外伝①「逆光~この坂の向こうに~/霧神宗一」
ここは都内S区花宮町、緑の街路樹が陽の光を浴びて綺麗に並ぶ並木通り。
その一角に築30年ほどの、3階建てのビルがあった。
1階は老夫婦が営んでいる中華料理店『蒼天白月』、3階は空室、そして間の2階には『司法書士きりがみ事務所』と看板が掛けてある。
そう、ここは本編の主人公霧神慎之介の父である『霧神宗一』が開いている司法書士事務所だった。
今年で45歳になる宗一は、司法書士としては、まあ一応どちらかといえば若い方ではある。
だが、司法書士きりがみ事務所は前身である『司法書士鈴木法務事務所』から数えると、その歴史はそれなりに古い。
元は宗一の祖父である『鈴木太一』が50年ほど前に開設した事務所だった。
20年ほど前に宗一が司法書士試験に合格し登録してから、祖父と宗一、そして数名の補助者で事務所を運営してきたのだ。
そして10年前に所長であった太一が引退し、今は『若先生』こと宗一が所長となっていた。
それを機に事務所の場所も近くの空きビルに移転し、名前も『司法書士鈴木法務事務所』から『司法書士きりがみ事務所』へと変えたのである。
―――――――――――――――――
「それじゃあ、書類を受け取りに花宮信用金庫に行ってきます」
お昼を少し回ったころ、事務所の補助者たちに声をかけ、宗一が司法書士試験の合格祝いに妻に買ってもらったバッグを持ってドアを開ける。
「うむ、行ってこい」
補助者であり、自分の父でもある『鈴木隆一』が椅子にふんぞり返って新聞を読みながらそう声をかける。
隆一は公務員であったが、定年退職後に事務所に補助者として勤務していた。
そのせいか、ある意味隆一の方が事務所の裏の所長であり、また初めて来所する者はみな宗一より無資格者である父の隆一の方を『先生』と呼ぶ。
もっとも、祖父の太一や父の隆一の名前のおかげで相談に訪れる客も多く、営業が苦手な宗一はその面では助かっていたのだが…。
(もう少し威厳とかつけた方が良いのかな。髭とか生やしたりして)
そんなことを考えながら、宗一は事務所を後にした。
―――――――――――――――――
花宮信用金庫に到着後、担当者を待つ間に宗一は少し自分の人生について振り返っていた。
祖父が司法書士、父が公務員というお堅い家柄から、幼い頃から周囲にはよく言われていた。
「宗一君は将来おじいさんの事務所を継ぐの?それとも弁護士とかになるの?」
もともと将来の夢など何もなく、卒業文集などの『なりたい職業』には、周りに合わせ野球選手やサッカー選手などと適当に書いていたことを思い出す。
物心ついてからはなんとなく弁護士となるべく、難関である私立花宮大学法学部を目指すが…。
どこか本気になれなかったからか、それとももともと素養がなかったのか、残念ながら不合格。
やむを得ず法学部より大きく偏差値の下がる同大学の文学部に入学した。
(ああ、あの時は怒られたなあ。大学には合格したのに)
くどくど説教をする父、それを止める母…当時のことを思い出し、宗一は苦笑するが…変な人間と思われてはたまらないな、とまた真顔に戻った。
―――――――――――――――――
登記の書類を渡した後に定期預金を勧めてくる担当者の誘いをやんわりと断りながら、宗一は帰路につく。
先ほどの過去の回想、その続きを思い出しながら。
(そういえば雪乃さんと会ったのも、この季節…確か大学3年生の春だったな)
今の宗一の妻である霧神雪乃。
同級生であった彼女は、大学の頃から美しく華やかな存在だった。
老若男女問わず人気があり、引く手あまただった彼女がなぜ冴えない自分を選んだのか、それは正直、今でもよくわからない。
理由を聞いたこともあるが、その時は決まって彼女は微笑みながらこう言った。
「だって宗一さん、闘いの匂いがまったくしない人だったから」
それがいいことなのか憂慮すべきことなのかはともかく、先祖代々から古武術を受け継ぐ彼女にとっては重要なことだったのだろう。
とにかく雪乃とは大学期間の交際を経て、卒業後すぐに結婚することになった。
霧神家の要請で婿養子となり、鈴木の姓を捨てることになった時の父の激怒っぷり、これもよく覚えている。
鈴木の名を捨てるなんてどういうつもりだ、お前は跡取りの自覚があるのか、と。
これには宗一も強く反論した。
そりゃあ、鈴木より霧神の方が良いに決まってるよ、と。
思えば、あれが父への最初の反抗だった。
それだけ自分も、雪乃を愛していたのだろう。
まあ、それがきっかけで当時は鈴木の実家からはほぼ絶縁され、卒業後は祖父や父の息がかかっていない別の法律事務所の事務員として勤務を始めたが…。
(おっと、それより事務所に帰らないとな)
そう考えて、宗一は近道である曲がり角を曲がった。
―――――――――――――――――
事務所へと向かい歩いている途中、不意に隣に『レクサスLX』が停車する。
この車は、昔からよく霧神家に遊びに来ていた仲村大輔の愛車だ。
確か通称『激情くんV3』だったか…。
見ると、助手席には娘・詩音が乗っている。
(なんだ、デートか?相変わらず仲がいいな、この二人は)
と思う宗一に、大輔が気さくに声をかけてくる。
「宗一さん、ちょうどよかった。
今からちょっと相談できりがみ事務所行こうと思ってたんです。
乗っていきませんか?」
「ああ、それはありがたいね。お願いしようかな」
そういうと、宗一はレクサスLXこと激情くんV3に乗り込んだ。
運転中、大輔は己の相談事を話してくる。
なんでも、遺言で受け継いだ、今は亡き養父・三刀谷篤郎氏のアパートの賃借人が、賃料を半年ほど滞納しているのだとか。
己の経験と知識による解決策を話していると…詩音が助手席から口を出してくる。
「お金持ちっていうのも、大変なんだなあ」
ひとしきり解決策を話し終わった後、宗一は過去をまた回想する。
雪乃と結婚した一年後に、この詩音が生まれた。
実家から絶縁された状態だった当時の宗一は、生活費を一番に心配した。
自分の貯金は心もとないし、一介の事務員にすぎない自分では、給料も大したことはない。
果たして育てていけるのか…と。
それでも妻の雪乃やその母・霧神トメノ、今は故人だが父・霧神康太は笑いながら言った。
霧神家には悪党をぶちのめして得たお金があるから、何も心配はない、と。
その言葉を聞いて、宗一は安堵するどころか、自分を不甲斐なく思った。
護るべき存在である夫、そして父となる自分が、いつまでも護られていてどうするのだ、と。
宗一は康太やトメノに頭を下げて、それこそ土下座をする勢いでこう言った。
「しばらくご迷惑をかけてしまうこと、本当に申し訳ありません。
この恩は必ず返します。
そして、この恥もかならず返上します」
霧神家の人間が、その言葉に何を思ったかはわからない。
雪乃にもトメノにも恥ずかしくて聞けないし、自分と同じ婿養子の康太にも、結局彼の生前には聞けなかった。
今宗一が思い返しても、当時は何者でもないくせにずいぶん思いあがっているというか、恥ずかしくなってしまうようなセリフだった。
とはいえその奮起が功を奏したのか、宗一は運良く24歳で司法書士試験に合格。
もともと父ほど怒っていたわけでもなく、それにちょうど高齢に差し掛かりそろそろ後継者を探していた祖父・太一とも和解し、宗一は司法書士鈴木法務事務所に勤務司法書士として加わったのだった。
まあ、父・隆一とは明確に和解した記憶はなく、いまだに少し根に持っているようだが…。
―――――――――――――――――
さて、きりがみ事務所に戻った宗一たちだが、詩音と隆一が顔を合わせるなりいきなり口喧嘩を始める。
「詩音!祖父に向かってその態度はなんだ!だいたいお前は昔から…」
「鈴木のおじいちゃんは古いんだよ!なんかすごい偉そうだし!
何様なの!?」
詩音の横で大輔が困った顔をしているが、補助者たちは『あー、また始まった』という様相で気にしていない。
この二人は似た性格をしているせいか、顔を合わせるたび喧嘩が始まるのだ。
原因はまあ、どっちもどっちなのだが…。
無職だった詩音を一時期きりがみ事務所で働かせようとした時もあったが…。
これのせいで断念せざるを得なかったことを思い出し、宗一はクスッと笑う。
「なんだ宗一!何を笑っている!だいたいお前の育て方が悪かったから…」
とすごい剣幕で怒鳴り散らす隆一に向かい、宗一は軽く言い放つ。
「さあ、育て方がどうとかは知りませんが…。
詩音の言う事にも、一理あるんじゃないですか」
霧神宗一、今なら普通に言える父への反抗の一言であった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日の夕方。
息子・霧神慎之介が、学校終わりにビル一階の『蒼天白月』で塩ラーメンを食べながら、宗一に言う。
「なんか鈴木のおじいちゃん、すごく怒ってたけど…なんかあったの?」
「あー…今日の午後、また詩音と喧嘩したんだ。ま、いつものことだよ」
同じく塩ラーメンを食べながら宗一は軽く答えた。
詩音の5年後に生まれた長男、慎之介。
なんでも霧神家にとって男子が生まれるのは明治の初めのころ以来らしい。
慎之介が生まれた時に雪乃とトメノ、今は亡き康太、さらには普段集まらない霧神家の親族があの山奥に一同で集結し、たいそう喜んでいたことを思い出す。
塩ラーメンを食べながら、宗一は自分を振り返る。
今では自分も、それなりに稼げるようになった。
もう雪乃にも息子にも、少なくともお金で不自由させることはないだろう。
贅沢しない限りは…という条件は付くが。
恩は返せただろうか、恥は返上できただろうか。
…宗一はそんなことを考える。
(いいや、まだだ。まだまだ)
詩音は大輔とともに支え合って独り立ちしたと考えてもいいが、慎之介はまだ高校生。
最近では霧神家の宿命ゆえか多くの闘いに巻き込まれ、あるいは自分から立ち向かっているようだが、それを己が望むならそれでいい。
自分はできることを、我が子のために全力でやるのみだ。
この子たちを不幸にさせるわけにはいかない。
それまで自分の戦いは終わらないのだ…と、宗一は決意した。
「…ところで、慎之介は将来の夢とかあるか?」
「え、なんで急に?…うーん、別に何も考えてないけど」
「そうか。それなら、司法書士はやめた方が良いぞ」
なぜか同業者たちが一斉に口にする
『自分の子にはこの仕事をやらせたくないんだよね』
という事実。
なんとなくそれを言い、宗一は塩ラーメンのスープをレンゲですくった。
本編から1年後。
霧神親子の幕間の一日は、こうして過ぎていった。
[逆光~この坂の向こうに~/Klaha 『切望』]




