第1話 パーティー全滅
魔王との戦いは、愚かさそのものだった。
俺は逃げ惑う自分の足音と共に、その愚かさを深く噛み締める。
魔王城の広間は異様な紫色に染まっていた。それはただの色ではない。冷たく絶対的な寒気を帯びた瘴気が肌を刺す。
広大な空間を支配する魔王の存在感は、二つ名を持つ俺たち魔王討伐隊勇者メンバーの身も心も押し潰した。
先頭に立って動き出したのは勇者アレク。「凶魔の奇跡」と通称される彼が最初にその異形な力に触れた刹那、全身が震えだした。
武者震いなのか恐怖によるものなのかもはや区別がつかない。いつのまにかアレクの身体は寸断されていた。上と下、完全に分離し、鮮血が紫色の石畳を染め上げた。
幾度も奇跡を起こしてきた勇者の口から最後にこぼれ落ちたのは、血の匂いが染み付いた絶望的な呟きだった。
「……ありえねえ」
その言葉が終わる前に、彼の眼の光は消えた。
魔王の前に立った勇者たちは、はたきで埃を払われるように次々と薙ぎ倒されていった。
続いてその軽い流れ作業のように蹂躙されたのは「神界の右腕」とも称されたナナだ。彼女の銀髪は血と紫の瘴気に絡みつき、右腕どころか足から首まで積み木のように吹き飛ばされた。
「天帝」と「剛強無双」。肉体と精神を極限まで鍛え上げた二人の屈強な戦士も押し潰されて元の身長の十分の一にまで縮み果てた。吐瀉物とともに喉から絞り出される断末魔の叫びは短く、広間に反響するよりも早く虚空に消え去った。
「烈閃の仮面」と名乗るSランク冒険者の仮面の下の素顔を知る者は誰もいなかった。彼はその仮面ごと縦に真っ二つに引き裂かれ、血の雨となって降り注いだ。仮面の下の顔がどうだったのか、もう誰も知ることはできない。ただ、鮮血に染まった残骸だけが彼の存在を物語っていた。
「逃げたほうがいいよね……」
脳髄を貫く警告が俺を突き動かす。
魔王の力は飢えた獣のように容赦なく後衛にも襲い掛かる。
回復術師であり希望の光でもある聖女「浄土の白銀」は、肌の色を瞬く間に漆黒へと変え、枯れ木のように生命力を失っていった。
魔術師「霧氷の円環」は、全身から激しい勢いで血を噴き出して泡のように消え去った。
俺こと「魔界の掃除屋」本名レンは、簡単に言えば、魔物使いだ。C級冒険者の時は魔物使いのレン。自慢の相棒であるゴブリンとスライムを従えて戦場を駆け巡るのが日常だった。
だが今は違う。
使役していたゴブリンとスライムたちは魔王を前に一瞬にして塵と化した。
ああ、ゴブ夫、スラ子。
この場に立っているだけでは何の役にも立たない。
まずは生き延びること。
俺は覚悟を決めて踵を返した。全身の力を振り絞り、一歩、また一歩と足を踏み出す。
「逃げなければ死ぬ。逃げなければ……」
繰り返すように脳裏に響く言葉。
しかし足取りはおぼつかない。
振っている腕がまるで砂のように溶けていく。
重みが失われ、軽くなっていく。
皮膚が消え、筋肉が崩壊し、骨だけが虚しく空中にぶら下がっている。
痛みは感じない。感覚が麻痺しているのか、それとも恐怖の限界を超えているのか。
脚が動いているのか、もうわからなくなっていた。
それでも、俺は無我夢中で走り続けた。
「逃げなきゃ……にげ…」
言葉は途切れ、意識は薄れていく。暗闇が、じわじわと俺を包み込もうとしていた。