第37話 アイテムボックス
ラミナス・ドラゴンの死体から立ち上る熱気と、腐臭が、洞窟を満たしていた。
勝利の安堵も束の間、重苦しい気配が背筋を凍らせる。
振り返ると、残された一体のラミナス・ドラゴンが、仲間を失った激昂からか、怒りに満ちた咆哮を上げていた。
その声は、洞窟全体を震わせ、岩肌を揺さぶった。
「グオオオオオ…!」
巨体が怒り狂い、翼を羽ばたかせ、凄まじい風圧が俺を押し退ける。その瞳は、血走っていて、憎悪に染まっていた。
瘴気で強化された身体でも、その風圧には耐えがたい。
俺は咄嗟に身をかがめ、壁に寄りかかり、必死に体勢を立て直した。
その時、脳内にリナの甲高い念話が響いた。
「レン! そうだ! また穴を開けて道を作ればいいよね!」
リナの無鉄砲さに呆れながらも、有効な手段として理にかなっているとは思った。
迷宮は入り組んでいて、迷ったら抜け出すのは困難だ。
穴を開ければ、最短ルートで移動できる。
「ああ。リナ、それがいい」
俺はリナに念話で言った。
次の瞬間、洞窟の天井に巨大な亀裂が走り、岩石が降り注いだ。そして、眩い光とともに、強烈な魔力が放たれた。
リナのダンジョン魔法、「ジェットストリーム」。
天井から無数の風の刃が飛び出してきた。それは螺旋を描きながら降り注ぎ、怒り狂うラミナス・ドラゴンへと襲いかかる。
「グアアアア!」
ドラゴンの咆哮が、悲痛な叫びに変わる。
風の刃は、その強靭な鱗を切り裂き、骨を粉砕し、肉体を破壊した。
ドラゴンの体はぼろ雑巾のようになって制御不能なままに、空中で回転し、地面に叩きつけられた。
しかし、リナの魔法は、それだけでは終わらない。
連続して風の刃が降り注ぎ、ドラゴンの体は無数の肉片に、その肉片も細かくなり、跡形もなく消滅していった。
最後は砂より細かいものが、風に吹き飛ばされたかのように見えた。
激しい魔法の奔流が収まると、洞窟は静寂に包まれた。
しかし、その静寂は、敵を倒した感覚的なものでしかなかった。
天井や壁のあちらこちらに亀裂が入り、崩れはじめている。
魔法のエネルギーが、岩肌を侵食し、構造物を破壊し、洞窟全体に崩壊の兆しを与えていることが明らかに見て取れた。
天井から岩石が落下し、壁が崩れ、地面が揺れ動く。
まるで巨大な獣が内臓を食い破られるような、苦悶の叫びを上げているかのようだった。
「まずい、早く脱出しなければ!」
俺は慌てた。
崩壊が激化する洞窟から、一刻も早く脱出しなければ。。
その時、ミミズの声が響いた。
『宿主が落ちている間、数えていました。ここは第77階層です』
「第77階層だって?」
俺は途方に暮れた。
ラミナ鉱があると言われる第7階層から、ここまで深く落ちてしまっていたのか。
「ここから地上へ帰還するには、一体どれほどの時間がかかるんだろう?」
『正確な時間は測れませんが、最短ルートでも数週間はかかるでしょう』
ミミズの言葉に、脱力感が押し寄せる。
崩壊が激化する洞窟は数週間どころか数刻も持ちそうにない。
その時、上から声が聞こえてきた。
「見つけた!」
リナが、光を放ちながら、階上から降りてきた。
彼女の周囲には、蝶の羽のような光の粒子が舞い上がり、まるで妖精のようだった。
「リナ!」
俺は叫んだ。
「やったー! ラミナ鉱って高いんだよね?」
『砂粒程度でも莫大な価値があるのです』
「持って帰ろう! ラミナ鉱、さっそくアイテムボックスに入れ……られないかー。人間じゃないと使えないのはおかしいよ。アイテムボックスは最強なんだよ! せっかくスキルあるのに、……空っぽ。どうにかできないかな?」
『リナの状況察知能力も空っぽなのです』
「もう!」
「そんなことより、避難しよう! ここが崩れる!」
「ええっ?」
リナは周囲の崩壊風景に気がついて目を丸くした。
ダンジョン魔法の衝撃で崩れた穴からあらゆる方向に亀裂が広がっていた。
「リナのせいじゃないよ。ダンジョンの壁が柔らかすぎるんだよ」
「誰のせいとかいいから、逃げよう。……どこに逃げればいいんだろう」
その瞬間、洞窟の奥底から轟音が響き渡った。それは大地が悲鳴を上げるような、耳をつんざく音だった。
天井から無数の瓦礫が降り注ぎ、地面が激しく揺れ始めた。
「まずい!」
頭上から土砂が崩れ落ち、視界が遮られる。俺は腹ばいになった。
降り注ぐ岩石が肩や背中を叩きつけ、鈍い痛みが全身を襲う。
次の瞬間、足に強烈な圧迫感が走った。
「ぐっ……!」
悲鳴を上げる間もなく、巨大な岩石が俺の右足を挟み込んだ。
岩石の重みで身動きが取れない。
「レン! 脱出しなくちゃ!」
リナはそう言うと、両手を広げ、周囲に魔力を解放した。
「えっと、あの……詠唱の言葉は……そうだ」
そして彼女の体から眩い光が溢れ出した。
「次元の結び目を解き放ち、帰還の道を拓け! エスケープ!」
リナのダンジョン魔法、「エスケープ」。聞いたことのない魔法だ。
「大丈夫なのか……?」
掠れた声で問いかけると、ミミズの声が頭の中に響いた。
『自分と仲間たちを、強制的に地上に送還する魔法です。リナの割にはよい選択です』
光が洞窟全体を包み込み、俺とリナを包み込んだ。
眩い光の中で、俺は視覚を失った。
気がつくと、俺は緑豊かな草原の中に倒れていた。
古代遺跡の入り口付近だった。
見上げると、雲の隙間から青空が見え、太陽もまた見え隠れしていた。
古代遺跡の崩壊を乗り越え、俺たちは激動の果てに地上へと生還したのだ。
安堵するとともに、疲労がぐっと重くのしかかってきた。身も心もぼろぼろにすり減っている。
酷い痛みと倦怠感に、ただ地面に横たわることしかできない。
「いつか、最強チートのアイテムボックスを使えるようになる!」
リナは遠い青空を見上げ、力強い眼差しで、新たな決意を誓っているようであった。




