第59話 王都復興
魔鏡が放つ光が収まり、黒曜石の表面に鮮やかな映像が浮かび上がった。
そこは、エメリア王宮の中庭。
陽光が降り注ぎ、庭園に咲き誇る花々が色鮮やかに輝いている。
そして、その庭園の中心で、リナと第三王女アイリスが、まるで幼馴染のように楽しそうに談笑していた。
アイリスの顔には、数日前まで見せていた不安の色は微塵も残っておらず、穏やかな笑みが浮かんでいる。
リナは身を乗り出し、何かを熱心にアイリスに説明しており、王女は興味津々といった様子で、その言葉に耳を傾けていた。
俺は思わず息を呑んだ。
アイリスが無事だった!
何よりもそれが、胸の奥に溜まっていた重苦しい感情をやわらげてくれた。
「リナ……」
そして思わず口に出した俺の声に、リナが魔境越しに気づき、明るい笑顔で手を振った。
「レン! 元気? いまアイリスちゃんと、おしゃべりしてるよ!」
リナの屈託のない声に、俺は小さく微笑んだ。
それは、一瞬だけだが、暗い気分を忘れさせてくれた。
「……」
俺は次の言葉を言い淀む。
「どうしたの? レンは来ないの? 勇者レンの登場をみんな待ちわびているよ。……王女様も」
リナの念話が済んだ響きで伝わってきた。
俺は苦渋に満ちた気分とともに答えた。
「瘴気が……、まだ止まらないんだ」
ラミナス迷宮群で手に入れたラミナ鉱の力で瘴気を増幅させたばかりか、眷属カマキリを倒すことで瘴気がさらに膨らんだ感触があった。
「何度詠唱しても、少しも弱まる気配がない。このまま王宮に戻ったら人々を苦しめてしまう。瘴気を制御する方法を探すしかない……」
リナは少し残念そうな表情を浮かべた。
しかしすぐに持ち前の明るさで顔を上げた。
「そうなの……お身体お大事にってやつね。でも、レンは瘴気が治ったら来るよね?」
「あ、ああ」
「じゃあ、とりあえず、私とアイリスちゃんが、王国をなんとかするから!」
リナの力強い言葉に、俺は勇気づけられた。
瘴気が治ったら……。
そうだ。これは治療すべき病気なのだ。
「ありがとう、リナ」
「まかせて!」
リナに過度な期待は禁物だが、何とか持ちこたえてほしい。
しかし魔鏡の映像はすぐに別の場所へと移った。
王宮を取り囲む城壁の外側。
そこには、疲れ切った表情でうなだれる大勢の国民たちが集まっていた。
やつれた顔で空を見上げ、助けを求めている。
王宮の中は平穏を取り戻したとしても、王都の惨状は依然として変わらない。
『国民たちは食料もなく、困窮しています。このままでは餓死者が増える一方かもしれません』
ミミズが冷静に分析する。
そして魔鏡を越えた遠くから、国民たちの悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「パンがない! もっとパンをくれ!」
「もう何も食べていない。腹が減って死んでしまう」
「パンを! 誰か助けてくれ!」
「神はいないのか」
やつれた顔で、空腹に苦しむ国民たちの姿が、痛々しく映し出されていた。
俺は拳を握りしめた。どうすることもできない無力感に全身が重くなる。
その時、リナが突然閃いたように顔を輝かせた。
「そうだ! お菓子を配ろう!」
「お菓子……?」
俺は魔境越しにリナを見つめた。
「そう! お菓子を召喚して、みんなに配ればいいよね! ゲロゼリーとか、チョコレートとか、クッキーとか。 ゲロゼリーとか!」
リナは、興奮気味に言い出した。
「ゲロゼリー……」
「大丈夫! ゲロゼリーは栄養満点だし、美味しいし!」
リナは自信満々に答えた。
「決まったね! 私は、共鳴スキルで、みんなにアイリスちゃんの声を届けるよ! アイリスちゃんがお菓子を配ることをアナウンスすれば、きっとみんな喜ぶはず!」
リナは、そう言いながら、アイリスに向かって何かを囁いた。
アイリスは少し驚いた表情を浮かべた後、微笑んで頷いた。
そして、アイリスは城壁の上に立った。
「民よ! 私はエメリア王国のアイリスです! 現在、王国は食料難に直面しておりますが、心配しないでください! パンの代わりに、美味しいお菓子を配ることを決定しました! 希望を捨ててはなりません! 私たちは必ず、この危機を乗り越え、王国を再建します!」
アイリスの声は、共鳴スキルによって増幅され、王都全体に響き渡った。
力強く、そして優しく、人々の心を奮い立たせる声だ。
「パンがないなら、お菓子を食べてね!」
今度はリナが、共鳴スキルで、国民たちにアナウンスを送った。
窮乏した庶民を理解できない貴族が言いそうなその言葉に、王都の国民たちは、一瞬、呆然とした後、ざわめきはじめた。
「お菓子!?」
「パンの代わりに、お菓子!?」
「なんでもいい! お腹を満たせるなら!」
そしてリナは魔法陣を描き、大量のお菓子を召喚し始めた。チョコレート、クッキー、ケーキ、そして、特製のゲロゼリー。
それらの香りが、王都全体に漂い始めたようだった。王都中で歓声が上がっている。
王城に集った民衆たちに召喚したお菓子を、リナはアイリスと共に配り始めた。
最初にゲロゼリーを受け取った男は、むさぼるようにゲロゼリーを頬張った。
「美味しい! 本当に美味しい!」
「こんな美味しいお菓子は初めて食べた!」
「ありがとう、王女様!」
「パンがないから、お菓子を食べよう!」
広場には、歓声と感謝の言葉が響き渡った。
「リナの料理で、現地民のみんなが感動してる! やったね!」
リナの声が脳内に響き、その転生者としての喜びとやらが伝わってくる。
「うん、召喚したお菓子でね」
俺は心の中で呟いた。
「パンがないなら、お菓子を食べよう!」
「お菓子を食べて、生きていこう!」
やがて、魔鏡に映る王都の風景は、「パンがないなら、お菓子を食べよう!」という、奇妙なスローガンが飛び交う、賑やかな光景へと変わっていった。




