第七十五話 人買いの末路
時刻:翌朝
場所:帝国人材本社ビル & 東京地検特捜部 記者会見
夜が明ける前に、帝国人材本社ビルはパトカーで包囲された。単なる商法違反の容疑者ではない。政治スキャンダルの核心証人として、狩り出される。
吉岡が暴いた帳簿は、蟻川が“中抜き”で吸い上げた数千億円の血汗を、政治献金へ洗い、親民党の国会議員の懐へ流した流れを、細部まで記録していた。これは商業トラブルではない。国の土台を揺らす「疑獄事件」だった。
ビル入口。蟻川正臣は二人の特捜部検事に挟まれ、連行される。かつての傲慢は消え、髪は乱れ、手首には手錠。自殺や口封じを防ぐため、頭には黒い布まで被せられていた。
見物人の中に、大島由美がいる。若い新卒がいる。搾取されてきた派遣労働者が、無数にいる。誰も卵を投げない。罵声も飛ばさない。ただ、静かに見送る。そこにあるのは、やっと息を吸えるようになった者の“解放”だった。
龍立は人垣の最前列に立つ。蟻川は彼の横で足を止め、黒布の奥から、掠れた声を吐いた。悪鬼の囁きみたいに。
「澄原龍立……お前の勝ちだ……だが俺は手袋に過ぎない……お前は“ピラミッドの頂点”の財布を揺らした。本物の大物が……お前を許すと思うな……最後の日々を楽しめ。」
龍立は表情を変えない。ただ、襟を整えた。
「国会議事堂の奥に隠れてる連中のことか。」声が淡々と、冷たく届く。「なら伝えろ。首を洗って待て。――俺が、行く。」
蟻川は警察車両へ押し込まれ、連れ去られた。人材帝国は、轟音もなく崩れ落ちる。
一週間後。澄心Link運営センター。巨大モニターに数字が跳ねる。
・登録ユーザー:500万人
・平均賃金上昇率:60%
・仲介手数料:0%
大島由美は、新しい澄心の正規制服を着て、本社ロビーへ入った。生地は良い。縫製も良い。それは“扱い”が変わった証だ。ATMで、初めての「満額給与」明細を引き出す。控除なし。中間搾取なし。
【支給額:550,000円】
(時給3,000 × 8時間 × 22日 + 夜勤手当 + 皆勤賞)
由美は数字を見て、口を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。涙が床を濡らす。以前の彼女には、想像すらできなかった額。スマホを取り出し、息子へメッセージを送る。
「息子へ。ママ、お給料が出たよ。今夜は和牛焼肉、行こう。参考書も一番いいのを買おうね。」
由美は立ち上がり、龍立のオフィスの方向へ深く頭を下げた。変わったのは金だけじゃない。“人としての尊厳”が戻ったのだ。
――だが最上階のオフィスで、龍立は祝っていなかった。窓の向こう、国家権力の象徴――国会議事堂を見つめている。蟻川の警告が耳に残る。佐久間が入ってきた。顔が硬い。
「社長、今、情報が入りました。親民党最大派閥の領袖――大門剛造議員が、明日の予算委員会であなたを証人喚問します。理由は――澄心グループが離岸資金を用いて国家経済秩序を攪乱した疑い。」
宣戦布告だった。手袋を落とし、汚れた手そのものが、表へ出てくる。龍立は机上の“政治献金帳簿”を掴む。目に恐れはない。あるのは、狩りの前の高揚だけ。
「俺を喚問?」口元に薄い笑み。「いい。全日本に見せてやる。――いったい誰が、この国を攪乱しているのかを。」
【第十六巻予告:永田町の審判】
政治決戦篇、開幕。
「この国では、法は権力の侍女だ。」
国家機構の圧殺。メディアの包囲。国会の法廷。
龍立は、孤身で“嘘だけが満ちた議事堂”へ入っていく。彼は弁護しに行くのではない。――宣告しに行く。
「お前たちは俺を“ルール破壊”で裁く?」
「違う。俺は――お前たちが蛀虫みたいに齧り腐らせたルールを修繕している。」
「次に倒れるのは――お前だ、大門剛造。」




