第31話「Just Be Myself」
「誰だか知らないが、一人になりたいんだ…。
話ならまた今度にしてくれ」
ソーマ…そう名乗った人物を一瞥しながら、ジャクソンは興味なさげに吐き捨てて視線を外し、また俯くが…。
その態度を、梁世凱が怒りながら一喝する。
「おい、無礼だぞ!このお方を誰だと思ってるんだ!」
しかし、ソーマは涼しい顔をしてそれを片手で制す。
そしてまた、軽く笑いながらまたジャクソンに話しかけた。
「では、単刀直入に言おう。ジャクソン・ヘイル君。
…君はIDMという組織をご存じかね?」
その言葉に驚いたジャクソンが顔を上げソーマを見る。
IDM…もちろん知っている。
裏社会にある程度通じた者ならば誰でも名前は聞いたことがある、世界に広がる反社会的組織だ。
暴力や詐術を用いた犯罪行為はもちろんのこと…。
各国要人への献金や美人局などによる弱みを握り、全世界の政治・経済・司法、はてには宗教までその手に握っているという、まるでコミックに登場するような悪の組織。
この男はなぜその名前を出したのか…。
警戒しながらも頷くジャクソンに、ソーマは続けて言う。
「提案というのはこうだ。君に、そのIDMに加わってほしいと思ってね」
「…なんだと…?」
ソーマが言い出したその突拍子もない提案に、ジャクソンは驚きを受ける。
ここまで言い出すのであれば、目の前のこのソーマという男はIDMの一員…。
それも位が上の人間なのだろう。
しかし、なぜ自分を勧誘するのだろうか。
そんなジャクソンの考えを見透かしたように、ソーマは続けて言う。
「IDMにもいくつか派閥があってね。
組織員を犯罪の駒としてしか使わない者や、集金の途のみに利用する者。
中には新薬や人体実験の対象としてしか扱わない者もいる。
…嘆かわしいことにね」
「…あんたは違うと言いたげだな」
「もちろんだ。私は『強者』を探している。
肉体、頭脳、そして精神。
もちろん私のように全て兼ね備えているものが好ましいが…。
いずれか特筆すべきものがあればいい。
ジャクソン・ヘイル君、君にはその資格がある。
私の配下となってより強さを求める資格が…。
私はそう判断したのだ」
両手を広げ、陶酔してソーマはそう語りだす。
まるで誇大妄想狂だな、と内心呆れるジャクソンに、ソーマの後ろから梁麗が口を出してきた。
「ジャクソン、これは大きなチャンスなの。
ソーマ様のもとに付き従えば、あなたはより強くなれる。
仲村大輔にも勝る力を手に入れることができるのよ!」
梁麗は興奮して嬉しそうにそう話す。
かつては自分を永遠の王者にしようと考えていた女だったはずだが…。
このソーマという男の配下となることはそれほど栄誉なことなのか。
それとももう自分は用無しなのか。
いずれにせよ、回答を後回しにすることはできなさそうだ。
この場で答えなければなるまい。
そう判断したジャクソンは、ソーマに己の答えを告げる。
「答えは…ノーだ。とっとと失せろ」
その言葉に梁姉弟は驚愕し…慌ててジャクソンに考えを翻すよう説得する。
「ジャクソン、あなた…今自分が何と言ったかわかっているの!?
何かの間違いよね!?」
「ジャ、ジャクソン。待て、考え直せ。
…ソーマ様、お許しください。
こいつ、突然すぎて事の重大さが分かっていないんです。
今、説得しますから…」
慌てる梁姉弟を見て、その滑稽さに試合後初めてジャクソンが笑い…そして気づく。
そうだ。自分は強くなるためにこの世界に入った。
いつの間にかこの環境に慣れてしまったが、決して誰かの飼い犬になるためではない…と。
「Mrs.梁。今までよくしてもらって申し訳ないが…。
俺は本日をもってPFC無差別級王座を返上する。
そして俺もPFCへの今後の参戦は、白紙に戻させてもらう。
…俺は俺の力で強くなり仲村大輔を追い、そして倒す。
誰かの飼い犬になるつもりはない。
ましてや、IDMなんてタチの悪い反社会的組織なんかには、な」
しっかりと前を向いて言ったジャクソンのその決別の言葉に、遼姉弟はさらに狼狽するが…ソーマはただ笑い言い放った。
「解釈不一致…だな」
そういうとソーマは翻って悠然と歩き、ジャクソンの部屋を出ていく。
梁姉弟もジャクソンに精一杯の侮蔑の言葉を浴びせ、それに従い姿を消した。
…そして自分以外誰もいなくなった部屋で、ジャクソンが決意を込めて呟く。
「そうだ、俺はもっと強くなる。
そしていつか俺を嘲笑ったあいつを…この手で倒すんだ」
――――――――――
そのやり取りから数十分後。
その近所の焼肉屋『炎の人』で一人焼肉を腹いっぱい堪能した井上が、上機嫌で駐車場に向かっていた。
「うー、お腹がはちきれる…ちょっと食べすぎたかもしれん」
双国国技館で格闘技観戦した後は、近くにあるこの店に寄り腹いっぱい焼き肉を食べる。
それが井上のルーチンワークとなっていた。
今日の大会を観戦した後も、その例に則っていたのである。
真っ赤に染めた自らの愛車『クラウン クロスオーバー』の電子音を鳴らしドアのロックを開け、井上は運転席に乗り込む。
下戸である彼は酒が飲めないので、基本的に自動車で移動することに支障はない。
そのまま己のスマホを車と連動させ、お気に入りのHEAVY METALの曲を車の中でかき鳴らす。
「Yeah!やっぱり HEAVY METAL は最高だぜ!」
いつもの井上を知っている人間からは想像もつかないような子供じみた表情とともに、彼は車を発進させようとするが…。
その時、後部座席からふと声が聞こえた。
「ほう、お前はこういう曲が好みだったのか。意外ではあるな」
その声に驚いた井上が後部座席を見るが…。
なんと、そこにはいつの間にかIDMの上司『ソーマ』が座っていた。
「ソ、ソーマ様!!いったいいつの間に!?
…た、大変失礼いたしました!」
「いい、構わん。この近くで用事があった帰りだ。
お前の車を見つけたので勝手に乗らせてもらったぞ。
…さて、私のマンションまで送り届けてくれるか?」
「は!直ちに!」
キリッとしたその返事とともに、井上は車を発進させた。
車に流れるHEAVY METALの音量を、できるだけ下げて。
――――――――――
夜の帳が落ちた都内の一般道。
そこを車で走らせながら、車内でソーマから先の事情を聞いた井上がそう呟く。
「そうですか、ジャクソンは勧誘を断りましたか…。
惜しいと言えば惜しい存在ですね」
ソーマは強者を己の配下に置くことをIDMの主目的としている。
その目的としては、大輔に破れたとはいえジャクソンは優秀な人材だろう。
それを手に入れられなかったのは惜しい、と井上は残念そうに言うが…。
ソーマは事も無げに呟いた。
「来ないのなら、それでいい。無理に手に入れようとはしない。
もっとも私の誘いを断った報いはいずれ与えてやらねばならぬがな」
そして、眉間に人差し指を当てて、言葉を継いだ。
「それより井上…お前が以前推薦した清原快斗、だったか。
あれは確かに、かなりの逸材であるな。
どちらかといえば、ジャクソンよりあの者を引き入れたいところだ」
その言葉に井上は光栄ですと返事をしながらも、難しい顔をして思案する。
かつては不祥事を起こしたモーゼスのレスラー溝端を救い団体に恩を着せることで、清原快斗を引き入れようとしたが…。
いわば善の存在である清原快斗を引き入れるには、相当な仕掛けを伴うであろう。
ましてやIDMを良く思っていないであろう仲村大輔と仲が良いのであれば、かなり大掛かりな策が必要となる。
「それ以外では…。
仲村大輔が我々に与するはずはないし、なればあのエキシビションでの少年か。
もっとも、まだまだ発展途上ではあるし
我が麾下に引き入れるにはまだ歳が若いかな」
「ええ…おっしゃる通りかと存じます。
あの少年、かなり逸材であります。
しかしソーマ様のもとに引き入れるにはまだ少し未熟。それに…」
そこまで言って井上は口をつぐみ、『あの霧神雪乃の子である』…と言いそうになった言葉を飲み込んだ。
(そんなことをわざわざソーマ様のお耳に入れる必要はない。
そもそも霧神雪乃なんてソーマ様は知らないだろうしな…)
必要のない情報を伝えないためか、それとも霧神親子をかばうためか…。
その意図をまるで知っているかのようにソーマはフッと笑いまた井上に話しかけた。
「いずれにせよ、目下最大の目的はガイゼンだ。
奴が生きていることは空燕たちの報告からも明らか…。
なれば、部下を集めるよりまずそちらを優先せねばな」
「御意にございます」
ソーマが力を入れている『強者の引き入れ』。
犯罪や資金稼ぎのために使い捨ての人員を集める組織の主流派とは目的を異にしているのだが、そこに何の目的があるのか…。
それはソーマの忠実なる部下にして、第一位の側近である井上もあずかり知らぬことだった。
しかし、現時点でそれを知る必要もないと、井上はまたアクセルを踏んだ。
――――――――――
同時刻。
ところ変わり、居酒屋『陽炎』での打ち上げが終わって歩いていた慎之介が、通り過ぎた真っ赤なクラウンを指差す。
「あっ!今通った車、井上さんじゃない?」
その言葉を受けて、大輔が先のガイゼンとの戦いを思い出す。
「井上さんか…きっと性根は悪い人ではないんだろうが、な」
井上はガイゼンの存在も毒手のことも知っていたし、間違いなくIDMの人間だろう。
しかし、医師として自分を助けてくれたのは間違いない。
反社会的組織IDMにもそんな人間がいたとは…と大輔は考えていたのだ。
「まあ…悪い人ではない、それは間違いない。
だが、関わり合いにならない方がいいだろうな。
…慎之介のためにも」
大輔の呟きを聞き、詩音が真面目な顔をして大輔に呟く。
大輔も詩音もIDMを知っている。
暴力や脅迫その他の手段を用いる、巨大な反社会的組織ということを。
そんなものと関わったら、まず間違いなく敵対することになる。
そしてその場合、霧神家の面々はもちろん、まだ何も知らない慎之介さえ巻き込むことになる。
今の慎之介は同年代では桁外れた戦闘能力を持っているとはいえ、IDMと闘うためにはまだ非力だ 。
少なくとも今はIDMとは関わらないのが一番だ…と考えて、お互い目を合わせた。
そんな大輔と詩音を見て、夜が許す大胆さゆえか、慎之介が前々から思っていた疑問を二人にぶつける。
「二人はさあ、結婚しないの?なんで?そういう話が出た時ってないの?」
唐突なその質問に、二人はつい笑いだし…。
そして詩音がその問いに笑いながら答える。
「まあ、色々あるんだよ、いろいろな。
だから今はあんまり聞くな、恥ずかしいから」
そして大輔も笑い慎之介の頭を軽くたたきながら返す。
「そういえばお前には話してなかったな。
まあ、ガイゼンが死んでからその辺は話すよ。
それよりお前は香田のお嬢様をゲットすることを主軸に据えた方が良いぞ。
あれ、絶対お前のこと気に入ってるからな」
実のところ、二年前までその話はよく出ていた。
しかし本格的に話を進めようとしていたその時…大輔の父代わりの存在だった三刀谷がガイゼンに殺された。
結婚の決意を報告しようとした、その日に。
ガイゼンが死ぬまで彼らの時計は進まない。
彼らが己の人生を取り戻すことはないのだ。
――――――――――
数日後。
PFC無差別級王者ジャクソン・ヘイルの王座返上、そしてPFCからの撤退が発表された。
その知らせを聞き、大輔も意図を悟り笑う。
彼も前に進んだのだ。己が己であるために、と。
「いいとも、追ってこいジャクソン・ヘイル。
てめえがもっと強くなるのを楽しみしているぜ」




