第58話 資源と鏡
「あなたはこちら側なのかしら?」
ルリアはまるで独り言のように囁いた。
その瞳は俺の心の深層を覗き込もうとしているかのようだった。
「こちら側、とは?」
「いえ、気になさらないで」
ルリアはすぐにいつもの笑顔に戻り、話を逸らした。
そのあまりにもスムーズな切り替え方に、納得が行くはずはなく、不気味さを感じざるを得ない。
『いっしょに魔王を倒さないか、という意味かもしれません。違うかもしれません』
ミミズが脳内で冷静に分析した。
「なるほど……」
俺は小さく頷いた。
ルリアは俺の真意を見極めようとしているのだ。
魔王に忠誠を誓うのか、それとも本気で抵抗するのか。だが、ルリアの立場は明確ではない。
「さあ、参りましょうか」
ルリアは先導するように魔王城の回廊を歩き始めた。
その足取りは軽やかで、まるでこの城が彼女の一部であるかのように馴染んでいる。
逆に俺にとってこの回廊は巨大な獣の体内を彷徨っているような圧迫感があった。
黒曜石で造られた壁は脈打つように微かに光を放ち、複雑な紋様が蠢いている。
天井は遥か高く、そこには不気味な彫刻が施された巨大なシャンデリアが、影を長く伸ばしていた。
「王国をどうするつもりだ?」
沈黙を破り、俺はルリアに問いかけた。
「どうするもなにも」
ルリアは肩をすくめて答えた。その言葉には、一切の感情が込められていない。
「エメリア王国は魔王国にとって古代遺跡ラミナス迷宮とイコールです。ラミナ鉱による魔力増幅を得られれば、あの土地が国だろうと荒地だろうと価値は変わりません。あとは、魔王様の気分次第です」
ルリアは気だるげに回廊を歩き続けた。さきほどの緊張から解放されているようにも見えた。
「エメリア王国はあなたの故郷でしたわね」
ルリアは、ふと顔を上げ、俺を見つめた。その瞳には、ほんの少しの好奇心が宿っているように見えた。
「ああ」
俺は、短く答えた。
王国の惨状を頭に浮かべると、胸が締め付けられるような痛みが走った。
「わが猛り狂う闇の瘴気よ、鎮まれ! ああ、王国を救うために、俺は、この詠唱を何度繰り返さねばならぬのだ! でしたっけ?」
ルリアは、突然、俺の言葉をまねし始めた。
大げさな仕草と、どこか打ち解けた口調が、俺の心をざわつかせる。
「レンさんの自己陶酔ぶりと英雄ごっこは見ていて飽きませんわ。王都の大衆演劇を見ているかのようですの」
ルリアは楽しそうに笑った。
『宿主。言ってやるです! ルリアのスライディング土下座には敵わないと』
ミミズが俺の脳内でつぶやいた。ミミズはときどき面白いことを言う。
しかし、その言葉を発する前に、彼女は続けた。
「我が国にとってエメリア王国は『資源』でしかありません。ラミナ鉱を手に入れた以上、エメリア王国は、あなたの好きになさい」
ルリアは、そう言い放ち、俺の言葉を締めくくった。
しばらく歩いた後、俺たちは、魔王城の一室に到着した。
それは、俺に与えられた部屋だった。
簡素な内装で、質素なベッドと机、そして、壁一面に埋め込まれた巨大な魔鏡が目に入った。
「これは……?」
「魔鏡ですわ。王宮と転送魔法で繋がっています」
ルリアは、魔鏡を手のひらで差し示して説明した。
「私に協力する限り、この魔鏡を残しておきます。王宮の様子を観察することができますし、必要であれば、連絡を取ることも可能でしょう」
ルリアは、そう言いながら、俺を見つめ返した。その瞳には、何かを期待しているような、複雑な光が宿っていた。
「賢明なご判断をされるように、期待いたしますわ」
最後にそう一言告げると、ルリアは部屋を出て行った。
部屋に残された俺は、魔鏡を見つめた。
壁に設置された巨大な魔鏡は、黒曜石のように光沢を放ち、王都の様子を映し出しているようだった。
ルリアの言葉を思い出す。自分に協力する限り魔鏡は残しておくと。
『そうでない限り、王宮がどうなるかわからないと。宿主。ルリアに弱みを握られることになります』
ミミズが冷静に分析する。
「わかっている」
俺は小さく頷いた。
こちらは転送魔法を使えず、王宮はルリアの管理下にあるとも言える。
魔鏡はそれを常に念頭に置き続けろという意味なのかもしれない。
その時、魔鏡が光を放ち、映像が映し出された。
映像に映し出されたのは、エメリア王宮の中庭だった。
そこには、リナと、第三王女アイリスが、楽しそうに会話している姿があった。
リナは、得意げな顔で何かをアイリスに説明しており、アイリスは興味津々といった様子で話を聞いている。
先ほどまでとは真逆の平和な光景が広がっていた。




