話できるよ?」

「な、お、俺が何したんだよ?!」

 リンドが思わず立ち上がって、おどおどし始める。新太直伝のハッタリ脅しは、声を荒げるような相手にとても効果的だ。

 一一〇番に電話するほど緊急ではない。だが、警察に困りごとを相談したい時は、九一一〇番がある。ただの相談窓口だ。

 ここに電話しても、すぐ現場に警察官が来てくれるわけではない。

 だが、警察に電話するという事実を、リンドは勝手に一一〇番通報だと思ってくれる。留学生は警察沙汰なんて特に困るはずだ。

「け、警察が来ても、俺は犯罪なんてしてないから捕まらない。呼べよ!」

 おろおろして黒目をくりくりするリンドはまたテーブルを両手でどんと叩いて喚く。リンドの家族が写ったスマホがテーブルの振動で揺れ動いた。

 ここで新太のダメ押しその三。荒ぶる相手と話すときは、前もって録音しろ。

 私はリンドにスマホの画面を見せる。スマホのボイレコをリンドと話す前から起動しておいたのだ。

「リンドの怒鳴った声、テーブルを叩いた音、帰れって言ったのに帰らないこと、全部録音してある。この録音を、警察に渡すから。罪になるかもね」

「……チッ!このクソ女!」

 リンドはスマホを荒々しく持って立ち上がり、のしのしと身体を揺らしながらパーテーションの間から出て行った。私はそっとボイレコ停止のボタンを押した。

 自分を追い返しているようで胸がじくじくした。

 でもこれが、ちょっとビターな大人ってやつの一歩なのかも、なんて思う。

 私は一人きりになったパーテーションの区切りの中で、片眉を高く上げてスマホを見つめた。新太の三カ条を知っていたから、この場が収まったのは明らかだ。

「『知ってる』は、身を守るってことか」

 私は今朝、新太から送られてきたメッセージを再度読みながら呟いた。私は指を滑らせて返信を打つ。

『新太の説教、役に立った。ありがとう』

 そう書いてから、私はそれを送らずに削除した。

 だって、こういうことを言うのは何か違う。新太が欲しいのは私からの感謝ではなくて、私が私の身を守ったという事実な気がする。

 私はスマホをポケットに突っ込んで、すーちゃんの元へ報告に向かった。

 私は一躍、留学生支援センター事務員ちゃんたちのヒーローとなり、その後も壁役を全うして家に帰った。

 すーちゃんとエリックと夕食を終えてから、長風呂をしてリビングに戻る。私が長風呂をしている間にすーちゃんはもう寝室へ上がってしまう。

 湯上りのTシャツとショートパンツで、もう誰もいないはずの夜のリビングへ行く。するとリビングテーブルで、新太が夕飯のオムライスを食べていた。

 新太は着替えもせず、スーツの上着を脱いで椅子にかけ、ワイシャツの袖を肘までまくっている。

「お、新太。今日は早いね」

 新太が私をちらりと見てから、さっとオムライスに戻る。

「実咲さん、風呂上りは髪をきちんと拭いてから出て来てください。あと短パンはやめてください」

「すぐ小言言うのメンド」

 私は濡れた髪をタオルで拭きながら、新太の斜め向かいの椅子に座った。

「オムライス美味しい?」

「味が濃いです」

 新太は私のしっとり濡れた黒髪をじっと睨んでから、まだ半分残っているオムライスを口に運んだ。私はテーブルに頬杖をついて新太の品の良い口元を観察する。

「チキンライスはすーちゃんが作って、卵で巻いたのは私なの」

「こんなに美味しいオムライスを食べたことがありません」

 新太が間髪入れず真顔で言ったので、私はふはっと噴き出して笑った。

「手の平返すのが光の速さなんだけど!」

「返していません」

「味濃いって言ったよ?!」

「味が濃いは、美味しくないという意味ではありません」

「偏屈しかでない。偏屈魔人」

 私は堅物の新太からつんとそっぽ向いた。新太は淡々とオムライスを口に運んでいく。

「何とでも言ってください。事実ですので」

「そういうとこほんとメンドくさい。実咲さんが作ったから美味しいって言えば可愛いのに!」

 私が口を尖らせていると、新太が喉仏を上下してオムライスを飲み込んだ。橙色の灯りが満ちるクラシカルなリビングに、一拍置いて、新太の重低音の声が響く。

「実咲さんが作ったから美味しいです」

「言い直すんだ?!まさか可愛くなりたかったの?!」

 すっぴんの私は目も口も見開いた。新太はオムライスを一口食べて淡々と言う。

「そうですね。可愛い方がいいかと」

「デカい男が何言ってんの。新太マジわからん」

 ノーマスカラの目をぱちくりさせているうちに、新太は空っぽになった皿をキッチンに運んで行った。

 私がわしゃわしゃと髪をタオルで拭いて、ぱっと目を上げると、私の目の前にケーキが置かれていた。一瞬でケーキに目を奪われる。

「え!リリカの夏定番、初恋アイスケーキ!?」

 新太がいつの間にか私の真正面の席に座って、頬杖をついて私を観察している。

「よく知っていますね。今日は初出勤と聞いていたので、お土産です」

「新太のくせに気が利く!えらい!」

「お褒めに預かり光栄です。お母さんの分もありますので、言っておいてください」

「はいはーい」

 新太がすーちゃんにものすごく優しいのはいつものこと。深い愛というか、恩とでもいうのか。とにかく感謝がわかりやすいのだ。私はアイスケーキに向けてスマホを構える。

「可愛い~!」

 小さな円型のアイスケーキは白、紫、薄ピンクのカワイイ色彩。私はその愛らしさを何度も写真に収める。

「ほら、新太、これが本物のカワイイだよ?」

 リリカの夏限定アイスケーキはキュンの塊だ。

 スポンジを覆う純白アイスを葡萄色のチョコベールでお化粧しちゃうエモーショナル。お化粧で可愛くなったスポンジのてっぺんに、小さな雪玉のようなアイスの果実が盛られてさらに愛くるしい。

「これがカワイイですか。私にそっくりですね」

「うわー皮肉~ドン引き~でもいただきます!」

 新太を跳ね返しながら、アイスケーキをフォークでさっくり突き刺して豪快に口へ放り込む。可愛いけれど、壊すのは心苦しいけれど、やっぱり美味しいが最高。

 アイスの果実が口でとろける。

「んー夏の初恋味!甘酸っぱい!」

「初恋の味なんて繊細なものが、実咲さんにわかるんですか?」

「うるさいな!想像だよ!いちいち絡まないで!」

「嫌です」

「すぐそれだよ」

 新太の強い視線を感じながら、私はアイスの果実を頬張る。見られていると口の中が、余計に甘酸っぱい気がする。新太がゆっくり口を開く。

「どうでしたか、留学生のクレーム処理は」

 私は後味さっぱりなアイスケーキを口に招いてから、うーんと首を捻った。

 リンドと揉めたあと、数人と同じように話をした。みんな困ると言っていたが、私は仕事中から何かおかしいと思い始めていたのだ。

 私はアイスケーキをフォークでつつきながら、胸のもやっとを形にしていく。

「なんかねー、どうしてこうなっちゃったかなーってのが強かった」

「どうしてクレームが起こったかですか」

「うん。ああいうクレームが増えるのは留学生の問題っていうかさ」

 薄ピンク色のアイスの果実にフォークを突き刺して、目の前に掲げた。私は果実をじっくり観察する。

「そもそも留学生支援制度がガバガバなのが、どうなんだよって話じゃない?」

 ぱくっと薄ピンクの球体を口に運び、声を張った。

「誰だよ、そんなガバガバ制度を許してんのは!」

 テーブルに頬杖をついている絵画な新太が、無粋な口を開く。

「実咲さんですよ」

 私は口の中で冷たく酸っぱい後味を感じながら、新太の瞳をきょとんと見つめた。

「え?私?」

「選挙よりケーキを食べていたからです」

 私は溶け始めたアイスケーキの残りと、新太の整った顔を交互に見比べる。私の口からころんと声が落ちた。

「それ……お母さんにも言われた。家賃補助のナントカ制度の打ち切りは私が、ケーキ食べてたせいって」

「さすがおばさんですね、的確な回答です」

「うっわ、わけわからんこと言う」

「無関心のツケは、自分に返って来ます。どこかで必ず支払わなくてはいけません」

 新太は頭が良いくせに、頭が足らない人への配慮が足りない。難しすぎて会話にならないと思ったが、新太は続けた。

「実咲さんが選挙に行っていれば、ナントカ制度の打ち切りを阻止できた可能性、さらに留学生支援制度をベストな形に変える可能性があったということです」

「そんなわけないでしょ」

「そんなわけあります。実咲さんが選挙へ参加することは、何かを変える可能性がある。それが選挙というものの本質です」

 私は耳の健康寿命が伸びそうな新太の声を聞きながら、だんだん溶けていくアイスケーキを見つめた。

「選挙に参加するだけでそんなチートな力があるなんてウソっぽい」

 新太が語る選挙は夢物語みたいで、すぐ溶けてしまいそう。でもきっと新太が言うならそれは事実の一つのはずだ。

「現実味がないですか」

「うん、でも……もしそうなら」

 私が選挙に行くことで何かが変わる未来、そんな甘い想像をちょっと膨らませてみた。貧乏学生の私と、留学生のリンドが笑い合う、そんな瞬間を夢見た私はにっと笑う。

 溶けかけたアイスケーキにフォークを突き刺して、新太の美顔に向けてひょいと持ち上げた。

「もし本当に何かを変える可能性があるなら、選挙ってすっごい夢があるね!」

 私は柔くなったアイスケーキの、夢みたいにとろける美味さを味わった。

 私がもぐもぐするのを見つめる新太の目元がわずかに下がっていて、表情に緩みが見えた。

「そうですね、夢があります」

「てか、新太ずっと見すぎなんだよね。目力エグくて食べにくいから」

「私は実咲さんが美味しそうに食べている顔に……昔からお手上げなんですよね」

 私はお手上げする新太を想像して、つるんとしたノーメイクの頬を傾げた。

「なにそれ、私がすっぴんでケーキを食べてたら降参するくらいヤバい顔って話?ヒドくない?」

「どうしてそうなるんですか」

 互いに首を傾げたまま、アイスケーキは私の中に溶けて行った。

 夏の夜のアイスケーキはすぐ消えてしまって、夢みたいに儚かった。けれど、たしかに、美味しかった。選挙ももしかして美味しいのかな、なんて思った。


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