第4話 寄生虫のミミズ
掃除を怠れば、魔王の怒りを買うことになる。最悪の場合、命はないだろう。
掃除を続けて最初の数日は異臭と死骸に打ちのめされる日々がつづいた。
勇者アレクのかけらやナナの銀髪を見るたびに力が抜けた。
言われるままにバルコニーから落としてあらかた片づけた後も、勇者たちの血痕を見るたびに胸が締め付けられた。
もっと何かできたのではないか、どうすればよかったのか。
しかし毎日何も考えずミミズの言うことに従って、死骸は籠に丁寧に積み上げる。
ゴミとなる装備品は隅に寄せる。
石畳を箒で掃く。
水で拭き上げる。
魔王城の広間は広大で、隅々まで掃除するには相当な時間がかかった。
それでも毎日少しずつでも綺麗にしていくことで、広間は少しずつマシになっている気もする。
いままで魔物は見かけられなかったが、壁を蜘蛛が這うように動くのが見えた。緑色の煙を吐き出すムカデのような魔物もいた。
上の方から何か視線を感じて、宙を見ると、鮮やかな青色の蝶が飛んでいることもあった。蝶が魔物に含まれるのかどうかはわからないが。
掃除の作業に没頭するうちに、俺も少しずつ慣れてきた。
だんだん魔王城が日常に感じられてきた。もしかすると、ミミズの影響が精神にまで及んでいるのかもしれない。
『宿主、だいぶ綺麗になりましたね。魔王様のおっしゃる通り掃除屋に向いています』
ミミズの声が頭の中で響く。
「それはありがとうな」
勇者なんかするよりも掃除に向いているだろう。向いているものがあってよかった、と自分にむなしく語りかけてみる。
いや、勇者メンバーだったときから掃除屋だったか。俺は自分の人生を、ちりとりで測ってきたのかもしれない。
それ以上考えると心がひりひりしてくるので考えない。
『魔王様は綺麗好きなお方なのですが、掃除が苦手のようです』
そうなのか。別にそうでもいいしどうでもいいのだが。しかし、得意不得意の話から連想したが、魔王が得意とするものは何なのだろう。
我々勇者メンバーはあらゆる手法で殺された。
魔王はこういう攻撃をしてくると言えるものがない。ただ、戦おうとすると死ぬ。
そうか、俺は戦おうとしなかったな。
みんな勇敢だった。
『魔王様はちょっとした埃も許せないそうです』
ミミズは魔王の完璧主義について話す。
「ああ、魔王は完璧主義と覚えておく」
気をつけなきゃな。少しでも手を抜けば、容赦なく叩き潰されるだろうな。
『ロンバがいたころの魔王城は埃ひとつなく美しかったそうです』
またよくわからない単語が出てきた。ロンバ…誰だ?
まあいい。
今日も虫たちの糞や瘴気の埃が増えている。これからまた掃除だ。
ミミズはテイムしたはずだが、独自に魔王と話している。掃除屋に向いているという判定は魔王の言葉らしい。
魔物を使役して念話が話せるようになるテイムスキルの発動でミミズは来た。
だがテイムとはちょっと違う気がする。共生というか。寄生されているというか。
掃除をしながらも先のことを少しは考えられるようになった気がする。
今日は慎重に、脱出について探りを入れてみたりもした。
「ミミズ、たまには違う場所にも行きたいな。この広間から抜け出せないのか?」
『不可能です。この部屋には魔力で結界が張られています』
魔王の強大な魔力による結界。入ることはできるが、倒さなければ出られない。
四天王との戦いのときもそうだった。
「そうだよな」
その時、ミミズがこそこそした声で言った。
『宿主、不可能を可能にすることもできます。換気口というものもあります。少し小さめですが、宿主の体なら通れるかもしれません」
換気口。
俺は広間の壁を見回して換気口を探した。立てかけられた松明は燃えているが煙は天井に向かっている。
ただ、香炉がおいてあり、煙で煤けている部分もあった。近づいてみると、換気口には無数の蜘蛛の巣が張り巡らされ、長年の埃が厚く堆積していた。いままで注意を払っていなかっただけで、そこには別の道が開かれていた。
いままでそんなものがあると思わなかったので気づかなかったのだろうか。
少し小さめだったが、俺の大きさならなんとか通れそうだ。
「よし、試してみよう」
俺は換気口に近づき、身をかがめて中へ潜り込んだ。幅はかなり狭く、肩を擦りむきながら進む。
黴臭い埃が鼻腔を刺激し、思わず咳き込んだ。
「う、うわっ…」
息苦しい。狭い。暗い。
ミミズの声が頭の中で響く。
『もう少しです。体を捻って進んでください。ミミズのように』
言われた通り、体を無理やり捻って進む。皮膚が石壁に擦れてひりひりとした痛みが走った。
呼吸が浅くなり、心臓が激しく脈打つ。
「狭すぎる…これ、出られるのかな」
『諦めないでください、宿主。出口はすぐそこです』
ミミズの言葉に励まされ、さらに奥へと進む。暗闇の中、自分の体だけが蠢いているような感覚。
「まだどれくらい…?」
『あと少しです。光が見えます』
その言葉を信じて、俺は最後の力を振り絞った。
少し光が見えてきた。同時に、何やら物音が聞こえる。話し声のような…。
「やった…」
俺は這いつくばりながら換気口の外へ出た。
目に飛び込んできたのは、薄暗い廊下だった。
そして、廊下の奥には別の勇者パーティーがいた。
彼らはボロボロの装備を身につけ、疲労困憊の様子で、何かを話し合っている。
一瞬、彼らも俺の姿に驚いたように目を見開いた。