第20話 王都エメリア
魔王城の庭園で俺は待っていた。リナがなかなか出てこない。
その時、ミミズの声が脳裏に響いた。
『そこに落ちている黒い破片をポケットに入れてください』
「?」
俺は、視線の先を辿った。草陰に黒い破片が落ちている。まったく光を反射しない黒い物体だ。
「掃除しているときにたまに見るけど、なんだろう。これ」
『魔王様の脱皮時の殻です。まだ魔力が残っているので、念のため持っていきましょう』
「……これ?」
『役に立ちます。緊急用なのです』
俺は黒い破片をいくつか取ってポケットに入れた。
そうこうしていると、リナは以前よりも幾分かマシになったものの、まだ不安定な足取りで庭園に入ってきた。
「ちょっと重いからちょっと待ってね。よいしょ!」
風船のような丸みを帯びた形から、ようやく人間のシルエットが浮かび上がってきたが、全体に不自然な光沢がありガラス細工のような透明感がある。よくなってきた。だが人間ではない。
当面の活動資金として、ルリアは金貨が何枚か入った袋を渡してくれた。
「1か月後の日暮れ時に、王都の東門で、またお会いしましょう」
ルリアの言葉は、俺に1か月の猶予を与えたというよりも、むしろリナに「これから戦争の準備をするから遊んでおいで」とでも言いたげに聞こえた。微笑みは優雅だが、その奥に隠された冷たさは獲物を吟味する獣のそれにも思える。真意はわからないが、彼女に逆らうだけの力を今持ち合わせていないことは痛いほど理解していた。
「ごきげんよう」
ルリアは薄い笑みを浮かべ、背後から迫る魔力の奔流が俺を包み込んだ。
眩い光が視界を覆い、一瞬の浮遊感の後、俺は冷たい石畳の上に投げ出された。
あたりは夕暮れ時。茜色の夕焼けが空を染め上げ、遠くの街の建物に長い影を落としている。
かつて見慣れた風景が、懐かしさと同時に胸を締め付ける。
俺は、エメリア王都に帰ってきたのだ。
俺は何とか生き延びることができている。
気を付けなければならないが、最悪の状況はクリアできてきている。
それを少し実感できた。
そしてやらなければならないことがある。
この現在進行中の、魔王による王国の滅亡をできるかぎり邪魔すること。
それを目標にして頑張ろう。
目標、目標とつぶやきながら考えているとミミズが割り込んでくる。
『宿主。目標は大きく持つですよ。魔王様をテイムすることを目指しましょうよ。魔王を奴隷に! なんでもできるようになりますよ!』
ミミズも魔王の配下なのだが。
『宿主なら可能なのです』
想像ができない。
佇んでいるとリナがいないことに気づいた。
どこに、と思って見渡してみると、街がある方向へ半透明のガラスのような人型の風船が身体を揺らしながら進んでいた。
「だって、もう待ちきれないよ。リナは冒険者ギルドに早く行きたい!」
「わかった、わかった。でも、このままじゃまずい。その見た目で堂々と街中に入ったら捕まるのは目に見えてるだろう」
俺はミミズに語り掛ける。
「リナの風船のような見た目をどうにかできないかな」
ミミズは一拍置いてから答えた。
『……いまだけなら、魔王の外殻を使った方法があることはあります。宿主のポケットに入れています』
はあ、外殻?
『そう。魔王が脱皮する際に抜け落ちた外殻です。魔力が残っており、ある程度形状を変えることができます』
そういえば何かあったな。
『ただし、魔力が抜けていきだんだん剥がれ落ちてきますが、いまだけなら大抵の形に』
俺はポケットから一番小さいサイズの黒い破片を取り出し、ミミズの指図通りリナに投げた。
『気を付けないと殻の中に取り込まれる危険性もありますです』
大丈夫なのか? 本当に。
リナの身体に貼りつくと外殻は光を放ち、リナのガラスの身体を包み込み、みるみるうちに老婆の姿に変化していく。
『もうだいぶ魔力が抜けているのです』
魔力がもっとあればつやつやの肌にもできたのに、とのことだ。
いささか年老いて見える姿だが、リナ自身からは見えないため特に問題はないだろう。
『しかし宿主。リナを街中に入れたらどうなるか予想がつきませんですよ』
「どういうこと」
『楽しみだということです』
夕暮れの光に照らされたエメリア王都は、かつての面影を色濃く残していた。
石畳の道には、行き交う人々が行き交い、市場からは喧騒が聞こえてくる。
街路樹に吊るされたランタンが灯りをともし、暖かな光が人々の顔を照らしていた。
しかし、どこか空気が重い。
街の人々の表情はどこか曇っており、笑顔を見せる者は少なかった。
魔王軍の侵攻が迫っていることを、誰もが感じている雰囲気だ。
かつては賑わっていた市場も、どこか活気がなく、店先には閉まっている店も目についた。
「冒険者登録! 冒険者登録!」
リナの明るい声が、街中に響き渡った。




