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選挙のあとは、ケーキを食べて。  作者: ミラ


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第一章 炎上インタビュー

 ケーキを食べに行って、ケーキの方が大事って言って、笑っただけ。

 なのに、お母さんは怒鳴って電話をかけてきて信じられないほど怒られて、大学ではクスクス後ろ指を指されるようになった。

 私は何が悪かったのか、わからなかった。


大学の夏期末試験を終えた私は友だちと二人でケーキバイキングへ意気揚々と向かった。テストが終わったら行こうと前々から約束していたのだ。

 テスト終わりの開放的な気持ちで、ホテルの高層階からの絶景を背景に大好きなクリームソーダと苺タルトをお腹いっぱい食べて大満足。ホテルのおしゃれなカフェではしゃいで、ちょっと大人になっちゃったなという気持ちがケーキに乗っていて、余計に美味しかった。

「私、コンビニ寄るわ」

「オッケ、じゃあ先に帰るね。また明日、実咲」

 ケーキバイキングを終えてカラオケで遊んでから、友だちと夜の渋谷駅前で別れた。私はコンビニでストローパックジュースを買って、蒸し暑い夜でも人通りが多い渋谷駅のハチ公前をのんびり歩いた。

私は東京の端っこにある大学の近くに一人暮らし中だ。この暑い中で渋谷からワンルームマンションに帰り着くまで、まだ一時間はかかる。冷たいジュースの休憩が必要だった。

私はシングルマザー家庭で育ち、お母さんから一人暮らしなんて贅沢だと言われていた。

 だが結局、私の学力が足りず、家から通える範囲の大学に受かることができなかった。お母さんはしぶしぶ一人暮らしのための資金を出してくれたが、実家に帰るたびにぶつぶつ言われている。

そうしてなし崩しに始まった一人暮らし。今は大学二年生になり、一人暮らしも慣れてきた。学業もそこそこに、自由を楽しんでいる。もちろんアルバイトもしていて、自分のやるべきことはやっているつもりだ。

 帰ったらインスタにケーキの写真をアップしようと考えながら、ストローを吸って歩いていると、二人組の男性に声をかけられた。

「すみません、ちょっとよろしいでしょうか」

「はい、何ですか?」

 迷子で道でも聞きたいのかなと、快く足を止める。私は害がなさそうに見えるからか、なぜかよく道を聞かれるのだ。

 私に声をかけた一人の男性は大きなカメラを持っていて、もう一人はマイクを持っている。

「あの、インタビューをさせてもらいたいのですが」

「え、私ですか?テレビ?!」

「はい」

 テレビのニュースで使うための取材をしていると、マイクを持った中年男性は丁寧に説明した。少しお腹は出ているが、襟付きのシャツとスラックスの清潔感がある格好。トゲのない優しい誘い方とにこやかな笑顔に、この人はいい人だと確信する。

「若い女性にお聞きして回っています。明日の朝のニュースで使う予定です」

「ぜひぜひ!」

「答えたくないことには答えなくて構いません。絶対に強要はしませんので、自由意志での回答をお願いします」

 彼が私でも知っている有名な報道番組の名前を出し、名刺を取り出してそう言うので、私は快諾した。きっちりしていて好印象だ。

「わかりました!」

 私は空のストローパックジュースをカバンに放り込み、さっとコンパクト型の鏡を取り出す。鏡に映る自分を見て前髪を整えてから、マイクを持つ中年男性に笑みをつくった。

「どうぞ!」

 男性はカメラマンと目で合図をしあってから、インタビューをスタートした。私の後ろを何人もの人が家路を急いで歩いていく。

 可愛い子だけをピックアップしてます。可愛いの秘訣は?なんて言われたらどうしようかとわくわくした。男性のよく通る声が、夜の駅前に質問を放った。

「おいくつか、お聞きしてもよろしいですか?」

「十九歳です!」

 きたきた。やっぱり若くて可愛い子狙いだ。

「では成人で投票権をお持ちということですね。本日、もう投票時間は終わりましたが、衆議院選挙があったのをご存知ですか?」

 高まる私とは裏腹に、思ったよりずっとお堅い質問で私は拍子抜けしてしまった。だがインタビューを受けてしまった以上、答えるしかない。

 人生初めてのインタビューだ。どんな質問でもテレビに映るなら嬉しい。これでスカウトとか来たらどうしようと声が高くなる。

 私は衆議院選挙の単語をやっと頭で検索する。そういえばSNSニュースでちらっと見たことがあるなと思って、こくこく頷いた。知ったかぶりはノリで会話するのに大事なこと。「知ってます!」

「では、今日の選挙に行きましたか?」

 男性が私にマイクをずいずいと向けるので、私は正直にぱっと答えた。明るく、元気にハキハキと。「実咲は愛嬌で生きていきなさい」とお母さんは幼い頃から私に口酸っぱく教えを授けた。その教えを今こそ、発揮するべきだろう。

「選挙に行ってません!」

 男性の目がきらりと光り、声がひときわはっきりと大きくなった。夜のハチ公前に響き渡るようだった。

「どうして、選挙に行かなかったんですか?」

 そんなことを聞く理由がわからなかった。だが、私はハキハキと答えた。

「どうしてって、友だちとケーキバイキングに行っていたからです!」

 縮毛矯正をかけた自慢の長い髪を耳にかけ直しながら、満点の笑顔も添えた。どうだ、お母さん直伝の愛嬌百二十パーセント!

「ケーキバイキングに行く前に選挙に行く事もできたと思いますが?」

「テストがあったので、時間ぎりぎりだったんです!」

「期日前投票などの選択肢もありましたが、どうしてケーキバイキングにだけ行ったんですか?」

 私は変な質問だなと思いながら、こてんと首をかしげる。期日前投票って何だろう。でも答えは決まっている。男性は私に一歩迫り、目を大きく広げた。彼の顔はギラギラ輝いて見える。私はテレビの前で可愛い笑顔を見せようと、にっこり笑った。

「だって、選挙より、ケーキの方が大事ですから!」

 私がそう明るくきっぱりと言い切ると、インタビュアーの男性は片手をぐっと握りしめた。彼の好反応を見て、きっと私は良い回答をしたのだなと思った。

 そんな短いやりとりだけで取材は終わり、彼は私に大いにお礼を言って、放送時間をきちんと告げて去っていった。

 私は帰りの電車の中で、友だちとお母さんにインタビューされたことをすぐに報告した。明日の朝が楽しみで仕方なかった。


 次の日の朝、私は一人暮らし用の古いワンルームの自室でテレビの前に正座して、放送時間を待ちわびた。

 すると昨日のインタビュアーが言った通りに、私がテレビに登場した。

「本当に私が映って喋ってるー!」

 化粧もきっちり残っていて、前髪も整っていて、可愛く映っている。笑顔もキュートで愛想も完璧だ。この放送を見て、私の彼氏になりたい人が急増した。いやこれは言い過ぎた。

 ばっちりのテレビデビューを終えて一分後、スマホに電話がかかってきた。お母さんからだ。お母さんの教えを存分に発揮した結果だ。お褒めの電話に違いない。私はにやにやしながら電話に出た。

「もしもし、お母さん」

「実咲!あんた何考えてるの?!」

 眼の前が真っ白になるほど耳に痛い音量だった。

「お母さん恥ずかしくてもう外歩けないわよ!」

「ど、どうして?可愛く映ってたよ?」

「可愛く映ってたじゃないわよ!あんな世間知らずでアホ丸出しなこと言って!」

「あ、アホ丸出し?!」

「実咲、あんた、選挙に行かないバカな若者代表として全国に放送されたんだからね!」

「へ?!」

 私はその後も、さんざんお母さんに怒鳴られ、嘆かれた。どうしてこんな子になっちゃったの、私が悪かったのねと五回は言われた。そんなこと言わせてごめんってと、その度に謝ったが、黙ってろとまた怒られた。

 私はテレビの前で正座しながらお母さんの説教を聞いた。昔はよくやられた説教だが、大学に入ってからは最長だった。私はあのインタビューで全国トップアホに祭り上げられたらしい。何、全国トップアホって。ちょっとおもしろい。

 私はお母さんの長々しい恨み節を聞いてからひとつ質問した。

「でも、お母さん、選挙に行きなさいなんて教えなかったよ?」

「何でも教えてもらえると思ってんじゃないわよ!」

 右耳の奥から脳天を突き刺して、左耳から飛び出るような厳しい声だった。

「もう大人でしょ!自分で考えて、大人の義務を果たしなさい!」

「自分で考えてテレビで回答したのに」

「ああもう、やってられない!」

 お母さんは捨て台詞を吐いて、電話を勝手に切ってしまった。私は真っ黒になったスマホ画面を見つめて肩を落とす。

 私は大学二年生の十九歳。世間的に大人になって一年。

 でも、一年前の私と何が変わったというのか。

 何も教えられてないのに、選挙に行くのは大人の義務だと唐突に言われる。

 今まで大っぴらにしてこなかったくせに、急にセックスは大人の日常で常識なんですよ?知らないの?と言われたときと同じようなショックだ。

 どうして必修科目なのに、小学生のころから心の準備をさせてくれないのだ。いや、されていたのか?私の頭が悪いから覚えていなかっただけなのか。だって社会の授業で、選挙がと言われた時点で、もう今日の晩御飯について思いを馳せたりするではないか。それって普通ではないの?

 私はお母さんに叩きのめされて、何もしたくなくなってしまった。ベッドにぼふっと飛び込んだ。怒られたせいで体重が増えたように重い。ベッドでバタ足をして体に這うだるさを追い払う。

「あーもう、ダルー!」

 もう動きたくない。何が悪かったのか、よくわからなかった。

でも、お母さんを悲しませたことは、わかった。

ぴたりとバタ足を止める。バタ足が止まった部屋で時計が秒針を刻む音がする。

「でも大学は、行かなくちゃ……」

 私はなんとか立ち上がって大学に行くための準備を始めた。大学は体調不良以外で休まない。お母さんとの約束だ。これ以上、お母さんを悲しませることだけはしたくない。


 一人暮らしのワンルームから徒歩十五分の大学へ登校すると、昨日までとまるで空気が違った。私が通う私立大学は学生数も少なく、校舎も四階建ての建物が二つある程度の規模だ。

 こんな狭い大学では、朝のニュースは一瞬で駆け巡るだろう。私が通ると後ろでくすくす笑いが巻き起こる。今まで私はその他大勢だったのに、急に頭角を表してしまったかのようだ。

「俺も選挙行ってねぇけど、俺でもあれは言わねぇわ」

「それね、私も行ってないけど」

「選挙よりケーキですぅって!建前知らねぇのかよ!」

 講義室の前で立ち話をする男女の声は全部聞こえていた。私は彼らを素通りして二メートル進んでから、ふと立ち止まる。

 お母さんに叱られるなら聞く耳がある。でも、その他大勢に黙ってられるほど人間出来ていない。私は来た道をわざわざ二メートル戻って、壁際に立っている男女二人にずいと寄った。

「あんたらも選挙行ってないなら、選挙より優先したものがあったんでしょ?私のことバカにする資格は全くないから」

 私は愛嬌ある可愛い顔をつくってにっこり笑った。

「私たちって、全国トップアホ仲間だね!これからもよろしく!」

 廊下に響き渡る声で挨拶を締めた。こういうことをするから、友だちからは中身ギャルなんて言われるのだ。けれど、コソコソ言うだけならまだしも、聞こえるように言って攻撃してくるやつらに縮こまることはない。

 きょとんとするカップルに、へっと鼻息をかけて、縮毛矯正したての黒髪を靡かせて背を向けた。夏サンダルを廊下でカツカツ鳴らしながら進んでいく。

 言い返して軽くなったが、好奇の視線もバカにする軽口も無数に湧き出る。さすがに視線も耳も痛いと思いながら、学生が百人は入れる大講義室の、最前列の端に座る。

 このあたりが私の指定席。教授とよく目が合う席だ。するとすぐに、サナが隣に座った。

 昨日一緒にケーキバイキングに行ったのがサナだ。

色黒のサナが、色素を抜きすぎた明るい茶色のショートヘアを揺らして笑う。太いマスカラ睫毛で台風を起こせそうなサナに比べれば、私の化粧などナチュラルである。サナが大きな口で笑った。

「ちょっともう、実咲のテレビデビュー最高だったんだけど!」

「見たの?」

「見た見た。親と一緒に見てたけど、アホ過ぎて笑ったわ!」

「やっぱりアホなんだあれ……朝からお母さんにも散々怒られて……」

「そりゃあママン怒るだろうね!うちの親もあんたじゃなくて良かったって言ってたよ」

「……うぅ、慰めになってない」

「実咲って見た目大人しめ可愛いなのに、実はどーんと火力あるとこマジ中身ギャル」

「今回は炎上系火力やっちゃったよね……」

「マジそれ」

 サナがスマホを見ながら、私がどんな風にネットで言われているかかいつまんで教えてくれる。

「日本の恥、こういう若者が日本を滅ぼす、誰かこの子に救いを!だって」

「お気持ち表明は結構です。SNSは見なきゃないのと同じだからってのは常識」

「それな~お前らの言う若者がみんな炎上ビビってると思うなっての。あたしらなりの距離感あるっつーの」

 私はSNSよりお母さんに怒られたのが嫌だ。長机に額を置いて項垂れる。周りの席からくすくす笑う音と冷笑の視線を痛いほど感じる。SNS上はどうでもいいが、やはりリアルのこれは地味に効く。サナは私の後頭部をぱんぱんと叩いた。

「まあ世間が実咲のアホ可愛さに気づいたってことでいいじゃん!あたしは断然、あの放送で実咲のこと好きになったけどね!」

「サナぁ〜!」

 さっと起き上がった私はやっと現れた味方に、がばっと勢いよく抱きついた。サナの弾力ある豊満な胸に顔を埋める。サナは私の背中をよしよしとさすってくれた。

「あのインタビュアーさ、実咲にあれ、言わそうとしてたよね」

「え、私言わされてた?!」

「完全にね。あたしならああいう誘導尋問には引っかからないけど」

 サナはにっと白い歯を見せて笑いながら、私を突き放した。インタビュアーの意図なんてまるっきり気づかなかった。

「サナのそういうちゃっかりしたところちょうだい」

「実咲はバカだから無理」

「正論やめて!」

 サナは私を抱きしめてくれるけれど、私を甘やかしてはくれない。二人でケラケラ笑っているうちに教授の念仏のような授業が始まった。

 まずサナが寝静まり、次々と脱落者が出る。でも、私は授業中に寝ない。サナのように要領が良くないから、授業を聞いていないとついていけない。

 授業が終わると、教授から学生全員に向けて呼びかけがかかった。

「誰か提出物を私の研究室まで運んでくれる人は?」

「はーい!私いきます!」

「頼んだよ、相原さん」

「了解です!」

 私が名乗りをあげると、教授も思っていただろう。教授がさっさと講義室を出ていって、私は提出されたプリントの束を整える。

「実咲、雑用がんばってね。あたしは次、空きだからまたね」

「またね、サナ」 

 サナは私が引き受ける雑用を手伝わない。薄情とも思わない。私が好きでやっていることだ。

 私は授業を一生懸命聞いていても、五十点しか取れないスペックだとわかっている。だから、私は教授たちが手伝いを欲したときには率先して手伝うという術を駆使して、進級を勝ち取っている。

 半分以上何を言っているのかわからない大学の授業、社会学、心理学、経済学。何を学ぶのかわからない人間科学部。私は今日もそこで何かを学ぶために座っている。

 そこに座っている時間を過ごすほどにわかる。

 頭の足りない私は、愛嬌で生きていく。これが、私の生存戦略だ。


 後ろ指を刺されながら一日の授業を終えて、家に帰らずに電車に乗った。わざわざ電車で三十分かけてアルバイト先のケーキ屋へ出勤する。

 私がアルバイトするケーキ屋「リリカ」は、ビジネス街の一角に突如現れるハイセンスな店だ。

 リリカは毎月雑誌やネットニュースに載るほどの人気店で、高級で美しく、ここにしかないケーキを売る。まるでキラキラの宝石のようなケーキの眩しさに一目惚れして、ちょうど募集していたアルバイトに志願した。

 よくあるケーキ屋よりもきらめきが凝縮されているこの店で働く時間は、私自身もキラキラにしてくれる気がする。

 愛想を標準装備している私は、接客だけは店長から褒められていた。私にわざわざ会いに来たと言ってくれるマダムもたくさんいる。それが私の自慢である。

 リリカの裏側、従業員入口から店に入る。狭い更衣室で着替えを始める。目が覚めるような赤いエプロンをつけて、鏡の前でメイクを直し、赤い帽子に前髪を収納していると、ドアから店長の一ノ瀬さんが入ってきた。

 一ノ瀬さんは肩までの黒髪をすっきり一つにまとめて、常にパンツスーツを着こなすきりっとした女性だ。愛想はないが、背筋が伸びた大人の女性の見本のようで、とても好きだ。

「相原さん、少しいいかしら」

「はい!何でしょう!」

 私はハキハキと挨拶をして、一ノ瀬さんに向き合った。私と彼女だけの更衣室の中で、一ノ瀬さんが静かな声で話しだした。

「他のアルバイトさんたちから報告を受けてね。今朝のテレビインタビューを確認したわ」

「あ、はい……」

 あのテレビの反響について何も知らなければ、ありがとうございますと言った。だが、さすがにあれがアホの所業だったことは、今日一日のくすくす笑いで思い知った。私は肩をすくめた。一ノ瀬さんの顔が見られない。

ああいうことを言うのはだめと注意されると思った。けれど、一ノ瀬さんは背筋をぴんと伸ばし、お腹の前で手を重ねて、クレーマーのお客さんを前にするときのようにかしこまった。

「申し訳ないのだけれど、アルバイトをしばらくお休みしてほしいの」

「ど、どうして、ですか」

 頬を叩かれたように、体がぴりぴりする。一ノ瀬さんはきれいに弧を描いた眉を歪めて丁寧に言葉を選んだ。

「この店はハイソサエティをコンセプトにしていてね。お客様は高級で美しく自分を高めてくれるケーキを求めてやってくるの」

「……知ってます」

 リリカはアルバイトにもしっかり研修を施す店だ。アルバイトの接客の質向上に力を入れている。私は接客マナーだけは抜群に褒められる。店が持つ理念や、接客技術は人一倍時間をかけて身につけた。

「今朝放送された相原さんの発言は、この店に相応しくないものだったの」

「申し訳ありません……気をつけます」

「あなたのケーキを愛する気持ちはわかったけれど……」

 一ノ瀬さんの口は重かったが、芯が通った声だった。

「ケーキより優先すべきものはある。それを知っている方がこの店のボリュームゾーンよ」

 ボリュームゾーンというのは、一ノ瀬さんがよく使う言葉で、この店によく来るお客様たちが持つ属性という意味だ。

 簡単に言えば、宝石のように高級なケーキを求めて店に来る常連たちは、偏差値が高く、その知能を生かしたお金持ちだと教えられている。

 品のない発言などもってのほかなのだ。私も接客中は綺麗な言葉遣いを徹底している。けれど、プライベートまで、そうしなければいけなかったのか。SNS炎上なんて関係ないと思っていた。だが、こんな形で身に返るのか。

「あなたを店頭に立たせて、直接、お客様からお叱りを受けるような事態は店として避けたいのよ」

 私のようにテレビで「選挙よりケーキ」と発言してしまうような、トップオブアホを店頭に立たせることはできない。私でも一ノ瀬さんの言いたいことは理解できた。一ノ瀬さんは凛と言い切った。

「こんな言い方は卑怯だけれど、あなたを守るためでもあるわ」

 一ノ瀬さんはしばらくお休みをと最初に言った。だが、これは実質、クビという意味だ。空気がそう、語っている。

「でも、そんな、私……」

 ちょっと調子に乗っただけ、と口が言い訳や反論を並べようとした。だが、きゅっと蓋をする。ここで見苦しく言い返すのとまた、品がないような気がした。

一ノ瀬さんは私にわざと聞こえるように陰口を言った大学の奴らとは違う。

 一ノ瀬さんは自分の言い分がずるいと認めながらも、私の正面に立って、真摯に言った。彼女には礼儀と品と、情がある。私はそうやってきちんと話をしてくれた一ノ瀬さんを尊敬する。だから、いきなりアルバイトをクビになっても責める気など起こらない。

私は彼女の真似をして、背筋をぴっと伸ばしたかった。

けれど、どうしても、私の背中は丸いまま。

「ご迷惑おかけして……申し訳ありませんでした」

「こちらこそ、勝手なことを言って、ごめんなさい」

 一ノ瀬さんは唇をきゅっと引き締めて、首を振った。彼女の声はバカな私にむけられるにしては、いたわりに満ちていた。

「相原さん、あなたは優秀な接客員よ。あなたの対応を求めてやってくるお客様がいるのは本当にすごいことだから。どんな店でも通用するわ。誇ってね」

 一ノ瀬さんは私にはなむけの言葉を残してから、更衣室を去っていった。私は荷物を引き上げ、赤いエプロンを更衣室に残して店を後にした。

 帰りの電車の中でなんてことをしてしまったのだろうと何度も自分を呪いながら、窓に映る情けない眉をずっと、見つめていた。窓に映る眉を指先でそっと撫でて、ぼそりと言葉が落ちる。

「これが全国トップアホの顔か……ほんと、バカの顔」

 電車が走るがたんごとんという機械的な音に、私の声はかき消えた。見慣れた顔が滲んで、頬が涙で濡れた。何度も鼻水をすすり、喉のしょっぱさを飲み込んだ。

 愛嬌だけでは、どうにもならないことがある。


 翌日は休日で大学も休みだった。私は部屋のカーテンも開けないまま昼までベッドでごろごろしていた。本当なら今頃、きらきらのリリカでマダムたちに愛嬌をご披露している時間なのに。

「あ~もう、最低!」

 体をうねる苛立ちを跳ね返すために、ベッドでバタ足が止まらなかった。そうやってだるさと戦っていると、部屋のインターホンが鳴った。

ネットで服を買ったので、宅配便だと思って慌てて玄関を開ける。だが、ドアの前に立っていたのは急角度の眉をつけたお母さんだった。

「お、お母さんどうしたの?!」

「家賃が支払われてないって連絡が来たわよ!何してるのあんた!」

 電話越しではないお母さんの生声は迫力抜群で、寝ぼけていた頭がはっきりした。私は目覚めた目で瞬きを繰り返す。

「え?!どうして?私、ちゃんと家賃振り込んだよ?」

「……部屋で話すわ」

 お母さんは白髪交じりの前髪を手でかき上げながら、ずかずかと私の部屋に入り込む。二人でワンルームの真ん中に置いた丸いローテーブルを挟んで正座する。

 お母さんは濃いめの化粧をしていつもワンピース。なぜならワンピースが一番手軽できちんと感が確立されるからだという。お母さんは他人からの視線を気にしつつ、省エネができる。サナと同じちゃっかり型だ。

 私が出したお茶を飲みながら、お母さんが低い声で話し始める。私は叱られる空気の中ですでに肩を竦めていた。

「実咲、家賃が上がるって聞いてなかったの?」

「家賃が、上がる?」

 私は首を傾げる。お母さんは鞄の中から封筒をいくつか取り出して、ローテーブルの上に並べた。お母さんの目に促されて書類を確認する。

「学生など低所得世帯向け、住居支援制度の……見直し? どういうこと?」

 漢字の羅列をなぞっただけで、意味が理解できない。お母さんは私が持つ一枚の紙をとんとんと指で突いた。

「あんたはこの制度のおかげで、今まで格安でこのワンルームマンションに住めていたの」

「だから……何?」

 お母さんの声が大きくなる。

「今までの支援制度が打ち切りになったから、家賃が上がったってこと!」

「え?! そんなの知らない!」

「知らないじゃない!」

 お母さんはばんとローテーブルを叩いた。私はひゅっと縮こまる。お母さんは他の封筒からも全部書類を出して、私の前に並べて淡々と説明した。

「国からの住居支援制度が無くなることが決まった。実咲の家賃は二万円の値上がり、この通知が丁寧に封書できてた。二回もね」

「だってポストに郵便とか来ないから……ポストなんて見ない」

 何でも連絡はLINEか、メールでスマホに届く。ポストを確認する習慣は全くない。

「重要な連絡は世の中、封書なのよ」

「また知らない常識ルール……」

「もう、あんたは本当に……知らないで済まないことばっかりなのよ?」

 お母さんは深いため息をついてから、お茶を一口飲んで続けた。本当にバカと言いたかったのだろう。私は書類を読んで、やっと現状を知った。

「こんなの、知らなかった。勝手に変えないでよ。困るよ。そのナントカ制度が打ち切りになったって、どうして?」

「国の方針が変わったの」

「私みたいな貧乏学生が困るのに、どうしてそんなことになったの? お国の方針さん?」

「あんたが選挙より、ケーキを食べてるからよ」

「な、何それ、どういうこと?」

 あのテレビでの発言がマズかったことは重々身に染みている。けれど、選挙に行かないことと、家賃が上がることに繋がりが見えなかった。

「自分で考えなさい」

 お母さんはとんと私を突き放した。その言葉はぐっさり私の深い所を突き刺して、抜けない太い棘のような鈍い痛みを残す。私はその痛みをじくじく感じていたが、お母さんは私のそんな気持ちに構うことなく、今度は隣の書類を指さした。

「こっちはお母さんのところに届いた未納通知。今月からお母さんからの仕送り額も減るって……覚えているわよね?」

「へ? あ、あーえーっとそういえば? 何だっけ?」

「シングルマザー支援金が終わったから、仕送り減るわよって言ったわよね?」

お母さんはシングルマザーなので、働きながら国から支援金を受けて私を育ててきた。成人した私への支援が終了するのは当然のことだ。確かにこれはお母さんから説明されていた。

「あ! 私が十八歳になったらなくなるってやつ!」

お母さんは支援金を、私の一人暮らしの生活費にあててくれていた。

「って私もう今、十九歳になってるけど?」

 お母さんがまたため息をつく。

「十八歳になった三月で支援は終了していたわ。でも今までお母さんが貯めていた支援金を分割して渡していただけ。それももう終わりよ。実咲はバイトして節約するから大丈夫って、言ってたわよね?」

「い、言った……ような気がする」 

お母さんは五本指を広げた手を私に向ける。

「シングルマザー支援金であんたに仕送りしていたのは月に三万円。そして家賃は二万円アップ。あんたは今月から前より五万円多く必要ってこと」

「え、何その地獄みたいな数字……バイトクビになったんだけど」

「そうなるんじゃないかって……お母さんは思ってた」

 お母さんは五本指の手を仕舞い、スマホを取り出してぽちぽちし始めた。五万円の途方のなさに項垂れていると、お母さんが素っ気なく言う。

「まさか実咲……貯金があったり……?」

 私は毎月お母さんからの仕送りとアルバイト代で暮らしてきた。自分で稼いだお金だから使いたい放題で、来月もしっかり働く予定だったから、毎月きっちり使い切っていた。私はハキハキ答える。

「貯金ない!」

「そうね! 実咲だもんね!」

 お母さんはにぱっと笑う。私もさすがお母さんわかっていると、にっこり笑顔で返す。二人で微笑み合っていたのに、お母さんがさっと冷たい顔に切り変わった。

「もう一人暮らしは終わりね」

 お母さんの声は凍るくらい冷えていた。

「え、なんで!」

「何でじゃないわよ。貯金もなくて、バイトもクビで、先月より五万円生活費上がるのよ?」

「またバイト探すから!」

「学生の本分は勉強よ。現実的に考えて無理だわ。お給料が良い夜の仕事なんて、お母さんが許さないから」

 お母さんの正論が胸に突き刺さる。けれど一人暮らしの自由さを手放したくなかった。お母さんと仲が悪いわけではない。だが、距離があった方が仲良くなれたりする。

 離れてみて初めてお母さんって優しいなって、わかったこともたくさんあるのだ。一緒の家に住んでまた毎日ガミガミ言われたら、仲良くできない。

 しかも実家は大学から電車とバスで二時間半もかかる。そんなところから通っていたら、バイトも遊びも何もできなくなってしまう。

 お母さんのスマホにぽんぽんと何度も通知が届く。私はローテーブルに置かれた紙の上にばんと手を置いて声を張った。

「でも働くから大丈夫! 次の給料が入るまで、お母さんちょっとお金貸して! ね!」

「嫌よ。私は最初から一人暮らしは贅沢だって言ってたの覚えてるわよね?」

「覚えてるけど……」

「貯金もできてない。制度打ち切りの通知も見逃す。極めつけは昨日のテレビよ……まだ一人で外に出すのは早かったわ」

 決定打はテレビでの軽々しい発言が落とした信頼。これを取り戻すには、時間が必要になりそうだと痛感する。私は力なく俯いた。

 お母さんはしゅんとする私に向き合って、私の頭をそっと撫でた。

「昨日のテレビ、お母さんショックだったけど。実咲に教わってないって言われて、それもそうだなって思ったの」

 私はお母さんのやわらかい声と、撫でてくれる手に導かれて顔を上げた。

「お母さん選挙は一人で行って、実咲を投票所に連れて行ったりしたことなかった。お母さんにも、非はあると思う」

 お母さんは私を責めるだけではない。私の声も、きちんと聞いてくれている。さすが、私のお母さんだ。目頭がじんと熱くなったのだが、お母さんがぱりっと言った。

「だから、あんたをすーちゃんの家に居候させてもらうように頼んだから」

「すーちゃんの、家?」

 すーちゃんはお母さんの妹で、わりと大学の近くに住んでいる。

「すーちゃんの家なら大学まで一時間くらい。通学圏内でしょ。すーちゃんからオッケーもらってるから」

 お母さんが先ほどからスマホで連絡を取っていたのはすーちゃんだったようだ。彼女からOKという元気なスタンプが送られてきた画面を見せられる。

 しかし、私は首を横に大きく振った。

「い、嫌だ! だって、すーちゃんの家には! 新太あらたがいるじゃん!」

 お母さんはにこやかな笑みで、冷涼な声を出す。よくそんな器用な真似ができるものだ。

「だから行くのよ?」

お母さんはローテーブルの上に置いた紙をくしゃりと握りつぶした。

「あんたは私もすーちゃんも社会も、どこか舐めてるからね。新太君から、常識ってものを教えてもらいなさい」

「いや、でも新太はマジで堅物、めんどくさ……」

「わかったわね?」

「えー」

「テレビの件……お母さんはとっても傷ついたけど?」

 テレビの件を出されると何も言い返せない。あれのせいでお母さんも職場でくすくす笑いされているかもしれない。それは本当に悪いと思う。私も膝の上で両手を握り締めた。

 すーちゃんの家はきっと、私にとって修行の場だ。

私はおそらく、大人になるための修行をしなくてはいけないのだ。行きたくない。けれど、行かなくてはいけない。私はそれだけ、失敗を重ねてしまった。

 伺うように顔を上げると、お母さんが私をまっすぐ見つめる。その視線は、こんなにやらかした私をお母さんは見放さないと教えてくれている。

 お母さんは、私を諦めてない。

だから私も、頷いた。

「……わかった。すーちゃんちに行くよ」

 お母さんと私は頷き合って、引っ越しを決めた。


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