第57話 魔王の御前
謁見ルームに響き渡ったのは、地鳴りのような重々しい声だった。
<<鎮まれ、餓鬼ども>>
声の主、魔王は漆黒の玉座に深く腰掛けていた。
巨大な体躯は黒曜石を模した鎧に覆われ、その存在感は空間そのものを圧迫する。
王冠のように頭部を飾る無数の角は、まるで茨のように絡み合い、闇の権化を象徴していた。
そして驚くべきことに、その魔王の頭上には、「俺」の手足や内臓、そして紫色の瘴気を纏った皮膚片が降り注いでいた。手足の切断部はミミズの触手が力なくうごめいている。
それらは血に混じり、無造作にぶちまけてしまったかのように魔王の頭部を染めていた。
俺は反射的にひざまずいた。
ルリアも同じように膝をつき、頭を下げている。彼女の表情は、先ほどの傲慢さから一変し、ひどく緊張しているように見えた。
これほど魔王を怖れているとは意外だった。
<<何を遊んでおるのだ。王都の蹂躙はきちんと完璧に実施できたのか?>>
魔王の声は、雷鳴のように轟き、謁見ルーム全体を震わせた。
「はい、魔王様。王都は完全に掌握いたしました。第二王子をはじめとする抵抗勢力は根絶やしにし、もう不潔な勇者を送ってくることはないでしょう。エメリア王国の象徴である王宮は、我が魔王城の庭園の一部と化しました」
魔王は、その言葉に満足した様子もなく、冷たく言った。
<<報告は不要だ。見せてみよ>>
ルリアは、すぐに魔鏡を召喚した。
魔王の眼前に出現した鏡が光を放ち、王都の様子が映し出される。そこには、目を覆いたくなるような光景が広がっていた。
崩れ落ちた建物、炎に包まれた街並み、そして、王国兵たちの無残な死骸と、魔王城の虫たちの屍が、無造作に積み上げられていた。
死んだ虫の体液が染み込み、城壁周辺の地面は黒く変色している。故郷を破壊された人々の悲鳴が、耳奥でこだまする。
さらに、城壁の前には、巨大なカマキリの死骸が横たわっていた。
魔王は、その光景をじっと見つめ、低い声で呟いた。
<<ルリアよ。眷属を使い捨てにするお前の戦い方は、感心せぬな>>
ルリアの顔色が変わった。唇を噛み締め、わずかに震えているのがわかった。
「敵を制圧するためには、犠牲は必要不可欠でした」
しかし魔王は容赦しなかった。明らかに怒りの形相になっている。
<<お前はサロンで眷属とともに、ギルバートの首が飛ぶのを大爆笑しながら見ていたと聞くぞ!>>
ルリアの顔から血の気が引いた。
「申し訳ございません!」
ルリアは慌てて謝罪し、魔王の怒りを鎮めようとした。そして、次の瞬間、彼女は信じられない行動に出た。
ルリアは、玉座に向かって、躊躇なく腹ばいで滑り出した。
黒曜石の床に擦り付けられる衝撃で、彼女の衣服が擦り切れる音が響く。
まるで、氷上を滑るように、滑らかな動きで、魔王の玉座へと近づいていく。
そして、玉座の手前で、滑りながら勢いよく土下座をした。
しかし、ルリアの謝罪は、そこで終わらなかった。
土下座の体勢から更に勢いを加え、気を付けをした姿勢で腹ばいのまま前進し、魔王の足元に頭を擦り付け始めたのだ。
「どうかお許しください、魔王様! リソースを無駄にする私の戦い方は、未熟でございます!」
激しい摩擦音と土ぼこりが充満する中、ルリアは何度も頭を擦り付けた。その姿は誰が見ても必死そのものだった。
魔王はその光景を冷たい目で見ていた。しかし、ルリアの必死な謝罪に、わずかに表情が和らいだ。
<<以後、気を付けるように>>
魔王は視線を魔鏡の方向へ向けた。
「愛に満ちたお言葉! 深く、感謝いたします!」
ルリアは、安堵の息をつき、ゆっくりと立ち上がった。
「さて、本題に戻らさせていただきます。エメリア王国の戦況は、概ね順調に進んでおります。古代遺跡ラミナス迷宮群を手中に収め、ラミナ鉱を我らのものとしました」
その時、俺の頭の中で、ミミズの声が響いた。
『ルリアは人間型を操縦しているだけです。たぶん、身体の中でベロを出しているです』
ミミズの言葉に苦笑したが、ルリアの行動を振り返ると驚くべきことに気づいた。
あの素早い戦闘は、人間形を操縦しながらのものだったということに驚かされる。
『誰が密告したのか、ということくらいでしょう。ルリアが気にしているのは』
「くっ、まったく。……いえ、失礼いたしました。ラミナ鉱によって、魔王国はかつてないほどの強大な力を手にするでしょう。エメリア王国をはじめ、周辺諸国も、我が魔王国の支配下に入るのは、もはや時間の問題です」
魔王は、ルリアの報告を聞き終えると、ゆっくりと立ち上がった。
<<よかろう>>
魔王は簡潔にそう言い、視線を俺に向けた。
その瞳には、底知れない深淵が広がっていた。
<<レン。瘴気をまとっておるな。その力をさらに磨き上げよ>>
魔王は、そう一言告げると、瘴気に包まれ、玉座から降り立った。
その巨大な身体は竜巻のように謁見ルームを吹き抜け、瞬く間に姿を消した。
謁見ルームには、俺とルリアだけが残された。重苦しい沈黙が、再び支配する。
俺の手足は切られたトカゲのしっぽのようにのたうち回っていた。
そこらじゅうでぱたぱた動いている音だけが、奇妙なリズムを刻んでいる。
魔王の姿が見えなくなると、ルリアは俺に向き直り、いつもの笑顔を浮かべた。
「レンさんがお強いのは理解いたしましたわ。……あなたはこちら側なのかしら?」




