第49話 虫の奔流
東門の城壁は、まるで悲鳴を上げているようだった。
無数の虫が黒い奔流のように城壁を覆い尽くし、貪欲に侵食していく。
巨大な大ムカデが城壁を這い上がり、その巨大な顎で轟音とともに石材を噛み砕き、無機質な破片を撒き散らす。
他の虫たちは、その巨大な顎に比べれば小柄だが、それでも人間にとっては死をもたらす脅威だ。
鋭い針を持つ甲虫、毒液を噴射する蜘蛛、そして、腐臭を放つ巨大な芋虫たちが、次々と城壁をよじ登り、王国軍の兵士たちに襲い掛かっていた。
俺は、リナと共に、崩壊寸前の城壁の上で魔王軍の攻勢を見下ろしていた。
吹き荒れる風に乗って、魔王城でよく嗅いだあの独特の虫の匂いが鼻を突く。
「すごい数の虫……圧巻だね」
リナの言葉は、虚空に消えていく。
魔王軍の数はまさに圧倒的だった。その数だけでも、兵士たちの士気をくじき、恐怖で麻痺させている。
その時、魔王軍の攻撃が激化し、城壁の一部が崩れ落ちた。崩落の衝撃で俺たちはよろめき、リナは悲鳴を上げた。
体勢を失った瞬間、俺は無意識のうちに、体内に蓄積された瘴気の力を解放しかけた。
だが、瘴気が漏れ出すと、周囲の空気が濁り、近くにいた王国軍兵士たちが苦悶の表情を浮かべ、次々と倒れ伏した。
瘴気の力は強力だが、制御を誤れば味方にも害を及ぼす。
「くっ……、身体がうずく……瘴気を出すわけにはいかない」
俺は必死に瘴気の放出を抑え込んだ。
でないと、あの詠唱をしなければならなくなる。
しかし、いずれ城壁が完全に崩落し、魔王軍が王都に雪崩れ込んでくるのは時間の問題だった。
王国軍の兵士たちも、もはや限界に達している。このままでは、全員が虫の大群に食い殺されるだろう。
「レン、どうする……?」
リナはこの困難な状況に、不安げな視線を送ってきた。
『魔王軍の中心部で瘴気を使うという手もあります』
ミミズの声が俺の脳内に響き渡った。
「どういうこと?」
『われわれにとって有利なことがあります。いま来ている下等な魔王城の虫は、魔王城の虫を敵と認識できません。まだ知能が発達していないため、味方と敵の区別がつかないのです』
「つまり、……一方的に攻撃できるのか」
『その通りなのです』
ミミズの言葉に俺は目を見開いた。それは、まさに一計に懸ける策だった。
瘴気を解放すれば、魔王軍を壊滅させることができる。
しかし、そのためには魔王軍の中心部に飛び込まなければならない。そして、その中心部は文字通り虫の巣窟だった。
城門を開けたら、敵の大群が雪崩れ込んでくる。だが、待っていても手遅れだ。
城壁は今にも崩れ落ちるだろう。
このままでは、王都は魔王軍の手に落ちてしまう。
「わかった、やるしかない」
俺は覚悟を決めて、リナに告げた。
「俺は、ここから飛び降りて城門の外へ出る」
リナは、驚いた表情で俺を見つめた。
「えっ、レン、一体何を考えているの?」
「魔王軍の中心部で瘴気を解放する。そのために、俺はあそこの虫の群れに飛び込む」
俺の言葉に、リナは難しそうな顔をした。
「大けがするよ。痛いよ。ラミナス迷宮で落ちたときみたいに」
心配そうなリナの顔を見て、俺は少しだけ心が揺れた。
「わかっている。でも、他に方法はない」
俺は力強く言った。
ラミナスの迷宮の時と比べれば、まだましだ。
「リナには、城壁の上から魔法で援護してもらう。俺が魔王軍の中心部に到達するまで、持ちこたえてくれ」
リナは、唇を噛み締め、決意を新たにした。
「うん。援護はまかせて!」
俺は、一瞬の躊躇もなく、城壁の上から飛び降りた。
飛び降りた瞬間、後悔が押し寄せた。
地面に激突した瞬間、全身に鈍い痛みが走り、視界が歪む。
胸骨が折れる音、内臓が圧迫される感覚、そして、血の味が口の中に広がった。
「ぐっ……!」
全身がバラバラになるかのような激痛。それでも、俺は意識を保とうと必死に努力した。
そのとき、ミミズの声が脳内に響き渡った。
『ご安心ください。胸から骨が突き出してますが軽傷です』
俺の身体はミミズの力によって瞬時に修復され始めた。
骨が身体に戻り、内臓が再生し、傷口が塞がれていく。
這いつくばりながら魔王軍の中心部へと向かっていく。
周囲には、無数の虫たちが蠢いている。巨大な大ムカデ、毒針をつけたサソリ、翼を広げた巨大なハエ。
無数の虫の群れが俺を取り囲みながらも、畏怖の念を抱いているかのように後ずさり迂回していった。
『城壁にいる味方を巻き込まないよう、もっと城から離れましょう』
ミミズの声が響き渡った。
俺は、ミミズの言葉に従い、虫の群れをかいくぐり、進んでいった。
強化された身体能力を駆使し、俺は虫の攻撃をいなしながら、魔王軍の中心部へと近づいていった。




