第17話 魔王城の日常
あれから数日が経過した。
新しい部屋を与えられた。魔王幹部の部屋だそうだ。
部屋は魔王幹部の間というだけあって広々としていた。革製の椅子と大きく重厚な木の机、その上には石製のインク壺と白鳥の羽根のペンが置かれている。大きな窓から見える庭園は、手入れの行き届いた花壇と幾何学的に配置された木々が一望できた。
特にすることはない。やらされていた掃除はロンバの仕事となった。
考える時間ができるとゴブ夫やスラ子のことも寂しく思い出す。彼らをテイムした思い出の地、古代遺跡の第1層へ行って、ゴブリンとスライムを眺めに行くことも考えたが、今は少しの休息が必要だった。
『魔王様が呼んでるよ』
俺に寄生しているミミズの声が響いた。普段の飄々とした口調とは違い、いつもより少しだけ上ずっているのはミミズにとっては待ちに待った、あるいは恐れた瞬間が来たのだろうか。
集められるのは、リナ、ルリア、ロンバ、俺の四名、通称「魔王軍の四天王」だ。リナも魔王幹部で四天王なのだが、魔王いわく、彼女の持つ未知の力は将来、魔王国に強大な力をもたらすだろう、とのこと。ちなみにリナは四天王の名をひどく嫌っている。
魔王の広間へ足を踏み入れると、稲妻が轟き、紫色の瘴気が渦巻いていた。感覚的には巨大な両生類の腹の中のように冷たくねっとりとした圧力が全身を締め付ける。
それもまた魔王城の日常だ。
玉座に座る魔王は清潔で豪華な服装で、頬杖をついて、退屈した貴族のように見下ろしていた。ロンバのおかげか、腐敗していた肌もいまではぴかぴかだった。
勇者たちが怒りに満ちた叫びを上げながら魔王に突き進み倒されていくのが見えた。
剣がへし折られ、魔法が弾かれ、体躯が粉々に砕け散る。
魔王の力の前では、どれほど勇敢な勇者でもすでに死体にしか見えなくなった。
あまりよくないことだなとも思う。精神まで虫に浸食されないようにしなければならない。
『やってる、やってる』
ミミズがいつものことみたいに呟いた。
もっと勇者たちへの敬意を持ってほしいのだが。
勇者たちが倒されるたびに、紫色の瘴気は少しずつ濃くなり、広間全体の空気を重くしていく。
<<ロンバ。掃除せよ>>
魔王が低い声で呼びかける。
「はい。承知いたしました」
どこからか優雅な声が響いてきた。まるで絹のようになめらかに耳元をくすぐる。
掃除道具であるロンバの声に呼応して、勇者たちの死体が粉になって舞いながら壁や床に引き寄せられた。
それは血管のように魔王城の壁や床を駆け巡り、煌びやかな光跡を残して消えていく。
広間に入った時はまだ不完全な死体だった勇者たちは、今や完全に粉々になり、ただの死体にもならなかった。
掃除完了と言ったところか。
バンパイアのルリアが、優雅な足取りで現れた。漆黒の髪は肩まで伸び、真紅の瞳が妖しく光っている。魔王国の宰相でもある彼女は、魔王の傍に立ち、少しだけ微笑んだ。
「またエメリア国の勇者たちね。よっぽど魔王様を愛しているみたい」
「見てきた! まだまだ来るよ!」
遅れてリナがやってくる。
リナだとわかったのは声からだ。見た目がおかしい。
なんだこれは、と思った。
風船みたいな人間みたいな奇妙な姿をしている。
「リナ、人間型のやり方、うまくなってきたじゃない」
玉座の傍らからルリアは微笑んでリナを見下ろした。声の調子がとても優しい。
「でしょ。こんなんだけどリナは元々人間だったんだよ。美少女になったら町に出る!」
ミミズの情報によると、リナはルリアに人間型のやりかたを教えてもらっている。まだ初歩なのでこういう気味の悪い風船になっているらしい。
しかも、これでも良くなってきたとは、ルリアいわく「うまくなってきた」とは、どれだけひどかったんだろう。
「魔王様、全員集まりましてよ」と、ルリアは魔王に次の段取りを促した。
全員?
ロンバが見えない。
いまだにロンバの正体がわからない。
ミミズは言う。
『ロンバは魔王城の強大な魔力で力を持ったまま細かくなり、この魔王城を包み込んでいるです』
「ナノテクですかー。ナノロボ? でもちょっとジャンルが違わないですかー」
リナの「転生者としては」はよくわからない。頭がおかしいということで皆納得していると思う。
そんななかで魔王の声が響き渡る。
<<エメリアの勇者どもが頻繁に訪れて困っておる>>
エメリア王国は自治領ルドリアを含む広大な領域を統べる王国だ。
<<ロンバのおかげで汚れなくはなったがな>>
魔王は宣言した。
<<王国エメリアを我が領土とする! 蹂躙せよ!>>