外伝②「落とし穴の底はこんな世界/柴崎嘉一」
花宮町史上最悪の日…。
後にそう呼ばれることになるその日の夜、花宮大学医学部附属病院に一台の救急車が停まった。
そこから一人の少年が救急隊員に付き添われて、ゆっくりと病院の中に向かい歩く。
それは、ガイゼンと遭遇しながらもすんでの所で助かった少年『柴崎嘉一』だった。
警察に保護された直後、彼は憔悴しきっており受け答えもできない状態だった。
彼以外には三人の死体しかなかった現場を見て、警察官は彼に聴取を試みたが…。
それが不可能とわかると彼を救急搬送し、病院へと運んだのである。
病院のベッドに寝かされた彼は、朦朧とした意識でぼんやりと目を開け続けている。
―――――
怖い。
眠るのが怖い。
目を閉じて次にまた開いたとき…あの凶悪な男が目の前にいるのではないか。
目撃者である自分を殺しに、そこにいるのではないか。
そう考えると目を瞑ることもできず…。
柴崎はただひたすら震え、怯えることしかできなかった。
病室の時計の針は23時を指していた。
ふとドアの外で、母親の声が聴こえてくる。
おそらく柴崎の所有品から、身元や家族構成を調べたのだろう。
その声はドアを隔てた病室の中にも聞こえてくるほど狼狽している。
柴崎は朦朧としている意識の中でも
『今は、母に会いたくない』
漠然とそう思い…面会に訪れた母に対し目も向けず、返事も返さず…。
ただそのまま母が帰るまで、人形のように空虚な時間を過ごした。
―――――
次の日の朝、病室にいる柴崎に対し、警察官が聴取に訪れる。
どうやら昨夜はあの後も犯人が暴虐の限りを尽くしたようで、多くの死傷者が続出したらしい。
柴崎が所属していた暴走族『殺滅舞霊’Z』も、多くの被害者…死者さえも出たとのことだ。
「嘉一くん、昨夜にあったことで、覚えている限りのことを教えてくれるかな。
犯人のことでも、なんでも」
警察官の一人…『磯部貴史』が、優しく柴崎にそう話しかけてくる。
一日経ち少し落ち着いた柴崎は、昨夜の犯人のことを話そうとするが…。
その前に、殺滅舞霊’Zに加入する際、必ず守れと言われた掟をふと思い出す。
殺滅舞霊’Zの掟…それはシンプルなものだった。
『仲間を売るな。チームのミッションは話すな。掟を破った者には制裁を与える』
というもの。
ついそれを思い出してしまった彼は、警察官に目をあわさず、呟くように言った。
「覚えていません。何も…何も、話せることは何もありません」
警察官の磯部が何を聞いても、柴崎はそう答えるのみだった。
いったん聴取を諦め、病室から外に出た磯部が、柴崎の母に語り掛ける。
「…心因性のショックかも知れません。
代わりに、お母さまからお話を伺っても…」
その声は、病室の中にいる柴崎にも聞こえていた。
―――――
…昼下がり。
警察官の聴取が終わった母が、横になっている息子に優しく話しかけてくるが…。
柴崎はその声にも返事を返さず、ずっと窓から外を眺め続けていた。
柴崎の両親は数年前に離婚し、彼は母親一人の手で育てられていた。
父は連絡も一切よこさず、取り決めた養育費さえまともに払っていない。
そんな中、母は朝から晩までパートで働き、生活費や自分の授業料などの学校にかかる費用を支出していた。
寝る間も惜しんで。
ふと、柴崎は自分の環境を振り返る。
母の苦労を知らずに、自分は勝手に学校を退学し…。
家にも帰らなかったあげく、暴走族に加わってしまった。
いや、知っていたのだ。
母の苦労を知っていて、それでも自分の心のままに行動してしまったのだ。
あまりにも矮小で器の小さい、自分の心のままに。
自分に嫌気がさした彼がふと外を見ると…。
窓の外には幸せそうに笑い、退院していく家族が見える。
そのうちの1人の少年に見覚えがあった柴崎は、その顔をよく見ると…。
それは、自分を今こんな状況に追いやった元凶である霧神慎之介だった。
慎之介は両親と姉に連れられ、車に乗っている。
その幸せそうな笑顔が目に入った柴崎は沸々と怒り、憎しみが心に宿った。
『なぜお前が幸せそうに笑う。俺はこんな絶望と恐怖の底にいるのに。
なぜお前には両親がいる。俺には母しかいないのに。
なぜお前が光の下を歩む。もう、俺には進むべき道はどこにもないのに…』
そして、彼は慎之介にある感情を抱いた。
…それは、心の底から湧き上がってきた殺意。
(殺してやる…。
なにがあっても絶対に、あいつだけは殺してやる!)
しかしその時、柴崎の殺意に気づいてか気づかずか…。
母が目を伏せながら、彼に声をかけてきた。
絞り出すように、ほんの一言だけを。
「嘉一…ごめんね」
その言葉と、涙を流す母の顔に、柴崎はハッと我に返った。
(俺は、いままで何をやっていたんだろう)
―慎之介に破れてから、今まで何回もまっとうな道に戻る機会はあった。
現に兄貴分の澤山哲司や香田喜太郎も、道を踏み外しそうになりながら、そうやってまっとうな道に戻っていった。
…だが、振り返れば己はどうだ。
戻るチャンスは何度もありながら、己の癇癪のままにどんどん堕ちていった。
底まで堕ちたのは誰かのせいではない、自分のせいなのだ。
そして今、母親を泣かせてもなお、それを他人のせいにしようとしている。
あげくに殺意まで抱いて。
自分で自分から目を背けて逃げ続けた結果が、今いる場所なのだ。
それはすべて自分のせいなのだ。
…彼は、そう思い知らされた。
「母さん、俺…退院したら、家に帰るよ」
それでも母の顔は見られず…振り絞るように柴崎は言った。
―――――
数日後の昼。
体調が回復した柴崎は退院し、家に帰っていた。
その日は警察の事情聴取があり、警察官からは事件のことを詳しく聞かれた。
しかし、答えるのは決まって、わからない、思い出せない、の言葉のみ。
柴崎になんの恩恵ももたらさなかった殺滅舞霊’Zの掟が、彼を今でも縛り続けていた。
警察署からの帰り道、柴崎はため息をついて歩いていた。
警察には、正直に答えた方が良いに決まっている。
だが、それをもとに殺滅舞霊’Zの連中に目を付けられたら、と思うと…。
どうしても何も話すことができないでいた。
その途中、彼はコンビニの駐車場で豚丼を食べていた。
家に帰っても仕事で母はいない。
朝の出かけに母が用意した昼食は家にあるが、なぜだか食べる気はせず一人で昼食を済ませていた。
…そんな折、騒々しい二台のバイクがコンビニに止まり、二人の中年が入店しようとするが…。
そのうちの一人が豚丼を食べている柴崎を見つけて、声をかけてきた。
「お?なんじゃお前、新入りの豚やないけ」
それ合わせて、もう一人も柴崎を見て嘲笑う。
「おお、ほんとじゃ。豚が豚を喰っとるわ。共喰いじゃ、ハハハ」
聞き覚えのあるその声に柴崎がギョッとしてそちらを見る。
…それは、殺滅舞霊’Zの人間だった。
それも死んだジョーくんたちとよくつるんでいた二人。
加入直後の自分をよくいじめていた連中だ。
なんでこのタイミングで、と柴崎が呆然としていると…。
そのうちの一人が因縁を付けてきた。
「おー、俺らのダチが死んだってのに、お前はずいぶんのんびりしとるのー。
罪の意識はないんか?コラ。
俺らのダチを死なせたっちゅう罪の意識はかけらもないんか?
ずいぶん薄情者じゃの、豚、おいコラ」
その言葉に、柴崎は目を伏せる。
ジョーくんたちが死んだのは、柴崎には一片の責任もない。
罪の意識とか何とか言っているが、この二人はただ彼に因縁をつけ…。
憂さ晴らしに殴り、金を巻き上げたいだけなのだ。
そんなガラの悪い中年二人に絡まれている柴崎を、周りの人間は見て見ぬふりをして通り過ぎる。
因縁を付けられている間、柴崎は目を伏せながらも…ずっと考えていた。
『堕ちるところまで堕ちれば、あとは上がるしかない』
そんな言葉があるが…あれは嘘だ。
堕ちたその先、落とし穴の底…そこは、這い上がる切っ掛けさえもない。
真っ暗で前は見えず、こいつらのような存在に足を取られ動くこともできない。
這い上がることなど、もう決してできない…と。
しかし…。
「あれ?柴崎さんじゃないですか。なんか久しぶりですね」
駐車場に止まった車の後部座席から出てきた少年が、自分を見て声をかけてくる。
それは、かつて柴崎が殺したいほど憎かった少年―霧神慎之介だった。
「おっ?なんだ慎之介、友達か?」
そして運転席から、金髪で筋骨隆々としながらも、変なライオンのTシャツを着た男も現れる。
そしてその男は…柴崎と、それに絡んでいる二人の中年を交互に見る。
「なっ、なんじゃワレ!なんか文句でもあるんか!!」
「おおよ、ワシらはただの知り合いじゃ!お前には関係ないぞ!」
さすがにその金髪の男の威圧感を恐れたのか、中年二人は少し怯みながらそう威嚇するが…。
金髪の男は何も物怖じせず、中年の乗っていたバイクに近づいて言った。
「いや、別にそれには文句ねえよ。ねえけど…邪魔なんだよ、これ」
そして、金髪の男は後ろに誰もいないことを確認すると…。
片方のバイクを片手でつかみ、そのまま勢い良く上に放り投げた。
バイクは天高く舞い…。
ガシャアンッ!!という派手な金属音とともに地面に叩きつけられた。
金髪の男は息も乱れず…しかしニヤッと笑いながら、中年二人に問いかけた。
「ここ、車とかバイク止めていい場所じゃねえぞ。
他の客の邪魔になるだろうが。
…で、どうする?
もう一台も同じ目に遭ってみるか?それともお前が空を飛ぶか?
空を自由に飛びたいなら、叶えてやってもいいぞ?」
その言葉に中年二人は捨て台詞を吐いて急いで逃げようとするが…。
そのうち一人の襟を金髪の男が掴む。
そして、もう片方の手で空を飛んだバイクの残骸を指差した。
「ちょっと待て。どっちでもいいから持って帰れ、あれを。
店の迷惑になるし、そもそもお前らの物だろうが」
―――――
―さて、中年二人が壊れたバイクを曳きながら逃げ帰った後…。
それを平然と見ていた慎之介が、金髪の男に笑いながら言う。
「放り投げられたら、空を自由に飛ぶとは言わないでしょ」
そんな慎之介に対し、柴崎が問いかける。
「慎之介、お前…なんでここに…」
慎之介はそれにさらっと答えた。
数日前、格闘家連続殺人犯の犯人と遭遇したこと。
そのため警察から事情聴取を受けることになったこと。
今日は平日だが、その事情聴取のため学校を休んだこと…。
「あの人、大輔さんって言うんですけど…僕のお兄さんみたいなものです。
その犯人も、あの人が撃退したんですよ。
あっ、一度会いませんでしたっけ?そういえば」
尊敬と憧れを持って、慎之介がその金髪の男を指差して、柴崎に言う。
そこには、一切の曇りはなかった。
―柴崎は考える。
なぜ自分と違い、慎之介はこれほど恵まれているのか、と。
高校一年生ながら並外れた実力を持ち、容姿にも仲間にも恵まれている。
格闘家連続殺人犯の犯人に遭遇しながらも、強く心を持ち、こうやって笑顔を見せている。
…自分とは違う。何もかも正反対だ。
なぜ運命は、自分と彼を出会わせてしまったのだろう。
(こいつにさえ会わなければ…きっと俺は普通に暮らせていたんだろう)
それが柴崎の出した答えだった。
…だが、そこに妬みはあれど、今は殺意はなかった。
―柴崎は思う。
もともと、自分と彼とは存在の質が違うのだ。
慎之介が物語の主人公のような存在ならば、自分はその他大勢にすぎない脇役。
いや、名前さえも与えられない端役なのだ。
遅まきながら、そのことにようやく気付いた。
ならば、と…。
「慎之介…ありがとう。でも俺はやっぱり…お前が嫌いだよ」
事件後初めて柴崎が笑い、そう言った。
気づくのは遅かったが、遅すぎたわけではないと振り返りながら。
端役には端役なりの人生の在り方がある、と確信しながら。
そして…この日を最後に、慎之介と柴崎は、二度と出会うことはなかった。
―――――
―六年後。
住んでいた都内の花宮町から遠く離れた、徳島県T市。
母親の実家があるその場所で、柴崎は生活していた。
「親方ァ!これどっちッスか?」
工事現場で一輪車を曳きながら、柴崎が尋ねている。
彼は人生を諦めず、落とし穴の底から這いあがっていた。
切っ掛けは病室での母の言葉と、あの日の慎之介との最後の出会い。
それに触発された
『負けてたまるか。世界の端役なりの人生と意地を見せてやる』
という、その気概だった。
『もう、母に苦労はさせない。
華々しくなくとも、自分には自分なりの闘いがある。
落とし穴の底に落ちて、前は何も見えなくても…。
諦めず上を見上げ続ければ空は見えるのだ。広く、青い空が』
それが柴崎の出した、世界の端役なりの人生と意地の答えだった。
―――――
休憩時間、プレハブ小屋で現場のみんながTVを観ている。
なんでも日本の大企業の御令嬢が結婚したそうで、そのニュースが流れている。
「ほお~、この旦那さん、玉の輿じゃの~。
いや、男の場合は逆玉っていうんじゃったか?」
「いやあ、この夫もなかなかの格闘家らしいぞ。
まだ大学生ながら、その筋ではかなり有名とか」
「おお!?大学生で結婚なんか!?やるのぉ~」
そんな会話が飛び交う中、TVを観た柴崎が、ふいに笑う。
その夫の名が、見覚えのある名前…霧神慎之介だったからだ。
やっぱりあいつはすげえな、世界の主役なんだな、と思いながら…。
柴崎は、したり顔でみんなに話しかけた。
「俺むかし、この夫に喧嘩売って一発でやられた時があるんですよ。
滅茶苦茶強かったですよ、こいつ…本当に」
今でもわずかに妬みや羨ましさはあれど…。
柴崎にはもう、慎之介への憎しみや殺意など、微塵も残っていなかった。
―今日も、空は青かった。
[落とし穴の底はこんな世界/摩天楼オペラ『JUSTICE』]




