第二十一話 消えた六十分
時間:翌日 午前九時。
場所:澄原物流・総合配車センター。
荒垣雷蔵の逮捕によって、センターは一時的な混乱状態に陥っていた。
違法な覚醒ドリンクの使用は禁止され、ドライバーたちは軒並み疲労困憊の極みにある。
巨大なモニターボードには、真っ赤な遅延アラートが幾重にも点滅していた。
「坊ちゃま、想定以上にまずいです。」
吉岡俊介は、ビッグデータのダッシュボードを睨みながら報告した。
「僕らの顧客は、百貨店だけじゃありません。
関東一帯の電子部品工場、生鮮スーパー、チェーン飲食店――その六割以上が澄原のネットワークに依存している。」
「法定速度・法定労働時間を守った場合、本日の輸送能力は四割も不足します。」
鈴木彩音は、無線機を握りしめながら走り込んでくる。
「外部の取引先からクレームが鳴り止みません! “納期に間に合わなければ損害賠償を請求する”って……」
龍立は、フロアのガラス越しに、炎天下で積み込みの順番を待っているトラックの列を見下ろした。
「吉岡。ドライバーの時間は、どこで溶けている?」
「“待ち時間”です。」
吉岡は、配送プロセスの分析画面を呼び出す。
「自社の倉庫や百貨店はまだマシですが、外部顧客のところがひどい。
中小工場の梱包がバラバラで、ほぼ全部が手積み・手下ろしなんです。」
「ドライバーは、一回の集荷に平均三時間、“列に並ぶ時間”と“人力積み込み”に費やしています。」
「つまり、荒垣が違法ドリンクでかき集めた“追加の時間”は、全部そこで無駄になっていた。」
龍立は、ゆっくりと振り返った。
瞳の奥で、何かが鋭く光る。
「なら、その三時間を丸ごと潰す。」
「俺たちは、ただの運び屋じゃない。
“物流の規格”を作る側だ。」
スマホを取り出し、グループ全体向けのビデオ会議アプリを起動する。
大画面には、二つの映像が並んだ。
一つは、澄原精工の工場でラインの前に立つ源田鉄男。
もう一つは、澄原百貨店のカスタマーサービスセンターにいる水原香織。
「これより特命準備室は、“全社第一種連携指令”を発令する。」
「源田さん。」
龍立は、源田の画面の横に図面を表示させた。
「昼間の空きラインを使って、“標準アルミ合金クイックロック・パレット”を緊急生産してほしい。
トラックのレールにそのまま滑り込ませられる規格で。」
源田は図面に一瞥をくれると、鼻で笑った。
「そんなもん、残業なんざしなくてもいい。今日の午後には第一ロットを出してやるよ。」
「助かる。」
「だが、それだけじゃ足りない。」
龍立は、鈴木へと顔を向ける。
「鈴木。澄原物流本社の名で、すべての外部契約先に通達を出せ。」
「今この瞬間をもって、澄原物流は“標準化輸送スキーム”を導入する。」
「うちが提供する標準パレットを無料で貸し出す。そのパレットを使って梱包・積み込みを行った荷物は、運賃一割引き。
さらに、専用の“ノーチェック・グリーンレーン”で優先的に処理する。」
「逆に、バラ積みや非標準梱包を続ける場合――」
「運賃は二割増し。
加えて、“待機時間”一時間ごとに五万円の待機ペナルティを請求する。」
鈴木は、呆然とした顔で固まった。
「坊ちゃま、それ……完全に“踏み絵”です。反発は避けられません。」
「逃げ場はない。」
龍立は、淡々と言った。
「このエリア全体で、ここまでの処理能力を持っているのは澄原だけだ。
嫌なら、自前で車両と倉庫を用意すればいい。」
「一日もすれば、“うちの標準”をありがたがるようになる。」
「同時に――」
龍立は、水原の画面を見た。
「水原さん。百貨店側も“模範ケース”として、“ナイト・サイレント受け入れレーン”を先行導入してほしい。
夜間でも、近隣の迷惑にならない静音仕様の受け入れラインだ。」
「了解しました。」
水原は、短く頷いた。
午後十四時。
通達は、予想どおり小さな騒ぎを生んだ。
だが最初の一社――電子部品工場が、試しに“澄原標準パレット”を導入してみた。
その結果。
本来三時間かかっていた積み込み作業が、フォークリフト一すくい、レールに沿って一押し――十五分で終わった。
しかも、運賃は一割引き。
それを知った他社も、我先にと標準パレットの申請を始めた。
源田鉄男の工場は、フル稼働でパレットを量産する。
アルミ合金製の銀色のパレットが、次々と市場に投入されていく。
やがて――
奇跡とも呼べる変化が現れた。
バラバラだった梱包方式が揃えられたことで、サプライチェーン全体の“待ち時間”が一気に圧縮されたのだ。
一週間後。
関東一円の物流回転率は、四割も向上していた。
夕陽が東京湾を朱に染めている。
一台のトラックが、車庫へ帰ってきた。
髭面のドライバーがキャビンから飛び降り、スマホの時計を確認する。
「……本当に、終わってる。」
「しかも、娘の誕生日に……間に合う。」
ポケットの中で、手のひらに当たる硬い感触。
最後の一本として隠しておいた《レッド・デーモン》のボトル。
男はしばらくそれを見つめていたが――やがて、無言でアスファルトに叩きつけ、そのまま靴で踏み潰した。
荒垣雷蔵が誇っていた“暴力的効率”は、龍立の“規格を作る力”の前では、ただの粗悪な代用品にすぎなかった。
龍立は「効率」を取り戻しただけでなく、澄原の標準そのものを、業界標準へと押し上げたのである。
しかし、喜んでいる暇はない。
この成果をもって挑むべき取締役会は、すでに目前まで迫っていた。
――嵐の前の、わずかな凪にすぎないのだ。




