第15話「百合と翼」
殺人鬼の襲来、大規模暴走族の迷惑運転、高級車の連続轢殺…。
『花宮町史上最悪の日』と呼ばれたその土曜日から10日ほどが過ぎた水曜日。
5月も終わりに近づいているその日の朝に、赤のセンチュリーが花宮町の3つほど隣町である『白鳳町』を走っていた。
走るセンチュリーの車窓から見える風景は、荘厳豪華そのものだった。
映画でしか見ないような門構えや由緒を感じさせるお屋敷が続く街並み。
『創業 文久元年』と看板が立っている蕎麦料亭を始めとした、TVや雑誌で紹介されるような有名店も並ぶ。
もめごとなど無縁の流階級専用街、本当に花宮町と同じ区なのかとも言われるほどの町…。
それがこの白鳳町である。
日本最大級の企業団である『香田グループ』のトップである香田情熱もこの町に家を構えている。
―その町を走る赤のセンチュリー。
それは、BAR『rip current』のマスターでもあり、香田家お抱えの運転手『玉野銀次』が運転をしていた。
そして助手席には、筋骨隆々で黒髪オールバックの20代男性『椋埜遼』。
後部座席には同じく黒スーツで、赤く染めたショートの髪の20代女性『如月葵』。
この、香田家お抱えのボディガード二人が乗っている。
さらに後部座席にはもう一人…。
香田情熱の娘であり、喜太郎の妹である『香田天音』が乗っていた。
そう、この赤のセンチュリーは、天音の通う『白鳳女学院』への通学を含めた自家用車である。
―さて、肩まで届く長いポニーテールを揺らし、車内で天音が口にする。
銀次たちは何度か聞いたことのある質問だ。
「ねー、銀次さん。
この前言ってた、お兄ちゃんを倒した『霧神慎之介』くんって…どういう人?」
それなりに強かった兄を一瞬で倒したという、自分と同年齢、同学年の男子。
そして『霧神慎之介』という、少し珍しく、ミステリアスな由緒を感じる名前。
その情報しかなかった天音は、慎之介が気になって仕方なかったのではあるが…。
その慎之介を遠目から見たことがある銀次は、ほっほっほ、と笑いながらいつも通り同じ答えを天音に言う。
「そうですなあ。凛々しく精悍で、そう…まるで私の若い頃にそっくりでしたな」
(前にも聞いたなあ、その答え…。
まあ銀次さんの若い頃と同じなら、あんまり見た目は期待できないかも)
天音はその問いに、顔には出さずとも少しがっかりする。
銀次の若い頃は天音も知らないが、失礼ながら冴えない銀次の外見では、まあそれならなんとなくは想像がつくかな…と。
そしてすぐに遼が意気揚々と声を出す。
これも毎回同じ答えだ。
「お嬢様と交際するのであれば、まずは私を倒してからですな。
いや私だけではないですぞ。
ほかのボディガード達も軒並み倒すほど強くなければ。
そうでないと、お嬢様を護れませんからな」
その楽しそうな遼の言葉に、天音は慌てて訂正する。
「いやだから別に交際とか、そういう事は考えてないよ。
どういう人かちょっと気になってるだけだってば」
―香田家に連なる者は全員、誘拐や脅迫からの防衛のためにボディガードを何人も就けている。
その中でも椋埜遼は、強さを見込んで天音の父・情熱が直に連れてきた存在だ。
さすがに高校一年生で彼に勝てる存在はいない、と天音も考えていた。
それに天音自身、ただ少し霧神慎之介という存在が気になっているだけで、交際だとかそこまでは考えたことはない。
そんな一週間に1,2度繰り返される様式美のようなその問答が、今日も車内で繰り広げられていた。
その脇で、その様式美に初めて遭遇した葵がふと思い出す。
霧神という姓。
花宮高校在籍時、そういえば自分の後輩にもそんな苗字の女学生がいたな…と。
自分も学生時代に柔道部でいい結果を出しており、当時から腕に自信はあったが、その後輩は別格だった。
女子ながら高身長で整った容姿ながらも、軽々には近寄りがたい威圧感。
見た目も雰囲気もまるで研ぎ澄まされた日本刀をイメージさせる、鮮烈な印象を与える女生徒だった。
繰り返されている香田家の様式美の横で、葵は思う。
霧神という珍しい苗字であるからには親族、おそらく姉弟なのだろうが…。
もし弟もそんな雰囲気ならば、天音に近寄らせるわけにはいかない、と。
「しかし、いつも一人で友達がいなかったなあ、あの子。
たしか、詩音…霧神詩音っていったかな」
遠き高校生時代の日々を思い出し、葵は少し笑いながら窓の外を眺めた。
―――――
「へっきしっ。…ふっ、誰か噂してるな」
そこから遠く離れた山奥の霧神家で、詩音がくしゃみをする。
まさかほとんど話したこともない葵に噂されているとは夢にも思わずに。
その隣で霧神家にしばらく居候している大輔が
『噂する人間なんていないだろ、友達もほとんどいないくせに』
と言いたい言葉をグッと飲み込み、何も言葉を返さずTVを観続ける。
大輔は数日前無事に退院したものの
『まだ何があるかわからないから近くに誰かいる生活の方がいい』
との井上の勧めを受けて、ここしばらく一人暮らしの自分のマンションに戻らず霧神家にいた。
昔からよく霧神家に来ているせいか、霧神家全員特に誰もそのことに反対もせず、むしろ違和感もなく普通に生活していたのである。
まあ、慎之介だけは『ゲームのキャラデータを妙な名前で上書きするな』という小さな不満を言うことはあったが…。
さて、TVを付けた先では海外のMMAスーパースター『ジャクソン・ヘイル』がニュースのインタビューに答えている。
どうやら格闘家連続殺人事件の犯人について語っているようだ。
「犠牲者となられた方々に心より哀悼の意を表し
そして恐怖に震えていた日本の皆さんに深くお詫びをしたい。
私がもっと早く日本に来られたなら、このような悲劇など起こらなかった。
私がその殺人鬼を止めていたからだ。
彼の行方はまだわからないらしいが、彼がまた凶事を働く時には
きっと私が止めると約束しよう」
ジャクソンが滔々と語り続けるそのTVに向かって、大輔が舌打ちする。
「まったく、アレを知らねえ奴ほどそう言うんだよな。井の中の蛙が偉そうに」
言葉には出さないが、詩音もそれに同意する。
少なくともあの鬼化したガイゼンは、人間の力ではどうしようもないと思えるほど強く恐ろしかった。
大輔がいたからなんとかなったものの、いなかったら大惨事だったのは間違いない。
そんなことを思いながら興味もなさそうにTVを見つめていた大輔と詩音だが…。
「…おっ?なんかこのジャクソンってやつ、しばらく日本に来るらしいぞ」
TVのジャクソンが言うには、自分が所属している団体が7月に予定している日本大会のPRを兼ねて、日本にしばらく滞在するという。
なんでも彼は日本の蕎麦が大好きで、中でも白鳳町にある老舗蕎麦料亭『燈映』の蕎麦は彼のジャパニーズソウルフードだという。
それを聞いた大輔が納得したように頷く。
「へえ、燈映か。見直したぜ、いいセンスだな。
あそこのカツ丼めちゃくちゃ美味いんだよ」
「え?蕎麦じゃないのか…」
「いや蕎麦も美味いよ、すごく美味い。
美味いけどよ、俺はカツ丼か親子丼なんだよ。あー、天丼も捨てがたいな。
たまにすごく食べたくなるんだ。
まあ燈映といったら蕎麦もうどんも丼ものも唐揚げも漬物でさえも
本当になんでも美味しいんだけどな」
大輔はジャクソンのことなどすっかり忘れて、いかに燈映が素晴らしい店かを語り始める。
ちなみに詩音も大輔も定職についていない、いわば無職だ。
それでも大輔は育ての父の三刀谷篤郎から遺言で受け継いだ不動産やその賃貸収入、さらには出場した格闘大会で稼いだ賞金などで、同年代の若者からは比べもつかないほど資産を有している。
それに比べて詩音の資産はいまだに父母や祖母からもらうお小遣いのみ。
ちなみに、詩音が働かないのには理由がある…わけではない。
単に勤め人に圧倒的に向かない性格をしているだけである。
まあ、家族も大輔もそれを重々承知しているので、特に何か言われたことはないが…。
「…ところで燈映って、私は行ったことないな」
ある言葉を期待して、詩音が大輔に言う。
大輔はその意図を知ってか知らずか詩音の期待通りの答えを返した。
「お、じゃあ今度の土日辺り、慎之介も連れて行ってみるか。
俺も久々に燈映のカツ丼すげえ喰いたくなったし、なんとか予約取ってみるよ」
「やった!あ、でもそこで、もしジャクソンに会ったらどうする?
闇討ちでもする?」
「…なんで蕎麦食ってるだけの奴を闇討ちしなきゃいけねえんだよ…」
TVの向こうでそんなことを言われているとは思わずに、ジャクソンはなおも自信満々に語り続けていた。
―――――
さて、その日の午後16時ごろ、ここは花宮高校。
授業が終わり帰宅の準備を始めた慎之介だが、彼はどうしても『IDM』のことが気にかかっていた。
井上は教えてくれないし、嘘か真か大輔も知らないと言っている。
今までの慎之介ならば『じゃあ、しょうがないか』で諦めていたのだが…。
思い返しても恐ろしいガイゼンの姿を考えると、それに間違いなく絡んでいるIDMという組織の正体を、知っておきたいと考えたのだ。
せめて片鱗だけでも、と。
しかし、身の回りの人間は誰も知らないという。
他に頼りを探そうとも、快斗を始めとしたモーゼスの面々も知らないだろう。
あと頼れる人間は、知ってそうな人間は…と慎之介は考える。
(うーん、他には…あっ、そうだ!あの人なら知ってるかもしれない!)
ある人物が慎之介の頭に思い浮かぶ。
それは香田喜太郎。
かつて慎之介に喧嘩を売ってきたものの、一瞬で返り討ちにした相手である。
つい最近、大輔が酒を飲みながら話していたが、香田グループ御曹司の彼は少しずつ自宅で更生を始めているという。
大企業の御曹司であり、かつてはアウトローを気取っていた彼ならば、IDMという存在を知っていてもそれほど不思議ではない。
(白鳳町なら走っていってもそんなに時間はかからないな。
よし、せっかくだから今日行ってみよう)
クラスメイトの遊びの誘いを断り、慎之介はカバンに荷物を詰め教室を出る。
香田家の場所ならば知っている。
むしろ白鳳町にある香田家の豪邸といえば、同区内で知らない者はいないとも言われているほどだ。
姉の詩音に
『ちょっと寄るところがあるので、今日は帰り遅くなります』
と連絡をして、目的地に向けて慎之介は駆けだした。
―――――
(いきなり行っても大丈夫かなあ。不審者扱いされたりしないかなあ)
街を走りながら、慎之介は考える。
このご時世、お金持ちなら、いやそうでなくとも不審者の扱いには敏感だろうし、普通に考えたら喜太郎に会うことなどできないのではないか。
いや、そもそも自分に一瞬で倒された喜太郎が会おうなどと思うだろうか。
(まあ、考えてもしょうがない。ダメなら帰ればいいだけだし)
すでに白鳳町まで来た慎之介はそう考えて香田家へ向かっていく。
その脇の大きな国道を、白鳳女学院の一日を終えた天音を乗せた赤いセンチュリーが走り抜けていった。
―――――
花宮町から白鳳町まで走り抜け、香田家の前に到着した慎之介。
ここに来たのは初めてだが、その大きな門構えや、その奥に見える和風の豪邸、さらには多くの敷地内の別邸に圧倒される。
たとえ花宮町だったとしてもこれほどの家を建てるにはいったい何千万円、いや何億円かかるのだろうか。
それがさらに地価の高い白鳳町ではもうその金額は想像がつかない。
司法書士の父がいつか言っていた
『白鳳町の不動産はとんでもなく高いから怖い』
という言葉を思い出す。
ともかく、慎之介は意を決してインターホンを押そうとするが…。
その前に近くにいた黒スーツの男…椋埜遼が慎之介を見つけ、話しかけてきた。
「そこの少年、この家に何か用かね?」
その言葉には威圧はないが、わずかな警戒心が含まれていた。
慎之介が彼を見る。
身長は180㎝を超えて、かなり大柄で筋肉質な男だ。
サングラスを付けているため目の動きは確認できないが、常に周囲に警戒を配っている。
要人警護のボディガードや警備員をしているのだろう。
「あ、すいません。僕は霧神慎之介と言います。
香田喜太郎さんにお話があってきました」
慎之介が丁重に応えると、遼は、ほう、と感心したように言うが…。
すぐにサングラスに指をあて、首を横に振り、高圧的にではなく、しかししっかりと否定の言葉を答える。
「…残念だが、喜太郎様には会えないよ。
確かアポイントもなかったはずだし…なにより喜太郎様には昔の悪友が多い。
そんな人間に今の喜太郎様を会わせるわけにはいかない。
我々もその交友関係を把握できていない以上、面会はすべて断るしかないのでね。
たとえ本人が会いたいと言っても、それは変わらない。
…君がその類の人間とは思わないが、諦めてくれたまえ」
面会を断る遼の言葉に、やっぱりダメか…と慎之介は考える。
そもそも大企業の御曹司にいきなり会いに行くということから無理があるし、喜太郎の今までの悪行を考えると、確かに得体のしれない者の面会など許すわけがない。
(もともと期待していたわけじゃないし…他の方法を探そう)
そう考えた慎之介は遼に頭を下げ礼を言い、やむを得ず帰路に就いた。
―――――
帰り行く慎之介の、その後ろ姿を見て、遼が腕組みをして呟く。
「まさか本当に会うことになるとはな…あれが霧神慎之介君か」
何の理由があって彼が喜太郎を訪ねたのかは聞かなかったし今のところ特に知る必要もないが、説明や食い下がりもせずあっさり引き下がるあたりそれほど急を要する理由ではないのだろう。
遼は見えなくなった慎之介を確認して振り返り、そして彼を記憶する。
アポなしで来訪するなどすこし無鉄砲な所はあるが、それは若さゆえだろう。
それ以外には穏やかそうで礼儀正しく、物分かりも悪くはない。
そこそこ腕の立つ喜太郎を一瞬で制圧したとは思えないほど小柄だが…。
何か格闘技に相当なレベルで覚えがあるのだろう、声をかけた際の観察眼もしっかり働いていた。
それに少年だがかなりの美形だ。
『若い頃の自分に似ている』
と銀次は言っていたが、今の銀次を知る者がそれを聞いたら
『銀次さん、からかうのはよしてくれよ』
と大笑いするだろう。
彼へ関心を持っている天音が見たら、一目で彼を気に入ってしまう可能性もある。
もっとも天音にはある特殊な能力があるので、一概にそうとも言えないのだが…。
「まったく…出来の悪いうちの弟たちにも、少し彼を見習ってほしいものだ」
慎之介と同じぐらいの年齢ながらも、高校にも行かず時代錯誤な暴走族を続けている自分の双子の弟を思い出し、彼はため息を吐いた。
その後ろから、赤のセンチュリーを車庫に収めてきた葵が声をかける。
「遼さん、車を納めてきましたよ。戻りましょう。
…ところで今の子って、誰ですか?」
「ん?見てたのか。彼だよ、噂の霧神慎之介。
何の用事か知らないが、喜太郎様を訪ねてきたようだ」
その返事を聞いて、葵が、へー、あれが…と車のキーを指で回し感心する。
「なんだかタイムリーですね。っていうか、だいぶ可愛い子じゃないですか。
私の好みとは違うけど。
こりゃ銀次さん、またホラ吹いたかな。
それか、歳のせいで良く見えてなかったか」
「歳のせいで見えてなかったら、もう銀次さんに運転を任せられないだろう…。
とにかく、天音お嬢様には内緒にしておいた方がいいな。
会ってみたい!と言われたら面倒だ」
「わかってますって。もちろん喜太郎くんにも内緒ですよ」
二人はそう言って、屋敷に戻った。
―――――
そして夕方、慎之介が帰宅した後の霧神家。
またゲームのキャラの名前を書き換えられた慎之介が大輔に不満を言っている。
「…こっちのキャラ名の『オーマイごっつぁん』っていうのはまだわかるよ。
なんか大輔さんが好きそうな親父ギャグみたいな感じだし。
でもなんでこっちのキャラは『オーマイこんぺい党』なの?
これは意味がまるでわからない」
「ふっ、少しひねりすぎたか」
「というか勝手に名前変えないでよ、何度も言うけど。何度目かわかんないけど」
軽く笑う大輔に、慎之介が口をとがらせて言う。
まるで悪戯好きの兄にしっかり者の弟…そんな構図をほほえましそうに見ていた詩音が、笑顔で慎之介に言う。
「まあまあ、そんな怒るな慎之介。
週末に大輔が燈映に連れて行ってくれるらしいぞ。
そこで散々食べて大輔の財布を困らせてやれ」
「燈映…って、あの有名なお蕎麦屋さん?本当に!?」
その言葉に慎之介も思わず感嘆の言葉を上げる。
燈映といえば日本でもかなり有名な蕎麦料亭だ。
もちろん、慎之介も行ったことはない。
「あ、でもいいの?僕も行って。二人でデートとかじゃないの?」
少し遠慮した慎之介の問いかけを、大輔と詩音は軽く笑い飛ばした。
「デート?言われるまでそんなことまったく考えなかったな。
最初からお前もセットで考えてたからな」
「デートかあ…なんか新鮮だなあ、そういうこと言われるの。はっはっは」
もはや互いを異性として見ていないのか、それともそういうところは既に通り過ぎているぐらいわかり合えているのか。
なんともわかりやすくもわかりづらいこの二人に慎之介がため息を吐く。
そして…台所にいた雪乃もそれを聞いて、ため息をついていた。
さっさとくっついてくれないかしら、この二人…とでも言いたげなように。




