第34話 リナの暴走
リナの魔法によって開かれた巨大な穴を見下ろす。暗闇が深く、底は見えない。穴の縁は無残にも崩れ、鋭利な岩肌がむき出しになっている。
床の穴はただ一つではない。先ほどのリナの魔法によって縦穴が続いていて、何階層もの下の階層まで穴が繋がっている。
「こ、これは……」
俺はただただ愕然とした。
たった一つの魔法でこんなにも大規模な穴を開けてしまうことがあるなんて。
周囲の石壁は蜘蛛の巣のように無数のヒビが走り、今にも崩れ落ちそうだった。穴から吹き込む風は冷たく不気味さを漂わせていた。
『宿主、これは深層への近道になります。本来なら何日もかけて下りていく場所を、一気に辿り着ける……かもしれないのです』
ミミズが冷静に告げる。
「えー? 1階層ずつフロアボスを倒しながら進むのが王道でしょ?」
穴を開けた張本人のリナは唇を尖らせた。
先ほどの魔法の興奮が冷めやらないようで、彼女が求めていたと思われる戦いができない不満に拗ねた声が響いた。
「ボス戦こそ、冒険者の醍醐味だとおもうんだけど!」
リナは魔法による周囲の状況など気にも留めていないようだった。その無思慮はつくづく危険でとても心配になる。
穴の底を覗き込む。漆黒の闇が広がっていて、どこまでも深くつづいているように見える。壁は崩れかけ、風が吹き上げるたびに砂塵が舞い上がり、視界を遮る。
「どうするのがいいんだろう……」
俺は深く息を吸い、自問した。深層への近道とは言え、このまま降りるのはいささか無謀にも思える。
「アニーさん、何かロープとか……降りるための道具はありませんか?」
アニーは、一瞬顔色を変え、困ったように首を横に振った。
「申し訳ありません、レン様。このような事態を想定していませんでした。残念ながら、ロープも、降りるための道具も、持ち合わせておりません」
アニーは奥の方へ視線を向ける。
「迂回して奥の部屋へ行きましょう。そこから深層への別のルートを探したほうが現実的です」
その言葉に、俺は同意しなかった。
迂回ルートを探すのも一つの手だが、時間は限られている。瘴気を抑え込むためのラミナ鉱を最短で手に入れられそうな近道ルートを捨てることはできなかった。
「ですが、レン様……」
「構わないです、アニーさん。そもそも深層へ行くのは、俺の瘴気を抑えるためだ。ここまで協力してくれて、ありがとう」
俺の言葉に、アニーは少し寂しそうな表情を浮かべたが、すぐにきりっとした表情に直し、
「かしこまりました」と返事をした。
「馬車で待っていてくれたら」
俺は、アニーにそう告げると、穴の縁に近づいた。
その瞬間、
「何かいる! ラミナス・ドラゴンだよね? たぶん!」
リナの声が響いた。目を輝かせ、楽しそうなお祭りへ向かうように、羽ばたきながら穴の中へと飛び込んでいった。
「リナ、待て!」
俺は思わず叫んだ。彼女の無鉄砲さに呆れると同時に、腹の底がふわっと浮くいやな感覚がした。次の瞬間、俺の足元が崩れ始めた。
穴の縁に近づきすぎていた。
体重が加わり、床の土砂が音を立てて崩れ落ちていく。
「れ、レン様!」
アニーの悲鳴が耳に届いた。
崩れ落ちる地面に、俺の体は吸い込まれていく。
落ちてゆく。
重力に抗う術もなく、ただただ加速していく。
風が耳を切り裂く。
視界が白くぼやけていく。
見上げると、小さくなっていくアニーの顔が焦燥の色を浮かべているのが見えた。彼女は手を伸ばした。両腕がゴムのようにありえないほどにものすごく近くまで伸びてきたが、わずかに届かなかった。
何かを言っているようだったが、その言葉は風に掻き消された。ルリア様に報告を、と聞こえたような気もしたが、気のせいだろう。
『心配いりません。宿主の身体は修復可能です。ただし、深層でラミナ鉱を見つけ、魔力を充填する必要があります』
ミミズの冷静な声が、虚しく響いた。
「修復できると言っても、そんな……」
俺は不安な気持ちでつぶやいた。
『全然、まったく問題ないです』
落ちながら、壁にぶつかる。つかもうとすると引っ掛かって、指が千切れた。「痛い!」
さらに落ちていく。
落下は止まらない。
岩の突起に腕がぶつかり弾け飛ぶ。激痛が全身を貫く。
「うおっ!」
足は不自然な角度に曲がり、鈍い痛みが骨の奥まで響く。
「どわ!」
腹部を鋭いものが切り裂き、内臓が宙を舞い、吐き気がこみ上げてくる。
「ぐええ!」
こんなに痛いとは聞いてない。
『リナを追い抜いたようです』
ミミズが落ち着いた声で告げた。
「レン、待ってー!」
リナの念話が、頭の中に響いてきた。
さらに落ちてゆく。
まるで永遠に続くかのような落下。
壁にぶつかるたびに身体が物理的に削られていく。
そして、ついに、洞窟のような空洞の底に叩きつけられた。
ドスン、と衝撃が走り、俺の体はバウンドした。身動きが取れない。
激痛が全身を襲う。
「う……」
痛みと苦しみで声も出ない。
目の前には、そこらじゅうに青白く光る石が散らばっている。
『ラミナ鉱です』
ミミズが、静かに告げた。
青白く輝く石は、まるで夜空から零れ落ちた星屑を閉じ込めたかのように、幻想的な光を放っていた。




