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第11限 先に《好き》が来る――パンケーキ行列学

すみません。修正箇所が見つかったため、投稿が遅れてしまいました。

 金曜の放課後、県立白紙高校の廊下。

 教材プリントを抱えた知恵の前に、ユウがスケートみたいな滑りで現れた。


 「先生、明日って空いてる?」

 「え、あ、はい。先生は――とくに予定は」

 「やった。じゃあ“パンケーキ遠足”しよ」

 「遠足……? しおりと保護者印は必要ですか」

 「甘さが許可してくれれば大丈夫〜」

 (許可制どこ行ったの!? でも《甘さの許可》は語感が強い……)


 ユウは袖を小さく揺らして微笑む。

 「駅前に新しいお店できたの。風が甘くて、匂いが先にお腹なでてくる感じ」

 「匂いが先行……? ええと、顧問の見回りも兼ねて、行ってみましょうか」

 「“安心見回り”、決定〜」

 (名目ふわふわ! けど断れないのも事実……)


 ――約束はそれで決まった。


 土曜の昼下がり。駅前の角を曲がった瞬間、甘い匂いが風に乗って押し寄せた。

 ユウが鼻でそっと息を吸い、「うん」と満足そうに頷く。

「ほらね。もうひと口ぶん、吸ったでしょ」

 「……たしかに落ち着きますね」

 (胃が先行で納得しちゃってる。危ない、私の理性、戻ってこい)


 店先のボードには〈待ち時間六十分〉。列はくねくね、最後尾は路地の角まで。

 「ろ、六十分……!?」

 「待つと甘さの影が濃くなるんだよ〜。影があると“光”も見えやすいの」

 (詩人の理屈! でもちょっと好き……)


 整理券と呼び出しベルを受け取り、行列へ合流。

 前のカップルがメニュー写真で盛り上がる。三段の塔、雲みたいなホイップ。

 ユウが覗いてつぶやく。

 「今日は雲、多めだね」

 「天気連動ですか?」

 「うん。空がふわふわの日は、口もふわふわで合わせるの」

 (安定のユウさんワールド全開!)


 五分経過。

 (まだ動かない……けど匂いが“前菜”としてやってくる)

 十五分経過。

 (足がじんわり。甘い風で機嫌、ギリ保ってる)

 二十五分経過。ユウが壁の注意書きを指さす。

 「『写真は一口食べたあとでも可愛いです』だって。やさしい〜」

 「優先順位が“先に味わって、あとで残す”になってますね」

 「その順番、大事」


 ベルが震え、案内の声。テーブルへ。鉄板の音が近くなり、空気がさらに甘くなる。

 ユウはメニューをぱらり、即閉じ。

 「『厚焼き三段・塩バター』。体がしょっぱさ欲しがってる」

 「決断が早い……先生は、季節の柑橘で」

 「いいね。今日は“塩”と“太陽”で友達」


 「写真はあとでね。いまは匂いの記憶を先に残したいの」

 「承知しました。先生もそれ、やってみます」

 (写真より匂いの記憶……オシャレな学習法に聞こえるのが悔しい)


 皿が到着。ふるふる揺れる塔、きらっと光る塩バター。

 ユウは迷いゼロでナイフを入れ、一口。

 「うん、今日の空に合う」

 「根拠は?」

 「噛む前に《好き》が肩をたたいたから。あとは噛みながら理由を集めるの」

 (その勝ち宣言、ずるい! でも顔が完全に勝者だから何も言えない)


 柑橘の皿も到着。切り分けたソースがつるりと逃げ、皿の縁に小さな湖。

 「あっ」

 ユウが即座にナプキン。

 「だいじょぶ、事故も味のスパイス〜」

 (励ましの角度! でも救われる不思議)


 一口。爽やかな酸味が生地の甘さにすっと重なる。

 (あ、正解……頭が決めたわけじゃないのに、舌が拍手してる)

 「先生、交換こ」

 「では塩バターを少し……。こちらの柑橘も、どうぞ」

 「わ、口の中に朝が来た」

 (朝、食べたことあります!? でも確かに目が覚める味)


 食べ進めるほど会話が軽くなる。

 「先生、行列でちょっとイライラとかはしなかった?」

 「正直に申しますと……少し。ですが、匂いを吸い込むと落ち着きました。前菜だと思い込むのがコツです!」

 「いいね先生、《匂い前菜》採用〜」


 皿がほとんど空になった頃、ユウは最後の一片を指でつまみ、ぽい。

「ん。今日の私は――鼻が先にうなずいて、舌が『そうだね』って返事して、頭は最後に『メモしておくね』って言った日」

 「まとめが詩です。完敗です」

 「じゃ、今日の空に貼る言葉、置いとくね」

 ユウは空中に四角を描いて、そっと押す仕草をした。

 「『雲はやわらか、バターは晴れ。待ち時間は前菜。帰り道、口の中で小さな太陽が一回とけた』」

 (ポエムの提出、満点。先生の採点、無力)


 店を出ると、風はまだ甘い。列は相変わらず長い。

 「先生、季節が変わったらまた来よ。ホイップの“かたち”、季節でちょっと違うから」

 「季節で、ですか」

 「うん。冬は山、春は雲、夏は波、秋は丘。全部ふわふわで、全部別物」

 (同じふわふわで、全部違う――ユウさんの世界地図、やっぱり好きだな)


 改札手前で手を振る。

 「今日はありがとうございました。とても勉強になりました」

 「こちらこそ〜。今日の“ふわふわ”、少し持ち帰れた?」

 「ええ、十分に。月曜までは残ってくれそうです」

 (いや、明日もう一回食べたい気持ち出るやつ……落ち着け、先生)


 ユウが電車の波に吸い込まれる。

 甘い余韻だけが、知恵の周りに薄く残った。胸のあたりで、小さな太陽がもう一度だけ、静かにとけた。

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