第22話「光の雨」
さて、花道で狐のお面を被った慎之介が、辺りを見回しながら大輔に言う。
「なんかみんな笑ってるんだけど。
というより…入場曲、僕が指定していた曲じゃないんだけど」
「すまん、お前の指定した曲は権利関係が難しいらしくて、俺が勝手に変えた。
ほら、このTO〇GH B〇Y、昔シャレで録ったことあったろ」
慎之介の疑問に対してまだ少し笑いながら大輔が言う。
慎之介は少し不満に思うも、そうか権利関係が難しいのか、それなら仕方ない。
でもこの曲も著作権とか許可とかすごく厳しそうだけど…と思いながら。
「でもほかの曲の方が良かったかも。
みんな笑ってるし、対戦相手にバカにしてるとか思われないかな?」
「それはたぶん、お前のお面を見て笑ってるんだと思うぞ。
まあ私も昔やってたし、そこまで変だと思わないけど」
「そうだな。
馬鹿にしてると思われるなら曲よりたぶんそのお面だろ」
慎之介の問いに詩音と大輔が笑いながら答える。
顔を隠すためのお面とはいえ、そんなに変かなあ…と慎之介は思うが、みんなが笑うということはやはり自分の感性は少しズレているのだろうか。
少々不安になるが…ここまで来たらもう戻れない。
金網で囲まれた八角形のリングに入場し、少し飛び跳ねてコールを受ける。
『青コーナー、仲村大輔の弟、X!』
Xというのは自分のことだ。
名前を明かしてしまってはここまで変装した意味がない。
そう思い、大会運営には本名ではなくXとコールするように伝えていた。
(それにしても…すごい場所だな、ここは)
慎之介は周囲を見回す。
会場の双国国技館は広く、しかも会場はほぼ満員だ。
興味なさそうな人間もいればまだ笑っている人間、そして頑張れよ!と声をかけてくる人間もいる。
天井からは眩しいライトがいくつも自分を照らしている。
リングを中心にまるで光の雨が降り注いでいるかのようだ。
自分がこんな舞台で戦う日が来るとは、つい最近までは思ってもみなかった。
いや、夢見たことはあったが、それがこんなに早く現実になるとは…。
今年4月からの自分を取り巻く環境、その目まぐるしい変化に慎之介は少し笑いを浮かべた。
さて、そうこうするうちに向こうからライアンが入場してくる。
重くエッジの聞いたヘヴィなミュージックに乗り、悠然と歩いてくる。
しかし、表情はへらへらと笑ったままだ。
どうせ日本の高校生が相手の短時間のエキシビション、真面目にやる必要などないと考えているのだろう。
せっかくカッコイイ曲なのになんかもったいないなあ、と慎之介は思うが…。
そうこうするうちにライアンがリングに入場する。
『赤コーナー、PFC軽量級王者、ライアン・フィンチ!』
コールを受けライアンが適当に腕を上げた。
慎之介としては覚える気もなかったが、ストライカークラスとはいわゆる70㎏までの選手が集う軽量級だ。
ライアンはその王者…。
王者ならば弱いはずはない、と慎之介は気を引き締める。
会場のアナウンスがこのエキシビションのルールを伝える。
勝負は3分間の1ラウンドのみ。
勝敗は記録に残らないが、KO、ギブアップ、レフェリーストップにより勝負は終了する、と。
そして…。
「君、そのお面は外したまえ。
危険だし、ルール上あまり好ましいものではないのでね」
とレフェリーが、狐のお面を外せと慎之介に告げる。
慎之介としてはあまり素顔を晒したくはないのでやんわりと拒否するが、レフェリーもそこは譲らないようだ。
困ったなあ、と慎之介は思案するが…。
「いいじゃねえかよ、エキシビション…どうせ遊びだ。
付けてて困るのはどっちかっていうとそっちのガキだし、俺は問題ねえ。
それに、客もだいぶ喜んでるみたいだぜ?」
とライアンが観客席を指差して言う。
見ると、確かに狐のお面は一部の客にはある意味ウケがいいようだ。
それに視界が狭まる、息苦しいなど不利を受けるのは確かに慎之介の方である。
ライアンがそう言うなら今回だけは特別に、とレフェリーは試合の開始を宣言した。
ビーッという試合開始のブザーが鳴る。
慎之介は構えるが、ライアンは一切構えない。
それどころか、両手を広げて『打って来いよ』というポーズを取る。
「青少年指導の名目で俺様が本気になるわけにはいかねえ。
さあ、こいよ小僧。ハンデってやつだ。
ラスト1分…いや30秒まで俺は手を出さねえ。
ま、攻撃は避けさせてもらうがな」
自信満々にライアンが慎之介を挑発する。
慎之介は、この人日本語喋れるのか、と思いつつも少しムッとしてライアンを観察するが…。
髪は赤の短髪、上半身は裸で下に短パンのみだが、体はかなり引き締まっている。
自分よりは年上、20代中盤ほどだが、その顔は不真面目そのものだ。
せいぜい、素人の腕自慢に3分間だけ付き合ってやるか…その程度なのだろう。
その態度に、慎之介は少々ながら腹を立てた。
(ちょっと腹が立つな)
そして、それなら本気を出させてやる…と一計を案じた。
慎之介は自分が被っている狐のお面に手を掛ける。
お面は自作のマジックテープ式なので着脱は容易い。
彼は片手でお面を抑えたままもう片手でマジックテープをバリッと外し、手だけでお面を抑えている状態にした。
何を企んでいようが興味なし、といった風情のライアンだが…。
慎之介がそのお面を空高く放り投げると、油断していたのか光の雨に舞うお面を、ついライアンは目で追ってしまう。
おっと、と前に目を戻すと…慎之介は高速で移動しすでに自分の眼前にいた。
驚くライアンの一瞬のスキを突き、慎之介はライアンの顔面に拳を繰り出し…。
それを当たる直前で止める。
「うおっ!」
と叫びながら条件反射でライアンがフックを打ち込むが、慎之介はすでに体を退いており、彼の拳は空を切る。
そのまま慎之介は最初の位置に戻り…空に投げたお面が戻ってきたところをタイミングよくキャッチした。
そしてまたお面を被りマジックテープを張り付けながら、ライアンを挑発した。
「手、出さないんじゃなかったんですか?」
その挑発にライアンは憤然としながらも…。
今の素早い動きにすぐに気を改め、顔から笑顔を消し、しっかりと構え始めた。
「ふん…悪かった、坊主。お前を甘くみていたよ。
ただの腕自慢じゃなさそうだな」
本気…かはわからないが、どうやらライアンは真面目に戦うことにしたようだ。
そうでなければ意味がない、と慎之介も構える。
「さっきの非礼と発言は謝罪して撤回する。
…俺もそれなりの気持ちで戦わせてもらうぜ」
ライアンの顔から笑みが消える。
残り2分40秒。本当の意味で、ここから戦いが始まった。
―――――
先ほどの慎之介のパフォーマンスに、どうせ遊びの試合だろうと思っていた観客も歓声を上げる。
すげーぞ狐、やるじゃねえかX、と。
「あれは見事なパフォーマンスだな。会場の空気を一瞬で全部持って行ったぞ」
遼が感心したように呟き、銀次も満足そうに腕を組みながら何度もうなずく。
「一瞬だけ素顔を晒すってのも巧いよね。
あいつ美形だし、なんか神秘を感じさせるアピールでさ。
なんのために素顔隠してるのかと思ったら、このためだったのか。
さすが我が終生のライバル」
納得いったように喜太郎もしたり顔だ。
別に慎之介はそういうつもりで顔を隠していたわけではないし、喜太郎のことを終生のライバルとは思ってはいないのだが…。
その横で天音がただ呆然としていた。
そして、葵は嬉しそうに慎之介を応援するセコンドの詩音を見る。
今の詩音と、学生時代の詩音とは大幅な変わりようだ。
何かがあったのか、弟など親しい者にだけはそうなのか、それとも元々そういう性格だったが単にみんなイメージだけで怖がって近寄らないでいたのか…。
(…もしかしたら、霧神家へのイメージを変えなきゃいけなくなるかもね)
葵は一人心の中でそう考えていた。
―――――
さて、試合会場。
気を入れ替えたライアンが手堅くジャブで攻めていく。
さすがに王者なだけあってか攻撃はかなり鋭く、慎之介も対応に苦慮する。
今まで戦ってきた相手の中では、打撃の鋭さは間違いなく一番だ。
それに自業自得ではあるがお面のせいで視界が狭く、攻撃が見えづらい。
(くそっ、全部見えてたらかわせるかもしれないのに)
心の中で毒づくが、それを言っても始まらない。
なんとかガードをして反撃の機会を見出そうとするが、ライアンのジャブは矢継ぎ早に繰り出され、反撃するチャンスがない。
このままでは残り時間、塩漬けにされて終わってしまう。
距離を取って仕切り直し、と考えた慎之介は大きくバックステップするが…。
すでに追い詰められていたのか、リングを囲む金網に逃げ道を阻まれる。
しまった、と考えた瞬間、ライアンは今までのようなジャブではなく力を込めたストレートを繰り出した。
ファンが『毒蜂の一刺し』と呼ぶ、彼の必殺技の一つだ。
慎之介は必死にそれをかわそうとするが、避けきれず狐のお面に被弾し、その破片がパラパラとリングにこぼれた。
仕留めた手ごたえがあったライアンは一瞬止まるが…。
砕けたお面の一部の欠片と、慎之介が動いて金網から離れたのを確認し、自らが打ち抜いたのは仮面だったか、と理解する。
そして、ライアンから少し離れた慎之介が言った。
「まいったね。僕もあんたのこと甘くみてたよ」
ライアンは、まさか一介の少年にPFC王者である自分が侮られるとは、と笑うが…。
「ならどうする。まさか俺相手に本気を出していなかったとは言わせねえぞ」
そう言ってまた構えた。
彼我の実力差はわかった。
この少年も学生離れした相当な腕だが、今の自分にはまだ及ばない。
だが続けるのなら容赦はしない、という気持ちで。
慎之介はそれを受けて笑うと…。
すでに半分ほど割れて砕けていたお面を外し、高くリング外に放り投げる。
露わになった慎之介の素顔に観客がざわめく。
『ほお~美形だなあ』『なんで隠してたんだ?』『演出じゃないの?』
などと口にしながら。
その中で天音はハッと、ただ見とれるように慎之介を眺めていた。
それを見て隣の葵がクスッと笑う。
お嬢様も霧神慎之介の株を乱高下させてなかなかに忙しいな、と。
「本気で戦っていたよ。
でも物理的にも精神的にも少し邪魔するものがあった。
とりあえずもう、この先はどうなろうと後で考えることにする。
今はただ、あんたと本気で戦って…そして勝ちたい」
慎之介がそう言って構える。
今度は視界を遮るものもない、全力をいかんなく発揮できる状態だ。
「おもしれえ、やってみろ。だがな、そう簡単に超えられるほど…。
PFC王者、即ち世界最強の壁は低くねえぞ」
人差し指を立てて挑発し、ライアンも構える。
残り時間、本気で戦うことを決意して。
―残り1分30秒。
エキシビションの枠を超えたお互いの闘いがここから始まろうとしている。




