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第29話 瘴気の力

 ルリアの策略を打ち破るべく気合を入れ直し、勝利への決意を新たにした……のだが、馬車の中の現実は容赦なく俺を縄で縛りつけていた。物理的に、粗末な麻縄が肌を締め付け、息苦しさを催す。手足を動かすたびに縄が擦れて痛みが走った。


『宿主、ご安心ください。魔王様の試練を乗り越えたことで、宿主の身体能力は大幅に向上しました。すでに回復しています。力を込めれば、簡単にロープを断ち切れますよ』


 力を込めろ、か。そうしよう。

 俺は全身に力を集中させ、縄に意識を集中させた。謎の力がみなぎり、体中を脈打つような熱いエネルギーが縄へと流れ込んでいく。

 腐った木がぼろけるように縄が音を立てて千切れ始めた。瞬く間に俺の身体を拘束していた縄は、無力な糸くずとなって地面に散らばった。


「ふう……」

 解放された安堵感と、全身を駆け巡る謎の力に、俺は小さく息を吐いた。


『魔王様の試練を越えた結果、宿主は瘴気を纏う力を手に入れましたね』

 ミミズの声が、どこか得意げに響く。


 へ? 瘴気?

「瘴気……? 俺の体に何か異変が起きているのか?」


『宿主から湧き出して周囲を覆っています』


 見えないんだけど。

 もしかして匂ったりする?


『今はまだ匂わず目に見えない力です』


 良かった。少々ほっとする。

 しかし今度は「まだ」というのが気になってくる。


『もっと魔王様の試練に挑戦して瘴気のレベルを上げれば、魔王様と同じく紫色に見えるようになります。頑張りましょう』


 それは避けたい。目に見えない力……瘴気。強化してしまったら身体から紫色の瘴気が噴き出すようになるのか。

 想像しただけで背筋が凍る。二度と魔王の試練には手を出さないと誓いたい。


 その時、馬車が急停止した。

 ガタン、と衝撃が走り、ドアが開かれる。

 目的地に到着したらしい。


 重武装した兵士たちは、俺の姿を目にするなり、動きを止めて硬直した。

 時間が止まったかのように一瞬も動かない。その目は恐れと困惑の色が浮かび、大きく見開かれ、口は半開きになっていた。


 兵士の表情はいわゆる蛇に睨まれたカエルのように怯えている。

 何が原因なのか、最初はわからなかった。

 しかし、ミミズの言葉を聞いた瞬間、ある程度理解できた。


『宿主、それは瘴気の影響です。魔王様の力を受け継いだ宿主の瘴気は、常人には耐えられないほど強烈なのです』


 目に見えない瘴気が兵士たちの本能を揺さぶり、原始的な恐怖心を呼び覚ましているのだ。


 俺は、軽々と馬車から降りた。

 風に吹かれて、埃っぽい空気が肺を満たす。

 拘束された俺を配達物のように搬出するつもりだった兵士たちは、俺の動きを監視するように見つめているが、警戒しながらも近づいてくることはなかった。


 馬車の御者をしていた「影の者F」こと女性諜報員「ハニー」も、馬車から降りてきた。

 彼女もまた、俺の姿を見て固まってしまっている。甘い微笑みを浮かべていた彼女の顔はきょとんとしている。


「案内してくれ」

 俺は、落ち着いた声で兵士たちに言った。

 兵士たちは、しばらくの間、互いに顔を見合わせ合っていた。

 そして女性諜報員「ハニー」が緊張した声で答えた。


「は、はい……!」

 彼女は、俺を先導するように歩き出した。


 案内されたのは、巨大な石造りの建物だった。

 建物の中に入ると、重厚な扉が閉まり、俺たちは完全に外界から隔離された。

 廊下は薄暗く、湿った空気が漂っている。


「さっさと情報網の復旧なんとかしろ!」


 壁には無数の扉が並び、どこかの扉の奥から、「司令官」の声が漏れていた。

 

「クズ勇者はまだか! 早くズタズタに拷問して吐かせろ。なに突っ立ってんだ!」


 その時、怒りに満ちた顔をした司令官が、側近たちとともに現れた。

 司令官は鋭い眼光で俺を射抜き、顎を突き出して威圧的な姿勢を取った。

 眉間に深い皺を寄せ、口をへの字に結び、全身から殺意が溢れ出ている。


「使えねえ。全員首だ。自分用のギロチンの準備くらいできるよな」


 しかしその威嚇的な態勢も、俺の瘴気に近づくにつれ崩れはじめた。

 初めは疑いのまなざしになり、俺が自由に歩いているのを見た瞬間、豹変した。司令官の顔から血の気が引いていく。


 さらに司令官は激しく震え始めた。頭と体が震えその重心移動が膝を震わせている。

 震えを必死に抑え込みながら、司令官の表情は、見違えるように柔らかくなった。


「れ、レン様! ようこそ、当施設へ!」

 普段使わない筋肉を使ったその顔は仮面を被ったかのようにぎこちない。


「大勇者レン様のご来光は、まさに光栄です! 光栄!」

 司令官は、俺に深々と頭を下げ、何度も「光栄!」とおべっかを使い始めた。


「何か、お困りごとであらせられますか? 不肖このわたくしアルベルトめに何なりとお申し付けください!」


 刺激したら危険かもしれないと思っているのか、必死に震えを隠し、俺に歓心を抱かせようとしている。


 これからどうするべきか、頭を悩ませながら、俺は司令官アルベルトのぎこちない態度を見つめていた。


『さて、命令をする時間なのです。司令部を恐怖で支配しましょう』

 ミミズのワクワクしていそうな言葉が脳裏に響いた。


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