第10限 噴水ホースとホームセンター遠征――静かな手際、静かな笑顔
翌日の放課後。特別棟の隅で、ミニ噴水の水音が途切れ途切れになっていた。
ステンレス盆の水柱は細く、たまに息を切らすように止まる。
「あれ……昨日は元気だったのに」
知恵が身をかがめると、ノザは隣にしゃがみ、ホースを指でつまんだ。固く癖のついた部分が白く浮いている。
「ここ、狭くなってる。交換すれば戻る」
「用意できるんですか?」
「同じ径のホースとバンド。ホームセンターに行けばある」
「え、今から?」
「今がいい。明日だと忘れる」
(即断…! 詩人っぽいのに行動は一直線)
職員室に行き先だけ伝え、外出メモをポーチへ。ノザはポンプを外して水気を拭き、茶色の紙袋に静かに収めた。
(片づけの速さ、絶対生活力高い)
校門を出ると西日が歩道を金色に染めている。
「ホームセンター、広くて迷いそうです」
「迷っても出口はひとつ」
「励まし、ですか?」
「事実」
(そこは詩じゃないんだ)
バスに揺られて二駅。園芸土の匂いと冷房の風。
配管コーナーに入ると、透明ホースが内径表示ごとにずらり。ノザは迷わず古いホースの端を取り出し、札の前で立ち止まる。
「内径八、外径十二。バンドは十から十六」
ポケットから小さなノギスを出し、寸法を確かめる。口元がほんの少しだけ緩んだ。
「持ってると便利」
(ノギス携帯してる女子高生、初めて見た)
近くの店員さんが「水槽用ですか?」と声をかける。
「学校で小さな噴水に使う。静かな流れがほしい」
その独特な答えに首を傾げながらも店員さんは柔らかめのホースを勧めてくれる。ノザは手の甲で押して弾力を測る。
「うん、これにする」
ホースバンドを二つ、予備のパッキンを一袋。棚の端で小さな丸石の袋を見つけ、ひとつだけ選んだ。
「石は、水音を丸くする」
(音って石で変えられるんだ)
レジではノザが会計を済ませ、レシートを知恵に渡す。
「はい、先生これ」
「はい、事務に回しておきますね」
(……今更だけど噴水って備品でいいのコレ?まあ、事実だしなるようになるか)
袋は自然に半分ずつ持つことになった。
「重さは分けた方が楽」
(言い方は淡々、気遣いは満点)
校舎に戻るころには空が群青に変わっていた。部室で作業開始。
古いホースを外し、新しいホースを差し込んでバンドで固定。ノザのドライバーは必要なだけ回り、必要なところで止まる。
「締めすぎると割れる。ぎりぎり手前で止めて」
「このくらいでしょうか」
「もう少し。……そこ」
(教え方がやさしい。角がない)
ポンプを戻し、盆に水を張る。スイッチオン。
細い水柱がするすると立ち上がり、今度は止まらない。震えない。
「……戻りましたね」
ノザは選んできた小石を三つ、落水点の下にそっと置く。
ぽたり、から、さらさらへ。水音が驚くほど柔らかくなった。
「落差を散らすと、音が丸くなる」
「本当ですね。図書室の音量に近いです」
「図書室はもう少し静か」
(そこは譲らないのね)
コードを束ねようとして、知恵は結び目を固くしすぎた。
「……あ」
解けない。爪がすべる。
「貸して先生」
ノザは結び目を指で軽く持ち上げ、反対側からそっと押した。
するり。嘘みたいに緩む。
「結びは、ほどけることまで含めて結ぶ」
「実用名言、いただきました」
(こういうの、多分ほんとの賢さ)
作業台の端で、切れ端のホースが小さく転がった。知恵はそれを指でつまみ、笑みをこぼす。
「ホース一本で、流れって変わるんですね」
「世界は大きい。でも触れる場所は狭い。届くところから」
声は低いのに、不思議とあたたかい。
片づけが終わると、時計の針はいつもより少し遅い時刻。さらさらという音だけが部室に残った。
ノザが小さく会釈する。
「先生、付き添いありがとう」
「いえ、顧問の仕事です。助けになれたなら何よりです」
(ちゃんと“ありがとう”が言えるんだ。静かな笑顔も、見えた)
知恵は内観ノートを取り出し、端に小さく書く。
――今日の良かったこと:ホース交換成功。水音がやわらかい。
――ひとこと:届くところから手を出す。
扉を閉める前、もう一度だけ盆の水面を振り返る。
(この静けさ、明日も続きますように)