第72話 虫の王
「魔王! お前を掃除する!」
その瞬間、俺は転送魔法を発動させた。
魔王の一部を切り取るため、全身に魔力をみなぎらせ、魔王の右腕をターゲットに定める。
複雑な魔法陣が、魔王の右腕を包み込み、光を放ちはじめる。
<<ほう。これは……>>
魔王は感心した様子で、自分の右腕を見つめた。
その腕は、徐々に光に包まれ、俺の意思によって切り離されていく。
そして俺の目の前に、切り取られた魔王の右腕が落ちてきた。
効いている。転送魔法は魔王を切り裂くことができる、その確証がそこにあった。胸が高鳴るのを感じる。
切り取られた右手の形をした魔王の一部は、まるで粘土のように、ぐにゃりと変形していく。
そして、その粘土は、ばらけて無数のミミズになっていった。
無数のミミズは、まるで独立した意思を持っているかのようにうごめきながら、魔王の身体へと戻っていく。
「……」
思わず息を止めた。
無数のミミズが、みるみるうちに魔王の身体に戻っていく。
それは、まるでパズルが組み合わさるかのように、完璧に魔王の身体と融合していった。
『ロンバと同じく、無数の虫の集合体として魔王は存在しています』
脳内にミミズの声が響き渡った。
魔王は無数の虫たちで構成された存在なのだった。
右腕を切り離しても、すぐに再生されてしまう。
「だめなのか……」
俺は力なく呟いた。
魔王の身体を構成する虫たちをすべて倒さなければ、魔王を倒すことはできない。
それは、想像以上に困難な戦いになりそうだった。
落胆が胸に広がっていく。
しかし、それでも諦めるわけにはいかない。俺は覚悟を決めて魔王に立ち向かった。
全身に魔力を集中させ、 あらん限りの力を込めて攻撃を繰り出す。
だが、最初の転送魔法以外は、魔王の瘴気の力に阻まれて手も足も出ない。
瘴気は、まるで意思を持っているかのように、俺の転送攻撃をことごとく打ち消していく。
そして瘴気は形を変えて、俺を切り裂くように襲いかかってきた。
鋭い瘴気の刃が、俺の身体を切り裂き、鮮血が噴き出す。
激痛が全身を駆け巡り、意識が遠のきかける。眼前が赤く染まっていく。
しかし、ミミズの触手が、すぐに傷口を覆い、再生を始めた。
俺の身体は、みるみるうちに修復され、痛みも和らいでいく。
ミミズの力は、まさに生命線だ。
「くっ……!」
それでも、瘴気の攻撃は容赦なく襲いかかってくる。
俺は必死に身をかわし、防御を固めたが、瘴気の力は、それを容易に打ち破ってくる。
魔王の瘴気の力に阻まれて手も足も出ない。瘴気は形を変え、鋭い刃となって無力な俺の身体を切り裂く。
ミミズの触手が応急処置を施し、傷口はすぐに修復されるが、その痛みは容赦なく俺を襲い続ける。繰り返される痛みが、精神を蝕んでいく。
魔王城で魔王と対峙する俺に、遠く王都から共鳴スキルでリナが唐突に叫んだ。
「思い出した! この世界は知ってるゲームの世界だよ! 転送して!」
その言葉に、俺は息を呑んだ。ゲームの世界? 一体どういうことだろうか。転生者用語はよくわからない。
混乱と希望が入り混じった感情に胸を締め付けられながら、
「ルリア!」
俺は、慌ててルリアに呼びかけた。
「承知いたしました!」
ルリアは状況を正確に察して、俺の言葉に即座に応え、一瞬の躊躇もなく魔王城から姿を消した。
すぐにルリアが、リナとともに魔王城に転送で戻ってくる。
「レン!」
リナは勝ち誇ったような声で言った。
「ゲームの世界では、魔王なんてコレクションの一つだよ」
魔王をテイムするのだろうか。
リナはダンススキルを発動した。
「魔王! ダンス!」
リナは、さらに力を込めて叫んだ。
「魔王! ダンス! ダンス!」
しかし、何度唱えても、魔王に変化は見られない。
『魔王を構成する虫たちがウネウネと踊っています。全体に影響はないようです』
ミミズの声が脳内に響き渡った。
魔王の身体を構成する無数の虫たちが、リナのダンススキルによって、わずかにうねうねと動いているだけだった。リナの顔が曇ってくる。
「……効いてない」
リナは、がっかりした様子で呟いた。
魔王は瘴気を剣に変え、リナに向かって振り落とした。
その瞬間、彼女の身体が魔王の瘴気に引き裂かれ、ばったりと倒れ伏した。
「レン……。勘違いだった。ゲームの世界じゃなかった……」
リナは、力なくそう言うと、白目をむき動かなくなった。
「リナ!」
俺は、リナに駆け寄り、必死に揺さぶった。
しかし、彼女は、まるで人形のようにただ静かに横たわっているだけだった。
彼女の身体は、冷たく、生気がない。
「だって人間型だもの」
リナが俺のわきを蝶の姿で飛んでいた。そうだった。本体は無事のようだ。
とはいえ、魔王に追いつめられている。
絶望的な状況に陥っていると言っていい。
リナは役立たずで、俺も無力だ。
このままでは、俺たちは、魔王に殺されてしまうだろう。
その時、脳内にミミズの声が響き渡った。
『宿主、あのアイテムボックスです』
アイテムボックス……。
リナが持っていた、手に触れたお菓子を収納できるスキル。
「魔王に触ることができればいいのですね」
ルリアが、静かに応えた。
「ルリア……」
俺はルリアを見つめた。彼女は、冷静に状況を分析し、打開策を考えている。
「魔王様、申し訳ございません。反省しております。ここまでにしてくださいませんか」
ルリアは、玉座に向かって飛び出して、深々と頭を下げた。
彼女は魔王の足に頭をこすりつけた。
ルリアが魔王に対していつも土下座で問題を解決しようとするのは驚くべきことだ。
しかし、さらに驚くべきことに、魔王はルリアの行動を見て動きを止めた。
誰も動かないのを確認して、魔王は、ゆっくりと玉座に歩み戻り、重々しい声で唸り声を上げた。
<<ルリアよ、ロンバはまだか>>
ルリアから念話が届く。
「レン様、同じようにすれば魔王の足に触れられます。収納されてみてはいかがでしょうか」
収納……。
アイテムボックスに魔王を収納するというのか。
それは危険な賭けだ。失敗したら再び不利な戦闘が継続になる。しかし、他に選択肢はない。
俺は覚悟を決めて魔王の前に進み出て、膝をついた。
魔王はちらりとこちらを見たが、軽蔑しきっているように視線を外した。下々の者が服従することに慣れすぎているのだろう。俺も土下座しようとしているように見えたに違いない。
俺は渾身の力を込めて、魔王の足に手を伸ばした。
その瞬間、魔王の足に触れた。
冷たく、硬質な感触が、俺の手に伝わってきた。
「アイテムボックス!」
すぐにアイテムボックスを起動した。
空間が歪み、魔王の身体が、光に包まれ始める。
瞬く間に魔王は消え去った。
そして、魔王謁見ルームには、静寂が訪れた。
俺はあたりを見回した。
魔王が消えている。
魔王を倒せたのか。
いったい全体、これはどういうことか。
信じられない光景にただ茫然と立ち尽くしていた。
突然、「やっぱ最強だね!」というリナの声が聞こえた。
その時、アイテムボックスに表示された文字が、俺の目を奪った。
「クッキー:1 魔王:1」
そこにはクッキーと魔王が、並んで表示されているのであった。




