第5話「SPECTER」
花宮高校近くのステーキハウス『3B-Burn Black Butterfly-』に到着した慎之介と快斗、そして、頼んでもないのについてきた百武。しかしすごい名前の飲食店も学校の近所にあったものだ、本当に大丈夫なのか…と訝しがる慎之介をよそに、百武が興奮してまくしたてる。
「おおっ、ここはレスラー御用達のステーキハウスでござるよ慎之介殿!数多くの有名レスラーが訪れる名店中の名店!我々プヲタ(プロレスオタク)にとっても聖地と言える場所でござる!感動だなあ~まさかここに本当のレスラーと行けるなんて…」
ひとしきり喋り終わった後うっとりとその店構えに認める百武に対し、慎之介は冷たい視線を浴びせる。そもそもなぜ百武は来たのか、いや来た理由は十分すぎるほどわかるが、もうちょっとこう…遠慮とかそういうものはないのだろうか。
「…学校の近くにあるんだから、百武君、行きたければいつでも行けばいいじゃんか」
慎之介のその言葉に、百武は『コイツわかってねえな』という上から目線で含み笑いをし、慎之介はそれに少しイラッとする。
「変な友達持ってんな」
「友達じゃないです。今日初めて話したんで」
快斗の感想に冷たく切り捨てる慎之介。その言葉に快斗は軽く笑い、二人を店の中に促した。
ステーキが焼けるのを待つ間、慎之介は快斗に今までの経緯を伝える。溝端の片山への脅迫、それの絵美里の察知、哲司の詰問と返り討ち。そして哲司に呼ばれた自分が怒り溝端を倒したこと、その一切を。
快斗は真剣な顔でそれを聞いていた。彼の中では、溝端は団体内での先輩であるため、かばいたい気持ちは残っている。しかし、片山の悲痛な表情や哲司、絵美里の怒りも疑うこともできないでいる。もともと快斗は直情的で熱血な正義漢ともいえる人物で、悪を許せない気持ちは人一倍強い。彼は思案する。悪はどちらなのか。長年付き合った先輩なのか、それとも目の前のこの高校生なのか…。
「俺には…俺には、判断がつかねえ。溝端さんは練習生だった頃の俺を指導してくれたし、その先輩は罪を認めないで否認し続けている。しかし、俺にはその片山って女の子や哲司君が嘘をついているとは思えねえ…もちろん、お前も…」
「…もう、すべては僕たちの手を離れています。一刻も早く真実が知りたい気持ち、そして団体を救いたい気持ちもわかりますが、あとは裁判ですべてが明らかになると思います。もちろん片山さんも虚偽で告発したわけではないし、きっと勇気を振り絞っての決断です。今、快斗さんが謝っても、逆効果なんじゃないでしょうか」
慎之介のその言葉に、快斗は観念したようにため息を吐く。そして、角砂糖を四つ入れた甘すぎるコーヒーを一気飲みした。
「先輩や団体のために、俺ができることは何もない…か。そうだな、わかっていたことだ。わかってはいたんだが…どうしても、いてもたってもいられなかった。その結果、悪いことしちまったな。あの女の子にも、哲司君にも、そしてお前にも」
諦めたように快斗が笑う。慎之介はそれを見て、やはりこの人は悪い人ではないのだろう、ただちょっと…いやだいぶ直情的なだけなのだ、と思った。そして、快斗とは対照的にミルクのみ入れたコーヒーを飲んだ。そうこうするうちに、3Bご自慢のロースステーキが三人の前に運ばれてくる。
「迷惑かけた詫びじゃねえが、食ってくれよ。数々の有名レスラー御用達の店なだけあって、量も味も絶品だぜ。もちろん、金は俺が出すからよ」
と、快斗が慎之介と百武に促す。その食欲をそそるような香ばしい匂いの前に慎之介も心が沸き立つが…。
「いえ、やっぱり僕の分は僕が出しますよ。快斗さんだって、買収を疑われたら嫌でしょ?」
「しっかりしてんなあ…お前本当に高校一年生かよ。親の教育がよっぽどいいんだな。俺とは大違いだ」
家族愛が強い慎之介としては、その言葉は親や姉を褒められたようで嬉しさを感じる。しかしながら百武は、というと…。
「それがしお金持ってきていないでござる。遠慮なくゴチになるでござる」
と堂々と言い放つ。見ればカバンさえ持ってきていない。最初からそのつもりのようだ。
「こっちはちゃっかりしてんなあ…まあそのつもりだったから全然かまわねえんだけど」
「…なんか僕が気を使ってるの、馬鹿らしくなってきた」
さて、3B自慢のステーキをほおばりながら、慎之介と快斗が談笑をしている。
「…しかし、溝端さんだって一応それなりのレスラーだぜ。ボディブローからハイキックでKOなんて、いっぱしの総合格闘家なみの戦闘力じゃねえか。どんな鍛え方してるんだ、いったい」
「家が山奥なんで、そこから学校や町まで走っているから鍛えられているんです。子供のころからずっと」
「よく過労でぶっ倒れねえな…感心するよ、本当に」
強さを求める者同士ゆえに話が合うのか、快斗と慎之介の強さ談議に花が咲く。またプロレスオタクである百武の面倒くさい質問にも笑って答える快斗を見て、慎之介は、ああ、この人は本当にプロレスが好きなんだな、と確信する。裏表がないというのか、そういう快斗の人間性を感じ取り、慎之介も快斗のことを信用するようになっていた。
「…ごっちゃんでした!それではそれがし、聖地巡礼に行って参るでござる!」
食事が終わり、プロレスファンのいわば聖地である3Bの店内を散策するため、百武がその場を離れる。騒々しかった彼がいなくなり、急にテーブルの音が小さくなるが…その中で店内TVのワイドショーの音声が聞こえた。今、世間を騒がせている格闘家連続殺人事件の犯人像について、的外れな事を話しているようだ。それが聞こえた慎之介は、意を決して快斗に向かってある質問をする。
「…快斗さん。今世間を騒がせている事件、知っていますか?格闘家連続殺人事件、って」
「ああ、そりゃもちろん知ってるよ。ふざけた野郎だよな。俺の前に来たらぶちのめしてやるのに」
何の気なしに快斗がそう言う。その言葉を受けた慎之介が、意を決して快斗に伝える。
「…僕は、犯人を知っています。会ったことはありませんが、そいつは僕の友達を殺した。僕はそいつを倒す…いや、殺すために強くなろうとしている」
『殺すため』。突然の慎之介の告白に快斗は驚きながらも、また角砂糖多めのコーヒーを一口飲む。
「子供が人を『殺す』なんて言うんじゃねえ。そういうのは大人…いや、もっと分を超えた、警察とか国とかの役目だ」
快斗はそう言って慎之介を諭すが、慎之介は止まらない。そもそも溝端に怒りを燃やしたのも、もちろん哲司たちを助ける意味合いもあったが、彼が格闘家連続殺人事件の犯人を名乗ったから。そしてそれ以前に哲司を闘い倒したのも、彼が格闘家連続殺人事件の犯人を甘く見ていたから。そして今、快斗もその犯人を甘く見ている。腕に自信のある連中は、犯人のことをみな甘く見ている。危機感がなさすぎる。それが許せない、と。
その言葉を受けて快斗はまたコーヒーを飲みながら、しっかりしているようでもこいつはやっぱりまだ子供だな、とため息を吐いた。
「別に俺も甘く見ているわけじゃねえ。ただ、異常な殺人鬼なんて絶対に許せないだけだ。だいたい、仮に甘く見ていたとして、お前はいったいどうしたい?俺に何をさせたいんだ」
「…僕と戦ってください。少なくとも、僕を倒せなければ、ガイゼン…連続殺人事件の犯人には絶対に敵わないから」
慎之介のその提案に、快斗は笑いながらコーヒーを最後まで飲み干す。そしてまた諭すように言った。
「そりゃ魅力的な提案だ。でもな、俺がお前とやるわけにはいかねえ…考えてもみろ。かたや女子高生を脅迫したレスラーの謹慎中の後輩、そしてかたや脅迫された女子高生のダチだ。そんな二人が殴り合ってみろ、世間は絶対に放っておかねえ。冷静になった今ならバカな俺でもわかるが、そこにどんな理由があったとしても間違いなくモーゼスは潰れる。愛する団体に、俺がとどめを刺すことになる。俺にはそれは絶対に耐えられねえ。そんなことになっても、お前は俺に戦えっていうのか?」
快斗の発言に、慎之介は言葉に詰まる。それはたしかにそうだ。たとえ両者遺恨なしに戦ったとしても、女子高生を脅迫したという卑劣漢の後輩が、脅迫された女子高生の後輩を殴ったということがもれれば、まず世間は放っておくまい。自分たちの理由がどうであれ、きっとあれこれ適当に好みそうな理由を捏造し、ワイドショーのネタにするだろう。そうすればモーゼスは間違いなく潰れるし、快斗や他のモーゼスのレスラーも、プロレスラー再起への道は間違いなく閉ざされる。いや、一般の就職さえ企業は受け入れてくれないかもしれない。自分のわがままのためにそんな危険を冒してもいいのか…そう慎之介は考える。そんな心中を察したのか、快斗が笑い飛ばす。
「安心したよ。実は心のどこかでまだ疑っていたんだ。俺を罠に嵌めるつもりなんじゃないかって。でも、お前の真剣に悩む姿を見て、そうじゃないと確信したよ。俺を罠に嵌めるつもりなら、俺たちが路頭に迷うことに悩むはずはないからさ…ありがとよ」
快斗はそう言い、ドリンクバーにコーヒーのおかわりを煎れるため席を立つ。
「格闘家連続殺人事件の犯人のこと、知ってるなら教えられる範囲でいいから教えてくれ。溝端さんを瞬殺したお前がそこまで言うなら、相当な奴なんだろう。俺もまだ死にたくはねえからな」
慎之介もそれを約束し、残っていたコーヒーをまた一息に飲み干した。そして、慎之介も考える。快斗はおそらく信用できる人間だ。そんな人間にも、『戦うのなら自分に勝て』などと言ってしまった。これではまるで自分こそガイゼンへの恐怖や憎しみに取り憑かれているようではないか…冷静にならなければならない。冷静にならなければ、と自戒した。
食事を終え店を出たあと、慎之介と百武は快斗に礼を言って頭を下げる。結局慎之介の分まで快斗にお金を出してもらってしまった。爽やかな笑顔で手を振り去る快斗の背を見て、百武が興奮して騒ぐ。
「すばらしい!プロレス界の超新星は人格も立派だったでござるな!いい人だ!」
百武のその言葉に、慎之介も、そうだね、とだけ返した。そう、いい人なのだ。…というより、いい人過ぎるのだ。
いい人すぎるがゆえの危うさを思い、慎之介は百武と別れ、帰路に就いた。
その後、自宅に帰った慎之介は詩音と、いつものように霧神家に遊びに来ていた大輔にそれを伝える。
「清原快斗か、俺も知ってるぜ。まだ若いが、プロレス界の超新星とか熱血王子って言われてる男だ。そうかあ、慎之介と戦うなら、いっぺん見てみたかったけどな」
と大輔が言うが…詩音は真剣な顔で言う。
「その超新星ってのが抽象的すぎて、具体的にはどれほどなのかは知らないが…それほどの人間が相手なら、霧神流の奥義が必要だろうな。今の慎之介は身体能力のみで戦っている状態だ。三下相手ならそれでもなんとでもなるが、あるレベルを超えたら、今のままでは厳しいぞ。その清原快斗くんと戦いたいなら、まずは実戦に足る奥義を習得しなければならないだろうな」
「だってよ、慎之介。まずは山道越え30分を切らないとな」
「まだまだ道半ばかあ…」
真面目に考える詩音と、調子のいい大輔、そして悩む慎之介。夜はまた更けていった。
寝る準備を済ませ布団に入ったあと、慎之介は考える。清原快斗のことを。
話してみて感じたが、彼は決して悪人ではない。まあ確かに直情的で思慮が浅いところはあるが、それもすべて団体を守りたい、先輩を信じたいという気持ちからなのだろう。しかし…もしかして彼はもう真実に気づいているのではないだろうか。心のどこかで気づいていながら、真実に目を背けているだけなのではないだろうか。
であれば、もし彼が真実を直視せざるを得なくなった時…あの性格の彼は先輩の溝端を許すことはできないのではないだろうか。そしてきっと目を背けてきた自分自身のことも…。
(それでも僕には関係がない…と、言えるのだろうか。言っていいのだろうか…)
そこまで考えた時…居間の方から大輔と詩音の笑い声が聞こえる。どうやらTVのバラエティ番組を観て笑っているようだ。時間は22時、遅いと言えば遅いが、自分はともかく、大人の二人が寝る時間ではない。
ここ最近毎日大輔が霧神家に来ているのは、別にただ単に遊びに来ているためだけではない。ガイゼンが自分に、または霧神家に襲撃を掛けた時のことを想定してのことだ。ガイゼンがどういう考えや法則で格闘家を狙っているのかはまだわからないが、世に知れた強者である大輔を狙いに来ることは十分に考えられるし、霧神家が古武術を使う格闘一家であることをもし知っていれば、あるいは知れば霧神家を襲撃する可能性もある。
もしもその時には、戦える人間が多ければ多いほどいい。大輔なら十分にガイゼンと渡り合えるだろうし、母も姉も祖母も霧神流の使い手、十分に戦える。それにまだ未熟な自分でも少しは役に立つだろう。唯一父のみは戦えないが、週末にしか帰ってこないうえに平日は職場近くのホテル暮らしなので特に問題はない。
それに、もともと子供の頃からしょっちゅう霧神家に遊びに来ており、特に身寄りがいなくなってしまった今の大輔に対してはまさに自分の家族のようなものなのだろう。自分にとっても小さい時から当たり前に側にいた兄のような存在だし、あまり気を使ってもいない。それに大輔がガイゼンを倒してくれるなら、それに越したことはない。
(ガイゼンか…いったい、今はどこにいるのだろう。なぜ、人殺しを続けるのか…)
そんな事を考えながら、慎之介は眠りに落ちていった。
――深夜24時を回った頃。25時まで営業を続ける都内の大衆居酒屋で、白髪まじりのオールバックの男…ガイゼンが酒を飲んでいる。彼が日本に来て二週間以上が経ったが、今回殺傷する目的の男『仲村大輔』に対してはまず情報を集めており、まだ意図的に接触しないでいた。ガイゼンにとっても、おそらくは今回が最大にして最後の殺傷相手となるであろう。ゆっくりと楽しむつもりであることが、まず理由の一つ。そして…。
「お客様、申し訳ありません。そろそろラストオーダーになります」
「おお、もうそんな時間か…では会計を頼む」
居酒屋のバイトのだるそうな声に、ガイゼンは軽い笑みを浮かべて対応する。身元の付きかねないカードは極力使わず、可能な限り現金払い。どこの国に行ってもその方法がガイゼンの流儀である。
レジで会計を済ませ、店の外に出るガイゼン。彼の存在を知るものならば眩暈がするほどの違和感を覚えそうなものだが、ある社会人らしい一団が酒に酔ったふりをしながらもそれを横目で凝視し、「おねーさーん!こっちもお会計ねー!」と大声で叫ぶ。そんなに叫ばなくても聞こえますよ、と言いたげなバイトがまただるそうに対応し、その一団も会計を済ませて店の外に出る。陽気に騒いでいたその集団は、しかし店の外に出ると空気を一変させ、先に店を出たガイゼンを追った。
「奴はいるか?」
リーダーらしき40代ほどの男…『マードック小柳』が尋ねるが、部下の面々は神妙な顔で首を横に振る。
「いえ、いません。見える範囲には…」
「探せ。そう遠くへは行っていないはずだ。そして見つけ次第殺せ。武器を使っても構わん。奴を殺すことが何より最優先だ」
マードックのその言葉に、集団は散り散りになりガイゼンの行方を捜す。その場に残った彼も周囲を見回し、一人で細い路地の先に走る。細心の注意を払って周囲を警戒しながら進み、懐に備え付けた小型銃をいつでも取り出せるよう準備するが…。
「後ろだ、雑魚が」
不意に後ろから聞こえた声…ガイゼンの声にマードックが驚き振り向こうとするが、それより早くガイゼンは彼の喉を人差し指で突いた。声を発せない。助けを呼べない。体が動かない。自らも武術に少々の心得はあるのに、まったく気づかなかった、まったく相手にならなかった。
ガイゼンはニヤリと笑い、倒れたマードックの懐から銃を取る。そしてその刻印を見て、満足したように笑い、銃を放り投げた。
「『IDM』…ククッ、ようやく出てきたか。相変わらず鈍重な組織だ。そのために取るに足らないカスどもを何人殺してきたことか。もっとも貴様はまだ三下…本丸はまだ出るつもりはないらしい。己の城に火がついていることにも気づかぬ間抜けどもめ」
マードックは必死に助けを呼ぼうとするが、体中の血の巡りが少しずつ遅くなっていくのを感じ、目の前に迫った『死』に恐怖する。そして、自らをそんな状態に追いやった目の前のガイゼンにさえも声にならない声で助けを求めるが…。
「貴様のようなゴミに用はない。ゆっくりとそのまま死ね」
と笑いながらそう吐き捨て、その場から姿を消した。
次の日の朝、路上の通行人がマードックの死体を見つけ、警察に通報する。
この夜殺傷されたのは彼のみであった。彼の殺害直後、死体を発見した部下たちが銃だけは回収したが、証拠を抹消し死体まで回収するのはリスクがあると判断しそのまま放置し逃げ出したのだ。
現場の警察官は検死結果や状況証拠から他殺と判断した…が、いつの間にか行われていた検死結果の書き換えや上層部からの強制的な捜査打ち切り命令が行われ、それでもなお異を唱える者にはあまりにも急な異動命令…いわゆる左遷により、マードックの死は『酔っぱらった上での不注意による事故死』という形で無理やり解決となった。
その死を隠すため、一般人では想像もつかぬほど大きな力が働いたことは火を見るより明らかだった。それはガイゼンを守るためではなく、マードックの所属する組織『IDM』がその正体を露ほどにも残さないためだったのである。
ガイゼンが格闘家を殺し続ける理由は大きく二つ。一つは、強者との戦いが人生唯一の愉悦であること。そしてもう一つは、この謎の組織『IDM』を引っ張り出すことだったのである。血で書かれた『陰』の文字は、その上層部にしかわからない挑発だったのだ。
果たしてIDMとは何なのか。ガイゼンといったい何の関係があるのか。ガイゼンと仲村大輔との激突の結果は、そして『陰』とは…。
慎之介がその答えを知るまでは、まだ少々の時を待たなければならない。




