第三十二話 世界を黙らせた五分間
時間:三ヶ月後。
場所:世界最大級ストリーミングサービス「BlueStream」トップページ。
帝都テレビに干された結果、日本国内で澄心アニメーションの作品を放送してくれるテレビ局は一つもなかった。
だが、龍立はまったく気にしていなかった。
ブルーホエール・キャピタルが海外で持つネットワークを総動員し、『天空のメカニスト』を世界最大級のストリーミングサービス「BlueStream」で独占配信させたのだ。
宣伝枠も、前代未聞のスケールで押さえてある。
20時00分。世界同時配信スタート。
どこの局のロゴもない。どこの制作委員会のクレジットもない。
オープニングに浮かぶのは、たった一行だけ。
【夜の底で描き続けてきた、すべてのクリエイターたちへ――澄心ホールディングス】
第一話のクライマックス。
五分間にも及ぶ、途切れのない空中戦の長回し。
それは――天野愛が、ちゃんと食べて、ちゃんと眠って、源田特製の椅子に腰かけて、一ヶ月をかけて描き上げた“神の作画”だった。
数万枚の原画が、惜しげもなく燃やされている。
一枚一枚の線が、命を持ったように躍動する。
機械の轟音。雲を裂く風圧。光と影のめくるめく変化。
その五分間――世界中の視聴者から、言葉が消えた。
SNSは瞬く間に炎上する。
X(旧Twitter)のトレンドには、ハッシュタグが一気に上がった。
#ChengXinAnimation
#GodTierAnimation
#これが本物のアニメだ
一時間も経たないうちに、世界累計再生数は一億回を突破。
ユーザーレーティングは、ほぼ満点の9.9。
翌朝。澄心ホールディングス・CEOオフィス。
受付から内線が入る。
「社長。帝都テレビの大島プロデューサーが来ています。どうしてもお会いしたいと……」
龍立は吉岡に通すよう指示した。
扉が開いて入ってきた大島は、以前の傲慢さをどこかに置き忘れてきたらしい。
額には汗。顔には引きつった笑顔。
「澄原さん……いえ、龍立社長! おめでとうございます! 神回! 本当に神回でした!」
「その……ですね。ぜひ、うちの局で『天空のメカニスト』の日本国内独占放送権を買わせていただきたく。
せっかくの“国産アニメ”ですから、日本のお茶の間でも流さないと……」
モニターに映っている再生数と話題性を見て、大島はよだれが出そうな顔をしている。
このIPさえ取れれば、自分の今年のボーナスは確定だ。
「いいですよ。」
龍立は視線をレポートから外さないまま、あっさりと言った。
「ほ、本当ですか?!」
大島の顔がぱっと明るくなる。
「お値段は話し合いましょう。うちとしても、最高ランク番組として扱わせていただきます。一話あたり五百万円でどうでしょう?」
龍立は、そこで初めてペンを置き、大島のほうを見た。
まるで、珍しいものでも見るような目だ。
「大島。何か勘違いしてないか。」
「うちの提示額は――一話あたり五億円だ。」
「……は?」
大島は椅子から飛び上がりそうになった。
「ご、五億?! そんなの強盗じゃないか! ハリウッド映画だってそこまでは――」
「それは“よその相場”だ。」
龍立は、静かに立ち上がり、大島の目の前に歩み寄る。
「澄心では、アニメーターたちが自分の“魂”を削って描いた. 一本一本の線が, 黄金と同じ価値を持っている。」
「それに――もう一つ条件がある。」
その言葉に、大島は反射的に一歩後ずさる。
「毎話の冒頭。帝都テレビのロゴの前に、黒背景に白文字で三十秒のテロップを流せ。」
「文面はこうだ。
『過去に当局が搾取してきたすべてのアニメーターの方々に謝罪します。
私たちの愚かな制度が、どれほど多くの才能の芽を潰してきたかを、ここに認めます』」
大島の顔から、血の気が引いた。
「そ、そんなの無理だ! 業界全体への宣戦布告じゃないか!」
「だったら、お引き取り願おう。」
龍立は、ドアのほうを軽く顎で示す。
「こっちは、世界市場を持っている。日本の視聴者が見られないとしても――それはお前たちテレビ局の“無能”のせいだ。」
大島は肩を落とし、ふらふらと退出していった。
三日後。
帝都テレビは、条件をすべて飲んだ。
その謝罪テロップは、日本社会全体を震撼させることになる。
“アニメ業界維新の日”と呼ばれるようになる出来事の始まりだった。
給料日。
天野愛は、ATMの前に立っていた。
震える指でキャッシュカードを差し込み、残高照会のボタンを押す。
画面に映った数字――【残高:8,800,000円】(基本給+初回ロイヤリティ分配)。
彼女は、それを見た瞬間、声を失った。
こんな額の数字を、自分名義の口座で目にしたことは、一度もなかった。
手で口を押さえたまま、涙が溢れ出す。
カプセルホテルの狭いカプセル。
期限切れのおにぎり。
泣きながらペンを握っていた夜。
あのすべてが、走馬灯のようによみがえる。
その肩に、そっと手が置かれた。
龍立だった。
「もう泣くな。」
彼はポケットからティッシュを取り出して差し出し、穏やかに笑う。
「これはスタートラインに過ぎない。
少し広めの部屋を買え。住宅ローンの半分は会社が補助する。
ご両親を東京に呼んでやれ。
“絵を描く仕事”で、自分を食べさせるどころか、胸を張って生きられるって、ちゃんと見せてやるんだ。」
天野愛は震えながら振り向き、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……社長……。」
龍立は、人であふれかえる秋葉原の街並みを眺める。
今、一つの“人を食う塔”を、自分は叩き壊した。
だが、これはまだ第一歩に過ぎない。
澄心ホールディングスが旧世界を征服していく物語は――ここから始まるのだ。




