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10/23

第10限 噴水ホースとホームセンター遠征――静かな手際、静かな笑顔

 翌日の放課後。特別棟の隅で、ミニ噴水の水音が途切れ途切れになっていた。

 ステンレス盆の水柱は細く、たまに息を切らすように止まる。


 「あれ……昨日は元気だったのに」

 知恵が身をかがめると、ノザは隣にしゃがみ、ホースを指でつまんだ。固く癖のついた部分が白く浮いている。

 「ここ、狭くなってる。交換すれば戻る」

 「用意できるんですか?」

 「同じ径のホースとバンド。ホームセンターに行けばある」

 「え、今から?」

 「今がいい。明日だと忘れる」

 (即断…! 詩人っぽいのに行動は一直線)


 職員室に行き先だけ伝え、外出メモをポーチへ。ノザはポンプを外して水気を拭き、茶色の紙袋に静かに収めた。

 (片づけの速さ、絶対生活力高い)


 校門を出ると西日が歩道を金色に染めている。

 「ホームセンター、広くて迷いそうです」

 「迷っても出口はひとつ」

 「励まし、ですか?」

 「事実」

 (そこは詩じゃないんだ)


 バスに揺られて二駅。園芸土の匂いと冷房の風。

 配管コーナーに入ると、透明ホースが内径表示ごとにずらり。ノザは迷わず古いホースの端を取り出し、札の前で立ち止まる。

 「内径八、外径十二。バンドは十から十六」

 ポケットから小さなノギスを出し、寸法を確かめる。口元がほんの少しだけ緩んだ。

 「持ってると便利」

 (ノギス携帯してる女子高生、初めて見た)


 近くの店員さんが「水槽用ですか?」と声をかける。

 「学校で小さな噴水に使う。静かな流れがほしい」

 

 その独特な答えに首を傾げながらも店員さんは柔らかめのホースを勧めてくれる。ノザは手の甲で押して弾力を測る。

 「うん、これにする」

 ホースバンドを二つ、予備のパッキンを一袋。棚の端で小さな丸石の袋を見つけ、ひとつだけ選んだ。

 「石は、水音を丸くする」

 (音って石で変えられるんだ)


 レジではノザが会計を済ませ、レシートを知恵に渡す。

 「はい、先生これ」

 「はい、事務に回しておきますね」

 (……今更だけど噴水って備品でいいのコレ?まあ、事実だしなるようになるか)


袋は自然に半分ずつ持つことになった。

 「重さは分けた方が楽」

 (言い方は淡々、気遣いは満点)


 校舎に戻るころには空が群青に変わっていた。部室で作業開始。

 古いホースを外し、新しいホースを差し込んでバンドで固定。ノザのドライバーは必要なだけ回り、必要なところで止まる。

 「締めすぎると割れる。ぎりぎり手前で止めて」

 「このくらいでしょうか」

 「もう少し。……そこ」

 (教え方がやさしい。角がない)


 ポンプを戻し、盆に水を張る。スイッチオン。

 細い水柱がするすると立ち上がり、今度は止まらない。震えない。

 「……戻りましたね」

 ノザは選んできた小石を三つ、落水点の下にそっと置く。

 ぽたり、から、さらさらへ。水音が驚くほど柔らかくなった。

 「落差を散らすと、音が丸くなる」

 「本当ですね。図書室の音量に近いです」

 「図書室はもう少し静か」

 (そこは譲らないのね)


 コードを束ねようとして、知恵は結び目を固くしすぎた。

 「……あ」

 解けない。爪がすべる。

 「貸して先生」

 ノザは結び目を指で軽く持ち上げ、反対側からそっと押した。

 するり。嘘みたいに緩む。

 「結びは、ほどけることまで含めて結ぶ」

 「実用名言、いただきました」

 (こういうの、多分ほんとの賢さ)


 作業台の端で、切れ端のホースが小さく転がった。知恵はそれを指でつまみ、笑みをこぼす。

 「ホース一本で、流れって変わるんですね」

 「世界は大きい。でも触れる場所は狭い。届くところから」

 声は低いのに、不思議とあたたかい。


 片づけが終わると、時計の針はいつもより少し遅い時刻。さらさらという音だけが部室に残った。

 ノザが小さく会釈する。

 「先生、付き添いありがとう」

 「いえ、顧問の仕事です。助けになれたなら何よりです」

 (ちゃんと“ありがとう”が言えるんだ。静かな笑顔も、見えた)


 知恵は内観ノートを取り出し、端に小さく書く。

 ――今日の良かったこと:ホース交換成功。水音がやわらかい。

 ――ひとこと:届くところから手を出す。


 扉を閉める前、もう一度だけ盆の水面を振り返る。

 (この静けさ、明日も続きますように)

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