第23話 厨房の惨劇
ギルドの床は激しく振動し続けていた。踊り狂う冒険者たちの悲鳴と足音、そして、どこからか聞こえる不協和音のような音楽が入り混じり、耳をつんざく騒音に変わっていた。
そんな混沌とした状況の中、俺はリナを追って、ギルド酒場の厨房へと辿りついた。
厨房は想像を絶する惨状だった。調理器具が転げ回り、鍋やフライパンが踊り狂う冒険者たちに容赦なくぶつかって、けたたましい音を立てている。油が飛び散り、焦げ付いた匂いが鼻腔を刺激する。目に痛い煙が立ち込め視界を遮るその奥の一角にリナの姿があった。
「この形じゃない。この肉もちがう。あの肉……」
リナは、明らかに不満げな表情で、何かを探しているようだった。
「オークのリブロース肉だな」と俺はその肉を見つめる。
「これじゃない肉。アニメに出てくるやつ」
転生者用語だ。俺はよくわからない。伝説のドラゴン肉のことだろうか。
それにしても。
どっしりとボリュームのあるオークのリブロース。肉汁が滴り、香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。魔王討伐隊のときは荷運び担当でもあった俺の携行袋に残っていたのは古くなった雑穀の非常食。携帯食を少しずつ食べていたが、こんなものを最後に食べたのはいつだっけか。空腹感を思い出した俺は、思わず唾を飲み込んだ。
店員たちはみな踊りに支配されたように動き回り、当然、注文はできるはずもなかった。
「……食べていいよね?」
『宿主、賭けてもいいです。つぎは勇者レンが食い逃げしたと諜報通信で大々的に喧伝されるですよ』
とミミズ。
『もう評判は地に落ちてるから、気にしないという手もあります』
追加でミミズが悪魔的な声で囁いた。
俺はため息をつき、カウンターの賽銭箱に金貨を一枚置いた。
オークのリブロースはとことん美味かった。
「皮はカリカリでいいね。噛むとジュワッと肉汁が口の中に広がる……」
思わず感想を漏らしてしまう。
噛むほどに旨味が溢れ出し、一口ごとに至福の味が口の中に広がる。
「食レポ終わった? リナの番だね」
リナの口の中から、細いストローのようなものが伸びて、オーク肉に突き刺さった。
「だって蝶だもの。ジューシー、吸うしかないからジューシー……」
ストローの先は広がって吸盤のようにへばりつき、肉の汁を貪るように吸い上げていた。
「……人間だったら噛めるのに!」
風船のような身体では、どうやら噛むことができないらしい。
次にリナは、ギルド酒場の奥にある、ゼリーのようなものがぎっしりと並んだ部屋へと向かった。様々な色合いのゼリーは宝石のように輝いているが、食い物と思えば毒々しい光景にも見えてくる。
『珍味として有名らしいです』
ミミズが一言で説明した。
そうなのか。では、一口。
苦いワームが細切れに入ったゼリー。舌触りは酷く、口の中に広がるのは、ひどい苦味だけだった。
「ああ。まずい」と俺は後悔した。
その時、リナの「共鳴スキル」が発動した。
「影の者D」:「報告! 偽勇者がゲロゼリーを食しています!」
念話から諜報通信の声が聞こえてきた。
「影の者A」:「なんてこった、ゲロゼリーだと?! ただちに作成本部へ伝達しろ! 偽勇者は巨乳趣味のゲテモノ食い!」
「偽勇者」……俺のことだ。そして、「老女」……リナのことだ。王国軍の諜報機関が、俺たちを徹底的に監視している。「偽勇者」「老女」をめぐる諜報通信が、次々と流れてきた。俺たちは、完全に王国軍の監視対象になってしまっていた。
突然、けたたましい音楽が止んだ。
ギルド内の冒険者たちは呪いが解けたようにダンスの動きを止め、一斉に俺たちに気づいた。
一瞬の静寂を破ったのは、怒号と罵声の嵐だった。
「魔王の配下だ! 許さん!」
「悪党どもを一掃しよう!」
「殺してしまえ!」
ギルド員たちは剣や杖を構え、殺気と怒りに満ちた視線を俺たちに向けた。
ざわめき、怒号、そして武器がぶつかり合う音。
俺たちは完全に包囲されてしまった。
リナは、再び人間型の口の中に戻ったが、冒険者たちの攻撃で不安定になっていた。
薄い身体は、ひび割れ、砕け散るように崩れ去る。
飛び散る血しぶきと、半透明の袋の破片が、ギルドの床に広がった。
「魔王配下を、やったか?」
「なんという見た目。恐るべき魔王の力だ」とつぶやく冒険者もいる。
風船のような姿から蝶に戻ったリナは、悲しげな表情で俺を見つめた。
「せっかく作ったのに」
その瞳には、諦めもあるが、冒険者たちへの怒りが入り混じっていた。
『さあ、皆殺しです! わはははは』
ミミズが狂気に満ちた笑い声を上げはじめた。
「だめだ、ミミズ! 殺さないよ!」
殺戮は俺の望むことではない。俺は必死にミミズを制止した。
逃げられるときは逃げるのがいい。
「逃げよう!」