第1話「ONCE UPON A TIME」
時は令和、202X年4月半ば。暦の上ではもう春とはいえまだ肌寒さを残すこの時期は、多くの新社会人や新入生が夢と希望を胸に抱き、新たな道を歩みだす季節である。言わばそんな祝福される時期であるにもかかわらず、この国は一昨年から続く暗いニュースに包まれていた。
『格闘家連続殺人事件』。
流派や年齢を問わず、日本全国の高名な格闘家が数カ月に一度の期間で殺傷されている連続殺人事件、それはいつしかこう呼ばれていた。凶器も犯人も不明ながら、殺害現場には被害者の血で『陰』という文字が遺されている不可解極まりないこの惨殺事件。対象の格闘家のみならず、居合わせた家族までが犠牲となっているこの凶悪、残酷極まりないこの事件に、今や日本中の人々が恐怖していた。
日本中の格闘家の家族は涙ながらに格闘技を捨てることを懇願し、中には実際に格闘から身を退く者もいた。世間はいまだ犯人さえ発表していない警察に批難を浴びせ、ワイドショーは「犯人の狙いは、目的とは?」「『陰』が意味するものは?」「単独犯?複数犯?」と面白おかしく流している始末だった。
さて、ここは東京都S区花宮町にある私立花宮高校、そのボクシング部の部室。そこで、三年生の澤山 哲司が、格闘家連続殺人事件を面白おかしく書き立てた週刊誌を投げ捨て、鼻で笑う。
「くだらねえ。前も言ったが、殺された連中が弱かっただけじゃねえか」
そう、世間では哲司の言うこの意見も少ないながら散見された。武道家が弱かっただけ、格闘家なら対処できるべき、という声も実は存在したのである。無論、悪いのは犯人なのだが…。
「哲司さんならやれるッスよ。この犯人を捕まえてぶっ殺して、金一封とかもらいましょうよ」
と哲司の腰ぎんちゃくのやや太った男、柴崎嘉一が言う。哲司もその意見をご満悦に聞き、自慢のオールバックをいつも持ち歩いている櫛で整えた。
「おうよ。何と言っても俺は『高校ボクシング界の帝王』だからな!」
そう、哲司は昨年の高校ボクシングインターハイのライト級王者である。一度もダウンすることなく優勝し、日本ボクシング界のホープとして将来を待望されている身。素行に少々問題はあるものの、表立った悪さはしていないため、黙認されている状態…『高校ボクシング界の帝王』とまで呼ばれた男、それが澤山哲司だった。
ヨイショする柴崎とご満悦な哲司。そこに哲司の彼女である岬絵美里が部室に入ってくる。なにやら慌てた様子だが…。
「なんだよ絵美里、どうかしたのか?この部室は女人禁制だぞ」
と言う哲司に絵美里は息を切らせて言う。
「新入生が来たよ。でも入部希望とかじゃなくて、なんか様子が変なんだ。すっげえ可愛い男の子なんだけど…言ってることがよくわかんねえんだよ」
「新入生?…ああそうか、そういやそんな時期だな」
と哲司は思い返し、部室を出て柴崎とともに練習場に向かった。妙な様子の絵美里に疑問を抱きながら。
練習場に向かうと、すでに待っていた背丈の小さな少年―身長は165㎝程だろうか―が、哲司をみて微笑んだ。
「あ、こんにちは。澤山哲司さんですか?僕は霧神慎之介と申します。この前花宮高校に入学した一年生です。よろしくお願いします」
と、その少年が礼儀正しく哲司に頭を下げる。哲司が霧神慎之介と名乗るその少年を見ると…なるほど、確かに美形だ。幼さはまだ残しているが、純朴そうで優しそうな少年と言ったところだろうか。絵美里が、かわいい~礼儀正しい~と黄色い声をあげる。己の彼女のその姿に哲司は少しムッとしながらも、慎之介に入部希望者なのかを問うが…。
「いえ、入部希望じゃありません。この学校ではボクシング部の澤山哲司さんが一番強いって聞きまして。道場破りと言うか…わかりやすく言えば、喧嘩を売りに来ました」
と、慎之介は笑顔で答えた。
その言葉に、哲司も柴崎も絵美里も仰天する。道場破り!?なんと時代錯誤な少年だろうか。不良と言う言葉でさえとっくに死語となった令和のこの時代に、しかも部活動に道場破りとは。
絵美里が慎之介を優しく諭すが、彼はそれでもあきらめないようだ。哲司もため息をつき、自分はプロを目指しているので素人と喧嘩はできない、ましてやお前のような子供と、と言うが…世間知らずの慎之介に柴崎が息巻いて上着を脱ぎ、自分のグローブを用意し始めた。
「哲司さん、いいじゃないッスか。世の中舐めきってるこのクソガキに世間の厳しさ思い知らせてやりましょうよ。ちょっとツラがいいからって調子に乗りやがって…おい小僧、慎之介っつったか。リング上がれ。まずは俺が相手してやる」
と言い、柴崎はリングに上がる。こうなってはもう彼は止められない。短気で血気盛ん、舐められたら止まらないのがこの男だ。そのせいで部内の人間とも小さな揉め事が絶えず、そのせいで花宮高校ボクシング部は澤山哲司というスター的な存在がいながらも、部員は敬遠してなかなか部活動に来ない。たまに部員が練習場に顔を出しても『あっ、柴崎がいる』と気づくとすぐに踵を返してしまい、入部希望の新入生も柴崎の圧迫的な態度に入部を諦めてしまうのだ。
しかし哲司にとって柴崎は一年間指導を続けた可愛い後輩で自分には従順、そしてそれなりにボクシングの才能もあり、練習自体はそこそこ真面目にやっている。そこに哲司も少し、いやかなり困っているのだが…。
だがやはり新入生相手に問題を起こされたらまずい。今までは言い訳もつく小さな揉め事であったため哲司の栄誉や将来に免じて大会出場停止等の処分はなかったが、柴崎がもし限度を超えて新入生を痛めつけたらそうもいかないだろう。折も悪く、今日は顧問も会議で不在だ。
ため息をつきながら哲司は柴崎を止めようとするが…そんな心中を察したのか、慎之介が笑いながら言う。
「澤山さん。ひとまず僕、ボクシング部に入部します。そうすれば先輩と後輩のスパーリングなので、問題ないでしょ?」
いや待てそういう問題じゃない…と哲司が言おうとするが、慎之介はひらりとリングに飛び入った。まるで羽が生えているような、その身軽な跳躍を見て哲司が驚嘆する。動きづらい学生服であの動き、あれは素人じゃない。あの小僧、いったい何者なんだ…と。
「お、おい哲司!止めなくていいのかよ!?止めてやれよ!」
絵美里が哲司に慌てて言うが、先の慎之介の動きに興味を持った哲司は絵美里を制す。
「ちょっとだけ様子を見させてくれ。危なくなったらすぐ止めるよ。あの新入生…もしかしたらすげえ逸材かもしれねえ」
「お互いヘッドギアとかなくても大丈夫ですか?僕は大丈夫ですけど。あ、ちなみに僕はグローブもないですけど」
リングに飛び込んだ慎之介は柴崎にそう言う。まるで挑発のようなその言葉に柴崎はまた逆上し、有無を言わさず殴り掛かっていく。
ボクシングでは階級という超えられない壁がある。上背ならばウェルター級、いや減量していない今ならもっと重量はあるかもしれない柴崎と、良くてもフェザー級程度の上背しかない慎之介では、たとえ彼が逸材だとしてもはっきり言って結果は火を見るより明らかだ。あの新入生が大怪我する前に止めなきゃな、と考える哲司だが…。
勝負は一瞬で終わった。怒りつつも相手を侮った柴崎の力任せのストレートに慎之介がカウンターをドンピシャで顎に合わせ、柴崎は一撃でダウン。軽い脳震盪を起こしたのか、彼はそのまま倒れ気を失った。
「澤山さん。僕に手加減はいらないってわかったはずです。負けたら澤山さんにももちろん、この倒れている人にも謝ります。道場破り、受けてもらえますか?」
と言う慎之介。ただならぬ目の前の出来事に哲司が呆気にとられるが…すぐにふっと笑い、自分のグローブとヘッドギアを用意する。そして予備のグローブを慎之介に放り投げた。それを観て慎之介が笑い、気を失ったままの柴崎をリングの外に転がり落とし、渡されたグローブを身につける。
「ちょ、ちょっとやめなよ。あんたが本気出してどうすんのさ。相手は初々しい、可愛い新入生だよ!?」
という絵美里を無視して、哲司が試合と同じ様相で、自分の入部当時のことを思い出しリングに上がる。
そうだ、自分もボクシング部に入部した際、当時の部長に本気のスパーリングを申し込んだ。弱いくせに偉そうにふるまっている部長がとにかく気に入らなかったから。自分がやったことを、やられる番になって拒否するわけにはいかない、とその時のことを思い出しながら。
「慎之介だったか。よければ聞かせてくれよ。この道場破りの目的ってなんだ?」
とリングで構えた哲司が問う。慎之介がそれに答えようとするが…哲司はその言葉を待たずに突進し、ジャブを打つ。返事は問題ではない、問うたのは、ただ慎之介の隙を作るため。
「なるほど、さっきの人とは全然違うね。さすが高校ボクシング界の帝王」
と慎之介は感心しながら言うが…哲司のジャブは当たらず、全弾慎之介にかわされている。
(お、俺のジャブが当たらねえ!?こいつ、いったいどんな動体視力してんだ!?)
と哲司は驚愕する。ボクシングのジャブと言えば、格闘技の中でも最速と言ってもいい攻撃。ましてや『高校ボクシング界の帝王』澤山哲司のジャブだ。プロならともかく、かわせる者が同年代にいるとは彼も想像さえしていなかった。
「あなたが、格闘家連続殺人事件の犯人を挑発しているって聞きました。だから確かめようと思ったんです。あなたが『あいつ』に勝てるかどうか」
慎之介は驚異的な身体速度で哲司のジャブをかわしながらそう言う。『あいつ』…それはおそらく格闘家連続殺人事件の犯人。
その言葉を聞いて絵美里が、あっ、と思い出す。柴崎がSNSでその犯人を挑発する投稿をしていたことを。さすがに澤山哲司という実名までは出していなかったのだが、その投稿内容から花宮の人間なら容易に推測がつく内容だった。思った以上に広まってしまったため、絵美里は消した方がいいと言っていたのだが、虎の威を借る柴崎は大丈夫ですよと笑って聞かず、自分の力を過信していた哲司もそれを止めなかったのだ。
「でも駄目です。申し訳ないですけど、この程度じゃはっきり言って話にならない。諦めてください」
と慎之介は残念そうに言うと…柴崎と同じように哲司の顎を一瞬のカウンターで打ち抜いた。グローブ越しだというのに、想像をはるかに超えた疾く重い拳が顎を通じて哲司の脳を揺らし、上下の世界を反転させる。
(い、逸材どころじゃねえ…天才、いや超人だ。人じゃねえ…)
先ほどの慎之介への評価をさらに一変させ、哲司はたまらずリングに膝をついた。
立ち上がれずリングに座り込むとも、なんとか意識は保っている哲司が聞く。
「俺の負けだ。完敗だよ…なあ、せっかくだから聞かせてくれ。その、格闘家連続殺人事件の犯人…お前は、知ってるのか?」
その言葉に、慎之介は厳しい顔をして頷いた。
「知っています。犯人の本名は知りませんが、通り名も知っています。でも、今どこにいるかはわからない。次に誰を狙っているのかもわからない。そして今、僕があいつと闘っても勝てるとは思えない。だから強くなりたい。もっともっと強く。あいつを倒すために…そのために、道場破りをしました。ごめんなさい」
と頭を下げる慎之介。
「いいよ、気にするな。俺も…鼻っ柱折られて、いい経験になったよ」
哲司は慎之介のその妙な素直さと、世の中の強者の奥深さを知ったように笑った。
礼をして帰る慎之介を、哲司と絵美里がリング上で見送る。
「信じられない、あんたが負けるなんて。それも、あんなにあっさり…あの子、あんなかわいい顔していったい何者なんだろうね」
絵美里が驚いてそう言うが…哲司は何も言わず、しかしやたら可愛いを連呼する絵美里に、ああ、こいつは慎之介みたいな中性的な可愛い男がタイプなのか、俺とは全然違うじゃねえか、とまた笑った。
だが、そんな中…帰る慎之介の後姿を、目を醒ました柴崎がずっと睨みつけていた。悔しそうな、忌々しそうな目つきで。
「よーし、今日こそは30分切るぞ!」
花宮高校から電車とバスに揺られて帰路に就いた慎之介が、目の前の山を観て気勢を上げる。そして携帯を取り出し「今から山越えます」と姉にメッセージを送り、都内O市にある高山を駆け上っていった。
時には花咲く整備された山道、時には道なき獣道を駆け上り、まずは一つ目の山の頂上へ。そしてさらに山の中腹を駆け、さらに高い山の頂上へ。時にはイノシシから必死に逃げ、時にはキツネを観て癒されながら。
その険しい山道を走りながら慎之介は思い出す。格闘家連続殺人事件。彼がまだ中学生だった時の頃、通学の地域内でその事件があった。二年ほど前、いわば一連の事件で初期の頃の出来事だ。
地域でも人格者として知られていた高名な柔道家が自宅で殺害され、たまたま居合わせた彼の娘も殺された。それは数少ない慎之介の友人だった。初恋と言うにはまだ幼く淡い感情をその少女に抱き始めた矢先に、彼はその子が犯人に殺されたこと、そして現場にはその子の血で『陰』と書かれていたことを知った。柔道家の娘であっても、彼女は格闘技に向いていない優しい性格だった。そんな人物でさえ無差別に殺害するその犯人…裏社会の通り名で『ガイゼン』と呼ばれているらしいその男に、慎之介は強い怒りや憤り、そして憎しみを抱いていた。
きっと一生忘れることはないだろう。必ず見つけだし、そして倒す…いや『殺す』。そのために、慎之介は必死で強くなろうと心に決めていた。
山道越えの目的地…山の奥にあり周囲に桜の花や桃の花が咲き乱れているなか、『霧神』と書かれた古く大きな表札を掲げる、これまた古く大きな一軒家に到着し、ゴール!と慎之介は声をあげる。
その声を聴いて、歳は20代前半ほどの長い黒髪の美しい女性が現れ、笑顔で慎之介に微笑み声をかけた。
「んー、33分46秒。惜しい、30分は切れなかったか。まだまだ奥義は授けられないな、慎之介」
慎之介は息を切らせながら、黒髪の女性…慎之介の姉の霧神詩音に反論する。が…。
「大の大人でも4時間はかかる道なんだから、これでも大した成長でしょ。というか、いい加減整備しようよこの道。ロープウェイとか走らせたり。父さんなんか、この道の過酷さに週末しか帰ってこないじゃんか。というか昔から疑問だったんだけど、なんで電波通ってるの?この家」
「残念、私なら途中でキツネと遊んでも余裕で25分で山越えできるし、大輔なんか10分で来るぞ。ともかく、まだまだ成長途上ということだな。なんで電波が通っているのかは私も知らん。さあ、母さんがハンバーグを作っている。手伝ってあげよう」
と詩音は笑顔で弟を迎え入れた。都内ではあるものの、山奥のそのまた山奥。霧神家はそこにあり、そこから毎日、それこそ小学生の頃から毎日通い続けた慎之介。彼の超人ともいえるバイタリティや能力はそこから生まれたと言えるのかもしれない。
時を遡ること平安時代中期、藤原純友という偉人がいた。彼は任地の海を支配していた海賊たちに目をつけ、自らの優れた交渉力と統率力を用いて彼らと徒党を組み、朝廷に刃向かったのである。後世において、同時期に勃発した他の反乱と総称して「承平天慶の乱」と呼ばれるこの戦いは二年間続き、最後には純友の敗死をもってその幕を閉じた。
この乱において、純友の腹心に一人の男がいた。一説には彼の弟であり、純友がもっとも信頼していたといわれている男…藤原純乗である。史料にはごくわずかにしか彼の名は記載されておらず、その経歴や家族、そして最期も明らかになっていない。一説には兄とともに敗死したとも、それ以前の戦いで死亡したとも、兄の死後も生き延びて復讐を誓ったとも言われているが…いずれにせよ彼の人生の足跡、そして結末を現代の我々が辿る方法はない。
しかし、彼の子孫は違った。歴史書は反乱者の下位の存在など残さないが、その子孫は承平天慶の乱を生き延びた藤原純乗の怒りや恨みを代々に伝え、さらに剛の者であった彼が生み出した暗殺術も代々伝えていた。その子孫たちは歴史の闇に生き、そしていつしか滅んだのだが…わずかに生き延びた末裔の一人が、自分が受け継いだ暗殺術のうち強さを示す技のみを遺し、霧神と姓を変えた己の子孫にのみ伝えていたのである。
…そんな由緒も由来も全く知らない慎之介が、その創始者の書いた表札を指さして言う。
「というか、この表札いる?僕が覚えてる限り、大輔さんのほかに家族以外が来た記憶ないんだけど」
「まあ…確かにそうだけど、別に外す意味もないし。それにこれ、江戸時代に書かれたらしくて意外に由緒あるらしいぞ。うちにお金が無くなったら売ろう、鑑定団とかに」




