第61話 浄化の兆し
王国の復興を手伝いに行きたいのだが、瘴気が人々を苦しめてしまう。
英雄譚とは程遠い、単調な作業を繰り返す日々が続いている。
「宿主。掃除は英雄の仕事ですよ。誰もがやりたがらないことをするのが英雄です』
ミミズは論理的だが人間の気持ちはわからないようだ。
埃っぽい廊下を歩き、虫の死骸を払い、黒曜石の床を磨く。
そんな生活の中で俺は、危機にある王国で力強く生きるリナとアイリスのことを思う。
「瘴気をなくしたい……」
小さく呟いた声は、誰もいない魔王城の廊下で、虚しく響き渡った。
「瘴気をなくしたい……瘴気をなくす方法はないのか……」
ミミズの声が、脳内に響き渡る。
『宿主の瘴気はここに来てさらに強くなっています。瘴気のことだけ瞑想しながら無心で掃除するのは良い修行なのです』
修行? 確かに苦行だとは思っていたが。瘴気が強くなることと掃除が関係あったのか。
「瘴気をなくしたい」と願う気持ちは、ミミズにも伝わっているのだろうか。
「どうすればいいんだろう」
掃除を止めようか、魔王に逆らってでも瘴気をどうにかする方法を探すべきか。
魔王がどんな反応を示すか、想像もつかない。
掃除を止めたら、この魔王城でどうなるのだろうか。
拷問にかけられるのか。それとも、もっと恐ろしい運命が待っているのか。
「魔王には、まだ敵わないよな」
『魔王様との戦いならば、全力で応援します。でも、魔王様に勝つにはもっともっと瘴気を強化する必要があるのです』
そんな中、魔鏡が微かに光を帯び始めた。
魔鏡に映し出されたのは、エメリア王国の首都だった。
王国は、第三王女アイリスの指導のもと、着実に復興に向かっていた。
崩壊した建物の再建、食料の確保、そして、国民たちの心のケア。
アイリスは、どんな苦難にも屈することなく、王国を立て直そうとしていた。
魔王国に勇者が送られなくなったのも良いことだと思う。
以前は頻繁に魔王城に勇者が送られていたが、今は誰も来ない。
無駄な死を減らすことができるのだから。
そんなある日、魔王城に久々に勇者が現れたので驚いた。
しかし、それはエメリア王国からの勇者ではなかった。
現れたのは、教会の修道服などを着ている聖ネクロ神聖皇国の聖職者集団だった。
彼らは、剣や鎧を身につけ、異様な熱気を帯びていた。
彼らの目的は、魔王を屠り、世界を救うことのようだった。
「魔王よ、我々は神の御使いである!」
聖職者たちは、高らかに叫んだ。
「汝の悪行は、もはや許されぬ! 我々が、汝を裁き、世界を浄化するのだ!」
彼らは、讃美歌のような、どこか間抜けな聖歌を合唱しはじめた。
「ラララ、光の力で、ラララ、闇を打ち砕け!」
「ルルル、神の御名において、ルルル、魔王を滅ぼせ!」
歌詞を聞いていると、思わず苦笑いがこみ上げてくる。
あまりにも陳腐で滑稽な歌だ。しかし、彼らは真剣だった。
本当に弱そうだった。
俺は彼らに近づき、冷静に語りかけた。
「やめたほうがいい。お前たちは、ただ死ぬだけだ」
しかし聖職者たちは俺の言葉に耳を傾けようとはしない。
彼らは俺を魔王の仲間だとみなし、敵意をむき出しにした。
「邪悪な存在!」
「魔王のしもべが出た!」
「神の敵よ、滅びるが良い!」
彼らは俺に襲いかかってきた。
俺は瘴気を抑えようとしたが放出する瘴気は止められない。
しかし、下がるしかないかと思った瞬間、瘴気は彼らの聖なる力によって浄化され、すぐに効果がなくなった。
瘴気が消えたなか、彼らの攻撃が俺の身体を捉え、腕が切られ、身体も斜めに切り裂かれて床に倒れる。
予想外の事態に、俺は呆然とした。
「えっ? やられるのか……」
『こんな浄化があるのですね。これは修復に時間がかかりそうです』
ミミズもまた何やら想定外のことが起きたということを伝えてきた。
意識が遠のきかける中、バラバラにされた俺は聖職者たちの後ろ姿を見ていた。
そちらは魔王謁見ルーム。魔王の玉座がある部屋だ。大丈夫かな。心配だ。
次に俺が目を覚ました時、俺は魔王城の謁見ルームにいた。
身体はミミズの力によって完全に修復されていた。一度止められた瘴気も元のように流れ出ている。
残念ながら謁見ルームの玉座の前には、無数の聖職者たちの死体が積み上げられていた。
魔王は、静かに玉座に座り、顎に手をやってその光景を見つめていた。
魔王はゆっくりと口を開いた。
<<こやつらは神に命じられて来たと申しておった>>
魔王は不思議そうな顔をして疑問を発した。
<<神である我は、そのようなことを命じた覚えなどないぞ>>
そして、魔王は再び命令を下した。
<<掃除せよ>>
ミミズは静かに呟いた。
『良いニュースです。さきほど一瞬だけ瘴気が浄化されていましたね。宿主の望む瘴気の除去は可能かもしれません』
ミミズは相変わらずドライな口調で言った。ミミズにとって人間が死のうがどうしようが関係ないのはいつものことだ。
暗い気分になりつつも、俺は深い息を吸い込んだ。
そして、聖職者たちの死体を見つめ、心を鎮めて目を閉じた。
たぶん世界を救おうとした勇敢な戦士たちではあったはずだ。
黙祷。
ミミズは、再び口を開いた。
『良いニュースです。喜びましょう』
何を喜ぶというのだろう。
俺はミミズの言葉に不快な疑問を抱く。
『瘴気の除去の可能性が確認できたのですから。宿主の望む目的は近づいているのです』
少しわかった。
『エメリア王国は壊滅に至らず、宿主の望み通り無事に復興していっています。そんなに気落ちしなくてもいいのです』
ミミズなりに、俺を慰めてくれているのだろう。
俺は小さくつぶやいた。
「ミミズ、ありがとうな」
そして、俺は再び掃除を始めた。巨大なモップを手に取り、魔王城の廊下を歩く。
埃っぽい廊下を歩き、虫の死骸を払い、黒曜石の床を磨く。
瘴気の浄化……、と考えながら、俺は掃除を続けるのだった。




