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第38話 華麗なる詠唱

 しばらく目を閉じて休んでいた。ふと見上げると、目に入り込んできたのは見慣れた青空……ではなかった。

 青空は、ところどころ薄紫色のヴェールを被ったように霞んでいる。

 降り注ぐ太陽光も、以前のような眩しさを失い、どこか憂いを帯びている。

 瘴気が大気中に拡散し、地上にもその影響を及ぼし始めているのだった。


 足元は、崩れかけた古代遺跡の残骸が散乱する荒地。ひび割れた石畳の上を乾いた埃が舞い上がり、喉をかすませた。

 遠くで何やら騒がしい声が聞こえる。


 目を凝らすと、遠くの丘陵を越え、塵を巻き上げながら、一団の冒険者が走り去っているのが見えた。

 彼らは互いに声を掛け合い、何かを恐れているように必死に逃げ惑っている。


「毒ガスだ! 遺跡から毒ガスが噴出してる! 避難しろ!」

「触れただけでも倒れるぞ! 早くこの場を離れろ!」

「急げ、急げ!」


 彼らの叫び声が、風に乗って届き、耳をつんざく。何人か倒れたり四つん這いになっている者もいるが息はありそうだ。目に見える被害は、今のところ、それほど大きくはないようだった。瘴気は、視覚的には紫色に染まった空気として、避けることが容易になっていた。


 俺は、ゆっくりと立ち上がり、足元の土を払った。

 全身が痛む。

 瘴気の増幅によって、肉体は強化されたが、その代償は大きい。

 疲労困憊で、骨が抜け落ちてしまいそうだった。


「ミミズ」


 俺は静かに呼びかけた。


『はい、宿主』


 ミミズの冷静な声が、脳内に響く。


「お前は、瘴気を抑え込めるって言ったよな」


 俺は、不吉な予感に襲われながら、静かに問い詰めた。

 古代遺跡のラミナ鉱は、瘴気を抑え込むための切り札のはずだった。

 しかし、地上に戻ってきてみると、状況は悪化している。

 俺の言葉に、ミミズは少しの間、沈黙した。


『お安心ください、宿主。ラミナス・ドラゴンの攻撃を防御できたのは、瘴気のレベルが自在に動かせるまで進化したからです。問題なく制御できるようになっているのです』


 ミミズの冷静な声が、頭の中に響く。


 制御? 制御といっても。状況は悪化しているのではないだろうか。瘴気が増えている。濃くなっている。


『瘴気は、宿主の力を引き出すための媒体でもあります。ラミナス・ドラゴンなど序の口です。瘴気を制御することで、より強力な力を得ることができます』


「そんな力はなくてもいい。瘴気を抑え込みたいんだ。どうやって抑え込むんだ?」


 俺は問い続けた。


 ミミズは、しばらく沈黙した後、静かに答えた。


『……詠唱』


「詠唱?」


『はい。瘴気を鎮めるための詠唱によって制御可能になるはずです。リナが好んで行っていることです。宿主も夢の中では得意げに唱えていました』


 リナがよく口にしている詠唱。


 その言葉に、俺は暗澹たる気持ちになる。

 たしかにリナは、魔法を操る際、微妙に恥ずかしい呪文を唱えている。


「まさか、俺がそれを……?」


 その言葉に、リナが快活な声で応えた。


「リナに任せて! 詠唱なら任せて! 転生者なら、みんな当たり前のように叫んでいるから」


 リナは、得意げに胸を張った。


 リナは少し考えた後、頷いた。


「くっ、右目がうずく……。しずまれ、俺の魔眼よ!」


 リナは何かに取り憑かれたかのように言ったあと、

 

「はい! 言ってみて」

 

 と俺に促した。

 俺に魔眼などない。


「しずまれ、俺の魔眼よ! はい!」


「魔眼じゃない」


 俺は思わずリナにつっこんでしまった。

 それを待っていたかのようにリナはいたずらっぽく微笑んだ。


「残念。じゃあ、『鎮まれ! わが猛り狂う闇の瘴気よ! 鎮まれ!』って言おうよ。これしかない!」


 半信半疑ながら、リナの指示に従い、俺は呪文を唱えた。


「鎮まれ。わが猛り狂う闇の瘴気よ。鎮まれ」


 その瞬間、俺の身体を覆っていた紫色の瘴気が、まるで意思を持つかのように震え始めた。

 瘴気は身体の中心へと集まり、その渦は次第にゆっくりと、そして滑らかになっていく。


『もっと何度も言いましょう』


「鎮まれ。わが猛り狂う闇の瘴気よ。鎮まれ。わが猛り狂う闇の瘴気よ」


 瘴気の抵抗が弱まっていくのを感じる。暴れ馬が徐々に飼いならされていくような感覚だ。しかし、それは楽な道ではなかった。瘴気は抵抗し、俺の精神力を試してくる。集中力を失えばすぐに制御を失い、瘴気は再び暴走するだろう。


『もっと大声で』


 俺は気力を振り絞り呪文を唱えた。


「鎮まれ! わが猛り狂う闇の瘴気よ! 鎮まれ!」


 その瞬間、身体を締め付けていた圧迫感が、徐々に薄れていくのを感じた。呼吸が楽になり、血管が正常なリズムを取り戻していく。そして、瘴気は、まるで霧が晴れるように、静かに消え去った。


「……消えた」


 俺は驚きに息を呑んだ。


『どうですか? 消えたでしょう。消えましたね?』


 ミミズが、自信に満ちた口調で言った。


「ああ。だが……」


 よかったと思いつつ、俺は残念な気持ちにもなる。


「これ、毎回言わなければならないのか?」


 瘴気が再び暴走しないためには、この詠唱を繰り返す必要があるのだろうか。

 それは、ある意味途方もない苦行だ。


『はい。瘴気を完全に制御できるようになるまでは、詠唱が必要です。繰り返すうちに、呪文の力をより深く理解できるようになり、制御も容易になるでしょう。宿主も試練の夢の中で目を輝かせながら詠唱していたではないですか。容易でしょう』


 ミミズの言葉に、俺はため息をついた。


 他に方法がない。

 瘴気を抑え込むためには、このリナ考案のとてつもなく恥ずかしい詠唱を繰り返すしかないのだ。


 太陽は先ほどよりもずっと明るさを増して降り注いでいる。

 俺は青空を見上げ、大きく息を吸い込んだ。

 瘴気の色がなくなって空気は澄み渡り、鳥のさえずりが、耳に心地よく響いてきた。


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