第28話「Script error」
さて、大輔とジャクソンの第3ラウンドが始まる。
先ほどまでと同じようにDDを繰り返すジャクソン、そしてそれを避け続ける大輔。
運営席からその試合を観ていた梁麗は、静かにほくそ笑んでいた。
(ふふ…この調子なら、わざわざ八百長を持ち掛けなくてもよかったわね)
第1ラウンド、第2ラウンドともにジャクソンが優勢に攻め続けている。
それも圧倒的にだ。
大輔が手を出さないのは八百長の約束もあるからだろうが、そもそもそんなものがなくてもあの強力な拳の嵐の中で、手を出せるはずがない。
判定はまず確実にジャクソンが勝利する、あるいは実力でKOさえも狙えるかもしれない…梁麗はそんなことを考えていた。
彼女にとってPFCの選手など、そのほとんどがどうでもいい興行の駒でしかない。
しかしその中でもジャクソンは別だ。
オーナーとしての彼女が手掛けていた最高傑作であるともいえる。
(この私が必ずジャクソンを世界最強の栄誉に浴させてやるわ…。
どんな手を使ってもね)
と、歪んだ愛情にも似た黒い情熱を静かに燃やす彼女の横で…。
彼女の弟であり、マッチメーカーでもある梁世凱は残念そうにため息をついていた。
「ああ、あの少年とあのプロレスラー、なかなか使えそうだったのになあ。
惜しいよね」
彼は頬杖をついてそう呟き、残念そうにまたため息を吐く。
マッチメーカーとしてはなかなか面白そうな素材である霧神慎之介や清原快斗を、今後も起用したかったのだが…。
大輔に八百長を呑ませるための条件として彼らへのオファーは金輪際できなくなってしまったのだ。
扱い方によっては金になっただろうに…。
梁世凱は頭の中で金勘定をして損失を妄想し、また何度目かのため息を吐く。
それを見かねた梁麗が窘めるように彼に言った。
「覆水盆に返らず。失ったものを嘆くより未来に目を向けなさい。
それにプロレスラーの方はともかく、あの程度の少年なら
私たちの弟の小虎の方がよっぽど実力は上でしょう」
その言葉に梁世凱は覆水をしたのは姉さんだけどね、と言いたげな言葉を飲み込み、首を振る。
そもそも小さい頃からこの姉に口喧嘩で勝ったことはないのだ。
それにもし勝ちそうになれば手を出してくるし…。
下手をすれば部下を引き連れ、自分が謝るまで多人数での暴力沙汰や闇討ちも含めて徹底的に責めてくる。
それで痛い目を見た兄や怪我をしてしまった妹もいるが、多額の金を生み出す梁麗には家長である父も何も言わない。
この姉には刃向かわない方が利口なのだ。
「PFCに小虎が出るわけないし…。
万が一本人が出ようとしても父さんが許さないよ。
兄弟の中であいつだけ仕事もしないでIDMで遊んでることを
許されているんだから…。
親の愛情が篤い人は羨ましいよね」
梁世凱は、全部で18人いる自分たちの大兄弟のうち、末弟である
『梁小虎』
…今では『空燕』という通り名を名乗っている自らの末弟に思いを馳せ、その彼と自分の待遇や親の愛情の差にまたしつこいほどのため息を吐いた。
同じように父に愛されている姉に、若干の皮肉を込めて。
――――――――――
さて、試合会場では第3ラウンドが始まってから、すでに2分ほど経過している。
今までと同じように、DDと呼ばれる左右のジャブの高速連打で攻め続けているジャクソンに対し、防戦一方の大輔。
さすがにまったく同じ展開が続いたためか、観客からも疑問の声が上がり始める。
確かにDDは凄まじいが、それでも防戦一方なのはどうなのだ、それでも拳帝と呼ばれた男なのか、と。
また、レフェリーも試合をいったん制止し、大輔に警告を行う。
PFCも防戦一方で攻めるそぶりを見せない場合、防戦側に対し注意や警告、場合によっては反則を取るルールだ。
今までのラウンドではDDの攻めに手を出せないと判断していたが、さすがにこれが続くようでは見て見ぬ振りもできぬということだろう。
とはいえTKOになるには反則が2回で、まだ大輔は反則よりも軽度な警告が1回。
せいぜい判定にしか判断されないのだが…。
それでも、この時点での警告は判定になれば致命的であり、まず間違いなくジャクソンが勝つことは確定と言えた。
「わかったよ。じゃあ、このラウンドで少しは攻撃するからよ。
途中で試合止めるのはナシだぜ」
余裕綽々といった表情でレフェリーにそう告げる大輔。
その大輔の表情を見てジャクソンは苦虫をかみつぶしたような表情で大輔を睨んだ。
(俺の攻撃に手が出せないくせにずいぶんと余裕な表情だな。
…いいだろう、その表情を屈辱で染め上げてやる)
この試合で、始めてジャクソンが怒りの表情を見せる。
そう、いまだクリーンヒットはないながらも、いっさい手は出せない大輔を、ジャクソンは心の底で侮り始めていた。
試合再開後、ジャクソンは変わらずDDで大輔を一方的に攻め始める。
レフェリーに宣言した以上、少なくとも大輔は一度は攻撃をしなければいけない。
焦ったその攻撃にカウンターを入れることなどジャクソンにとっては朝飯前だ。
今までもそういう相手を何人も沈めてきた、失敗などあろうはずがない。
(さあどうする仲村大輔、いつでも攻撃してくるがいい!
それともDDの前に手など出せないか?)
そんな思惑の中、試合は進む。
3分、4分…4分30秒が過ぎ、第3ラウンド終了まであと30秒となったところ、DDの合間をすり抜けて大輔がジワリと詰め寄る。
来たか!と判断しジャクソンがカウンターの構えを取るが…。
攻撃が当たる距離となっても、大輔は攻撃を仕掛けない。
カウンターを読んでいるのか、それともほかに何か理由があるのか。
いずれにせよ、期待が外れたジャクソンは呆れて今まで打っていた右から左に構えをスイッチするが…。
その一瞬、大輔が動いた。今までとは比較にならぬ速さで。
ジャクソンとの距離をすぐに詰め、腹部に強烈なボディブローを放つ。
ドン!という鈍い音とともに伝わった重い衝撃に、油断していたジャクソンは悶絶し目を見開いた。
それを見た観客席から、おおっ!という歓声が響く。
ダウンするほどの大ダメージではなかったものの、その攻撃に怯んだジャクソンは急ぎ距離を取る。
まずい。今追撃されてはもう対応できない、勝負は終わる…と。
しかし大輔は動かず、両手を広げ…挑発するように言った。
「お前さ、自分で気づかなかったか?
左右スイッチの瞬間、スキだらけだぞ。
まあお前が気づかなくても、そういうのって
トレーナーのあのおっちゃんが伝えるべきだと思うけどな。
…可哀想に。愛されてないんだな、お前」
と大輔はウォーレンを指差して笑う。
やや侮辱が過ぎるその言葉に、レフェリーは大輔に注意をしようとするが…。
親とも慕うウォーレンを侮辱され、ジャクソンは怒声を上げ、大輔に飛び掛かった。
それを見たセコンドのウォーレンが叫ぶ。
「ジャクソン、よせ!冷静になれ!!」
腹部にダメージを負った今の状態で冷静さを失っては、それこそカウンターで一撃KOになりかねない。
最悪の結果をウォーレンは想像するが…。
次に起きたことは、彼や会場の予想をはるかに超えるものだった。
なんと、大輔は怒り狂ったジャクソンの攻撃を全弾回避していた。
ジャクソンの攻撃はすべて空を切り轟音を鳴らしているが、大輔には一切届いていない。
パンチ、キックは言うに及ばず、テイクダウンを狙ったタックルや関節を狙った飛びつきまで涼しい表情でかわしているのだ。
ガードさえしていない。
先ほどまでの動きとはまったく別人のような素早さだ。
そのくせ反撃は一切しようとしていない。
「な、なんだ…なんなんだ、あいつはいったい…」
ウォーレンが驚愕する。いや、ウォーレンだけではない。
観客も、梁姉弟も、控室で試合を観ていた快斗や次藤も驚愕する。
攻撃を全弾かわしながらも一切反撃をせず、このラウンドで放ったのは先ほどのボディブロー一発のみ。
大輔がジャクソンに追撃やカウンターを放てば、この試合はもう終わるだろう。
それもせず、薄笑いを浮かべながら…すべての攻撃をかわし続けているのだ。
観客の一人が
『今までの闘いはいったい何だったんだ?』と声を上げる。
それは、この会場のほとんどの人間が思ったことだった。
――――――――――
この超人的な行動に会場で驚愕しなかった人間はわずか四人のみ。
「あー、やっと本気出し始めたんだ」
控室でTVを観続けながら、そう言って笑う霧神慎之介。
「ま、あれが仲村大輔じゃの」
VIP席で静かに笑う玉野銀次。
「…」
そして…何も言わず、大輔のセコンドについている霧神詩音。
仲村大輔を良く知るその三人と…。
「…あれが仲村大輔か。うむ、虚仮威しではなかったようだな。
そうでなければ面白くない」
会場の後ろの方で試合を観戦していた、若く長身で銀色の髪の男。
その四人のみだった。
――――――――――
「…人間じゃない…」
目の前の試合を観て、驚愕を超え恐怖さえ抱いたウォーレンのその呟きと同時に、第3ラウンド終了のブザーが鳴る。
最後に放ったジャクソンの拳をこともなげに軽くつかみ、大輔は笑いながらジャクソンに語り掛けた。
「格の違いは分かったか?
次からはお前もナメたジャブなんか打ってないで本気を出せ。
ここからがお前の試金石だ…ここで潰れるか、先に行けるかのな」




