第2話 特級魔物使いで勇者メンバーの俺
どさりと視界が崩れ落ち、吐瀉物と糞尿にまみれた紫色の床から魔王の姿を見上げる。
魔王を見上げることができたのは、たまたま頭がその方を向いただけで、身体は床に貼りついて、もはや逃走の力どころか手足も残っていない。
螺旋を描く二本の角、紫色の縦に割れた瞳と腐敗した肌。剥き出しになった骨が覗く体躯をクモやウジ虫が這いまわっている。
絶望への最後の抵抗として、とっさに俺は「テイム」のスキルを魔王へ向けた。
魔物使い レン
スキル テイム ランクSSS
サブスキル1 念話
テイムとは魔物の魂に呼びかけ自分の家来にするスキルだ。
成功すれば、言葉を介さずとも意思疎通ができるようになる「念話」で家来に意志を伝えて敵を攻撃できる。
このスキルは希少だが使い方は古の勇者の手記に残されている。というくらいレアなので詳しい性能は明らかではなく、実際にはあまり強い魔物をテイムすることはできない。
ゴブリンやスライムなら容易だったが、それ以外はなぜか、まったく成功したことがない。
ただ、スキルランク鑑定史上最高のランクだった。
「SSS」というだけでも勇者として選定されるだけの価値があるという偏見のおかげで、勇者選抜会合で一部の有識者から認められた。
また「レンくんは魔物との対話能力が素晴らしい。まるで友人のように話しかけている」と悦に入ることを言われもした。
俺は晴れて魔王討伐メンバーに加わった。
SSSランクのスキル持ちという栄光ある肩書き。
だが使役するのはゴブリンやスライム。それほど強くない敵を掃除するのが俺の役目だった。
ここに到達するまでも、クモやワームなどの虫どもを駆逐してきた。
俺の役割は虫けら払いだった。
メンバーたちからは俺が前に出ると「レンは後ろに下がっていろ」と言われ、弱い敵が出たら「行け、掃除屋」と嘲笑気味に言われたりもしたが、実力が足りないことは俺もわかっていた。
魔王の顔は表情がわかるような造りをしていなかったが、明らかに嘲笑していた。
ただただ身体が小さくなっていくのを感じた。
「テイム」スキルは、魔王本体には効かなかった。
魂の波動が全く感じられない。
俺は弱く息を吐いて苦しみながら「テイム」の詠唱を繰り返した。
俺はどうやら馬鹿にされたらもっと馬鹿にされる行動をとりたくなるようだ。
そりゃゴブリンとは違うよな。やはりだめか、と自嘲気味にうなずきかけるが頭は動かない。
だが。
魔力はすでに枯渇しかけていたが、しかし、かすかに感じた。
微弱ながら魂の波動を感じた
魔力が沸き上がる感覚。
魔王の身体に蠢く無数の虫たちが、一瞬だけ動きを止めた。
何かが自分たちに干渉してきたと気づき、身をすくませたように。
虫たちはまた動き出したが、これは知っている感覚だ。
ゴブリン、スライム、そして今、魔王の虫。
「テイム……成功?」
意識が朦朧とする中、魔王本体の強大な魔力に比べれば微弱だが、俺は微かに虫の意識を感じた。
少なくとも魔王の体内にいる一匹が俺の詠唱に反応したと思う。ゴブリンを従わせる時とは違う、粘っこい抵抗感を感じた。しぶしぶ腰をあげているような。
魔王の鼻の頭から黒いミミズのような虫がにゅっと顔を出し、すさまじい速度で飛んできた。
俺は避けられない。なぜなら手足がない。ミミズは俺の顔に到達すると歯の欠けた力のない口をこじ開けてもぐりこむ。
無数に枝分かれして口内から身体に突き刺さっていく。
痛みはなく、むしろ温かい感覚が全身に広がった。
ミミズは、みるみるうちに俺の崩壊しかけた肉体を修復しはじめた。
砕けて失われた骨格に沿って新たな骨が生成され、溶けていた筋肉が盛り上がり、皮膚が再生していく。
<<ふむ。面白い……>>
魔王は低く地響きをたてるような声で呟いた。
俺は背筋が冷たく凍り付いた感覚とともに、全身に震えが起きる。
恐ろしさを感じる体力が回復してきた。
俺の身体を修復する速度は驚くべきものだった。
つい先程まで骨だけが虚しくぶら下がっていたのが、今や活力を取り戻し、紫色の瘴気はただの空気に感じる。
傷ついた内臓は再生され、失われていた魔力も徐々に満たされていく。
身体内にいる虫の声だろうか。
頭の中に言葉が響く。
『宿主、宿主』
『掃除屋ですか。いいですね』
『レン、宿主、レン、聞こえますか?』
念話だ。テイムに成功した魔物と交信するスキルだ。言葉を発しなくても通じ合える。
しかしその声はいつもの念話と少し異なり、内部から、ミミズから伸びた糸が耳の鼓膜を震わせているようでもあった。
「聞こえる」
つぶやきながら、俺は魔王を見あげた。
魔王はこちらを攻撃する様子はなく、さっきまで腰を上げていたのだが、玉座に座りなおしていた。
あれ?
当然の疑問を俺は口にする。
「俺は殺されないのか」
『魔王様は虫をも殺さないお方ですよ』
いや、そこらじゅうの死体は何なんだ。
勇者アレクの寸断された身体はぬるぬるとした紫色の石畳に貼りついたままで、神界の右腕ナナの華麗な銀髪が床に広がっていた。
『魔王様はきれい好きなお方ですよ』
魔王は玉座から見下ろしながら言った。
<<我を怖れよ>>
そして、その恐ろしい声をさらにつづけた。
<<掃除せよ>>
はい?
魔王は玉座から立ち上がった。
そして紫色した瘴気とともに奥の間へと去って行く。
掃除?
俺はただその背中を視界から消えるまで見ているしかなかった。